女心とドロップキック!
また締め切りを破ったら坊主にします。
翌朝。
俺は荷物を整え、一人で家を出た。
静かな朝だ。さわやかな風が肌に心地いい。
梨音についての心配事もなくなったから、
なおさら清々しい気分である。
もちろん、梨音と登校するのが嫌だったわけではない。
むしろ、幼馴染と一緒に居られて嬉しかった。
だが、少なくとも朝の登校時は、
こうして自分のペースで歩くのが性に合ってる気がしていた。
自然も観察できるし、朝日も感じられるし。
……実は寝坊したんだが、な。
俺はどうせ遅刻だと諦めて、
通学路をマイペースに歩いていった。
「ナツキン、おーい!」
後ろから、何か厄介な奴の声が聞こえてきた気がするが、
まあ幻聴だろう。あいつは朝早いし。
俺の静かな朝を邪魔する奴はいない、はず。
「夏樹く~ん!聞こえてるかい~?」
大丈夫、何も聞こえてない。
そう、聞こえてない事にしよう。俺の平穏のためだ。
「うおおお!!夏樹!聞け!」
……なんかやけに後ろがドタドタうるさいな。
騒音が気になった俺が、仕方なく後ろを振り向くと……
「ドロップキィック!とりゃ!」
真里が飛んできた。
「ごはっ……!?」
真里の飛び蹴りが、俺の胴体にクリーンヒットする。
俺はその衝撃で、かなりの距離を吹っ飛ばされた。
「ぐおおっ!」
痛みで、思わず蹴られたところを抑える。
してやったり、という顔の真里を見て、俺は叫んだ。
「な、なんて事しやがるんだ馬鹿野郎!!」
真里はそれに、「だって」と不服そうな顔をした。
「ナツキンが反応してくれないのが悪いじゃん」
「な……」
この女、人に飛び蹴りをかましておいて
この開き直りっぷりである。
俺は呆れながら反論しようと口を開いた。
だが、真里は俺にかぶせるように、「あのさ」と
珍しく真面目な表情で話し出す。
「ナツキン、なんか忘れてない?」
「忘れる……何をだよ」
「女心、とでも言えばわかるのかな~?」
真里はそれだけ言うと、俺の方を向いて不満げにむくれた。
俺はその『女心』とやらが気になって、真里に聞き返す。
「女心って……なんだよ。それが蹴られた理由か?」」
真里は、俺のその言葉が不満だったのか、大きくため息をついた。
そして、大きく首を横に振る。
「あのね、ナツキン」
「何だ」
「梨音っち、ナツキンの事待ってたよ」
「なっ……」
俺は絶句した。
もう彼氏をめぐる問題は終わったのに、
俺の事を梨音が待つ……?
ありえないと思った。
だって、俺たちは元からカップルじゃないから。
でも……
俺は昨夜のことを思い出していた。
『別にいいじゃない、手ぐらい繋いだって。
お互い異性の練習になるでしょ。
夏樹が相手なら私も全然大丈夫よ』
照れながらも、そう言ってくれた梨音の笑った顔。
もしかしたら、今日、俺と手を繋いで登校するのを
楽しみにしてくれていたのかもしれない。
それで、早くから待ってくれていたのかも知れない。
俺は梨音の気持ちを想像して、やっと自分が
とんでもない事をしでかしたのに気が付いた。
そして、なぜ真里に蹴られたのかも。
「真里、わりい。
俺、いきなり蹴られたから勘違いしてた」
俺はそう詫びる。
それに、普段素直な真里は、珍しくそっぽを向いた。
「ナツキン、早く行った方がいいんじゃない?」
「おう。教えてくれてありがとうな」
俺は真里に軽く会釈して、学校の方に走り出す。
少しでも早く、梨音のいる教室に着く必要があったからだ。
大事な幼馴染の気持ちを分かってやれなかった訳だから、
頭、下げなくちゃならないからな。
「梨音、怒ってるかなあ」
俺は息を切らして走りながら、梨音の事ばかり考えていた。
怒ってるなら、まだいい、とか。
悲しんでたら、本当に申し訳ないな、とか。
いつからこんなに、梨音の事を考えるようになったんだろうか。
走りながら、俺はふと考える。
「一人暮らしになってから、かな……」
家事も光熱費も払えなくて、一人で困ってた中学の頃。
梨音が色んなことを俺に教えてくれて、助けてくれたんだった。
俺たちが本格的に親しくなったのは、その頃かもしれない。
「ははっ、なかなか懐かしい」
俺は当時の事を思い出して、何とも言えない気持ちになった。
今度、梨音ともその話をしてみようかな。
そんなことを考えているうちに、
俺の前方に、高校の門が見えてきた。
(よし、あともう少しだ)
心の中でそう自分を鼓舞しつつ、俺はラストスパートをかけた。
遠くに見えていた校門に、段々と近づいていく。
もう少しで学校だと思った、その時だった。
「……だーれだ!」
「!?」
突然後ろから手が伸びてきて、俺の視界をふさいだ。
このきれいに澄んだ、しかしどこか艶やかな声は。
「……梨音、だろ」
「……正解よ。
いつもの私よりちょっと高い声でやってみたのだけれど、
案外すぐばれたわね」
後ろに立っていた梨音は、俺の目隠しをやめると、
不機嫌そうに口を尖らせた。
「他の女の子の名前が出てきたら、
『浮気した!ひどい!』って言ってやろうと思っていたのに。
即答しちゃうし、つまらないわね、全く!」
「そ、そんなトラップが……」
俺は梨音のたくらみを聞いて、内心震えあがった。
もしそんな事になったら、いろいろと申し訳なさ過ぎて生きていけない。
というか、だ。
そもそも、梨音はなぜここにいるのだろう?
まさか、俺の事を待ち続けていた訳じゃないだろう。
「お前、なんでここにいるんだ。
もう授業始まってるんじゃないのか?」
俺がそう質問すると、梨音はさらに露骨に不機嫌になった。
そして、地団駄を踏みながら俺をきっ、とにらむ。
「夏樹を、私は待ってたんだけど」
「そ、そっか、そうなのか」
まさか、そのまさかだ。
梨音は俺の事を、授業に遅刻してでも待ってくれていたのだった。
途端に申し訳なくなって、俺はうつむいた。
不甲斐ないぜ、全く。
だが、梨音はそんな俺の方に手を差し出して来た。
「手を、私とつなぎなさい。
それで、今回遅れてきた件は水に流してあげる」
梨音はそう言って、今度は勢いよくこちらに手を突き出してきた。
「そ、そんな事でいいのか?」
戸惑う俺に、梨音は深くうなずく。
「私がいいと言っているんだからいいの。
ただし絶対に、自分から離してはだめ。
私が離すまでつないでて。できる?」
「あ、ああ」
勢いに流されるまま、俺は梨音と手を繋ぐ。
こうして、二人で手を繋いだままの、奇妙な学校生活が
突然始まったのだった。