閉幕、そして勘違いの話
俺は、思わず梨音の席に駆け寄りそうになるのをこらえた。
なぜなら、まだ質問の時間は終わっていなかったからだ。
つまり、まだ勝負は終わっていない。
……しかし、一馬はそう思ってはいないようだった。
「もうこれ以上は十分だ。
僕には霧崎に対する理解がそもそも欠けていた。
君の勝ちだ、夏樹」
一馬は、うなだれていた。
梨音を正しく理解してやれていなかった事のショックで、
彼はその後一言も発さなかった。
そしてそのまま、図書室を出て行こうとする。
俺はその肩に手をかけ、引き留めた。
「ちょっと待った」
「……何だ」
険しい顔をする一馬。
俺は冷静に、ただ一言だけ一馬に伝える。
「強引に梨音に迫ったのを、一言謝ってくれ」
梨音は人見知りだ。
ああいう形で迫られれば当然断れない。
そのせいで、結構ストレスも感じていたはずだ。
だから、謝ってほしい。
それが、俺の本音だった。
「……そうか、そうだな」
一馬は頷いた。
そして、梨音の方を向いて、深く頭を下げる。
「すまなかった。霧崎の気持ちに配慮できていなかった。
……僕は、生まれてこのかた、女の子に告白を断られたことが無かった。
それに浮かれた結果、君を傷つけてしまった。
今日のだってそうだ。本当に、すまなかった」
その言葉に、梨音は黙って頷いた。
そして、言葉を選ぶようにゆっくり喋り始める。
「そこまで、謝る程の事じゃないわよ。
夏樹が言ってるほど、気にしてないし」
ただ、と梨音は厳しい表情で続けた。
「他の女の子でもこういうのが苦手な人はいる。
だから、今後はやめるべきだと思うわ」
諭すような、はっきりとした梨音の口調。
俺にはそれが、梨音の優しさの表れのような気がした。
……基本誰に対しても、梨音は優しいのだ。
そして、相手のためを思うからこそ、時に厳しい。
そんな梨音は一馬の目を見ながら、語り掛ける。
「誰にでも失敗はあるから、あなたは恥じる必要は無いわ。
失敗から学んで、次に生かせばいいだけ。
私はあなたの彼女にはなれないけれど……
またテニスの相手になら、なってあげてもいいわ」
「き、霧崎……」
梨音のあまりにも優しい言葉に、一馬は唇を噛み、
今にも泣きそうな顔をした。
そして、もう一度、深く、深く頭を下げた。
「ありがとう……」
梨音は、小さく頷いた。
その横顔は、慈悲にあふれていた。
俺は、その場でたたずむ梨音の側に歩いていく。
「梨音、行こう」
梨音は俺の方を向いて、安心したように笑みをこぼした。
「そうね、行きましょう」
俺も、いつもの幼馴染の表情に、やっと安心する。
……こうして、俺と一馬の戦いは終わりを告げたのだった。
所変わって、ここは俺の家。
いつもの様に、カップルになった俺と梨音は
リビングで楽しくお喋り……は、していなかった。
「私は泣いてませ~ん!」
「嘘をつくな嘘を」
俺のスピーチにケチをつけた梨音。
それに、「でも感極まって泣いてたじゃん」と反論した俺。
醜い争いが、再び開催されていた。
ラウンド2である。
「嘘だというなら証拠を出しなさい!」
「いや、証拠はないけどよ」
「じゃあ私の勝ち~!イエーイ!」
一人で勝手に盛り上がる梨音。
俺は、マリアナ海溝よりも深いため息をついた。
……ダメだこりゃ。
スピーチの時の真面目モードから一転、
今のこいつはIQ3のアホである。
なんでか全くわからんが、梨音はめちゃくちゃ浮かれていた。
学校という場、そして一馬から解放された事で、
それまでの緊張が一気に崩れたからなのかもしれない。
……それにしたって浮かれすぎだろ。
テンションの温度差で風邪ひくぞ。
心配する俺をよそに、梨音はひたすら喋り続けた。
「というか、夏樹。
スピーチで私の子供の頃の黒歴史、暴露しすぎじゃない?
私のプライバシー無くないかしら?」
いやいやいやいや!
俺の家の合鍵勝手に作ったくせに!
それでエロ本探してたくせに!
プライバシー、めちゃくちゃ握ろうとしてたよな!?
というかもうカップルなんだから良くね!?
俺はそう言いかけて、しかしやめる。
今の梨音がめちゃくちゃハイテンションなのを
分かっているからだ。
こいつには、何を言っても通じねえ……!
そんな諦めが、俺の中にはあった。
「じゃあ夏樹のプライバシーも無くていいわよね!
保育園のお泊り会の時に、私の布団に夏樹が入ってきたのも
当然暴露していいわよね!」
「オイオイオイ!どんな謎理論だよ!」
「小学校の時に、バレンタインデーで
なぜか夏樹からチョコもらったのも暴露していいわね!」
「オイオイオイオイ!違うだろ!」
精いっぱいの俺のツッコミを、梨音は鼻で笑った。
「何が違うのかしら?全部真実よね……?」
アホ梨音め、とぼけた顔で目パチパチさせて瞬きしやがって。
俺は、自分が苦虫を噛みつぶしたような顔になるのを自覚した。
しょうがないのでそんな顔のままで、梨音に質問する。
「なんで、そんなテンション高いんだよ」
梨音は、少し驚いたように沈黙した。
その後少し考えて、あっけらかんと答える。
「そりゃ形だけでも、あんたみたいないい奴に
女の子として好きって言ってもらったら嬉しいわよ」
そうかそうか、って……ん?
「……え、形だけでも?」
思わず聞き返す俺。
それに、梨音は当たり前のようにうなずく。
「だって私とあんたがカップルなのって、
一馬に対抗するための嘘でしょ?」
「あっ……!」
頭の中の勘違いが、がらがらと崩れていく音が聞こえた。
そっか……!
俺と、梨音は、もうカップルじゃないんだ……!
「う、うわあああああああ!!!」
「な、いきなり何!?」
これからカップルだ、と思って浮かれていた恥ずかしさ。
梨音が彼女でないという、厳しい現実を受け入れられないショック。
様々な感情が爆発した俺は、滑稽なほどに叫んだ。
そして……俺の記憶はここで途切れた。
今度は9時投稿できてよかったです。