明王と敗戦のボク的解釈① 明王とは
さて、大元帥明王。
この『明王』という言葉をネットで検索してみると、(いろいろ書いてあるのですが)ボク的認識としては『護法の怒り』です。
『仏法に帰依しない者を力ずくでも帰依させようとする気迫の表情』とか、仏教を信仰していない人には狂信的な怖さを感じる人もいるかも知れませんが、『虚しい快楽に溺れて仏道に背を向ける人々』が対象だと言えば、少し理解してもらえるでしょうか?
そして、『修行者など仏界を脅かす敵に対する怒り』などの意味もあるようです。
※ちなみに、帰依とは“心の拠り所にすること”だそうです。
で、ここからはボクの個人的な考えなんですが、そんな『明王』である大元帥明王の功徳の『国土防衛』の“国土”とは、“仏教国の国土”を指すのではないか?と思うワケです。
明文化されてませんが、不自然ではない推測だと思ってます。
で、今回のタイトルなんですが、この推測を基に、大戦で日本が敗戦国になった理由を語る(推測する)には理由があります。
それは、ボクが読んできた小説での大元帥明王の説明に納得ができなかったからです。
ボクが今まで読んできた小説での大元帥明王の説明は、だいたい、以下のようなパターンになります。
①まず、登場キャラクターの1人が、その加護を求めて大元帥明王の真言を唱える。
②大元帥明王の簡単な説明がされる。
③その力の偉大さの説明として、元寇(中国の日本侵略)の際にも大元帥明王の儀式が執り行われており、結果として日本は“奇跡的”とも言える逆転勝利を収めていることが語られる。
ここまでは、いいんです。
ここまでは。
ただ、ここで触れずにおくのはフェアじゃないと考えるんでしょうね?
次に、大戦における日本の敗戦のことも触れられます。
④大戦時においても大元帥明王の儀式が執り行われたことが語られ、それでも日本が敗戦したことを、『敗戦はしたが結果的に、後に日本は経済大国としての勝利を迎えた』みたいな説明がされます。
こーゆーパターンです。
で、これが、ボク的にはいただけない。
だーって、かなり“こじつけ”ですよね?
無理矢理な理屈だと思うんです。
で、何か無理のない説明はないかなぁと考えたのが今回の持論。
誰も語っていません。
ボクだけの推論なんですが、『大戦での敗戦は、元寇の頃に比べて、日本が仏教国と呼ぶには遠い国家になってしまった結果である』論です。
でも、「?」と思った方もいると思います。
元寇の頃も大戦の頃も日本には最高権威者(または権力者)として天皇が存在していました。
天皇とは神道という信仰の価値観によって“のみ”成立する存在で、だから日本は神道国なんじゃないのか?と思われると思うんです。
ボクの論の説明としては、『元寇の頃は仏教は仏教として尊重されていたので、日本は神道国であると共に仏教国であった』です。
そして、この説明には“仏教伝来”という“奇妙な出来事”についての、ボクなりの視点の説明が必要になってきます。