前提として インド神話や仏教に対する基本的な考え方
さて、ちょっと話が横道にそれますが、基礎知識的な前振りのつもりです。
仏教、特に密教には、“化身”や“姿の1つ”的な表現が出てきます。
それは、インド神話の文化から生まれた価値観で、それが仏教に取り入れられたからと、ボクは思っています。
なぜ、取り入れられたかは、後述……。
まずは、なぜ、そんな価値観が生まれたか?の話から──。
以下は、ボクの個人的な見解なんですが、インド神話で起きたことの理屈は、敗戦後の日本の皇室に対しての対応に、少しだけイメージが重なります。
戦勝国や侵略国は、相手国民の心の拠り所を覆すことを行ってきました。
インカ帝国では王は太陽の化身と崇められましたが、侵攻国のスペインは国民の前で神輿から王を下ろすなど、その威厳を否定する行動で国民にショックを与えたということを、『世界・ふしぎ発見!』のクイズで視た記憶があります。
ただ、日本の敗戦の際の天皇の扱いは、これと逆になりました。
「天皇を戦犯としての処刑などを行った場合、精神的支柱を失った国民を統治するのは困難である」などの判断から、敗戦後も皇室は形を変えて残されたという話を聞いた記憶があります。
「ん? 何の話をしてるんだ?」と思われるかも知れませんが、インド神話の形成は、これと似たことが起きていたとボクは思っています。
つまり、部族間の争いなどで勝利した側は、相手の心の支柱(信仰)の全否定ではなく、融合という形で取り込んでいったと。
相手の側にある伝承を、「ああ、そう言えばウチの神様が○○の姿になって活躍することもあったらしいけど、そうか、君たちが信じていたのはソレかぁ」的な解釈で取り込んでいく──。
そーゆー経緯で、『○○は△△の別の姿』的な価値観が生まれていった。
それが密教に持ち込まれた。
“釈迦の教え”を『仏教』とするなら、実は、密教は厳密な意味で仏教とは言えないと思っています。
と言うか、キリスト教などと違い、仏教は、釈迦が教えを説いたのとリアルタイムで勢力を持ち始めたものではないようです。
釈迦の死後も、その教えを基に信仰する集団がいた、という形のようです。
しかし、人々から抵抗が起きた。
「釈迦の教えによってもたらされるものは、信仰に身を投じた者(修行者や出家者)たちだけのものでしかない」と。
結果、集団の中に“現世利益”を念頭に、人々のために古いインドの信仰を再掘する流れが起きた。
それが密教。
古いインドの信仰を再掘してますから、そこにあった『○○は△△の別の姿』的な価値観も継承された。
そして、『○○明王は△△菩薩の憤怒の姿』などの設定が生まれていった。
まあ、知っていてもいなくても大きな差はないかも知れませんが、ボクは密教文化をこんな風に捉えています。
つまり、“悟り”的なものを求める対象が一般的な仏教で、奇跡や何らかの変化を求めるのは間違い。
そーゆー奇跡や何らかの変化を祈るなら密教に求めるべきものだと。
そして、密教の複雑な伝承は、密教がまとめられた経緯によるものだと。