41 惑いて問えよ己が心に・3
外は夜風が吹いていた。
方形に張り出した、いわゆるバルコニー的な空間だ。
広々としていて、城下町が見渡せる。家を照らす明かりだって見える。東京のネオン街に慣れた元サラリーマンには物足りないが、それに負けず劣らず、夜空には星が輝いていた。
「ソータ、これからどうするの?」
「……そうだな。とりあえず側塔に行こうぜ。どうせすぐキッカさんも来て……」
「そうじゃなくて――今なら逃げられるよ?」
不意にリリィが立ちどまって、俺は耳から言葉を取り落とした。
逃げる。……逃げる?
思わず凝視したリリィの横顔は、夜闇にまぎれているものの真剣そのもので。
「ここから一緒に飛び降りて、私が着地地点にディナを召喚すれば、誰にも気付かれずお城から出られる。南の大門は物見番がいるけど、北東エリアなら人もすくないし、城壁もそんなに高くない。魔法を使わなくても出て行ける」
……なに言ってるんだ? 愛の逃避行ってやつか? そういうお誘いなのか?
「私が一緒なら最短で森をぬけられる。そのまま南下して〈リカルトフォルス〉に行くのが一番手っ取り早いけど、あそこはエリザヴァトリが来たばかりだから気が立ってると思う。東街道を教えるから、ソータは〈フィーヴィア〉にむかって。変わった土地だけどみんな優しいから、きっとすぐに悪い魔王じゃないってわかってもらえる」
「……俺はって……お前は?」
「私は行かない。森でエリザヴァトリを待つから。――ソータひとりで逃げて」
そりゃそうだよな。ここはリリィの母国だ。あれだけ会いたがってたアリアさんだって戻ってきたんだ。キッカさんやステファニーみたいに仲のいい知り合いもいて――……だから、なのか?
「なあ、リリィ。さっきのあれはさ、別にお前が気にすることじゃないだろ? 王様だって拒否ってくれたし、第一エリザヴァトリが来るってのに俺だけ……」
「だから! エリザヴァトリが来るから! キッカたちの話を聞いたから言ってるの……っ!」
突然、大声が響く。
虚を突かれた俺に、リリィは容赦なく言葉をあびせた。
「本当はね、今年も生贄をささげる予定だった。強い人たちの大半は三年前に殺されるか連れて行かれて、王様も責任をとって死んで、私も魔法少女になって……でも私はお姉ちゃんを諦めきれなくて! 返してほしくて! だから森で待ち構えて――ソータを巻き込んじゃった……っ!」
「でもよ、それは……!」
「でもじゃないよ、ぜんぶ私のせいなの! 無関係なソータが〈饜蝕の大驪竜〉と戦ったのは、私を助けるためで! そのせいで魔王に勘違いされて、捕まって、エリザヴァトリと戦うはめになって、怒らせちゃって! キッカの部隊の子たちが死んだのも、ジョゼがあんなふうになっちゃったのも、ふたりが言い争わなきゃいけなかったのも! ぜんぶ私が身勝手に行動して、その責任をみんなに押しつけた結果だもん!」
言葉だけじゃない。
月光と篝火に照らされて、地上の星が――涙までこぼれ落ちていく。
「……ソータのおかげで……お姉ちゃんに会えた。いっぱい助けてもらった。……だから私は、今度こそ私だけの責任をはたすの。ひとりでエリザヴァトリを倒す! ソータも、王様も、お姉ちゃんや他のみんなだって殺させない……!」
リリィはおもむろに両手を突きだす。
――〈オモチャの怪獣〉。
聞き慣れた叫びがつんざくと同時、光がほとばしった。壁面や地面が剥がれ、集い、ディナのかたちをなしていく。
「リリィ……なにを……!?」
「ソータは優しいから、頷いてくれないのはわかってた。だったら、ちょっと手荒な真似をしてでも眠ってもらう! そのあいだにぜんぶ終わらせるからっ!」
顕現したディナは、仔ゾウやサイほどの大きさだった。リリィがその巨躯をひとなですると、主人の意をくみとったディナが突進をしかける。――俺たちが初めて会ったとき、そうだったように。
ディナの巨躯に隠れて、リリィが笑った。
不器用に、不細工に、ぐちゃぐちゃの笑顔で。
「今までほんなこつありがとう。……やけん、ここでしゃよなら」
……なあ、なんだよそれ。
黙って聞いてたら一から十までお構いなしに。
いや、違う。お前、最初からそうだったよな。
一番最初にディナをけしかけてきたときから。お姉ちゃんを返してって言ったときも、俺は魔王じゃないって泣いて喚いたときも。周りの意見なんて聞きやしない。いつだって全力で、一生懸命で。
なのに、いまさら。
ここまできて遠慮なんかするのかよ!
「お前はどうなんだよ!」
警備に聞かれるかもとか、そんなこと一切考えずに叫ぶ。
あまりの覇気にディナが怯んだ瞬間、その鼻っ面を真正面からうけとめた。
それでも衝突の威力は殺しきれず、踏ん張った体勢のまま何メートルも押されていく。すさまじい摩擦熱が煙となって、塵芥とともに舞いあがった。
それでも――それでも叫ぶ。叫んでやる。
「俺のこと無関係って言ったよな? ああ、そうだ! なんたって生後零日! ぶっちゃけこの国に愛着なんて持ってねえよ!」
そうだ、俺はジーンガルドに思い入れがあるわけじゃない。
領土的な観点でいえばジーンガルド出身かもしれねえけど、魔物の体内にあるSEMから産まれてきたから、正直微妙だ。
というか、アリアさんが魔法少女になった経緯とか、さっき聞いたばかりの王様が責任とって死ぬ話とか、ステファニーには悪いが国家として正直どうなんだって思う。
「誤解とはいえお前に殺されかけたし! ジョゼとか、まあジョゼとか、あとジョゼから散々な目に遭わされたし! 魔王あつかいされたと思ったら無能よばわりだしな!」
キッカさんたちはいい人だけど、他の子たちの人となりなんざ知るわけがない。殺された子たちには悪いし、心底薄情だとは思うが、それでもその日のうちに晩飯を食べてしまえる程度には他人なんだ。
「俺はそうでも、お前はどうなんだよ、リリィ!? アリアさんが帰ってきたばっかだから! 俺が悪い魔王じゃないって弁解があるから! 離れないんじゃないかって思ってたけどさ! お前、国にもどってからずっと……他はキッカさんと王様くらいしかまともに話してないだろ!」
俺も馬鹿なりに考えてみた。
先代の王が死んで、それで一件落着したのか?
さっきの「王様も責任をとって死んで、私も魔法少女になって」って台詞。なんで先王の死と、お前が魔法少女になるのが同列に語られるんだ?
三年前、お前は魔法少女じゃなかった。だからアリアさんを見送るしかできなかった。なのに今、ディナを召喚できて。魔法少女やってて。なのに。俺が悪い魔王じゃないとわかったあとの宴会だって、俺たち以外の誰ともまったく会話せずに。今だってたったひとりで〈無血の王〉を迎え撃とうとして。
「リリィ、お前――虐められてたんじゃないのか!?」
恒例の体調不良期間でした_(¦3」∠)_ あっというまに秋通り越して冬がきてしまいましたが、ひきつづき更新していきます! どうぞよろしくお願いいたします~!!!!