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代償に得たモノ






 暗闇の中で蠢く…、あれは魔のモノだろうか。

 生きているのか死んでいるのかさえわからない、生き物とさえ呼べない靄が段々と形をとる。

 それは古びたぬいぐるみのように見えた。元がなんの動物だったのかわからないほどボロボロなぬいぐるみは、ところどころ焦げていて、身体中煤けて真っ黒だった。




 ボロ雑巾のようで人形と呼ぶのも憚られるモノに、声をかけた人間が一人。この光が射さない暗い森の中でもよく目立つ深い橙色が人形のそばで笑った。

 歳よりも幼く見えるその人間は、とろけるような目で、視界に映らない空を仰いでいる。恍惚としたその姿は、異様以外の何物でもなく、この人間の可笑しさを如実に表していた。


「やっと見つけた」


その声が揺蕩っていた人形の意識をこの世へ引き戻す。フラフラと立ち上がった人形はぐっと伸びをした。そして、そばにいる人間の方を向いた途端、パタリと倒れる。

 それを見て、気色満面だった彼の顔が蒼白に染まった。まるでこの世の終わりだというような姿は、痛々しく憐憫を誘う。


「師匠?………何してるの、師匠」


人形は動かない。まるで中にあった何かが無くなってしまったようだ。

 人間は、今にも死んでしまいそうな面持ちで人形を見つめる。心臓が激しく脈打っていた。呼吸がどんどん荒くなり、苦しくて苦しくてたまらない。だけれど、驚くほど頭は冷静だった。




 自分は失敗したのだ。悪いモノに沢山の物を差し出したにもかかわらず、賭けに負けた。

 馬鹿な頭は現実を正確に捉えて、自分を絶望へ追いやろうとする。そんな事実から目を背けるために、まばたきもせず人形を凝視した。


「はは。…わかってるよ。俺をからかってるんでしょ。だから。だから!早くさっきみたいに動いてよ」


震えた声で縋るようにその人間は話す。カタカタと小刻みに揺れる体が、この結果を認めているようで死にたくなった。

 それでも、見たくない事実を否定してほしくて人形に手を伸ばす。

 この手で触れてしまえば真実がはっきりしてしまう。それが怖くて怖くて仕方なかった。だけれど、確かめずにはいられない。




 ゆっくりと伸ばされた指が人形に触れる。それは灰のように崩れおちることもなくその場に存在していた。なぞればちゃんと布の感触がする。その事実に耐えられなくて嗚咽が漏れた。

 体はここにある。つまり、全てが失敗したわけではない。だけれど、人形は動かない。

 彼はそんな現実、認められない。認めてたまるか、と思う。




 人間は大事な大事な人形を胸に抱える。そして、ギュッと力一杯抱きしめた。押し潰してしまうほどの力で。それは、さながら親にしがみつく子供のようだった。

 失意にくれた彼はそうすることしかできない。胸の喪失感を誤魔化す術を知らなかった。




 一人で抱えるには強すぎる感情をどうすることも出来ず、さらに腕に力を込める。


「グエッ」


その時、カエルが潰れるような音がした。黒い目をした人間、アイは慌てて腕の力を緩める。人形はスルリと腕を抜け出て、地面に着地した。


「全く…。殺す気かい?」


「し、師匠ぅ」


アイは、大きな目からボロボロと涙をこぼす。呆然としたまま泣く姿をみて、人形は苦い気持ちになった。だけれど、そんなものは無視をする。そして、人形は自分の所為であるのにも関わらず、涙でぐちゃぐちゃなアイにふてぶてしく言った。


「チッ。そんなに泣くことないだろう」


「ううぅ。だってぇ。だって、師匠がぁ」


アイはグスグスと涙を止めようと頑張っていた。それを見ながら人形は大きく溜息をつく。そして、仕方がないと言わんばかりの身振りでアイの涙を拭った。煤けた手の所為でアイの目元は真っ黒だったが、本人は気にもとめず、へにゃりと笑う。


ーーーこれだから、子供は嫌いなんだ


あの時どうして拾ってしまったんだ、と人形は何度目かわからない後悔をした。家の前に捨てられていた子供を見捨てるのは忍びなかったから、仕方ないのだけれど。




 反応を返さない人形に不安を感じたのか、アイはチラリと人形を見た。人形はとても嫌そうな、面倒そうな、声色でアイに訊く。


「今はいつなんだい。お前の感じを見るにあまり時間は経ってなさそうだけれど」


「あれから三時間くらいだと思う」


アイの答えを聞いて人形は絶句する。彼の狂気を感じた。

 そんな短時間で自分を人形に定着させるなんて、まともな精神では出来ない。

 アイがそこまで自分に執着しているなんて想定外だった。




 思えば可哀想なことをしてしまったものだ。アイはもう純粋な人間には戻れない。

 幼少の頃から狂ったモノと一緒に暮らしていると、人間は壊れてしまうことを人形は失念していた。

 一応、かなり気を使って育ててはいたのだ。少なくとも、アイの前でおかしな言動をした覚えはない。だけれど、幼子は近くにあるモノの影響を受けずにはいられない。きっと、せがまれて、魔の力についての本を与えたのも悪かったのだろう。


「お前…。バカだバカだと思っていたけれど、救えないバカだね。どうせ、家に用意してたアレも使っていないんだろう?」


やれやれと言う風に人形は首を振る。アイは、アレ?と首を傾げた。この様子では家にも帰っていないのだろう。頭が痛くなりそうだ、と人形は思う。




 自分のところで育ったのが運の尽きだ。アイはきっと人間の中で生きることが難しい。器用なアイなら、まともな人間の振りは出来るだろうが、理解者のいない孤独を生きることになる。

 魔の力を使うと誰もが魅入られ、本質が変わってしまう。人間という枠から逸脱してしまうのだ。せめて、そうしてしまった責任くらいは取らなくてはならない。可哀想なアイが一人で生きていけるくらいにはしてやらねば、死んでも死に切れない。


「だと思ったよ。全くお前は。…一体何を代償として支払ったんだい」


アイはへらりと笑って口を結ぶ。答えないと言う意思表示だ。この頑固さは一体誰に似たのか。




 こんな風に、いくら強情で言うことを聞かないバカでも愛らしいと思うのだから、始末に負えない。バカな子ほど可愛いとはよく言ったものだ。

 そんな寂しがりやの愛し子を顧みずに逝ってしまったことだけは、悪いことをした、と思う。そんなことがアイの歪みを大きくする一端になってしまうなんて思いもしなかった。


「まぁ、今はいい。しかし………こんなモノを引っ張り出してくるなんて、お前は」


人形は、アイを恨めしく思う。

 確かにコレは、依り代に相応しい。人形がまだ人間だった時に大事にしていたものなのだから。だけれども、お気に入りだったからこそ、心が重くなった。付随する優しい記憶たちが、人形を苛む。アイはそれを理解していながら、コレを選んだのだろう。少しでも、この世に居たいと思わせるために。




 だけれども、どれほど人形を留めようとしても無駄なのだ。終わった生は戻らない。アイだってそんなことわかっているだろう。それでも足掻くアイはバカな人間だ、そう人形は思った。




 それでも。それでもアイは人形と生きたい。師匠のことが大好きだから。


「ナイスチョイスっしょーっ!」


褒めてもらった犬のように嬉しそうな表情で、アイは人形を抱きしめた。

 彼は人形が少しばかり喜んでいることを知っている。例え意味のないことでも、自分の生を願ってくれる人がいるのは、とても幸せなことだから。少なくとも人形はそう感じるだろう。長く一緒に暮らした時間が人形の心の内をアイに伝える。そして、それを素直に認めないことも知っていた。だから、人形の代わりに自分が喜ぶのだ、とアイは目一杯喜びを表現する。




 そのままアイは立ち上がり歩き出した。人形は自分の容貌を確認するように腕を動かしている。


「……バカ弟子め」


一通り自らの体を確認して満足したのか人形は愛すべき弟子の顔を見て言う。

 生前ではついぞ弟子と認めることのなかった人形が彼を弟子と認めた瞬間だった。それは、アイにとってそれはどんなことにも勝る誉である。




 アイは立ち止まり、感極まったように目を瞑った。

 ずっとずっと願っていたことがやっと叶ったのだ。大好きな大好きな師匠に認めてもらえる日をアイは夢見ていた。自分は認めるに値しないのだと理解しながら、それでも諦めきれない願い。師匠が死んでから叶うなんてどんな皮肉だ、と思うけれども嬉しかった。嬉しくてたまらなかった。




 そんなアイを見て、人形はもう一度思う。


ーーー本当に救えないバカだ


人形のために何かをするなんて、時間をどぶに捨てるようなものだ。全く、本当に誰に似たんだか。わかりきっていることを自問する。

 アイを育てたのは人形なのだから、もちろん人形に似たのだ。無意味なことと知りながら、行動しているのは、人形とて同じだった。今こそが人生の蛇足だ。




 こんなこと、予定にはなかったのだ。本当なら、もっと身軽に生きるはずだった。楽な方へ楽な方へ流されて、知らぬ間に地獄に落ちている。そんな生き方をするだろう、と人形は幼い頃から思っていた。

 それがどうだ。人間一人拾っただけで、こんなにも生に執着している。大切なモノが出来てしまった。




 人形は死んだことを後悔してない。けれども、人形は、この世でもう少し愛すべきバカたちの姿を見ていたい、そう思ってしまったのだ。

 昔は、死なんて怖くなかった。何を言われても特に心は動かない。死ぬために生きる運命にある、そう言われた時だって、眉一つ動かさなかった。いっそ、事実を告げたお師匠様の方が、ひどい顔をしていたくらいだ。

 そんな生前の人形は、感情の欠けた人間だった。きっと、本当の意味で人形である今の方が、人間らしいだろう。

 だからだろうか。こうして、戻ってきた人形は、終わりを迎えることが少し寂しい。幸せを見届けられないのが少し悲しい。

 だけれど、きっと。こんな風に、最期を迎えた後で、なんともいえない感傷を抱くのが自分らしいのだろう。そしてそれは、側からみれば不憫でも、自分にとっては満足のいく生だった証だ。

 自分が上手く感情を抱けるようになったということは、とても幸せに死ねた、ということなのだから。






 しばらくして、人形はアイの肩をポンとたたいた。それを合図に、また跳ねるようにアイは足を進める。人形もどことなく嬉しそうで一人と一つの奇妙な会話は続く。


「馬鹿でいいからさ、師匠!今度こそ魔の力の使い方教えてよ」


「仕方ない。私の完敗だ。その代わり厳しいから覚悟するんだよ」


その会話はお互いがここにいるのだと確かめているようだった。

 きっと、ここだけを切り取れば、幸せな光景に見えただろう。事実、二人はシアワセだった。例え、二人でシアワセに浸れるのが今だけだったとしても、シアワセであることには変わりないのだ。だから、心の内には、再び出会えた喜びよりも、いずれ来たるとわかっている別れへの悲しみが勝っていたとしても、二人にとって今が一番シアワセだった。

 本当に二人ともシアワセだったのだ。少なくとも、アイは今この時以上に自分が幸せな日なんてない、と思っている。紙切れ一枚一言の別れなんて、たまったものじゃない。もう一生したくない体験だ。きっと今生で受ける全ての絶望をその時に味わった。




 二人はシアワセを噛みしめながら、家に帰る。一緒に暮らした温かい家に。




 だけれども。いつ話せなくなるとも知れぬ身であるにもかかわらず、人形は終ぞ大事なことは言葉にしなかった。そのことに気づいていながらアイも言及せず、いつも通りニコニコと楽しそうに笑う。

 その選択はよく晴れた、けれども身を切るようにとてもとても寒い冬の日を連想させた。

 晴れやかであるのに物悲しいようなーーー。




 もっとも、そうすることしかできなかったからこそ、不器用な二人はこうしてここにいるのだけれど。






これは魔女の処刑が終わったある日のことだった。















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