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廃品回収 其の弐 性差別編  作者: 掛世楽世楽
2/2

別れ

 はい。申し上げましたように、初めてお会いしたのは二年前のことでした。

 ちょうど今頃の季節です。時刻も今時分でございましたねえ。



 思い出せない?

 では、もう少し先をお話いたしましょう。



 次にお会いしたのは、昨年、やはり夏の盛りでございます。

 記録的な暑さが続いて、死者が大勢出た夏でした。何十年振りの猛暑だったとか。あまりに暑くて、蝉の鳴き声が減ったらしゅうございます。


 明け方の公園に差し掛かった時、貴方様はすぐに、リヤカーを引く私に気がつかれたようでした。

 その日、私はヨーコを連れておりました。

 いつもは知り合いに預けているのですが、一緒に行くと駄々をこねることもございまして。その日も、そういう日でございました。



「おはようございます」


 ああ、やはり。

 私の願いも虚しく、貴方様はお気づきになりました。

 リヤカーが近づくのを待って、挨拶をなさいましたね。異様な風体の年寄りを、覚えていらっしゃったのでございましょう。



「おはようございます」


 私が答える前に、すかさずヨーコが返事をしてしまいました。



「あら、可愛い。お名前は?」


「ヨーコ」



 お互いに白い歯を見せて、笑い合うではありませんか。

 貴方様はヨーコが可愛いと思い、ヨーコは貴方様に(なつ)いてしまった。

 ヨーコまで見られてしまっては、どうしようもなかった。今さら逃げ出すわけにもまいりません。

 正直、私は泣きたい気分でございました。私どもはともかく、貴方様には良いことなど一つもない、無用の縁でございますれば。


 私は少しばかり慌てて、間に入りました。これ以上は、ことがややこしくなるばかりと、そう思いましたもので。



「お嬢さん、ちょいとお待ちください」


 ヨーコ、お前は向こうへ行っておいで。言うことをききなさい。さあ、早く。



「失礼をいたしました。男手ひとつでは、なにぶん躾が行き届きませんもので」


「とてもしっかりした娘さんですね」


「いえ・・・」


「またお会いしました。昨年以来、ですよね」


「はい」



 白を基調とした花柄のワンピースが、たいそうお似合いでした。

 貴方様は、前年よりも(やつ)れて見えました。はっきりと、死の影が迫っておりました。引き返しようのなくなる、一歩手前まで。私には、それが分かるのでございます。


 深々と溜息をついた貴方様は、昨年とは別人のように暗い面差しで、問わず語りに話してくださいました。



「今日も徹夜明けなんです」



 何日も泊りこんで仕事をするのは、珍しくもないのだと、貴方様はおっしゃいました。

 納期は絶対。

 でも、お客様からの要望は、なるべく受けなくてはならない。のべつ、変更、変更、また変更。だから、いつも仕事は綱渡りなのだと、そう話してくださいました。



「この二年で、五人の同僚が辞めました」



 聞けば、辞めるのはむしろ良い方で、追い詰められて自殺を図った人もいたとか。大変に厳しい職場のようでございました。今は、そう、ブラック企業とかなんとか、そんな呼び方をするのですね。



「はい。それは本当です。みんな、上司が悪いと言うのですけれど・・・」



 お客様や上の方にいい顔をしたくて、打ち合わせの度に「はい、出来ます。なんでもやります」と安請け合いする上司を、職場の全員が嫌悪していた。恨んでいたと言ってもいい。

 しかしながら貴方様だけは、プロジェクト内でただ一人、上司を信頼していた。

 そうでしたね?



「ええ・・・。彼は、私の性癖を知っても、嫌悪しなかったから」



 はい。そうでございました。

 彼は優しかった。

 両親や兄弟が認めなかった貴方様を、まるごと受け入れてくれた。

 体は男、でも心は女。

 そういう方々に対する世間の風向きも、変わりつつある時期でした。



「見た目や性別で、仕事をするわけじゃない。キミは有能だ。自信を持っていい」



 そんなふうに言われたのは初めてのことで、心が震えた、と。


 貴方様は、真に尊敬する人を得た。そして、その人を敬愛した。

 激務による疲れとストレスとで、身も心も(むしば)まれていたのでございましょう。たまたまそこへ優しい言葉をかけられて、貴方様は、他に行くところはない、行くあてもないと、そう思い極めていらっしゃった。

 そこまで思いつめなくとも、良かったでしょうに。


 子供の頃から得体の知れない矛盾に苦しんだ貴方様を、上司である彼は差別しなかった。

 そうでございますね。少なくとも、表向きは。



「ええ、そうです。女性として働くことを、許してくれました。会社に掛け合ってくれて、服装も、トイレも更衣室も、女性にしてよいと言われました。嬉しかった。言葉にならないくらい、嬉しかった」



 貴方様には、大いなる救いだったのですね。

 そうでしょう。そうでございましょうとも。

 それが功を奏したのか、どんな仕事も、貴方様の手にかかれば絶対に失敗しない、とまで言われたようですねえ。



「私は彼を信頼し、彼は私を信じてくれた。彼のためだと思って懸命に働きました。それだけです」



 職場の誰もが、貴方様に一目も二目も置いていた。当然のことでございましょう。

 しかし、その代償は小さくなかった。

 彼の期待に応えようと、心身の限界まで働き続けたある日、貴方様は彼から言われたのですね。

 毎月二百時間の超過勤務をこなし、文句のひとつも言わず、同僚が敵視する上司をかばいながら、休みはおろか休憩さえろくに取らず身を粉にして働いた貴方様へ、彼は言ったのですね。



「気持ち悪いんだよ」



 疲れているであろう彼のことを心配して、暖かいコーヒーを持って、彼の席へ行ったその時に。

 彼に見てもらいたくて買った、真新しい花柄のワンピースを着て、丁寧に化粧を直し、精一杯の笑顔を浮かべた貴方様に。


 すぐには、何を言われたのか分からなかった?

 それは当然でございましょう。

 貴方様は常に一歩控えて、感情は表に出さないよう、心掛けていた。

 気に入られようなんて、そんなつもりは微塵もないはずだった。

 でも、知らずに媚びを売っていた。そんな自分の気持ちを見透かされたと、貴方様は思った。顔から火が出るほど、恥ずかしく、恐ろしく、いたたまれなかった。


 彼は無情にも、震える貴方様へ、追討ちをかけました。



「いいか、よく聞け」



 折悪しく、深夜のオフィスには二人きりでした。

 他の人に聞かれる心配がないと知る彼の形相は、みるみるうちに凶悪なものと相成りました。



「俺はお前の趣味をどうこう言うつもりはない。男のケツが好きなら、勝手に追いかけていろ。だが、俺はノーマルなんだ。そういう下衆げすな趣味はない」



 彼は別人の如く汚いセリフを吐き散らしました。

 仕事の疲れもあったのでしょうが、それは人として許される言葉ではなかった。



「会社の方針だから、仕方なく一緒に仕事をしているんだ。これでも管理職だからな。でなきゃ、誰がお前みたいなのを置くものか。分かったか。分かったら、もう近寄るな」



 貴方様は、本気で彼を愛していた。

 うすうす毛嫌いされていると知っても、気持ちは変えられなかった。服装だけではなく、身体も女に変えてしまえば、もしかしたら・・・。でも、それは自分勝手な思い込みでしかなかった。

 出会った時から、こうなると知っていた。

 自分のような者に、好きな相手を選ぶ自由など、存在しない。いや、近寄ることさえ許されない。

 そう思ったのでございましょう?


 彼が新人の女性を可愛がっていることは、貴方様もご存知でした。たいそうな美人だったそうですね。見た目だけ上等でも、裏では上司をこき下ろしていたそうで。



「・・・わかりました」



 何も言い返さず、素直に引き下がる貴方様は、彼のひと言に、切れた。



「いっそのこと死ねよ。この、(けが)らわしい変態野郎」



 気がつけば、手に血糊ちのりがついていた。

 足元には、血まみれの上司が倒れて、虚空を睨んでいる。ひと目で死んでいると分かった。

 そうでございますね? 


 辺りには、誰もいない。自分と死体があるだけ。

 貴方様は、目の前が暗くなり、こう思われた。



 彼が死んだ。


 まさか、私が殺したの?

 私が、彼を・・・・・殺した。

 ・・・そうなのね。

 ああ、もう生きてはいられない。



 ええ、そうでございましょう。もちろん、そうでございましょうとも。



 よくお聞きなさいまし。

 貴方様は、上司の机に置かれていたペーパーナイフを手に取り、それを彼の首に刺したのでございます。その後、発作的に屋上へ走り、飛び降りたのでございます。


 はい、間違いございません。

 いいえ、聞きたくなくとも、聞かなくてはなりません。今こうして私がいるのは、貴方様に知っていただくためでございます。


 後ろをご覧ください。

 歩道の片隅に、花が供えられておりまする。貴方様が御存命の頃、同僚だった皆様が、今もここへ来ては供えて下さるのでございますよ。皆様、お優しい方々です。貴方様のことを、心から信頼なさっておいででした。


 そろそろ一年が経つのです。貴方様が亡くなってから。


 自分は死んだのかと?

 はい。誠にもってお気の毒ではございますが。


 貴方様には、二年前から、まだ生きていらっしゃる頃から、私が見えていたようでございますね。

 たとえ生者であっても、死の影をまとう方には、私が見えてしまうのでございます。見えない方が良いのですが、残念なことに、見えてしまう方もいらっしゃいます。


 それが子供や若い方であったりしますと、私もなかなかに心苦しいのでございます。はい。

 ですから、なるべく静かに、他人様ひとさまの眼には触れぬよう、目立たぬよう、そっと歩くことを心掛けておりますでございます。



 私の名前、でございますか?

 はい、死神と申します。

 どうやら、納得していただけたようで。


 そのようなお顔をされますと、私としても身の置き所がございません。歓迎されないのは百も承知でございますが、いや誠にもって、申し訳もなく・・・。



 はあ、そうではない、人を殺してしまったことを、思い出したからと?

 なるほど。

 貴方様なら、そうでございましょう。ええ、そうでございましょうとも。

 ですから、私も貴方様にはお会いしないで済むようにと、昨年も願っていたのですが・・・。

 これは詮無いことを申し上げました。お許しください。



 これからどうすれば良いか、でございますか。

 ご安心を。そのために私は参りました。貴方様の水先案内人として。

 いざ、参りましょう。



 こちらへ、はい、おいでなさいまし。


 覚えていらっしゃいますか。ここは、貴方様の働いていたビルでございます。

 階段を使って、ゆるりと参りましょう。はい。

 あ、お気をつけて。そこは、近寄らぬが吉でございます。こう、こちらへ()けてお進みなさいませ。



 今のは何かと?

 亡者(もうじゃ)でございます。このビルは築年が古いだけあって、それなりに亡者が巣くっておりますな。

 ご安心ください。こちらには気づきませぬゆえ。

 大丈夫でございます。こちらを向いてはいても、こちらが見えてはいないのでございます。はい。

 あれは生きている時の執着に(とら)われて、死んだことを知らぬまま、現世に残ってしまったものでございます。ですから、身体はありませんが生きた人間と言っても間違いではございません。ゆえに、私や貴方様のことが見えませぬ。


 人と言うのは、自分に都合の良いものしか見えませぬ。見ようとしないのでございます。



 はい? 自分もああなのかと?

 そうですな・・・違うと言えば違う。同じと言えば同じ。

 しかし、全く別の人格ですから、同じ亡者でも違います。



 亡者であることに変わりはないのでは、と? 


 はい。

 あ、お気を確かに。


 ああはなりたくないというお気持ち、よく分かります。

 そう思って頂ければ、もう心配はございません。ご自分のことを理解した証拠でございます。

 貴方様は本当に、聡明な方でいらっしゃいますね。



 着きました。

 よろしゅうございますか?

 ドアを開けますと・・・。

 ほれ、あのように、貴方様の元上司が立っておりまする。自分が死んだと分からず、ずっとここに居るのでございます。

 亡者は私が見えず、言う事も聞こえませぬ。ゆえに、冥土へ連れてゆくこともできませぬ。



 お顔の色がすぐれませんな。無理もありませんが、ここが辛抱のしどころでございます。

 これから、貴方様には少々辛いことを話さねばなりません。はい。本意ではありませんが、致し方ございません。よくお聞きくださいまし。



 人を殺した罪は、決して逃れ得ないのでございます。

 貴方様のお陰で、助かった人間は大勢いるようでございますが、それで罪が消えるわけではないのでございます。例え誤って死なせたにしても、でございます。

 貴方様の場合、限りなく相手の責任が大きいとは言え、やはり死なせたことに変わりはございません。つまり、ご自分で責任を取らなくてはならないのです。



 責任を取る方法でございますか?

 先ずは、あの亡者を成仏させなくてはなりませぬ。全てはそこからでございます。



 はい、どうすれば成仏させられるか?

 申し訳ございません。

 それはお教えできないのでございます。ご自分でお考えいただくより他、ございませぬ。



 あちらの方、もう一年余りの間、ああしているのでございます。自分が死んだことを知らず、なぜここにいるのかも分からず、ただただ、ああしているのでございます。いくら悪人でも、少々見るに忍びない姿でございましょう。

 貴方様なら、きっと成仏させることができましょう。はい、私はここから見守っております。ささ、勇気を出して行ってらっしゃいませ。




 女は意を決して、窓際の亡者へ向かって歩を進めた。

 男の前に立ち、深々と頭を下げ、言葉をかけた。

 しかし、男は何の反応も見せない。

 しばらくの間、女は茫然と男を見つめていたが、ふいに身体を折り曲げて、涙を流した。

 一頻ひとしきり泣くと、やがて女は顔を上げ、ひと言「ごめんなさい」と男を抱きしめた。愛おしむように、嗚咽を漏らしながら。

 男の顔に動きが見えた次の瞬間、二人は消えていた。

 無人の事務室は、何事もなかったように森閑として、物音一つしない。




「・・・さて、回収させていただきましょう」


 死神は二人が立っていた場所で、何かを拾った。

 ひとつは擦り切れたネクタイ。もうひとつは一枚の写真であった。二人の魂である。写真には、幸せそうなカップルが写っている。


 死神は深く息を吐いた。


「無事に済んで、ようございました」



 貴方様には、情状酌量の余地がございましょう。

 ですが、やはり殺しは殺し。早く償わなければ、遠からず亡者となって、いずれ輪廻から外れてしまいます。人ではないものに成り果ててしまいます。

 それだけは避けたくて、少々無理を申しました。どうか許してくださいませ。





「おじさん」


「おや、ヨーコ」


 いつの間にか、ヨーコが(かたわ)らに立っていた。

 なかなか迎えに来ない死神を案じて、自分から探しに来たらしい。



「遅いから、来ちゃった」


「そうか」


「お姉さん、笑っていたね」


「なんと」


 死神でさえ見落としたことを、この子は見ていたようだ。



「消える前に、ちょっとだけ。泣きながら、笑っていたわ」


「そうか、そうか」


 死神の心を忖度するように、うっすらと微笑み、ヨーコは頷いた。

 二人は手をつないで、外へ出た。



 死神は、リヤカーの荷台に積んである再生用の箱へ、ネクタイを放り込んだ。もう一つの写真を一瞥し、再利用の箱へと入れた。



「この先の回収予定が、少しばかり狂いました。仕事の優先順位を守れ、私情に流されるな、と有難いお小言をいただくのでございましょうなあ」


 死神はポツリと呟いた。



「それでも、お優しい貴方様を、あのままにしておくことは、できませなんだ・・・」



 灰色の顔には微かな自嘲が浮かび、すぐに消えた。


 死神はヨーコの頭に手を置いた。



「待たせてすまなかった。何か食べに行こうかね」


「カレーがいい」


「よし、よし」




 リヤカーを引いて歩き出した二人は、一人の若い男性を視界の端に認めて立ち止まり、またすぐに歩き出した。


 歩道の片隅に置かれた供花の前で、男性は膝をつき、額づいている。

 今しもカスミソウの花束を供えたところであった。

 ちょうど一年前の今日、この時刻に亡くなった、かけがえのない友人のために、彼は祈りを捧げていた。

 その頬に流れる涙が、朝日を映し輝いている。



 蝉がそこかしこで鳴き出した。今日も暑くなりそうであった。


 死神は額に手をかざして空を仰ぎ、微かに笑んだ。




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