出会い
ちょいと、失礼を致します。
これ、ヨーコ。
私はこちらの方と、お話をしなくちゃいけない。だからね、ちょっとばかし、遊んでおいで。いつもの駄菓子屋がいいだろう。うん、そうだね。終わったら迎えに行くから、お前も気をつけて行っておいで。
はい? これは恐れ入ります。
わたくしが言うのもなんでございますが、可愛い子でして。はい。
いいえ、違います。血のつながりはないのでございます。
はい、縁あって面倒を見ております。
いいえ、滅相もない。優しさとか、思いやりという言葉を頂戴するのは、何やら申し訳ない気持ちがいたします。そういうことには、とんと縁のない身でございまして。
それに、面倒を見ていると言えば聞こえはよろしゅうございますが、実のところ、私の方があの子に慰められているのでございます。
いやもう、とんでもございません。謙遜でもなんでもなく、本当に、そうなのでございます。はい。
私のことなどお気になさらず、貴方様のことをお聞かせくださいまし。
そう言われても、このような年寄りが相手では、なかなか話す気にもなれませんでしょうなあ。ええ、分かります。そうでしょうとも。
ハハハ・・・。
あ、お気を使わず、楽になさってくださいまし。
貴方様はお若いのです。
私が逆の立場でも、きっと同じでございます。年寄りが相手では、なかなかねえ。若い方と話す方が、ずっと話もはずむというもので。はい。それはもう、間違いございません。
時に、ここへいらしたのは、何か理由でも?
ははあ、なんとなく、でございますか。
そうでしょう。そうでございましょうとも。
ええ、分かります。
はい、私、そういう御方をずいぶんと大勢、存じ上げております。仕事の途中にお会いするので。これも年の功でございましょうか。
どれくらい、と言われましても・・・そうですなあ、数えきれないくらい、でございますね。それほど大勢でございます。
いつからか、と申されましても・・・そうですなあ、もうすっかり忘れてしまって、覚えていないくらいの大昔、でございますね。
ハハハ・・・。
いいえ、滅相もない。からかうなど、とんでもないことでございます。
この年になりますと、昔のことは良いことも悪いことも、全部、十把一絡げ、忘却の彼方にございます。寂しい気持ちもいたしますが、それで救われている、という面もあるのでしょうなあ。
はい?
後ろのこれ、でございますか。これはリヤカーと言うもので。
御存じない、とおっしゃる。
ははあ、なるほど。
言われてみれば、もっともでございますね。
昔は珍しくもなかったのですが、最近はリヤカーなんて、とんと見かけなくなりましたなあ。貴方様のようなお若い方には、縁がないのでございましょうね。
自分の常識が世の非常識、何やら、寂しい心持ちがいたします。
私、回収業を営んでおりまして、これは商売道具なのでございます。半纏に股引は仕事着でございます。
毎日これを引いて、あちらこちらへ出向いては、いろいろなものを回収させていただいております。全国行脚をいたしますので。
ハハハ・・・。
いえいえ、冗談ではございません。
今こうして貴方様とお会いしているように、回収の途中で様々な人にお会いします。
袖触れ合うも他生の縁と申しますように、道端で話を聞かせていただいたり、道に迷った方をご案内したり。そうして、たまに他人様のお役に立てたと思うことが、あるのでございます。そんな時は、何かこう、救われた気持ちがいたしますねえ。
なんですか、道案内は、スマフォで足りるのではないか、と。
はい、貴方様のおっしゃるとおりでございます。
ですが、お尋ねになる方は、年齢性別に関係なく、意外に多いんでございます。ここは何処だ、何処へ行けばいいんだ、とおっしゃる方。
ははあ、お笑いになる。そうでしょうなあ。そうでございましょうとも。
もちろん、道案内の間に、回収すべきは回収をいたします。はい。
リヤカーに積んだ箱の中身、でございますか。
それはもう、あらゆるモノがございまして。一見するとゴミに見えるかもしれませんが、そうではございません。
これでも私は目利きでして、拾うべきものが分かります。何でも拾うわけではございません。それから、拾うにも優先順位があるのです。
こういう稼業の者にしか分からないのです。はい、そういうものでございます。
これは失礼。
お若い方には、面白くもない話でございました。年寄りは話が長くっていけませんね。
退屈でございましょうか?
・・・左様でございますか。
それを聞いて、安心いたしました。貴方様は、本当にお優しい方ですね。
どこかで会ったことがあるか、と?
はい。以前、お会いしました。
いいえ、構いませんのでございます。それで結構なのでございます。私のことは、忘れていただくのが一番なので。はい。
忘れた方が良い理由、でございますか?
改まって聞かれるほど、さしたる訳はないのでございます。
むさくるしい年寄りのことなど、記憶の片隅にも置かない方がよろしゅうございます。はい、はい。本人が言うのですから、間違いございません。
私のような者は、気づかれることなく、ひっそりと擦れ違うだけ。それが一番なのです。
ところで、無理は重々承知の上でございますが、ひとつ、私からお願いがございます。
はい。貴方様へのお願いに相成ります。
お急ぎでなければ、ここはひとつ、年寄りの顔を立てると思ってお聞きくださいまし。
とりあえず、聞いていただけましょうか?
よろしいので?
これはどうも、ありがとうございます。お忙しいでしょうに、私のような者の話を聞いて下さるとは、誠にもって、ご奇特な方でございますね。
察しのよろしいことで。
まさに先ほど申し上げた、道案内のことでございます。これからお話するのも、その類いの事柄でして。しばし、お付き合いくださいまし。
では・・・。
昨年のことでございます。
この街に来たのは、ちょうど一年振り。私は隣を歩くヨーコと一緒に、見るともなく街並みを眺めておりました。
道すがらにいろいろと回収を致しまして、その合い間合い間に、景色を楽しむのでございます。今時分は桜もちらほらと咲いております。散歩には、そのう、実に良い季節でした。
あっちへふらふら、こっちへふらふらとしておりますうちに、いつの間にか葬儀場の近くを歩いておりました。
最近は、高齢化が進んだとかで、結婚式よりも葬式の方がずっと多いんだそうですね。私のようなジジイが言うのもなんですが、悲しいような寂しいような、ちょっとやるせない気分になりますでございます。
その葬儀場は、かなり大きなものでございました。
私たちが通りかかった時には、二つの葬儀が同時に執り行われているらしく、かなりの人が出入りしておりましたねえ。
皆さん一様に黒い服を着て、少しばかり俯いて、厳粛と言っていいような面持ちで歩いていらっしゃいます。誰も彼も、故人を偲び、逝去を儚むのでございます。はい。それが葬儀というものの約束事でございます。
貴方様にも、そういう経験がおありで・・・。
はあ、そうでございますか。それは、大変辛かったことでございましょうね。ええ、分かります。友人や家族を亡くすのは、本当に悲しいことですから。
ところが、その葬儀は少しばかり違っておりました。
なにがと言いまして、それを具体的に申し述べるのは難しゅうございます。敢えて言うなら、全体に浮足立っている、とでも申しましょうか。そこはかとなく、華やいだ気配さえ感じられたのでございます。
誤解を恐れずに言わせていただけるなら、寿ぎの場に近いような、そういう雰囲気でございました。
いえいえ、大袈裟ではございません。いたずらに罰当たりな想像をしたのではないと、誓って申し上げましょう。
私、こう見えて大変に信心深いのでございます。はい。
ではなぜ、そう思ったのか、とおっしゃる。
そうですねえ。確かに、貴方様の疑念はごもっとも。
しかしながら、私には聞こえたのでございますよ。
彼らの声が。
ほんっとに、バカだったね。
正真正銘のクズよ。
朝令暮改は当たり前だし。
三分前のことも覚えていない。
上に弱く、下に強いという。
ハラスメントの権化。
職場の士気を下げるし。
生産性を下げるし。
口を開けば暴言ばかり。
死んでくれてよかった。
俺が殺したかった。
しーっ。他に聞こえるよ。
いいじゃない。本当のことよ。
そうだな。
めでたし、めでたし。
皆様、押しなべて、驚くほどに冷淡でございました。
ええ、会社には、そのように言われる人がいるものです。
会社に限りませんね。貴方様のおっしゃるとおりでございます。多くの人から嫌われる、疎まれる人というのは、どこにでもいる。それは確かでございますね。それを本人だけが知らないという。
他にも、こんな声が聞こえておりました。
もっと早く死ねば良かったのに。
しっ。故人を悪く言うものじゃない。
だって父さん。
そんなに嫌いだったのか。
浮気に暴力。子供にまで手を出すケダモノ。
なんてことだ。なぜ黙っていた?
外で言えば殺すって。
ひどいな。
給料も、全部自分のお小遣い。
呆れてものが言えん。
でしょう。
しかし、これで自由じゃないか。
まあね。保険金だけが救い。
もうやめなさい。
殺してくれた人に感謝しなくちゃ。
おい。
いいわよ。本当のことだもの。
はい、ご推察のとおり、故人の男性は殺されたのです。
同僚、知人、家族、一人として彼を悼む者はおりませなんだ。不憫と言えば不憫でございます。しかし、そういう人生だったのでしょうなあ。
ひどい、と思われますか。
なるほど。貴方様のお気持ち、承りました。
この後、私の話をお聞きになっても、そのお気持ちに変わりがないかどうか、改めて伺うことにいたしましょう。
いえ、こちらの話でございます。お気になさらず。
実は私、貴方様にお会いするのは、これで三度目に相成ります。
覚えていらっしゃらない?
そうでしょうとも。ええ、それで良いのです。
ま、ま、そう慌てずに話をお聞きなさいまし。
最初にお会いしたのは、もう二年前になりましょうか。
夏の盛りであったと、そのように記憶しております。はい。
夜が明けて間もない早朝でした。貴方様は地味な紺色のワンピースを着て、公園のベンチに腰掛けていらっしゃいました。
街中でしたが、まだ人通りもありません。蝉の声も聞こえませなんだ。
払暁の明るみが徐々に公園の木々を彩る様は、大変に美しいものでございます。そう、心が洗われるような景色、とでも言いましょうか。
私はリヤカーを引いて、ベンチの前を通り過ぎようといたしました。
その時です。コトリ、と何かの落ちる音が。
「あ・・・」
背後で声が聞こえます。
私は嫌な予感がいたしました。
「あの、もし」
いけない。
少しばかり足を速め、その場から遠ざかろうとしたのでございます。
「何か落としましたよ」
呼びかけられて、私は目をつぶり、足を止めました。
振り向くと、貴方様が古ぼけたラジオを手にして、微笑んでいらっしゃいました。
そうそう見かけないほど端整な面差しが、どことなく悲し気に見えましたねえ。大変に色が白くて、というより青白いように思われました。年のころは、二十代前半とお見受けいたしました。
「・・・これは、どうも」
私は深々と腰を折り、拾って頂いたものを受け取りました。
その後を、どう切り出したものかと考えておりますと、貴方様はリヤカーの荷台を、見るともなくご覧になっていらっしゃいました。荷台には、二つの箱が積んであります。一つは再生用。もう一つは再利用。
はい? 箱の意味合い、でございますか?
ええ、一応の違いがございます。回収したものが、そのまま再利用できると判断すれば、再利用の箱へ入れます。回収したものの、再利用が難しいと判断すれば、再生用の箱へ入れます。粉々にするか、ドロドロに溶かして、別の用途向けに再生するのでございます。
はい、ご指摘のとおり、たまにはゴミが混じることもございます。そういう時は、焼却処分でございますね。
その日は、どちらの箱も一杯でした。それで、運悪く積み荷が落ちてしまった、という次第でございました。
貴方様は、遠慮がちにお尋ねになりました。
「あのう、これは資源ゴミですか?」
「いえ・・・あ、はい。そう言っても間違いではございません」
それらは、ゴミに見えたかもしれません。
しかし、私にとりましては、大切な品々でございました。普通は他人様に拾われることなどありませんし、拾われては困るのです。
そこで貴方様は、ようやく私の身なりに気がつかれました。
半纏に股引でリヤカーを引く私の風体が、貴方様には珍しかったのでしょう。人懐こい笑みを浮かべて、「古風ですね。とてもお洒落だわ」とおっしゃいました。
それはもう、可愛らしい笑顔でございました。
恥ずかしい?
それはまた、なぜでしょうな?
起きがけの顔を見られたのだろう、と。
はあ、しかもブスだから、と。
これはまた、随分なご謙遜を。貴方様がブサイクなら、世の中ブサイクだらけになってしまいます。
いいえ、長く世の中を見てきた年寄りの眼は、それなりに確かでございますよ。ご安心なさいまし。
それはそうと、できれば落としたものなど気になさらず、無視していただきたかった。それに越したことはないのです。
お若い方が、私のような者に関わってはいけません。それだけは、いけないのでございます。
ですが、こうなってしまっては、知らぬふりもできません。
ここで私の腹も決まりました。
「あのう、御礼をさせていただきたい、と思うのですが」
とんでもない、と貴方様はおっしゃいました。落ちた物を拾っただけです、と。
ええ、そうでございましょうねえ。貴方様なら、そうでございましょうとも。慎み深く、お優しい方でいらっしゃる。
「無理にとは申しません。また会う機会がございましたら、その時にでも、御礼をさせていただければと思います。では、ごきげんよう」
曖昧に頷く貴方様に背を向けて、私は先を急ぎました。
次に会う機会が来ませんようにと、それだけを祈りながら。