第6話 お嬢様 その③
美しい華には毒と棘
もうわかったでしょう?
「近寄らないで」
3
物語は一度、架陰達の視点を離れる。
成田高校から数キロ離れたある小学校でのことである。
「本当だよ! 何かがいたんだよ!!」
まるで小枝のようにやせ細った男の子が、放課後の教室で必死の形相で訴えた。
「あれは、人間じゃないし、犬でも猫でもない!!」
彼の主張を聞く友人達の顔は綻んでいた。
「なわけないだろー?」
「なあ、そんな巨大な生き物がいる訳ないじゃないか」
友人にことごとく否定される。確かにそうだ。「学校の裏の森の中をを、巨大な生物が這っていた」などと言う少年の話を、誰が信じるだろうか。
「な? お前の見間違いだって!! 翔太」
友人が少年の肩をぽんと叩いた。制服の上からでも、痩せた皮から骨が突き出しているのが分かった。
「ひょろひょろじゃねーか。もっと太れよ」
「うるさいな。病弱なんだよ」
翔太と呼ばれた少年は、眉に皺を寄せてその手を振り払った。
「僕は見たんだ! あの裏山に巣食う謎の怪物を!」
「いいねぇ、役者だね」
「真面目に聞いてくれ!!」
遂に翔太は怒気を強めた。その拍子に、喘息がぶり返して、大きく咳き込む。
「ゲホゲホっ!!」
急いでポケットから取り出した吸引器を口にする。
「と、とにかく。僕は見たんだ。それも、森の前を通る道路からハッキリと」
「はいはい。わかりました」
最後まで友人たちは信じなかった。
だが、翔太も「それもそうだ」と思った。ついには、「自分の見たのは、幻ではないか?」と思うようになった。
幻なら仕方ない。
「もう帰るよ。バイバイ」
翔太はランドセルを背負うと、とぼとぼと教室を出ていった。
「バイバイ」と手を振ってくる友人。そういう所は、嫌いじゃない。
翔太が出ていったあと、残された友人たちは沈黙した。
「あいつ、怒ったかな?」
1人がボソリと呟いた。
「怒ったのかな?」
「よくよく考えてみれば、あいつがあんな嘘をつくわけないよな」
あれだけからかっておきながら、いざ出ていかれると、申し訳なさが込み上げる。
その空気を裂くようにして、誰かがある提案をした。
「じゃあ、見に行ってみるか?」
「裏の森に?」
「おう」
友人たちは互いに目を見合せた。
「行ってみるか」
翔太の言っていた、「森の中に巣食う怪物」とやらを見に。
教室を、ランドセルを背負わずに男子が出ていく。
その数、3人だった。
4
ローペンとの戦いから一週間が経過した。
その間、特に変わったことも無く、ただ、ローペン討伐の結果報告書類を書く為に費やされていった。
「もう二度と書類は書きたくありませんよ」
完成した書類をアクアに提出した架陰はそう言い放った。
「その日の気温、湿度、場所。事の経過を1から10まで記述。そして、ローペンの特徴を詳細に。使用した武器や、一般人の目撃率までも調べないといけないんですから」
アクアは苦笑を浮かべた。
「だからみんなやりたがらないのよ」
総司令官室を出ようと扉のドアノブに手をかけようとした時、ドアノブが動いて扉が開かれる。
「ん? お前、何してるんだ?」
響也が入ってきた。
「こ、こんにちわ」
架陰はお化けを見た時のように小さく飛び上がると、響也に道を譲った。
「どうぞ」
「なんだ、気持ち悪い」
班長なのだから、敬うのは当たり前だ。
ふと、響也の手に下げられたナイロン袋を見る。それを見た時、架陰は「エナジードリンクか?」と思った。
響也と出会って一週間が経過し、夕方からの戦闘訓練を毎日行う訳だが、そこでの響也のエナジードリンクの摂取量は異常だった。
まるで、水を飲むかのようにグビグビとエナジードリンクを飲むのだ。実際、水分補給はエナジードリンクだった。
だが、ナイロン袋に包まれたそれは、エナジードリンク特有の流線形では無い。角張っていた。
「アクアさん、これ」
ナイロン袋をアクアに手渡す。
中身はなんだろう? と、架陰は出ていくことを忘れてそれを凝視した。
「カレンからのお土産です」
「あら、何かしら?」
アクアはにっこりと笑って、包装された箱を取り出した。
「パリに行っていたみたいで」
「美味しそー!」
アクアは手を叩いて、早速包装を解いた。エッフェル塔の模様が入ったクッキーを1枚口に運ぶ。
「うんつ! 普通のクッキーよ!」
あのナイロン袋の中身がクッキーの箱出会ったことを確認した架陰は、急に興味が失せた。「さよなら」と一言言って、総司令官室を出ていった。
二人が反応することはなく、ドア越しに何やら会話しているのが聞こえた。
「ローペンの素材って、どうします?」
「あれは、カレンが欲しいっ言ってたから、『匠』に回したわ」
「そうですか」
何やらローペンに関する会話のようだが、その時は興味は湧かなかった。
総司令官室を出た架陰は、狭い廊下を歩いて、「下っ端待機室」に向かった。こんな下っ端の架陰でも、一応落ち着ける場所は用意されているのだ。
だが、たとえ部屋を用意されていたとしても、待遇は班長とは月とすっぽんだ。
「全然違うよな・・・」
架陰は自分の部屋の扉と、その隣の「三席待機室」、つまりクロナの部屋を見比べた。
架陰の「下っ端待機室」は、元は用具入れだったらしく、ドアノブは外れかけ、ガラスにもヒビが入っていた。中も雑巾臭い。
対して、クロナの扉は木目が重厚感を放ち、ピカピカだ。中は見たことない(見たら殺される)が、きっとすごいのだろう。
「『刀と着物は常に所持』か・・・」
架陰は下っ端待機室のロッカーに保管した刀と着物を回収した。刀はバットケースに、着物は巾着袋に入っている。
バットケースを左肩にかけ、巾着袋を右手に持つ。
「よし、帰ろう!」
そして、架陰は階段を登って外へ出た。
桜班の本拠地は、成田高校の地下にある。カモフラージュのためにボロい部室棟を入口の上に建てているのだが、架陰が床に設置された隠し扉を出た瞬間、「バラバラバラっ!」と言う音が部屋に響いていることに気づいた。
「雨か・・・」
大粒の雨が屋根を叩いている音だ。
架陰は内心しまった。と呟いた。傘を持ってきていないのだ。
腕時計を確認する。午後5時半。走って帰ったとして、30分。ダメだ。びしょ濡れになる。
「走って帰るか・・・」
濡れることは不可避だ。架陰は腹を括ると、部室を出た。
濃灰の空の下に出た瞬間、架陰の学ランを弾丸のような雨つぶが穿った。
「うわああああ・・・」
架陰は巾着袋を頭に乗せて走り出した。既に水溜まりを踏んでしまい、裾がチョコレートのような泥に汚れる。
(早く帰ろう・・・)
成田高校の正門をくぐり、アスファルトの道路に出る。
家々が立ち並ぶ路地をひたすらに走った。
熱いシャワーが浴びたい。そんなことを思った時だった。
「んっ?」
走る架陰の後ろを、ライトを点けた車がつけてくるということに気がついた。ちらりと振り向くと、黒塗りのリムジンだった。
「初めてリムジンってやつを見た・・・」
架陰は巾着袋を頭に乗せたまま、素直な感想を呟いた。
リムジンが架陰の横に並ぶ。
「!?」
窓が開いた。
運転席から初老の男性が顔を出す。そして、少しくぐもった声で、「こんばんわ」。
「!?」
いきなり呼び止められ、架陰は走るのを辞めた。金木犀の生えた家の前で立ち止まる。走っていたため、少し体の奥が熱い。
「こ、こんばんわ・・・」
誰だ? この男性・・・。全く見覚えのない男だ。
「誰ですか?」
素直に尋ねた。
「おや、これは失礼」
架陰同様にリムジンを停車させた老人は、大袈裟に白髪混じりの富士額を叩いた。
「私、城之内家の執事、『西原』と申します」
「じょ、城之内家?」
ますます心当たりが無い。
「なんの用ですか?」
疑わしくなって、架陰はバットケースの中の刀を握りしめた。数歩下がる。
警戒する架陰とは正反対に、西原と名乗った老人はにこやかだ。
「怖がることはありません。たまたま、貴方が雨に濡れながら走っているのを見たものですから・・・」
「だから、何と?」
「人助けをしてこそ、城之内家の執事の務め・・・」
その時、遮光シートで覆われた後部座席の窓が静かに下がった。
「私の、お嬢様もそう仰っています」
その言葉が放たれると同時に、後部座席に座っていた『もう1人』が顔を出す。
まるでシルクを被せたかのような柔らかな声が雨の降り注ぐ路地に響いた。
「こんばんわ」
まさに、『お嬢様』と呼ぶべき少女がそこにいた。成田高校の紺のブレザーを上品に着こなし、艶やかな茶髪にはウェーブがかかる。前髪の隙間から、凛々しい目がくるんと光った。
その美しさに、架陰は息を呑む。
少女は、クスッと笑った。
「わたくし、城之内カレンと申します」
続
次回予告
架陰「いやー、報告書書くのって大変ですね。ペンの握りすぎで腕が痛いですよ」
クロナ「いいじゃない。刀を握る力も強くなって、より長く戦えるわよ」
架陰「こじつけを感じるのは気のせいでしょうか?」
クロナ「気のせいね。もしくは幻聴よ」
架陰「そう言えば僕、『お嬢様』らしき人に声をかけられたのですが・・・」
クロナ「ああ…、厄介な人に絡まれたわね」
架陰「しかも、またUMA出現の予感が・・・」
クロナ「頑張りなさいよ。実践をつむことで、より長く戦う術だって身につけられるわよ」
架陰「それはそうですね!」
クロナ「次回、第7話『沼に潜む怪』!」
架陰「お楽しみに!!」