第26話 蛇の住む山 その①
山に住む蛇は
鷹の卵を丸呑みにする
昔の夢を見る。
兄はいつもしんどそうな顔をして、目の下に隈を浮かべて、帰ってくる。
私が「おかえり」と出迎えると、「ただいま」と言って、精一杯の笑顔を作ってみせる。子供ながらに、その笑顔は胸が傷んだ。
兄はいつもしんどそうな顔をして、目の下に隈を浮かべて、アパートを出る。
私が、「行ってらっしゃい」と見送りすると、「行ってきます」と、精一杯の笑顔を作ってみせる。子供ながらに、その笑顔は胸が痛んだ。
いつからだろうか・・・、私という存在の中に、「兄」が消えてしまったのは・・・。
1
「・・・・・・・・・、夢か・・・」
スマホから流れた曲が、クロナを夢から呼び戻した。
クロナは布団から這い出でると、画面をタップして曲を止めようとする。寝ぼけ眼のせいで、上手く止められない。
「・・・、・・・」
スマホの操作は苦手だ。
この曲は気に入っていて、目覚ましの音に設定したが、朝に流れて起こされると、どうも気分が悪い。やはり、明日からは歌詞の無いものにしよう。
結局、目覚まし音は止められないので、電源ごと切ってしまった。
「さてと・・・」
クロナは立ち上がる。貧血気味で立ちくらみがしたが、問題ない。
顔を洗い、寝巻きのままこんがりトーストを食べる。歯を磨いて、制服に着替えた。
スマホの電源を入れ直す。
これでようやく、雨宮クロナという人間は起動した。
台所でガスの確認をしていると、隣の部屋から人の気配がした。恐らく今起きたのだろう。昨日も帰ってくるのが遅かった気がする。
オンボロアパートに住んでいると、こういう生活音が響いて来るのだ。物心つく前からここに暮らしているので、別に気にならない。道を歩いていて聞こえる鳥のさえずりの同じ感覚だった。
「じゃあ、行ってきます、お兄ちゃん・・・」
部屋の住みに置かれた仏壇に拝むと、クロナは学校指定の鞄を持ってアパートを出た。
その瞬間、隣の部屋の扉が同時に開いた。中肉中背の30代くらいの男がスーツ姿で出てくる。
「やあ、クロナちゃん、おはよう」
「おはようございます!」
隣人には愛想良く。兄の教えだ。
クロナは微笑み返した。内心は、「この人、もう仕事に行くんだ。さっき起きたばっかりなのに・・・」と驚いていた。
(朝ごはんは食べてないんだろうな・・・)
悪い人ではないが、ばったり会ったりすると色々聞かれてしまう。
クロナは「いってきまーす」と愛想良く手を振り、アパートの階段を降りた。
降りた瞬間、アスファルトの地面を蹴る。
ローファーが馬の蹄のような音を立てて、クロナの身体が空に跳び上がった。
いつもはのんびり歩いたり、自転車に乗って通学するのだが、今日は跳んで行きたい気分だった。
民家の屋根に降り立ち、瓦を蹴る。
電信柱のケーブルをバネに、跳躍する。
スカートの下は下着だったが、別に気にすることは無い。こういう細かいところに大雑把な性格は、響也の遺伝だろうか。
風を浴びながら通学していると、カバンの中のスマホが震えた。
「ん?」
一度地面に降り立ってからスマホを耳に当てる。
「もしもし・・・」
「おはよー!」
「アクアさん、どうしたんですか?」
アクアからわざわざ電話がかかってくる時は、あまりいいことは起きない。
案の定だった。
「今からUMAハントに行ってもらうから、戦闘服を持ってきてね」
「分かりました」
戦闘服は鞄の中に入っている。こういった連絡が入る時のためだ。
通話を切ろうとすると、「あ、ちょっと待って」と引き止められる。
「まだ何か」
「架陰にも伝えてよ。電話に出ないよの」
「分かりました」
分かりましたと言うしかない。上官の命令は絶対だ。
アクアもしたので分かりきったことだが、一応架陰に電話をかけてみる。
やはり出ない。
「この時間なら、高校よね」
クロナは面倒くさそうにため息をついた。同級生なら教室に行ってしまえばいいが、架陰の高校はここから少し離れている。
「行くか・・・」
どうせUMAハントで遅刻は確実だ。
クロナは地面を蹴って加速する。
しばらく跳んだり走ったりして、架陰が通う高校を目指していると、突然、背後から人の気配が近づいてくることに気がついた。
「っ!?」
「おはよ!!」
振り向くと、眼前に赤スーツの男。その憎き顔には見覚えがある。
「椿班のっ!!」
「どうも!!」
鉄平がクロナに鉄棍を振り下ろす。
「うわっ!」
クロナは反射的に状態を捻り、鞄で鉄棍を受け流す。
「反応がいいねぇ!!」
「何よあんたっ!!」
二人して、同時に屋根の上に着地する。止まっていた小鳥達が一斉に飛び去った。
「また私達に用があるの?」
クロナは姿勢を低くして鉄平を睨む。
鉄平は、前回とはうって変わり、ヘラヘラと笑っている。殺気も感じられない。
クロナの下半身を見ながら言った。
「白か・・・」
「えっ?」
そういえば、今日は白色を履いていた。
クロナは静かに立ち上がり、スカートの裾を払う。
「で、なんの用?」
鉄平は、ニヤニヤ笑いながら、下を指さした。
「いや、架陰が『呼べ』って言うから」
「え?」
下を見ると、路地から架陰が手を振っている。
「クロナさーん、おはようございまーす!」
「あいつ、なにしてんの・・・」
「オレと一緒に登校してんだよ・・・」
鉄平は自慢げに胸を張った。
「なに、あんた達そういう関係なの?」
「ああ、オレと架陰は心の友・・・、学校に行く時だって一緒だ!」
「え、何? 気持ち悪い・・・」
クロナは我が身を抱くような格好になってドン引きした。
「あ、そうだ!」
クロナは鉄平を無視して架陰の立つ路地に飛び降りた。
「クロナさん、白色なんですね・・・」
「死ね」
クロナは鞄で架陰の顔面を殴っておいた。
その②に続く
その②に続く




