【市原架陰外伝】第一章
まるで、絵本で読んだ悪魔になった気分だった
第一章
なるべく、過去のことは考えないようにしていた。
昔のことを思い出そうとする度に、頭の中に靄が掛かり、ノイズのような音が響く。
構わず踏み込んでいくと、まるで、立ち入り禁止の報復のように、鋭い痛みが走った。
いつも、この感覚に、「不平」を抱いていた。
どうして、僕の記憶なのに。
どうして、僕の身体なのに。
自由が効かないんだろうと。
まるで口減らしのために我が子を殺された母親の気分だ。
僕のもの全てを、知らない誰かが支配している。金庫の中に閉じ込めて、鍵を川に投げ込まれた気分だった。
市原架陰という男がこの世に生まれてきたのは、17年前。
だけど、市原架陰という人格が形成されたのは、多分、10年前。
僕には、八歳までの記憶が無い。
いつの間にか、養子の親に引き取られ、いつの間にか、小学校に通い、いつの間にか中学校に通い、いつの間にか高校に通い・・・
いつの間にか、クロナさんと出会っていた。
これまでのクロナさんとの日々は、僕に大切な何かを思い出さそうとしてくれる日々だった。
僕の心に突き刺さる木の棘の痛みを、和らげてくれたんだ。
それはまるで、いつの間にか失った空白の記憶を埋めるように、日に干した布団に寝転ぶように、優しい時間だったんだ。
だけど、僕が強くなればなるほど。
その空白の時間が目立つ。
僕が、響也さんとカレンさん、アクアさんにクロナさんと一緒にいる度に、「忘れないで・・・」と誰かが耳元で叫ぶんだ。
僕の心は、静かに混乱していた。
あの椿班の堂島鉄平という少年に出会った時、心臓を抉り出すような痛みとともに、僕の頭上に「記憶」が降ってきた。
僕の中に住む謎の男の舌打ちが聞こえた。
そうだ・・・、僕は・・・、「月ノ子児童施設」という所に預けられていたんだ。
いつから?
あれは、夏の日。星々が煌めく夜のことだった。
誰かが、「ごめんね」と言った。誰かが、「早く行くぞ」と言った。
僕は、ダンボール箱の中に、まるで、荷物のように詰め込まれて、あの児童施設の門の前に置かれていたんだ。
髭を蓄えたおじいさんが、僕を見つけた、抱き抱えてくれた。
「ああ、捨て子か・・・、可哀想に・・・」
まだ一歳頃のことだ。言葉なんか知るわけない。音として、僕の耳に強靭に刻まれた記憶。
けど、記憶はここで途切れる。
ノイズが走って、黒いヘドロのようなものが僕の視界を奪う。
そして、再び記憶が明瞭になった時、僕は暗闇の中にいた。
冷たい床。
黴臭い。
ここは、倉庫の中?
そういえば、7歳の頃、僕は何故か光が苦手だった。
蛍光灯の明かりでも、見れば吐き気がして、当たれば皮膚が焼けるように傷んだ。
その感覚は、絵本で読んだ悪魔のようだった。
だから、逃げるようにこの倉庫で過ごしていた。
床を這うゴキブリに呼吸を合わせていると、扉が開いて、誰かが入ってくる。
暗くて、誰か分からない。
「おまえ、誰だよ」
ああ、この人が、堂島鉄平・・・。
僕と同じ、親を持たぬ人。
「僕の名前は、市原架陰・・・」
映像は、ここで途切れた・・・。
第二章に続く
時間は、僕を置き去りにして進み続ける




