番外編【堂島鉄平外伝】前編
そいつは・・・、市原架陰という男だった
まるで、孤独の住人のように、暗い声の持ち主だった・・・
児童施設ってのは、親の居ない・・・ガキが集まるところだ。
互いに、助け合って、育みあって、生きていく。
全ての児童施設がそうだと、一概には言えないが・・・、オレを引き取った「月ノ子児童施設」はそうだった。
「助け合って、育みあって、生きていくんだよ・・・」
錆びてみすぼらしい門の前に立っていた爺さんが言った言葉だ。
オレは、何も答えなかった。
まだ五歳の時のことだ。「助け合い」だの、「育み合い」だの、そんな言葉にいちいち胸を打たれるような根性は無かった。
その日は特に寒い日で、母さんに刺された背中の傷や、父さんに押し付けられた火傷に染みた。
山の奥にあり、周りとの景観と合わないその建物は、まるで、ヘンデルとグレーテルが見つけたお菓子のように神秘的に感じた。
今思えば、廃墟と言っていいくらい廃れた場所だった。
その施設で生活を始めたオレは、「意外だな・・・」と思った。
オレの体に、一生かけても消えない傷を残したアイツらともう二度と会うことは無いと思っていたが、またすぐに、「代わり」のような者が現れるのだと思っていた。
【母】という役目を持つもの。
【父】という役目を持つもの。
【子】であるという役目を持つオレが、助けられながら生きていく。
そんな構図を頭に浮かべていたんだ。全く、おめでたい脳みそだ。
オレの前に用意されていたのは、一人の爺さんと、五人ほどの女。そして、オレと同じ境遇のガキだった。
掃除当番を割り振り、飯も交替して用意する。困ったことがあれば、爺さんと女が助けてくれたが、四六時中という訳ではない。
ヒビだらけのテレビに映った「小学校」というものには憧れていたが、これはこれで居心地が悪い。
変な気分だった。
お互い、親がいない身だ。
お互いに妙な親近感を持ち、寄り添い合い、欠けている部分を満たしていく。
その場に溢れていた【愛】は、オレたちの共同財産だった。
だけど、それによりオレはオレの欠点を見つけることになる。
宝くじを当てて、莫大な金を得た奴が、金に身を滅ぼすのと同じだ。
オレは、もっと愛が欲しかった。こんな、分け合うものじゃ足りなかった。
例えば、爺さんがオレに優しくしたとする。だけど、爺さんは他の奴にも優しくするんだ。
オレに飴玉を分けてくれた奴が、他の奴にも飴玉を分けるんだ。
オレだけを見て欲しい。
オレだけに愛が欲しい。
どれだけ切望しても、この場所でオレだけの愛なんて見つからない。
「みんなの愛」が有り余っていた。
オレは、愛を得るために、色々なことをした。
簡単に言えば問題行動だ。
親に捨てられたガキの、悲しい性だ。
愛を得ようとして、物を壊し。
愛を得ようとして、人を傷つけた。
当然の事ながら、オレは孤立して行った。
唯一、爺さんがオレに構ってくれたが、髭だらけの口が言うのは、「物を壊してはいけない」「人を傷つけてはいけない」ということばかり。
これも一種の愛だということはわかっていた。一時的に気分だって良くなった。「ちゃんと見てくれている人がいるんだ!」って。
でも、まるで略奪して得た愛だ。
そう思うと、たちまち胸に溜まっていた熱はその輪郭を失い、喉の乾きのように、オレはまた愛を渇望する。
月ノ子児童施設は、オレという腫瘍を残したまま、月日を重ねて行った。
そして、あれはオレが7歳のクリスマス。
前日にみんなで飾り付けたクリスマスツリーが、朝起きた時には、ズタズタに引き裂かれていたのだ。
「誰がこんな酷いことを・・・」
みんな泣いていた。
オレも泣いた。オレだって人のことを言える立場じゃなかったが、こんな仕打ちは、あまりに酷すぎると。
オレだって、クリスマスを楽しみにしていた一人だったんだ。
その時、誰かが言った。
「こいつだ。鉄平がやったんだ・・・」
心外だった。
オレは直ぐに反論したが、共同愛でぬくぬくと育ったアイツらは、初めて抱いた【怒り】という感情をオレにぶつけた。
「お前だろ」「お前は乱暴だから」「謝れ」「謝れよ!」
ああ。そうなるのか。
オレは静かに納得した。オレの周りを取り巻いていた愛が、まるで、泡のように消えていった。
オレは逃げ出した。
オレはやっていない。
でも、あのような疑いの目を向けられて、平気でいられる程の耐性は持っていなかった。
オレは掃除用具がしまってある倉庫に逃げ込んだ。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
母親に刺された傷が。
父親に焼き付けられたタバコの痕が、疼いた。
なんでだよ。オレが何したって言うんだよ。
オレだって、もっと普通にしていたいんだよ。
一言で言えば、「生まれる家を間違えた」んだ。
オレは、普通の家庭を望んでいた。
優しい母親が居て、優しい父親が居て。
兄が居る。妹が居る。おもちゃの取り合いで喧嘩するけど、最後は一緒に遊ぶ。
祖母が居て、祖父が居る。
別々に暮らしているから、会えるのは一週間に一度。でも、会いに行ったらとても喜んでもらえて。小遣いを貰って、ニッキ水を貰う。
従兄弟が居る。毎日一緒に遊んだ。
そんな家庭を、愛を、望んで、何が悪いって言うんだよ・・・。
「誰だい?」
オレが涙を落とした時、オレはオレ以外に誰かがいることに気づいた。
暗闇の中、誰か分からない。
「そこに、誰かいるの?」
「誰だよ・・・」
オレは暗闇に向かって話しかけた。
暗闇は少し間を置くと、オレに向かって名を名乗った。
「僕は、市原架陰っていうんだ」
後編に続く
後編に続く




