さよならはまだ言わない その③
白昼夢に火を灯し
母の面影追う稚児の
足は真っ黒
爪真っ赤
優しく抱いて
湯編みに掛ける
除夜の閃光
3
「カレンさん…?」
市原架陰は、惨状を目の当たりにして、足の震えを抑えることができなかった。
辺りに充満する血の臭い。
目をひん剝いて変わり果てた城之内カレンの姿。
そして、その足元で両腕を捥がれて倒れている、鈴白響也。
途端に喉の奥から吐き気が込み上げ、舌の付け根に胃酸の苦みが残った。
「カレンさん! 何やっているんですか!」
市原架陰が思わずそう叫ぶと、アスファルトの上にしりもちをついていた城之内花蓮が「カレン…?」と困惑した声を上げた。
「あの女の子の名前は…、カレンと言うのですか?」
「はい…」
架陰は嘘偽りなく頷いた。
「あの人は、桜班…、副班長の【城之内カレン】さんです」
「城之内、カレン…?」
言いたいことはわかる。
どうして、同じ名前の女が二人いるのか?
ということだ。
陰架の頬を、汗がぬるりと流れ落ちた。
身体中をゲテモノの類が這いまわっているような不快感。
地面が泥みたいやわらかくなって、全身を呑み込むかのようだった。
(くそ…、一体どうなっているんだよ…! カレンさんは様子がおかしいし…、響也さんは腕を捥がれて倒れているし…)
一番心配なのは響也だった。
カレンの足元に倒れこんだ彼女は、肘の傷の断面から血を垂れ流すばかりで、ピクリと動く様子もない。捥がれた腕はすぐ傍に落ちているが、よっぽど乱雑に扱われたようで、骨や筋線維がむき出しになっていた。
そして、この濃厚な血の香り。
(死んだんじゃないだろうな…?)
そう思った瞬間、響也の身体がピクリと動いた。
「か、い、ん…」
顔を上げる響也。その顔は、茨で何度も斬りつけられたのか、血で真っ赤に染まっていた。いつもの、目の下に隈を浮かべながらも凛々しい響也の姿はどこかへ行ってしまっている。
その痛々しい姿に、架陰も城之内花蓮も息を呑んだ。
「に、げ、ろ…」
その瞬間、何処からともなく空気を裂く音がして、架陰の背中に鋭い痛みが走った。
「うわ!」
咄嗟に城之内花蓮を抱えて飛びのくが、背中の肉が裂けて、血が吹き出した。
「くっ!」
何とか踏みとどまる。
(見えなかった! 気配に、気が付かなかった!)
城之内カレンの能力【茨】は、「無敵」と称してもいいくらいに強力な能力だった。
広い射程距離。
射程距離の空間内なら、何処からでも茨を出現させることができ、その数もその長さも自由自在。もちろん、自分の意のままに操ることだってできる
城之内カレンは充血した目で市原架陰を見ると、「あは!」と幼子のような笑みを浮かべた。
指を鳴らす。
その瞬間、空間から黒い茨が飛び出し、一匹の大蛇のようにうねりながら架陰に襲いかかった。
「くそ!」
架陰は、城之内花蓮を背後に回すと、刀に手を掛けた。
「架陰さま! だめです! やられます!」
「躱してもやられます!」
この茨は自由自在に動く。ならば、後退しても追ってくるだけ。
ならば、ここで迎え撃つしかない。
「能力! 魔影!」
迫りくる茨。
架陰は能力を発動し、名刀【赫夜】の刃に魔影を纏わせて、漆黒の大剣へと変貌させた。
「悪魔大翼!」
茨に向かって刀を振り下ろす。
魔影から放たれた強力な衝撃波が、黒い茨を跡形もなく吹き飛ばした。
「よし!」
とは言うものの、まだ油断できない。
攻撃を防がれた城之内カレンがとる次の行動は…。
「追撃!」
架陰は、城之内花蓮の腕を掴んで引っ張ると、すぐさまその場から飛びのいた。
予想通り、先ほどまで彼らが立っていた場所に茨が出現して。アスファルトを砕く。
城之内花蓮を抱えた架陰は、空中で身を捩ると、刀の切っ先に魔影を集中させて、放った。
「簡易悪魔大翼!」
極小の斬撃が放たれ、城之内カレンに迫った。
(躱してくださいよ! カレンさん! 僕だってあなたとは戦いたくないんですから!)
殺意の無い、陽動の攻撃。
城之内カレンは、ふわりと後退して、その攻撃を躱した。
おかげで、城之内カレンと、倒れている響也に距離ができる。
(今だ!)
架陰は着地すると、脚の力を使って一気に間を詰めた。
そして、倒れている響也を脇に抱えると、踵を返してまた走り始めた。
右腕に城之内花蓮。左腕に響也と、二人分の体重を支えているせいで上手くスピードが出ない。
「響也さん! 死なないでくださいよ! すぐに安全な場所に移動させますから!」
「か、いん…」
「しゃべったらダメです!」
「逃げろ…!」
ビシッと、市原架陰の足首に何かが巻き付いた。
はっとして見ると、それは、黒い茨。
(くそ! 間に合わなかったか!)
その瞬間、彼は強い力で引っ張られた。
咄嗟の判断で、花蓮と響也は手放す。
「か、いん!」
「架陰さま!」
「花蓮さん! 響也さんを連れて逃げて!」
市原架陰はなんとかそれだけを言うと、なすすべなく空中に引っ張り上げられる。
視線を向けると、道路の白線や中央分離帯、信号が点に見える。
(マズイ! この高さなら!)
茨の棘が足首に食らいついて解くことができない。
このままでは、何もできぬまま、地面に叩きつけられる。
(だめだ! 止められない!)
諦めて目を瞑った瞬間、城之内花蓮の悲痛な叫び声が聞こえた。
「架陰さま!」
ヒュンッ!
と音がして、彼女の愛刀【絹道】が飛んできて、架陰を足首に巻き付いた茨を切断した。
「花蓮さん!」
自由の身になった架陰は、空中で体勢を整えると、魔影を使って衝撃を緩和させながらアスファルトに着地した。
何とか無傷。
「花蓮さん、早く逃げてください!」
「嫌です!」
花蓮は首を激しく横に振った。
それから、城之内カレンの方に目を向ける。
「あの子は…、私の、双子の妹です!」
第126話に続く




