第4話『ローペンの風』
1
前回のアクアとの戦いに勝利したことで、架陰は、正式にUMAハンターとなった。次の日にはもう任命証が作成され、「頑張ってね」の一言ともに、架陰に手渡された。
それともうひとつ。アクアは、架陰に黒いバットケースを渡した。
「これは?」
架陰は、訝しげにバットケースのファスナーを開けた。
何も入っていない。
「刀ケース」
「え?」
「言ったでしょ。UMAハンターは、命を奪う武器を所持するの。刀、銃を目に見えるようにして持ち歩いてたら、即刻警察に連れていかれるわよ」
「そうですか」
架陰はそれもそうだと頷くと、素直に自分の刀を、バットケースの中に入れた。ちょうどいい長さだ。
架陰が刀をしまったのを確認したアクアは、「じゃあ、上に行くわよ」と総司令官室の天井を指さした。
「上って、修練場ですか?」
「もちろん。これから、UMAと戦うための訓練を始めるわ」
架陰は何も言わずに頷いた。考えてみれば、体術の練習もせずにUMAと戦おうなんて、そんな甘い話があるわけがない。
階段を使って、修練場に上がると、クロナが待ち構えていた。
「このジャージに着替えなさい」
「あ、はい」
架陰は学ランから赤いジャージに着替えた。
「他の色はなかったんですか?」
ジャージのファスナーを上げながら、ピンク寄りの赤いジャージの違和感を述べる。
「女用しかないのよ」
ああそうか。
クロナも同様、赤いジャージに着替え、2本の木刀を用意した。片方を、架陰に投げて寄越す。
「じゃあ、ひとまず、刀の使い方から練習しようか」
「はい」
アクアは、修練場の端にパイプ椅子を用意して、相変わらずの糸目で二人の様子を眺めていた。
「まずは、素振り。振ってみて」
「は、はい。こうですか?」
架陰は、クロナに見られているという緊張感と共に、木刀を振り下ろして見せた。
「違う」
早速、クロナの木刀が架陰の腹にめり込んだ。
「ぐへぇっ!」
「脇を開けない。もっとキレよく振りなさいよ」
「こうですかっ!」
「違う。もっと力強く」
「よく分からないんですが・・・」
始まって30秒で気づく、クロナの指導の分かりづらさ(わざとやっているのか?)に、架陰はボソリと不満を漏らした。
直ぐに、クロナの木刀が架陰の頭を打つ。
「もぉー、口答えしないでくれる? 私の方が先輩なんだから、言われた通りにやりなさいよ。ガーッてやるのよ。ガーッてっ」
「なんですか?『ガーッ』って」
「うるさい!!」
「ぐへぇ!」
そんな二人のやり取りに、アクアは微笑んだ。
「架陰ー。クロナは今まで後輩と言うものがいなかったから、扱いに困っているだけよー。仲良くねー」
「アクアさんっ!」クロナが直ぐに振り返る。「変なこと言わないでくださいよぉ。私はただ、厳しく指導してるだけです」
アクアの話を聞いて、架陰は、「へー」と意外に思った。架陰が桜班に入るまでは、クロナが一番下の後輩だったというわけだ。
「じゃあ、クロナさんと僕の先輩はどこにあるんですか?」
何気に尋ねる。
UMAハンターとなってから3日が経つが、この高校の地下に造られた修練場、総司令官室、その他の場所で、クロナやアクア以外の『UMAハンター』を見た事がなかった。
『班』・・・1つの集団を、複数のグループに分けたもの。
まさか、1人2人単位のことを言っているわけではあるまい。
「・・・」
クロナの細い眉がぴくりと動いた。猫のような鋭い目が、更に冷たく光る。
「・・・、し、・・・わよ」
「えっ?」
「知らないわよっ!!!!」
突然木刀の鋒が飛んできて、架陰の額を直撃した。
架陰は顔を大きく仰け反らせて、硬い床の上に大の字になって倒れた。額がカッと熱くなる。
「これ、割れてないですよね?」
恐る恐る手をやる。
赤い液体が指先についていた。
「あんたが悪いのよ。私に余計なことを答えさせるから」
「そんな悪いことしました?」
「した!!」
アクアの方を見ると、アクアは、「やれやれ」と言うように頭を横に振っていた。
とりあえず、クロナの機嫌が悪くなるので、これ以上質問や口答えをしない方が良いようだ。
「さっさと立ちなさいよ。続きやるわよ」
「わ、分かりました」
架陰は頷くと、床に手を着いて立ち上がった。転がった木刀を拾い直し、再びクロナに向き合おうとする。
その時だ。
「待ちなさい!」
突然、アクアが叫ぶ。
クロナも架陰もビクリと体を強ばらせ、アクアの方を見た。
怖くなる。まさか、険悪な雰囲気を出しているから、見かねられたのだろうか。
架陰の心配は他所に、アクアは白銀の髪をふわりと揺らして、ニコリと笑った。
「喜びなさい。仕事よ」
「仕事?」
「どこに出現したんですか?」
理解の早いクロナが、木刀を架陰に投げつけて、アクアの方へと歩み寄る。
アクアは、パイプ椅子から立ち上がり、手に持ったスマホの地図ををクロナに見せた。
「ここよ」
クロナは身を乗り出すようにして、スマホ画面を覗き込んだ。ウェーブのかかった黒髪が垂れる。
頷いた。
「わかりました」
振り向く。そして、ポケットから取り出した絆創膏を、ビンタするように架陰の額に貼り付ける。
「あ、痛い・・・」
「よし、架陰。行くわよ」
「えっ?」
まだ状況を飲み込めていない架陰は、その場で硬直した。それを、クロナが蹴っ飛ばす。
「UMAが出現したの!!」
2
UMAが出現したという情報があったのは、高校から3キロ離れた所だった。特定の建物や、山だったり、池といった場所ではなく、「国道」のど真ん中である。
アクアの運転するワゴン車に乗って現場に向かった。
「ここか」
路肩に停めたワゴン車からクロナは、辺りを見回す。
「あの、これって、なんですか?」
架陰はモジモジして、ワゴン車から降りようとしない。
「この着物を着る意味が分からないんですけど」
架陰は、行く前にクロナに無理やり学ランをひっぺがされ、着物を着せられていた。薄紅で、桜の紋様をあしらった上品なものだ。どんな素材を使っているのか分からないが、とにかく軽く、肌触りもいい。だが、若干のコスプレ感は否めない。
「戦闘着よ」
同様に着物を身にまとったクロナは、架陰をワゴン車から引きずり下ろした。
「UMAハンターとして活動する場合、それの着用が義務付けられるわ。一応、特殊素材を使ってるから、簡単には破れないし、ある程度のUMAの攻撃なら防げる」
「そ、そうですか・・・」
2人が降りたのを確認したアクアは、「じゃあ、また迎えに来るわね」と言って走り去ってしまった。どうやら、総司令官は、直接任務には加わらないらしい。
だから、鬼蜘蛛の時もクロナ一人だったのか。と架陰は独り合点した。
「さて、UMAが出現したって通報したのは、あの人みたいね」
クロナは着物の袖を揺らして、道路を指さした。
「ん? 車の事故?」
見ると、黒い霊柩車がガードレールに突っ込んでいた。前方が潰れて、事故の衝撃を物語っている。
その隣に、ビクビクと周りの目を気にする形で、初老の男性が立っていた。
男性は、突然現れた着物の2人組を見るや否や、「ああ、こっちです」と手を振った。
「こんにちは。未確認生物研究機関SANAより派遣された、桜班3席雨宮クロナです」
クロナは男性に自己紹介をしながら走りよった。
「あ、僕は下っ端の市原架陰です」
架陰もクロナの真似をする。4席はともかく、『下っ端』と自らが言うのにはかなり抵抗があった。
「どうもこんにちは」
初老の男性は、気にする様子もなく、薄くなった頭でこうべを垂れた。
クロナは、慣れた口調で話を進める。
「早速ですが、どんなUMAに襲われたのですか?」
「ああ、それが・・・」
初老の男性が疲弊しきったような声で話し始める。恐らく、この霊柩車の運転手だろう。
架陰は、男性とクロナの会話を上の空で聴きながら、事故を起こした霊柩車を見た。
前方が潰れているのは、ガードレールにぶつかったから当然の事なのだが、この、無理にこじ開けられたような天井は、なんだろう。
フラフラと霊柩車に近づく。
それに気づいたクロナは、直ぐに引き戻そうかと考えたが、男性の前なので、乱暴な行動は控えることにした。
開かれた天井部に興味を持つ架陰を見て、男性が言った。
「そこから、UMAが侵入してきたんですよ」
「ここから?」
架陰は霊柩車の中を覗き込んだ。花や、思い出の写真が詰まった棺桶が見える。だが、肝心の遺体が無い。
架陰の言いたいことを察した男性が頷いた。
「はい、UMAに奪われました。いや、喰われたと言った方がいいですね」
「喰われた!?」
架陰の背筋がスっと寒くなる。
クロナは、相変わらず涼しい顔だ。白い手を顎にやって、こくりと頷く。
「なるほど、死体を喰らうUMAですか」
一呼吸置いて、続ける。
「単刀直入に聞きます。そのUMAの外見の特徴は?」
男性はこめかみに手をやった。眉に皺が浮かぶ。あの時味わった恐怖が蘇っているようだ。
「鳥です。巨大な鳥でした。コウモリのような、毛の生えてない姿です」
「なるほど」
その時、明らかにクロナの表情が変わった。何かに気がついたのだと、架陰でも分かった。
それからクロナは、男性に、UMAの色や、どれくらいの大きさだったか、鳴き声はあったか。等の質問をした。
「質問はこれまでです」
一通り調査が終わる。
「ご安心ください。あとは我々が解決しますので。貴方は、病院と警察へ。ここから先は、公的機関の仕事ですからね」
男性は首を傾げる。
「君たちは、公的機関ではないのかな?」
「一応、政府に認可された組織なので、公的機関とも言えますが、UMAという存在で、国民の不安を煽る訳にも行かないので、調査は基本隠密ですよ」
「そうですか」
男性はふっと身体の力を抜いた。そして、ゆっくりと架陰とクロナに頭を下げる。
「どうぞ、仏様をお助け下さい。私では、守ることが出来ませんでしたから」
「わかっています」
クロナも深々と頭を下げ、着物の袖を翻して、男性に背中を向けた。
「じゃあ、架陰。帰るわよ」
スタスタと歩き出す。
「待ってくださいよぉ」
架陰も慌てて追いかけた。
3
「で、どうだったの?」
ワゴン車で迎えに来たアクアが、扉が開くなり言ったセリフだ。
「どんなUMAか特定出来た?」
「出来ましたよ」
クロナはサッとワゴン車の後部座席に乗り込む。架陰もその隣に座った。
「クロナさん、分かったんですか?」
「分かったに決まっているでしょう」
クロナは架陰の頭を軽く小突いた。いちいち暴力がすぎる人だ。少しムッとするが、先輩なので噤む。
クロナは人差し指をピンと立てて、あの男性から聞いた情報でUMAの名を推測した。
「おそらく、ローペンよ」
「なるほどね」
アクアは運転しながら頷いた。
「ローペン?」架陰は首を傾げた。
「取るに足らない雑魚UMAよ。ランクはC。前の鬼蜘蛛より少し強いくらいかな」
クロナは人差し指を口元に当てて、天井を見る仕草をした。
「ただ、空を飛ぶから、なかなか捕まえられない」
「じゃあ、どうやってローペンと戦うんですか?」
架陰が聞く。
クロナは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ローペンの居場所の特定って、難しいのよ。だから、次の被害者が出た時に、どうにかして追跡するしかないわね」
「どうにかして」
「あんた、いちいち人の言葉の揚げ足を取ろうとしないでくれる? 空飛んで逃げるローペンより、鬼蜘蛛の方がよっぽど簡単だわ」
クロナの機嫌がまた悪くなる。架陰は「すみません」と言って頭を下げた。顔を上げると同時に、思考を巡らせる。
架陰はまだ、その『ローペン』というUMAを見たことがないので、どのような姿なのか、どのような飛び方をするのか推測がつかない。
だが、あの、霊柩車の鉄の屋根を破り、人間一人の遺体を盗むのだから、雀や烏程度の大きさではないのは確かだ。
(やっぱり、現行犯って言うか、出現場所にピンポイントで待ち構えるしかないのか?)
「ローペンって、死体を狙うんですよね?」
ふと思いつく。
「そうだけど?」
「じゃあ、また霊柩車を狙って来るんじゃないんですか?」
「え・・・」
「僕達で、霊柩車の護衛をするのはどうですか?」
4
翌日、クロナたちは早速、葬儀社の方へと連絡を入れた。話によると、今日も2件の葬式の予定が入っているらしい。つまり、2人分の遺体が霊柩車で焼き場へと運ばれるのだ。
二人は、葬儀場へと向かった。
「霊柩車の護衛をさせてくれ」という、見知らぬ着物二人のお願いに、浅田葬儀社の社長は、思いのほかあっさりと了承を出した。
「いや、助かりましたよー。昨日のこともありますし、再びその、UMAに襲われるのではないかとビクビクしていましてね」
浅田社長は、縁のないメガネをクイッと上げた。薄くなった頭皮が光る。身体は細く引き締まっていた。さすが社長と言ったところだろうか。
葬儀場の入口付近で出迎えられ、そのまま話しているので、二人の着物姿は、入ってくる遺族達にまじまじと見られた。喪服が多い分、白基調の桜班の着物は、かなり不謹慎だろう。
その時、一人の年老いた女性が杖をつきながら入ってきた。腰が曲がり、かなりフラフラとした足取りだ。首元のネックレスが垂れ下がっていた。
「あちらが、今回葬儀を執り行う男性の奥様でございます」
浅田社長はそう言うと、女性に「こんにちは」と品のある挨拶をした。
女性が軽く会釈で返し、葬儀場の奥へと消えるのを確認して、架陰は、「あの、もう片方の遺族は、まだ来ていないんですか?」と尋ねた。
浅田社長は頷く。
「時間をずらしているので、この葬儀が終わったら始めますよ」
「じゃ、どうする?」
クロナが口を開いた。
「必ずしもローペンが今日襲ってくるとも限らないわ。けど、可能性はあるって事よね。」
眉間に皺を寄せ、何やら深く考える。そして、架陰の方を振り返った。
「架陰。ここは二手に別れるわよ」
「二手に?」
架陰は首を捻った。
「ええ、今日は2人分の葬儀が行われ、2人分の遺体が焼き場へと運ばれるわ。もちろん、可能性の話だけど、私たち2人が片方に集中してしまって、もう片方の移動中にローペンが襲ってくる可能性もある。だから、戦力を分散させて、どちらの場合にも備えるわ」
「わ、分かりました」
全身から冷や汗が吹き出るのを感じた。まさか、初めての仕事で、1人で任務を遂行することになるとは思ってもいなかった。
架陰の心情を察したのか、クロナがため息を着く。
「いい? 私はアンタには期待していないわ。そんなに気負わなくてもいいの。アンタの役目は、遺体の護衛。別にローペンが襲ってきたって、その腰の刀で追い払えばいいの」
ハッキリと告げられる戦力外宣告。分かりきった事だが、架陰は身の縮まる思いがした。
二人の話を聞いていた浅田社長は、パンっと手を叩いて、二人の注目を集めた。
「では、そういうことでお願いします。必ず、仏様を守ってくださいよ」
仏様を守る。
命無き者に使うその言葉に、架陰は若干の違和感を覚えた。
もしも、ローペンが生者を攫って食らうのならともかく、言わば、『もう死んでいる』存在を狙うということに対して、架陰はそこまでの悪意を覚えることが出来なかった。
ただ、仕事だから動く。
「・・・・・・」
架陰は腰に差した刀の柄をぐっと握りしめた。
5
葬儀が執り行われる間、架陰とクロナは応接室で待つこととなった。
出された茶を、クロナが1口飲む。着物がなかなか似合っていた。
「じゃあ、架陰は、最初にここを出る霊柩車の護衛をして」
「分かりました」
「私は、その30分後に焼き場へと向かう霊柩車の護衛をするわ」
お茶の湯呑みをテーブルの上に置いたクロナは、着物の袖から、黒い機械を取り出した。
「トランシーバーよ。何かあったらこれで連絡して」
架陰に手渡す。
架陰は「はい」と頷き、小型トランシーバーを手の中で転がした。
「念を押すけど、絶対に、ローペンが現れても戦ったらダメよ。『追い払う』だけだからね」
クロナは力の籠った口調で、念に念を押した。
UMAハンター歴4日の架陰にとって、その心配が素直に嬉しかった。
しばらくして、応接室の重厚な扉が開き、浅田社長が顔を覗かせた。
「そろそろ、お願いします」
「分かりました」
架陰は立ち上がる。そして、浅田社長の元へと歩み寄った。背後から「しっかりね」とクロナの声が飛んできた。
「頑張ります!」
架陰は小さく会釈をした。
その霊柩車の運転手は、昨日の初老の男性だった。
「捻挫だけで済みまして、人手も足りないものですから。本当は休みたいんですけどね」
笑顔で言う男性だが、どこか顔が引きつっている気がしてならない。
恐らく、昨日の遺体損失の失態を、『働く』という形で取らされているのだろう。
「じゃあ、助手席失礼しますね」
架陰は一言言って、霊柩車に乗り込んだ。遅れて、男性も乗り込む。
「まさか、2日連続でUMAの襲撃はないと信じているのですが・・・」
そう言いながら、男性は霊柩車を発進した。もう、この車には死者が乗り込んでいるということだ。
サイドミラーから後ろを見ると、喪服の遺族が皆、目にハンカチを当てて俯いていた。
まるで、自分が送られているみたいで、変な気持ちになる架陰だった。
葬儀場を出て、国道に入った霊柩車は、6キロ先の焼き場へと向かった。
「実はですね」男性が口を開く。「昨日の一件で、遺族の方に責め立てられまして、本当は、運転手は辞めようと思ったんですよ。たとえUMAのせいだとしても、私は、仏様を守れなかったのですから。しかし、浅田葬儀社は、今、かなりの財政難でして、運転手一人の解雇も出来ないそうです。まあ、私が仏様をUMAに奪われたという評判が広まれば、どの道終わりなんですけど」
架陰は、男性の言葉を黙って聞いた。なんと言ったらいいのか、分からなかった。
「ああ、すみませんね。こんな話をしても、つまらないですよね」
男性ははにかんで頬をポリポリとかいた。そして、前方を見る。信号が赤に変わったので、ブレーキを踏んだ。
「となかく、今は、与えられた仕事を全うするだけですよ。私は、この仏様を必ず、焼き場へとお連れします」
「そう、ですね」
架陰は初めての頷いた。口の中が粘ついて、綺麗な発音が出来なかった。
今は、与えられた仕事を全うするだけ。
そうだ。できる出来ない。強い弱い。経験が深い浅いなんて、関係ない。仕事を与えられたなら、それなりの活躍をするというのが、仕事をする者の義務なのだ。
架陰は自分の脚に挟むようにして持つ刀を握りしめた。
そして、危機は、都合よくやってくる。
突然、霊柩車の車体が強く揺れた。
「!?」
体がザワりとした。
「架陰さん、しっかり捕まっていてください!」
1度目の襲撃で慣れている男性は、しっかりとハンドルを固定して、霊柩車の暴走を阻止しようとする。
もう一度衝撃が車体を揺らす。天井に、べこりと凹みが入る。
「!?」
何かが、霊柩車の上にいる。
「車を、停めて!!」
架陰は、咄嗟に叫んだ。言われずとも、初老の男性は、ブレーキを踏み、霊柩車を路肩に停車させた。
架陰が助手席の扉を押し、車外に転がりでる。
この奇妙な高揚感と恐怖。間違いない。あの時、鬼蜘蛛との戦いで感じたもの。
「お前が! ローペンかっ!!」
架陰はしゃがみ込んだ体勢のまま、霊柩車の上に立つ者を見上げた。
「ピイイイイイイイイイ!!」と劈くような鳴き声が辺りに木霊する。
そこには、案の定、異形の生物がいた。
鶴のような鋭い嘴に、体毛の生えていない身体。翼は、血管が浮き出て、まるで、コウモリのようだ。
(まるで、プテラノドンだな・・・)
架陰は率直な感想を思った。
怪鳥ローペンは、広げると3メートル程にもなる巨大な翼をバサバサも仰ぎながら、鋭い嘴を霊柩車の屋根に突き刺した。
「!!」
べきべきと力を込め、天井を剥がそうとする。
(こいつ、僕のことが見えていない? いや、興味が無いのか!)
あくまで、ローペンの目的は、死体だ。生きている人間には見向きもせず、ひたすらに、霊柩車から遺体を盗み出そうとする。
「させない!!」
架陰が直ぐに刀を抜いて、ローペンに斬り掛かる。
(追い払うだけだ!!)
少し傷を付けるくらいでいい。頭が小さいし、それで驚いて逃げるかもしれない。
架陰は、コンクリートの地面を蹴り、跳躍する。そして、その貧相な体に刀を一閃する。
しかし、
「!?」
突然、架陰の身体を突風が直撃し、大きく吹き飛んだ。
数メートル先の地面に叩きつけられる。
「がはっ!!」
受け身を取れず、首から背骨にかけて、強い衝撃が走る。
(なんだ!?)
直ぐに立ち上がる。もうローペンは天井を半分ほど剥がしていた。
「もう一度!!」
刀を拾い上げ、再び斬り掛かる。しかし、今度は正面から突風が吹き、また地面に叩きつけられた。
「ぐっ!!」
どういう事だ・・・?
架陰は何が起きているのか理解できなかった。もう少しで、ローペンに刃が届くというのに、都合よく突風が吹いて架陰をローペンから引き離す。
「いや・・・」架陰は首を横に振った。「男子高校生を吹き飛ばす突風なんて、自然現象であるわけない」
ついにローペンが天井を引き剥がした。遺体の棺桶が顔を出す。それを見つけるや否や、ローペンの顔が綻んだような気がした。「くるるるっ!」と鳴き、まるで、お菓子を貰って喜ぶ子供のように。
「仏様に手は出させません!!」
その時、運転席から男性が顔を出し、手に持ったスプレーをローペンに吹きかけた。
「ギャアアアッッッ!」
ローペンが鋭い声で鳴き、大きく仰け反る。
催涙スプレーだった。
その間隙を縫って、架陰がアスファルトを蹴る。刀を鞘に収め、ラグビーのタックルのような形で、ローペンに飛びついた。
「この人から離れろ!!」
勢いそのままに、架陰とローペンは、地面の上に転がる。
(よし、遺体から引き離した!!)
ローペンは、架陰の腕の中で魚のように動き回った。そして、唯一自由なコウモリのような翼を仰ぐ。
「!?」
ローペン、架陰の身体が浮かび上がる。架陰が手を離そうとするよりも早く、一気に上昇した。
「うわあああああああああああぁぁぁ!!!」
急なGが架陰を襲った。
目を開けると、先程まで架陰が立っていた地面は遠くに見え、架陰の住む街は、小さくなった。
高度約100メートル。
冷たい風が架陰に吹き付けた。
これでは、手を離しても死ぬだけだ。
「くっ!」
架陰はローペンから落ちないよう、ローペンに必死にしがみつく。
そんな架陰に構うことなく、ローペンは羽ばたき、空を切って飛び始める。
「ひいいいいいいい!!」
飛行機のように安全飛行をするわけではない。重りを付けているためか、ローペンは、上下にホバリングしながら飛んだ。その度に、架陰は手を離してしまいそうになる。
(ま、まずいぞっ!)
ちらりと下を見る。やはり、建物が小さく見えた。
6
葬儀場に残って、この30分後に出発する霊柩車の護衛をする予定のクロナは、そわそわしながらその時を待っていた。
(架陰、大丈夫かしら・・・?)
その心配は的中する。
突然、小型トランシーバーが電子音を発した。
袖からトランシーバーを取り出し、耳に当てる。
「もしもし、どうしたの?」
何やら、ゴーゴーとノイズが入って、聞こえにくい。
『く、クロナさあああん』
今にも泣き出しそうな架陰の声がする。
心配が『怒り』に変わる瞬間だった。
「え、どうしたの? さっさと護衛して帰ってきてくれる? 殴りたいから」
「その護衛中なんですけど、ハッスルしすぎて・・・」
「ハッスル?」
「ローペンの背中に乗って飛んでいます」
「・・・・・・」
思わずトランシーバーを落としそうになる。身体中の毛が逆立った。
まさか、本当にローペンに遭遇するとは。まさか、ローペンの背中に乗れるとは。ちょっと、乗ってみたい。いやいや、違う。
「なんてことしてんのよォ!!」
「すみません・・・」
「早く帰ってきなさい!!」
「無理ですよォ。今手を離したら、僕の頭なんか、アスファルトの上でミンチですよ。今だって、やっとの思いでクロナさんに連絡したんですからね」
「ああ、もうっ! どうすんのよ!!」
クロナは地団駄を踏んだ。その後、顎に手をやって、熟考する。
どうする? こんな事態は初めてだ。幸い、トランシーバーにGPSが内蔵されているから、架陰の行方を追えないことは無い。
だが、ローペンがどこまで飛ぶのかだ。UMAの飛行距離なんて知らないし、そもそも、着陸するのかも怪しい。
それまでに、架陰が力尽きて、地面の上に叩きつけられるというケースもある。
「・・・、絶対に、手放したらダメよ」
クロナは、トランシーバーに向かって念を押した。
「は、はい…」と消え入る声がする。
クロナはトランシーバーの通信を切った。
「仕方ないわね」
どちらにせよ、早く出動しないと、架陰の命が危ないということだ。
「ローペンは、今日、桜班が狩る!」
7
10分程飛んだローペンは、突然スピードを弛め、高度を落とし始めた。
(着陸するのか!?)
架陰はローペンを抱きしめる力を強め、顔を上げた。前方に、鬱蒼とした標高200メートル程の小さな山が見えた。
「うっ!!」
そのまま、木々生い茂る山の中に突っ込む。鋭い枝が頬を掠め、女郎蜘蛛の巣が顔に引っかかった。
ガサガサと身体中を打たれ、地面に放り出される。
(受け身を取れ!!)
架陰は咄嗟に身体を丸めて、地面に叩きつけられた時の衝撃を緩和した。
バリッ、ガシャンッッ!!と乾いた音を立てて架陰が転がる。通常の地面の感覚ではない。
「はあはあ、はあはあ」
10分程と言えど、久々に踏みしめる地面は硬く、架陰は立ち上がるのに苦労した。しかし、この付いた手に残るザラりとした冷たい感触。ただの地面ではない。
「いや、これは、この地面はっ!!」
そこは、山の中にぽっかりと空いた空間。そこに広がる、純白の地面。白い砂。
架陰の背筋を冷たいものが走る。
「人間の骨!?」
全ての理解が追いついた。
この山はローペンの巣。
そして、この白い地面は、ローペンが今まで奪ってきた遺体の数々。見れば、所々に骸骨も確認できた。
巣に降り立ったローペンは、首を傾げ、ガラス玉のような目を架陰に向けた。
「お前を食っても、美味しくないんだけどな」
と言っているようだった。
「くっ!!」
架陰の頭の中で何かが音を立てて弾ける。
刀の柄に手をかけ、地面を蹴る。その瞬間、突風が吹き、架陰の侵攻を阻んだ。しかし、架陰はもう一度踏み込み、その風を突き破る。
「はあっ!!」
一閃。
ローペンの翼に赤い線が入り、血液が吹き出した。
「ギャアアア!?」
ローペンの困惑する声。
「許さない」
架陰は、充血して朱に染った目をローペンに向けた。
「お前のことは、別に恨んでもいなかった。ただ、仕事だと思ってお前と対峙した」
刀の鋒をローペンに向ける。
「だが!! いま、明確な殺意を持った!!死者を、馬鹿にするな!!!」
そして、怒気の籠った口調のまま、こう宣言する。
「お前はっ! 桜班下っ端、『市原架陰』が必ず倒す!!!!」
続
次回、第5話『死神、鈴白響也登場!』
お楽しみに!