西原外伝 その⑤
ネイルの光る手で首を締めて
頸動脈に万年筆を突き刺して
死ぬくらいに私を愛してね
5
一ヶ月程経った頃、私は蓮花様に呼び出された。
出産直後は、心身ともに摩耗して、死人のような顔をしていた彼女だったが、今は、食事も喉を通るようになり、血色のいい顔をしていた。
私が部屋に入るや否や、ベッドの上で、暖かな太陽の光のような微笑みを浮かべ、手を振った。
「西原、ありがとうね」
「蓮花様も、お元気そうで何よりです」
私は、蓮花様に一礼した。
頭の中では、御館様に言われたことがぐるぐると反芻していた。
「あの、蓮花様・・・」
「ええ、わかってるわ」
蓮花様は、全てを分かりきった顔で頷いた。
「明日、私はこの家を出ていきます・・・」
「え?」
その、あまりにも突然の告白に、私は執事という立場を忘れて、素っ頓狂な声をあげていた。
「明日、ですか?」
「明日です」
「お子様は・・・」
「もちろん、置いていくわ」
蓮花様は、分かりきっている。と言うよりも、諦めたようなため息をつく。そして、空元気を貼り付けた微笑みを浮かべた。
「私だけ、捨てられちゃった」
「・・・・・」
言葉が、出なかった。
「最初から、わかってたの。定期検診で、お腹を見た時に、エコーの影に、双子が映った時から・・・、私は捨てられると、わかっていたわ・・・」
「そんな、ことは・・・」
「畜生腹。っていう言葉があるって、知ってる? 双子はね、昔から嫌われているの。お家争い。不吉の象徴。そして、獣のように、一度に数多の子を出産する私は、【畜生】と一緒。という事ね・・・」
違う。
そう言いたかった。
しかし、私の御館様への忠誠心がそれを邪魔した。
蓮花様への敬愛と、御館様の忠誠が、まるで押し相撲をするかのように、せめぎ合っていた。
「蓮花、様・・・」
「泣かないで、西原・・・」
いつの間にか、私は目から涙を流していた。
久しぶりだった。泣いたのは。子供の頃、親に強かに殴られた時以来だった。
蓮花様の冷たい指が、私の頬に触れて、水滴を拭う。
「西原、貴方は泣いちゃダメ。貴方には今から、私のお願いを聞いてもらうことになるんだから・・・」
「お願い・・・?」
「ええ。私の、子供について・・・」
花蓮様と、紅愛様のことか。
私は、すくっと姿勢を正すと、蓮花様に頭を垂れた。
「大丈夫です。お子様・・・、お嬢様は、私が教育係に任命されております。かならず、立派に育てて見せます!」
「それじゃあだめよ」
蓮花様は、優しげにそう諭した。
蓮花様は、目先のことを考えていない。
一歩、いや、二歩、三歩でも足りない、はるか向こうの未来を見ている。
「あの人は、双子を選別する気でいる」
自分のことではなくて、子供のことを、考えている。
「お願い。西原。私が出ていったら子供たちを育てね」
「もちろんです」
「あなたにしか、頼めないもの」
「私に、おまかせください・・・」
私は、涙で声を震わせながら、蓮花様に頭を下げた。
こんなことをしていたら、蓮花様に怒られとしまう。「しっかりしなさい」とか、「泣いちゃダメよ」とか。
子供のために、家に捨てられた女性の、痛いくらいに美しい声が、私の胸を叩くのだ。
蓮花様は、母親に似た慈愛のある微笑みを浮かべた。
そして、最後の一言を言い残した。
「じゃあ、お願いね?」
次の日、蓮花様は、「急病」という形で、城之内家を出ていってしまった。
その⑥に続く
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