西原外伝 その③
滑空する赤蜻蛉追う蜉蝣
飛蝗の羽音を聴いて池に飛び込む蛙
手を繋ぎ双子畦道に伸びる影
まだ涼しい夏休み
3
御館様から「生まれてきた子供の教育係」を任せられた私は、部屋を出たあと、スキップでもしそうな勢いで廊下を歩いた。
世界を震わせる喜びが巻き起こり、胸のそこから突き上げるような感覚に襲われた。
ああ、私が、任された。
御館様の子供の、教育を、任された。
責任重大だ。
私の教育次第で、御館様の子供の運命が決まってしまう。と言っても過言ではないくらい、重大な役目だった。
だが、私には絶対的な自信があった。別に、驕っていたわけではない。だが、御館様の目を信じていたのだ。
あの人は、素晴らしい人だ。
好機を見極め、誰にも崩すことができない論理的な計略を組み立て、戦いを優位なものに持っていく。
まさに、宰相だったのだ。
そんな人が、私を選んだのだ。
つまり、私には、それだけの力があるということだった。
育てよう。
かならず、生まれてくる子供が、立派な人間になるように、執事として、一人のUMAハンターとして、精進していこう。
そう、意気込んでいた。
※
いつだっただろうか。
奥様・・・、つまり、蓮花様のお腹が丸くなり始めた時。
私は、蓮花様の部屋に呼ばれた。
私が部屋に入ると、蓮花様は、ベッドの上に座り、分厚い書物を穏やかな瞳で読んでいた。
女の従者が整えた綺麗な髪の毛が、前に垂れ、窓から入ってくる陽光を浴びてきらっと光る。
パジャマ越しの薄い胸が、ゆっくりと上下していた。
その、花瓶に差された一本の花の、健気な美しさを纏う彼女は、窓辺に留まる小鳥にすら愛おしく思われる。
私も、彼女のことを、一、仕える者として慕っていた。
「蓮花様・・・」
「ああ、西原。おはよう」
「おはようございます」
蓮花様は、少し青白い顔で微笑むと、読んでいた本を閉じて、脇の台に置いた。
「夫から聞きました。貴方が、私の子供の教育係なのね・・・」
「はい、微力ながら、努めさせていただきます・・・」
「微力なんて言っちゃだめよ」
その微笑みには、力が無かった。
私は、胸の奥に痛いものが走るのを感じながら、彼女に一礼した。
やはり、妊娠中なのだ。お腹の子供に栄養を取られるから、そんなふうに色白いんだ。
「あまり、無理をなされないように・・・」
「ええ、ありがとう。やっぱり、西原は優しいわね・・・」
「それで、私に用とは?」
「ああ、その話なんだけど・・・」
蓮花様は、前に垂れた髪を耳に掛けた。
そして、まるで砂場から取り出せれた原石のように、混濁しながらも、光を纏った瞳で私を見た。
「もしかしたら、貴方には、迷惑をかけるかもしれない・・・」
「迷惑?」
私は直ぐに首を横に振った。
「迷惑などではありません。光栄でございます。貴方様のお子様を、こんな、外部からやってきた私が・・・」
言ったあとで、口を噤んだ。
そうだ、私は、外部からやってきたもの。拾われた、野良犬のような存在。
だが、蓮花様も、同じだったのだ。
「だめよ、西原・・・」
蓮花様は、慈愛に満ちた笑みのまま、首を横に振った。
「貴方は、立派な城之内家の人間よ」
「はい、蓮花様も・・・、立派な・・・」
「ううん。私は、城之内家の人間じゃない」
私にそんなことを言ったのに、彼女は、声のトーンを落として、自分の存在を否定した。
「私は、子供を産むための道具だから・・・」
「蓮花様・・・、そんなことを言わないでください・・・」
「分かるの。夫は、私に子供しか求めていない。跡取りしか、求めていない」
そんなはずは無い。
私はそう言って否定したかった。
御館様は、立派な人だ。もちろん、蓮花様も立派だ。
御館様は、つねに、この家のことを考えている。私たち、執事のことも考えている。
そして、お二人の間に子供ができるということは、そこに愛があるのだ。
私はふっと微笑むと、彼女をなだめた。
「きっと、ナーバスな状態なのでしょう。少し待っていてください。私が、ココアを入れてきます・・・」
「ええ、お願いするわ。でも、私の話を先に聞いて・・・」
蓮花様は、そう言って続けた。
膨れたお腹に、そっと手を当てる。
「きっと、私は・・・、この家を追い出されることになるでしょうね・・・」
「追い出される?」
「きっとよ。あの人は、厳格な人。『優しい』の前に、『決まり』という概念に囚われている人・・・」
「・・・・・・」
「蹴ってる。私の大好きな赤ちゃん・・・」
「蓮花様・・・」
その時、私は言いようのない不安感に襲われた。
蓮花様の濁った瞳は、一体、何を見ているのだろう。
遠い、先の未来。
人間の第六感が訴えかけてくる、不穏な道のり。
それを、彼女は悟っているのだ。と、そう、思った。
「私はね・・・、この家なんてどうでもいいの。ただ、赤ちゃんが無事に生まれてきてくれて・・・、元気に育ってくれたら、それでいいの」
蓮花様は私を見ると、ニコッと笑った。
その笑顔を見た時、私は、何故か、泣きそうになった。
「お願い。西原・・・。かならず、、この子たちを、護ってね・・・」
そして、数ヶ月後、蓮花様は双子を出産した。
その④に続く
その④に続く




