第11話 吸血樹 その①
太陽が嫌いだ
だから君の前で不貞寝する
月が好きだ
だから君の首筋にキスをする
1
夕方から降り始め、夜には、テレビにノイズが走るような勢いで屋根に打ち付けていた雨粒は、翌朝には止んでいた。
地面の上に残った水たまりに、空の青が反射される。
「ふぅー、昨日の雨は酷かったな・・・」
午前7時頃に布山小学校に出勤した男の教師は、軽自動車の扉を締めながら空を仰いだ。
雨が全てを洗い流したように、青々しく、澄んだ空。全てが幻想的な光景だった。
男の教師は、辺りに広がる水たまりを踏まないように、慎重な足取りで歩いた。
いつもならそのまま校舎内に入って、職員室の自分の机に腰を下ろすところだ。なんせ、最近は年寄る波を顕著に感じる。少し歩いただけで息切れはするし、眼精疲労も酷くなった。
「まあ、もう50歳だもんな・・・」
こう言った独り言が出るのも、老いのせいでなのかもしれない。
そんなことを考えて、ふとため息をついたときだ。男の教師は、駐車場から見えるグラウンドに、ある『異変』を感じ取った。
「ん? なんだありゃ?」
目を細める。100メートル先のブランコの目の前に何かが、立っていた。
黒い、柱のようなもの。ブランコほどの背丈は無いため、2メートル程だろうか?
新しい遊具としては使い道も謎であるし、そもそも、あそこに置いては、児童がブランコで遊ぶ時に邪魔だ。
「んー、行くか」
正体が何かは分からなかったが、男の教師は、様子を見に行くことにした。
泥だらけのグラウンドに、足跡を付けながら歩いていく。見れば、他の誰かの足跡も、裏門から正門に向かって伸びていた。
昨日、誰かが歩いたのか?
その程度の認識で、男の教師は自分の足跡を、その誰かの足跡と交差させる形で地面を踏みしめた。
ブランコの前に立つ何かに近づく度、その輪郭がはっきりとする。
「んっ?」
男の教師は、訝しげな顔をした。
「こりゃあ、木か?」
ブランコの前に、木が生えていたのだ。柱のように見えたのは木の幹で、そこから広がる枝は細いために遠くからでは視認できなかったようだ。
葉のついていない、枯れ木。
「どうしてまた?」
男の教師は、深い皺が刻み込まれた手で、その木の幹をポンっと叩いた。
2
「ねぇ、知ってる?」
下校途中、ふと、成美が地面の小石を蹴ってから、そう言った。
「何を?」
急に尋ねられた美桜は、若干の戸惑いを持って聞き返す。
成美は周りを伺うような素振りを見せ、美桜に体を寄せた。成美のまつ毛は長くて、甘い匂いがする。
顰めた声で言った。
「布山小学校の殺人事件」
「さ、さつじん!?」
思わず声が上擦った。
成美は慌てて美桜の口を塞ぐ。別に、人に聞かれてまずいことではないのだが。それに、周りに人はいない。
だが、成美はこんな調子なので、美桜も合わせて声を顰めた。
「布山小学校って言ったら、この近くじゃない」
「そうよ」
「誰が殺されたの?」
「男の先生だって。布山小学校の近くに住んでいる友達が言ってた」
それを聞いて、美桜はふと、「子供じゃなくて良かった」と思った。先生が殺されたのは十分痛ましいが。
「どうやって殺されたの?」
「それがねぇ・・・」
成美は再び辺りを見回した。
「血を全部抜かれていたのよ」
「血を?」
背筋に冷たいものが走った。
なるほど、成美がここまで秘密にしたいと思う気持ちが分かった。ただの『殺人事件』ではないと言うことか。
成美は続ける。
「お腹を太い何かで刺されて、そこから血がごっそり吸われてるの。死体が干からびるくらいに」
「うっ、それは怖いな」
美桜は喉に込み上げるものを感じて、慌てて手で押えた。だが、直ぐに不快感は消えた。
「怖いでしょ?」
成美はさほど怖がっていない様子で言った。例え自分たちの身近に起こった事としても、野次馬としての視点で見てしまうのは頷けるところではあるが。
すると、突然、成美がイタズラな笑みを浮かべた。
「ねえねえ、今から、その現場に行ってみない?」
「え、ダメだよ」
美桜は首を横に振った。
「だって、この近くと言っても、布山小学校まで三キロだよ? 日が暮れちゃうよ」
嘘ではなかった。確かに、ここから布山小学校は距離がある。
だが、三キロの道のりなど、走るなり自転車を使うなりをすれば、簡単に行くことができる距離だ。
美桜は、そこに行きたくなかった。決して興味が無い訳ではない。興味なら大ありだ。
だが、この身体がザワりとする感覚。この感覚が、どうしてもその『興味』に置き換えることが出来なかった。何度やっても、『警告』と変換してしまうのだ。
(身体が、拒絶している・・・)
ということで、美桜は成美の誘いを断った。
成美は、誘いを断れただけで怒るような短気な女ではなかった。
へラっと笑う。
「そうか。そうだよね!」
本当に、成美が素直な良い友達でよかった。
美桜は成美の笑顔を見て、心が癒されていく感覚を覚えた。
丁度、二手に別れる道に差し掛かる。右に行くと成美の家が、左に行くと美桜の家がある。
ここで、お別れだ。
「じゃあ、またあした」
「うんっ! バイバイ!! 美桜!!!」
二人はまた明日の再会を約束して、その道で別れた。成美は右に進んで行ったものの、前を見ずに、ずっと美桜に向かって手を振っていた。
美桜はその光景に微笑みながら、でもやっぱり心配で、「危ないよー!」と叫んだ。
案の定、成美は道路の小さな段差に躓いてふらついていた。
そうして、二人は別れた。
永遠の、別れであった。
その②に続く
その②に続く




