第2話 総司令官アクア
1
門の前に佇む挙動不審の見知らぬ少年に、下校する生徒達は疑念を抱いた。同じ学ランを身にまとっているが、襟元で光る襟章が我々の『成田高校』のものではない。他校の生徒とということは明確だった。
しかし、疑念は疑念のままで止まる。
彼を見た者は確かに気にしたが、直ぐにそっぽ向いて帰路に着いていった。彼が鼻息を荒らげる中年なら話は別だが、彼は学生。きっと部活の合同練習的な理由でいるのだろう。
その位の認識だった。
「さあ、どうしよう」
冷たい視線を浴びせて直ぐに行ってしまう者達を見ながら、架陰はビクビクと震えた。取り出した携帯のメールには、「午後4時半」と数字が悠然と並んでいた。その左上の時計は、その時刻から15分後を示していた。
架陰は学ランの裏で冷や汗がねっとりと張り付いてくる感覚に不快感を覚えながら深いため息をついた。
「遅いよ、クロナさん」
三日前、二人でUMA『鬼蜘蛛』を倒した後、クロナから「UMAハンターになりなさい」と言われた架陰。
状況を飲み込めないままメールアドレスを交換して、学校と本名を教えられ、目が点の架陰に、「三日後の4時半に私の学校に来なさい」と言ったクロナは少々強引な性格のようだ。
それに従う架陰の気も針の先程に小さい。
オドオドしていると、急に背中を叩かれた。
「うわっ!?」
心臓が跳ね上がる。慌てて振り向くと、成田高校の襟章を付けた学ランの男がニヤニヤしながら立っていた。
「あ、あなたは?」
「こっちのセリフだぜ。俺の学校になんか用か?」
別にあなたの学校ではないのでは?
という言葉を飲み込み、「UMAハンターのクロナさんに逢いに来たんですよ」という言葉も飲み込んだ。そして、吐き出す言葉が無いことに気がついた。
「なんでですかね?」
思わず曖昧に答えてしまう。
男は、「ほう」と頷いて、息を大きく吸い込んだ。
「誰かあああああ!! 不審者だぞおおおおお!」
「わ、やめてください!」
突然叫び出す男の口を慌てて塞いだ。
「僕は怪しい者ではありません!」
「思い切り怪しいだろ」
男はニヤニヤと笑って、架陰の手を退けた。どこか余裕な雰囲気を醸し出していて、彼が単純に架陰を捕らえようとしているには思えない。
その証拠に、男は架陰の手をぐっと握った。友好の握手みたいなものだった。
「オレは、笹倉聖羅。よろしくな」
「あ、よろしくお願いします」
やはり悪い人ではなさそうだ。
笹倉に気を許した架陰は、気を取り直して質問をした。
「あの、この学校に『雨宮クロナ』さんはいますか?」
その名前を聞いた時、笹倉の表情が明らかに変わった。
「あの、黒髪ミディアムの女か」
「知っているんですね! 何処ですか?」
身を乗り出す架陰に対し、笹倉は困ったように頭をかいた。
「俺、あんまりあいつと喋ってないし、あいつも『都市伝説部』っていう変な部活に入ってるし、正直近寄りたくないからなあ」
「変で悪かったわね!!」
突然笹倉の後方で刺々しい声がしたと思えば、笹倉は盛大に蹴っ飛ばされて、地面に突っ伏した。
「ぐへっ!」
起き上がると、黒い制服に身を包んたクロナが仁王立ちで見下ろしている。
「これはこれはクロナさん」
ヘラッと笑う笹倉。
クロナは額に青筋を浮かべた。
「何が『あんまり喋ってないし』よ。転校初日にナンパしてきたくせに」
意外な事実に痛いところを突かれた笹倉は、サッと目を逸らした。そして、架陰の背中に隠れる。
「ほら、アンタの探していた『雨宮さん』だ。あとは二人で仲良くやんな。じゃあな」
そう言い残して、笹倉は脱兎のごとく走り去ってしまった。
一体なんだったのだと、目をぱちくりさせていた架陰に、クロナがため息をついて歩み寄ってきた。
「待たせて悪かったわね。行くわよ」
「え、何処に?」
「職員室」
はっ?
その言葉に、架陰の身体から血の気が引いて行った。
ガクガクも震える架陰の手を強引に引いて、クロナは校舎へと入っていった。
2
職員室に入ってきた他校の生徒を見て、教職員達はざわついたが、彼と一緒に居たのが雨宮クロナと、用事が奥の机に座っているものにあると気がついて、その目を逸らしていった。
その違和感にソワソワする架陰だったが、落ち着いていないのは校門をくぐる前からだと、割り切ってクロナに続いた。
「アクアさん、連れてきました」
クロナの呼びかけに、机の上で英字新聞を読んでいた一人の教員が顔を上げる。
その女性の顔を見た時、架陰は意外さのあまり「あっ、」と声を上げていた。
肌は青く、目は青い。白銀の髪がサラリと揺れる。袖のないセーターでしなやかな腕をさらけ出した彼女は、明らかに外国人だった。
「外国の方・・・?」
「そうよ。『アクア・サブリナ』先生よ」
クロナの紹介に反応したアクアは、椅子から立ち上がり、モデルのような高身長の身体で深々と礼をした。
「こんにちは。アクア・サブリナよ」
日本人に引けを取らない流暢な日本語だ。
「こ、こんにちわ」
架陰は緊張でカタコトになった日本語で頭を下げる。
アクアは、青い瞳で架陰を下から上までまじまじと見て、クロナに訪ねた。
「この子が、前に言ってた、鬼蜘蛛を倒した少年?」
「はい、そうです」
クロナは身を乗り出して頷いた。
「近くから見ていましたが、彼は太刀筋と反射神経がかなりのものです。是非、桜班に入班させるべきです」
クロナが言ってきたのは、三日前のUMA事件のことだった。人を食らう巨大蜘蛛に、架陰も襲われた。あの時は、架陰の身体に、何かが起きて、危機的状況を脱したが、架陰はあの時のことをハッキリと覚えていない。
しかし、架陰の夢に出てきた謎の男の顔は、まだ瞼に焼き付いていた。
彼は誰なのか。
それに対する興味から、架陰はクロナにUMAハンターに誘われた時、はっきりと否定をしなかったのだ。
アクアが架陰の顔を覗き込んだ。
「君は、本当にUMAハンターになりたいの?」
「は、はい」
架陰はおずおずと頷いた。
アクアがふっと笑い、架陰の袖を引いた。
「じゃあ、行こうか」
「え、何処に?」
「秘密基地」
はっ?
3
架陰が連れてこられたのは、校舎裏のホコリ臭い体育倉庫のような建物だった。鉄の扉の横には、木の板で、『都市伝説部』とある。
「はいって」
アクアに促されて、架陰は冷たい鉄の扉に手をかけて横に引いた。砂と錆が擦れ合い、不快な音を立てて扉が開く。
中は意外に綺麗で、3畳ほどの空間には何も置かれていない。ワックスのかけられた木の床に、また扉があった。
隠し扉?
アクアとクロナは架陰を追い越し、自慢げに扉の窪みに手をかけた。
「我々の活動は隠密に行われる為、この学校の教師達意外、この古ぼけた部室が何に使われるかは知らない。ここでは、対UMA戦闘訓練が行われるの。隠密ゆえに、地下でこっそりとね」
そう言って、重い鉄の扉を引き上げると、地下へと続く階段が姿を現した。
まるでアドベンチャー映画のようなシチュエーションに、架陰は思わず感嘆の声を上げる。
3人が降り立った地下空間は、体育館の半分程の広さに、高さ3m程の、運動に最適な場所だった。左右の壁には、鏡や、道具を入れるロッカーが設置されている。
「すごい・・・」
今まで緊張で口数を減らしていた架陰も、目を輝かせて辺りを見回した。これから、この場所でUMAを退治するための鍛錬をする自分の姿も頭に浮かんだ。
「ここで、何をするんですか?」
興奮冷めず、アクアに尋ねる。
アクアは、「ああ」と思い出したように頷くと、壁に設置されたロッカーの扉を開けた。
「今から君にしてもらうのは」と言いながら手を動かすアクア。彼女の背中が邪魔して、ロッカーの中身は分からなかったが、何やらカチャカチャと堅いものがぶつかり合う音がした。
アクアの手が止まる。
「お、あったあった」
アクアは手で掴んだものを無造作に引っ張り出した。それと同時に、他のものがバラバラと落ちてくる。
散乱した大小様々な木箱には目もくれず、アクアは手に持った縦長の木箱を架陰に放り投げる。
「うわっ!?」
反射的に受け止めた架陰だったが、思ったよりも重く、飴色の床に落としてしまった。
木箱が大きく軋み、上蓋が外れて中のものが転がる。
それは、黒光りする日本刀だった。
「!?」
思わぬものの登場に、架陰の表情が困惑する。確かにUMAハンターは、武器を使ってUMAを狩る仕事だが、自分はまだ一般人に等しい。殺傷能力のあるのはまだ早いのではないか。
この日本刀は、自分へのプレゼントか。「これで、UMAを狩りまくれ」と暗示してあるのか。
それとも・・・・・・。
「こ、これは?」
架陰は日本刀の鞘を掴みながら恐る恐る訪ねた。
アクアは、その質問には答えずに、もうひとつの小さな木箱の中から、鉄のメリケンサックを取り出して指にはめていた。
天井の光を反射して、アクアの指のメリケンサックがぎらりと光ったとき、アクアから放たれていた温和な気配が、一瞬で殺気へと転換する。
何をするのか。そんなこと何となく想像出来たが、架陰は「何を、するんですか?」と訪ねた。
アクアは「おや」と意外そうに目を見開いた。
「まさか、簡単にUMAハンターになれると思っていた?」
「いえ」
額から流れ落ちる冷や汗を払うように、架陰は首を横に振った。
アクアは手首を返して、「来い」と示した。
「これより、SANA入隊試験を開始します」
3
「『入隊試験』?」
その重々しい言葉に、架陰は背筋が冷たくなるのを感じた。
架陰に渡された日本刀に、アクアのメリケンサック。この状況から察するに、アクアは戦闘行為を促している。
この日本刀は本物だろう。つまり、人を殺めることも簡単だという事だ。
こんな常軌を逸したことをするなんて。
「貴方は、何者ですか?」
架陰の問いかけに、アクアはあっさりと答えた。
「私? 私は、『未確認生物研究機関SANA』より派遣された、成田高校桜班『総指揮官』の、『アクア・サブリナ』よ」
『総指揮官』という言葉が、架陰の頭を殴るようにのしかかった。『総』ということは、『3席』のクロナよりも強いということだろう。
アクアは、メリケンサックを付けた手で、ボクサーのようなファイティングポーズをとった。
「SANAのUMAハンターになるためには、3つの条件がある。1、『CランクのUMAを倒す』こと。2、『悪魔の落とし子』であること。そして、『各班のトップを倒す』こと。さあ、私を屈服させてみなさい」
「待ってください!」
架陰は首を横に振った。日本刀を握る手が震える。
前回は、鬼蜘蛛という人外生物だったために刀が振れたとして、今回は人間だ。しかも、無力に等しいメリケンサックをはめた女性だ。加減を間違えれはば殺してしまう。
架陰の考えを察したのか、アクアはニヤリと笑った。
「もしかして、私を殺してしまうと遠慮してる?」
「・・・・・・、はい」
その答えを聞いた瞬間、アクアの顔が曇る。
「それ、こっちのセリフだから」
「え?」
その言葉の意味を理解しようと架陰が思考を巡らせた時、架陰は腹部に強い衝撃を受けて吹き飛んだ。
「!?」
あのメリケンサックで殴られた? いや違う。何か大きな力が、自分を襲った。
「み、水?」
架陰は受け身を取ることが出来ず、硬い床に背中を打ち付けた。その拍子に学ランに染みた水がグチュリと音を立てる。
その様子を離れて見ていたクロナは、アニメを見て興奮する子供のように顔を明るくした。
「出た、アクアさんの『能力』!」
架陰は、息をつまらせながらも、日本刀を杖替わりにして立ち上がった。
アクアは感心したように笑った。
「あら、これで立ち上がるんだ。大抵の人間はこの一撃でノックアウトなのに」
「そ、それはどうも」
「そういうの好きよ。下手な手練より全然使えるから」
今の一撃でアクアの強さを理解した架陰は、フラフラしながら日本刀を抜いた。そして、水を吸って重くなった学ランを脱ぎ捨てる。
滑りやすくなった床を靴で踏みしめ、アクアを見据えた。
「いま、何をしましたか?」
「これは、『能力』よ」
アクアはあっさりと種を明かした。
「能力?」
「ええ、人間の中にも、UMAのように超能力を持って生まれてくる者がいる。その素質を持っているのは1000人に1人。さらにそれを発現させることが出来るのは、1000人に1人」
アクアは掌を上向きにして架陰の前にかざした。すると、皮膚表面から結露のように水がぷつぷつと現れ、遂には手から溢れて床に滴った。
その異様な光景に、架陰はしばし息を呑んだ。
「これが私の能力、『水』を自在に操る。気をつけなさいよ。Cランクの鬼蜘蛛なんて、比べ物にならないからね」
「!?」
瞬時に背筋が冷たくなるのを感じた架陰は、反射的にその場から飛び退いた。
「水砲!!」
前にかざしたアクアの手のひらから、大量の水が消防車の放水のような勢いで発射され、架陰の立っていた場所に直撃し、大きな水柱を上げる。
「いい反応ね。一応UMAを倒したってだけはあるわね」
アクアは続け様に、両手から水砲を発射し続けた。
「ぐっ!」
架陰は逃げるようにしてその攻撃を躱す。
「逃げちゃダメよ。ちゃんと向かってきなさい」
アクアは挑戦的に言った。
そんなの無理でしょ。という言葉を呑み込んで、架陰はアクアの手の動きを観察した。
あの手からどうやって水を出しているのか、よく分からないが、ずっと出続けるものではないようだ。その証拠に、アクアは約3秒間放水し、約3秒間を置いている。
穴を突くなら、この3秒間か?
そう思った瞬間、架陰の顔面に水砲が直撃し、架陰は体を大きく仰け反らせた。
「がはっ!」
まるでハンマーで殴られたような衝撃だ。鼻に水が入ったようで、ツンと痛む。しかし、何とか踏みとどまる。
「あら、威力が弱かったかしら?」
吹き飛ばなかった架陰に、アクアは首を傾げると、ローファーで床を蹴って架陰に接近する。
(水砲を使わないのか!?)
自ら迫ってくる獲物に、架陰は刀を構え直した。
水砲で近づけなかったのだから、それを使わずに近寄ってくるなら好都合だ。このまま日本刀を振って仕留める。
そう強く思うと、架陰は、刀の柄を強く握りしめた。
アクアがメリケンサックを構えて、架陰の刃が届く射程に入る。それを見計らい、架陰はいつかテレビで見た居合を思い浮かべて刀を一閃した。
しかし、アクアに迫った濁った刃は、金属音と共に大きく弾かれた。
「!?」
「甘いわね」
何が起こったのかも分からず、体勢を崩しながら放心する架陰の腹部に、アクアは容赦なくメリケンサックでの拳を叩き込んだ。
「ぐあっ!」
倒れ込んだ架陰に、アクアは手のメリケンサックを翳した。あの数センチの金属面で刀の刃を防いだというのか。
架陰は荒い息を立てながら立ち上がったが、初撃の水砲にメリケンサックの打撃。内出血をしているのか、身体中がじくじくと痛む。
とても戦いを続行出来るものではなかった。
アクアは不満げに、外野のクロナに呼びかけた。
「クロナ、あなたが『すごい』って言うから期待していたのに、全然ダメじゃない」
クロナは「あれー」と苦笑を浮かべた。
それを聞いた架陰の頭の中を「ダメ」と言う言葉が反芻した。
そうか、僕は人を期待させたのだ。そして、僕は人を期待させておいてダメだったのだ。
相手に与える失望はどれほどのものだろうか。その表情が僕に与える絶望は、どれほどのものだろうか。
仮初の愛を受けて、仮初に殺される。これ程、自分の胸に傷を付けるものがあるだろうか。
だから、今まで誰からの期待も受けず、空気のように必要で非重視で生きてきたのに。
足が床に沈んでいく気がした。
これではまるで、自分が「期待」の扱いを間違えたみたいじゃないか。いや、自分は実際に間違えていた。
あの時「UMAハンターになれ」と言ったクロナの言葉を、断れば良かったのだ。彼女の言葉には、少なからずその「期待」が含まれていた。それに気づいていた。出来もしないのに、応えようとしていた。
身分不相応にも、応えようとしていた。
全身が恥ずかしさで体がカッと熱くなった。
自分に落胆するアクアを直視出来ない。戦闘中だと言うのに、刀を持つ手をだらんと垂らして俯いた。
アクアの声だけが耳に届く。
「ギブアップね」
その声は冷たかった。
「不合格よ。あなたはUMAハンターにはなれない」
「ま、待ってくださいっ!!」
架陰は反射的に叫んでいた。
「まだ、いけます。まだ、頑張れます」
言い訳をする子供のように、ダラダラと震えた声で縋った。
「どこがいけるの? 刀を持つ手が震え、腰は抜け、満身創痍。私には、あなたがこれ以上何かをする所が想像出来ないのだけど?」
アクアは突き放すように言った。
「もう、諦めなさい。あなたはただの一般人よ。UMAハンターになれなかったところで、何も恥じることがないのたがら」
「そういうのじゃなくてっ!」
架陰は首を激しく横に振った。
「クロナさんに出会って、鬼蜘蛛を退治して、今まで平凡だった日常に光が差したんです。UMAはとても怖いけれど、とても刺激的で、」
そこまで言って架陰は言葉に詰まる。頭の中に色々な想いが駆け巡り、上手く喋られなくなったのだ。
「だから、そう」
だからそう。今まで、UMAに怯えて、暗くジメジメと生きてきた自分じゃなくて、暗闇から光を切り開く、勇気ある自分へ。
もっと、灰色のキャンパスを彩ることが出来るような自分へ。
「俺は、変わりたいんだあっ!」
4
意識が途切れて、
気がつくと、架陰は暗闇の中に立っていた。
目の前には、鬼蜘蛛の時と同じように、黒スーツで金髪の高身長の男がニコニコと笑いながら立っていた。
「また、夢の中ですか」
架陰は落ち着いた様子で男に話しかけた。
(うーん、『夢』と言ったら語弊があるんだけど、そうだね)
男もまた慣れた口調で言い、掌をヒラヒラとして見せた。やはり、悪い人には見えない。
(で、覚悟は決まったの?)
「はい、決まりました」
何に対する覚悟か男が言わぬまま、架陰は拳を握りしめて頷いた。
「僕は、UMAハンターになります」
(それでいいんだよ)
男は安堵したように笑うと、鬼蜘蛛の時と同じように、架陰を優しく抱きしめた。温かかった。
(じゃあ、僕の力を貸してあげるよ。行っておいで)
5
架陰の動きが止まった。
アクアはその隙を突くわけでもなく、ただじっと少年が動き出すのを待った。さっきの言葉に嘘偽りが無いのか、探っていた。
「どうしたのかしら。あれだけ強い言葉を放っておいて、終わり?」
構えていた手を下ろして、完全に戦闘態勢を解くと、挑発的な言葉を投げかけてみる。
架陰は動かない。
「・・・・・・・・・、いいえ」
やっとボソリと呟き、顔を上げた。
「!」
その架陰の顔を見た時、アクアは背筋が冷たくなるのを感じた。
白目の部分が、赤黒く染まっていたのだ。
それと同時に架陰から殺気が放たれたのを感じて、アクアは「なるほど」と納得した。
「『あなた』が、鬼蜘蛛を倒したのね」
先程までオドオドしかった架陰の姿はなく、そこに立っているのは別人と称していいほど血の気に満ちた獣だった。
余裕そうに振る舞うが、アクアは内心架陰への警戒を強めた。本能的に油断は出来ないと悟ったのだ。
架陰はヘラッと笑った。
「すみませんね、アクアさん。手加減出来ません」
「!?」
その瞬間、架陰が床を強く蹴り、一瞬でアクアの間合いに侵入していた。そして、低い姿勢から刀を振り上げる。
地下空間にかん高い金属音が響き渡った。
何とかメリケンサックの金属面でいなしたアクアは、逸る鼓動を抑えながら架陰から距離を取った。
何だ? 今の速さは。
総司令官であり、数々のUMAと戦ってきたアクアが、反応に遅れた。
頭の中に浮かんだ「死」の一文字をかき消す。
架陰の雰囲気が、速さが上がったところで、脅威のなんでもない。刀の振りは鈍く、踏み込みは甘い。
こんなもの、あの時の戦いに比べれば。
「もう一度来なさい」
アクアは架陰を挑発した。
それを素直に聞いた架陰は、再び床を蹴って猛スピードでアクアに接近する。
「今ね」
アクアはタイミングを見計らい、指を鳴らした。
すると、床に広がっていた水が浮かび上がり、集合してひとつの生き物のようになった。
「水の抱擁!」
水が架陰を包み込む。
「がぼっ!?」
突然水の中に飛び込んだ架陰は、驚きのあまり口から白い泡を吐き出した。
「私の能力は、水を発生させるだけじゃないの。半径10メートル以内の空間にある水なら、自在に動かせるのよ」
架陰は空中に浮かぶ巨大な水の塊の中でもがいた。口からどんどん空気が抜けていき、窒息する。
「安心なさい。殺しまではしないわ。ただ、その決意ってものは剥ぎ取らせてもらうわよ」
アクアは拳を握り、さらに架陰を包み込む水の圧力を上げる。
さあ、これで終わりだ。
そうアクアが勝利を確信した時、架陰は水の圧に抵抗しながら、重い刀を振り上げた。
「!?」
そして、一閃する。
「んがあああああっ!」
その瞬間、宙に浮いていて水の塊がシャボン玉のように弾け、四方八方に散った。中から架陰が飛び出してきて、アクアに斬り掛かる。
キンッ!
何とかメリケンサックで受け止め、勢いを後ろにいなす。そして、バランスを崩した架陰の後ろに回り込んだ。
「どうして、私の水の支配を断ち切ったの?」
アクアはメリケンサックの冷たい金属を架陰の首元に押し当てた。
「知りませんよ」
架陰は気を乱すことなく、振り向きざまに刀を振り切った。それをアクアは跳んで交わすと、刀の刃の上に立つ。
「精神論じゃないわ。水を刀で斬るなんて、物理的に不可能なのよ」
「僕の前で、水を掌から出して、刀の上に乗る人の方が、物理的に理解不能なんですけど!」
架陰は刀を引くと、バランスを崩したアクアに再び刀を振り切った。しかし、アクアは身をよじってそれを躱し、ハイヒールで刃を蹴りあげる。
「!?」
がら空きになった架陰の腹に白い手を当て、ゼロ距離で水砲を炸裂させた。
「ぐはっ!!」
架陰は胃酸の混じった唾を吐きながら吹き飛ぶ。しかし、直ぐに体勢を立て直して着地した。
アクアは間髪入れずに架陰にメリケンサックで殴り掛かった。
ギンっ!
架陰が刀で受け止める。
(動体視力も上昇しているのか・・・)
アクアは冷静に架陰と戦いながら、架陰のUMAハンターとしての適正を分析していた。
「んがあっ!」
架陰が吠えてアクアのメリケンサックを押し返す。
(筋力もか・・・・・・)
一瞬で豹変した架陰の雰囲気。
上昇する力。
そして、断ち切られたアクアの水の支配。
「なるほどね」
アクアは戦いの最中、ある結論に至った。
サッと腕を引き、架陰の勢いを後ろにいなす。
どてっと倒れ込んだ架陰に、アクアは言い放った。
「いいわ。市原架陰。あなたは素晴らしい『能力者』よ!」
6
「いいわ。市原架陰。あなたは素晴らしい『能力者』よ」
アクアは隙を見せた架陰に追撃することなく、興奮した口調でそう言った。
「よく、分かりませんね」
架陰はフラフラと立ち上がり、床を蹴る。
キンっ!
刀の刃とメリケンサックがぶつかり合い、劈くような金属音が響き渡る。
架陰は連続で刀を振った。その全てを、アクアはメリケンサックの小さな金属面で受け止める。
「あなたは、DVLウイルスの影響を受けなかったのね」
アクアは刃そっちのけで架陰に話しかけた。
「なんですか、それ」
意味のわからない架陰は、苛立った声で、刀を振り上げる。しかし、アクアは体を大きく逸らして躱す。そして、右手で水砲の構えをとった。
(来るっ!)
すぐに寒気を覚えた架陰は、後ろに跳んでアクアから距離を取った。その差は約20メートル。
「これは、防ぎ切れないわよ」
右手はフェイントで、アクアは左手をパチンと鳴らした。
たちまち、アクアの半径10メートル以内の水が浮かび上がり、アクアの頭上に結集する。
「!?」
「水大砲!!」
通常の5倍程の量の水が、アクアの手の振り下ろしに合わせて発射された。
確かに、この水の塊は躱せるものではなかった。重さも大きさも、幅も桁違いだ。このまま喰らうと確実に架陰は負けるだろう。それよりも、死んでしまうかもしれない。
ならば・・・・・・
斬るしかないか。
7
(不思議な感覚だな)
架陰は思った。
身体が軽い。眼力は狩りをする鷹のように鋭く、力が無限に溢れてくる。
この感じは、鬼蜘蛛を狩った時と同じだ。唯一違うとすれば、意思があるということ。アクアに勝とうとする想いが、この身体を突き動かしているという事だ。
しかし、油断すれば誰かが架陰の意識を奪おうと、架陰の内部で暴れていた。
時間が無い。
「うおおおおぉ!!」
架陰にアクアの放った水砲が迫る。
架陰は怖気ることなく、吠えて自らを奮い立たせ、刀を構えた。
迷うな。全ては勇気。
振り下ろせ。
「!」
その時、アクアとクロナは奇妙な光景を目撃した。
架陰の握る刃から、黒い煙のようなものが染みだしたのだ。
(あれは・・・・・・、影!?)
「おおおおっ、りゃあああああ!!!!!」
そんなことに気付く由もない架陰は、刀の鋒に全ての力を集中させ、咆哮して振り切った。
刃が水の塊をモーゼの十戒のように一刀両断する。2つに割れた水は、架陰を避けるようにして後方で水柱を上げた。
(また私の水を斬った!?)
恐るべき光景に、アクアは一瞬気を乱した。
ハッとした時にはもう遅く、架陰がアクアの喉元に刃先を突きつけていた。
「うっ・・・」
チクッとした感触に身震いする。そして、諦めて身体の力を抜いた。
「はい、私の負けよ」
8
アクアが負けを認めても、架陰はアクアの喉元から刀を引くことはなかった。数十秒が経って、やっと糸が切れたように柄から手を離した。
カランと刀が床に転がる。
「ふううう・・・・・・」
ため息をついて、その場にしゃがみ込んだ。訳の分からない力を使ったせいで、全身が筋肉痛だ。
力を抜いていくと同時に、赤黒く染まった白目が元の色へと戻っていく。
(やっぱり、この子も能力者か・・・・・・)
その様子を見ながら、アクアは心の中で呟いた。
(能力者は、もう現れないはずだったのに、面白い発見ね)
「やったじゃない!」
固唾を呑んで見ていたクロナがやっと架陰とアクアの中に入ってきた。
「アクアさんに勝ったんだから、UMAハンターになれるわよ」
「え?」
架陰は間の抜けた声を出した。どうやら、自分がUMAハンターになるための試験を受けに来たことを忘れていたらしい。
「そうか、そうですよね」
それが今しがた思い出したのか、喜びで声を震わせる。
「僕は、UMAハンターになれるんだ」
架陰の目の前に、アクアの手が差し出された。
「ようこそ、桜班へ」
続
次回 第三話 『死体を喰む』
お楽しみに!