第10話 覚醒と決着 その②
血肉が共鳴する
骨の狂騒が聞こえる
逆さまの世界
2
「はあっ、はあっ、はあっ・・・」
架陰はひとまず呼吸を整えた。身体能力を極限までに上げていたため、筋肉が強ばり、喉元で鉄の味がする。
指が動かなかった。刀を握り過ぎたことによる疲労だ。あの時、刀を手放してしまったのはこれが原因か。例え自分が跳躍して刀を握ろうとしたところで、無理だったのかもしれない。
赤黒く染まった目が、元の黒と白の目に戻る。
「か、カレンさん・・・」
架陰はふらふらとした足取りで、両断された鬼蛙の死体の傍に佇むカレンに近づいた。
カレンが刀を架陰に返す。
「ありがとうねぇ。これが無かったら、勝てなかったわぁ」
架陰はカレンから刀を受け取った。疲弊した指では、握りなれた刀が鉛のように感じた。
「こちらこそ、ありがとうございます。カレンさんのおかげで、鬼蛙を倒せました」
架陰は何とか刀を鞘に戻した。
カレンは「いえいえぇ」と微笑んで首を横に振った。
「架陰くんのおかげよぉ。君が鬼蛙を追い詰めてなかったら、あの隙は生まれなかったわぁ」
そう言って労われるが、架陰は素直に「ありがとうございました」と言えなかった。
腰に差した刀と、カレンに両断された鬼蛙の死体を、交互に見やる。
鬼蛙の真っ二つになった頭の断面は、まるで果物を切ったあとのように滑らかだった。
(僕じゃ、こんなことは出来なかった・・・)
改めて、副班長の強さを感じ取った。
前線で戦う者への、的確な配慮。その細い身体から生み出される柔軟な動き。そして、臨機応変に戦況を判断し、勝機と見れば、躊躇しないその心根の強さ。
全てが、架陰に欠けているものだった。
こんな凄い人が副班長なのだ。ならば、響也はもっと凄いのか・・・。
西原が歩み寄ってきた。傘はさしていない。いつの間にか止んでいたのだ。
「終わりましたか・・・」
カレンに、濡れたタオルを差し出す。もちろん、架陰にも。
カレンはタオルを受け取ると、汗と泥で汚れた身体を拭いた。架陰もそれに習う。
「ところで、カレンお嬢様」
「なあにぃ?」
「【翼々風魔扇】の調子はどうでしょう?」
「ああ、これねぇ」
カレンは着物の帯に差した翼々風魔扇を抜き取った。それを、様々な角度から眺める。
「最高よぉ。初めて【能力武器】を手にして見たけど、とても便利よぉ」
架陰が手を挙げた。
「ずっと思ってたんですけど・・・」
戦闘中は言えなかったが。
「もしかして、その武器に、ローペンの素材って使われていますか?」
架陰の援護した風は、明らかにローペンが操っていたものと酷似していた。
カレンが頷く。
「そうよぉ」
「能力を持つUMAの素材を使って、そのUMAの能力を受け継いだ武器を、【能力武器】と言うのですよ。カレン様の翼々風魔扇は、響也様が狩ったローペンの爪と翼が使われています」
西原が説明した。
「ちなみに、その武器を作るのは、主に【匠】と呼ばれている者達です」
「たくみ?」
「ええ。架陰様が使用されている【鉄刀】は、SANA本部で作られる、いわゆる、【大量生産型】の武器です。言い方は悪いですが・・・、切れ味、重さ、強度、握りやすさは、並ですね。匠は、武器生産に特化していて、強力な武器を作ることができる職人です」
「そ、そうなんですか」
架陰はそっと自分の刀に手をやった。
切れ味が悪いのは使い手が悪いのだと思っていたが、一概にもそうは言えないらしい。
「大丈夫よぉ。今日の戦いを見る限り、架陰くんには素質があるわぁ。直ぐに強くなって、【匠】が武器を作ってくれるようになるわよぉ」
「そうですかねぇ?」
架陰は再び鬼蛙の死体を見た。ダメだ。やっぱりこの人のようになれる自信が無い。
そうやって話していると、とぼとぼと近づいてくる者がいた。
「あらぁ、翔太くん」
翔太だった。
沼に浮いた消化液で焼き爛れた腕の中に、三人分の頭蓋骨が抱いている。肉も内蔵も、全て溶かされていたのだ。
「・・・・・・」
翔太は俯いて、何も喋ろうとしない。危険を顧みず、沼に飛び込んだ時の狂騒が、あとから波のように押し寄せてきたのだ。
もちろん、友達が死んでいたことくらいわかっていた。だが、いざ、この冷たい頭蓋骨を持つと、改めてその死を突きつけられたような気がした。
わかっている。わかっているのに、どうしてそんなことをするんだ。
そう叫びたかった。
「友達、だったんだ・・・」
翔太が口を開く。もう、過去形だった。
「よくケンカしたけど、友達だったんだ・・・」
涙が、頭蓋骨の上にぱたっと落ちた。
「今日だって、最初は僕の言うことを信じていなかった。けど、あとからここに見に来たってことは、『信じようとした』ってことだよね。嘘かもしれないことのために、わざわざ、その足を、こんな暗い所に・・・」
声が震える。必死に、溢れ出ないように、堪えている。
「僕の、せいだ・・・、僕が・・・、」
自責の念に駆られる翔太の小さな頭を、カレンがすっと伸ばした手で撫でた。
「大丈夫よぉ・・・、君はよく頑張ったわぁ。そのお友達の骨を、命をかけて助けたんだものぉ」
「・・・・・・」
翔太は下唇を噛み締めた。
架陰は、かれんのように翔太に声をかけることが出来なかった。
こんなの、ただの慰めだ。友達を三人も失った者が、「自分のせいじゃない」と割り切れるわけがない。
それをわかった上で、カレンは翔太の頭を撫でたのか。
「・・・・・・」
架陰もまた、奥歯を噛み締めた。もしも、自分に、鬼蛙を倒す力があれば・・・、いや、もっと早く、この沼に潜むUMAの存在を知っていれば・・・、自分より若い三人の命を、救えたのかもしれないのに・・・。
カレンが西原に話しかけた。
「西原、後のことは任せたわよぉ」
「承知しました・・・」
西原はぺこりと頭を垂れると、俯いたままの翔太の背中に手を回し、「ささ、行きましょう。お友達と共に」と言って歩き出した。
「あの遺体は、警察に引き渡されるわぁ。一応、UMAによる殺人事件かの判断をしなければならないのぉ」
「そうですか・・・」
「もちろん、この沼も調査の対象ねぇ」
翔太と西原が見えなくなると、カレンはそう言った。
着物の胸元に手を入れ、架陰が持っているものと同じトランシーバーを取り出す。
「何をするんですか?」
「死体処理よぉ」
そういえば、クロナが同じことをやっていたような気がする。響也とともにそれから逃げたため、具体的なことは分からないが。
「あ、もしもしぃ? 桜班副班長のカレンですわぁ。死体処理お願いしますぅ。はいぃ、トランシーバーのGPSを発信しますのでぇ」
カレンはトランシーバーを耳に当て、お馴染みの語尾を伸ばすような口調で話していた。
「これでおっけぇよぉ」
カレンはトランシーバーを胸元に戻す。
「時期に、桜班未確認生物研究所分署から研究員がくるわよぉ」
「は、はい・・・」
10分程待っていると、森の前を走る道路に大型トラックが停車した。コンテナに、「UMA-COLD」と青い字で書かれている。
「どうもー、お待たせしましたー」
運転席の扉が開いて、ボサボサの髪の毛の男が出てきた。白衣を見にまとい、牛乳瓶の底のようなメガネをかけている。無精髭は生え放題で、第一印象は『不清潔』だった。
「こちら、SANA未確認生物研究所-桜班分署の研究員を、していますー、【平泉良】ですー」
その身なりからは年齢は想像出来ないが、声は、20代くらい透き通った声だ。
「こんばんはぁ」
カレンが鈴のような声でにっこりと微笑んだ。
平泉は牛乳瓶の底のような眼鏡をぱあっと輝かせた。
「お久しぶりですー、カレンさん。パリから帰ってきたんですねー」
「そうですよぉ。またお土産渡しますねぇ」
雑談はそこまでにして、平泉は鬼蛙の死体を見た。
「ああ、鬼蛙ですか。でかいですね」
でかいのはともかくとして、架陰は鬼蛙の正式名称が「鬼蛙」ということを以外に思った。やはり、巨大化したUMAには、「鬼」と付けるのが暗黙の了解らしい。
「真っ二つじゃないですか・・・」
「ごめんなさいねぇ」
「もうちょっと良い状態で欲しかったんですけどね」
平泉は眼鏡をぐいっと押し上げた。少し不満気な口調だ。
架陰が平泉の横から顔を出す。
「あの、『良い状態』ってどういうことですか?」
その質問に、平泉が答える。
「ああ、簡単に言えば『生け捕り』ですよね。まあ、ここまで巨大な個体を、捕獲するのは困難ですけどねぇ」
「平泉さんは、SANAから派遣された研究員なのよぉ。だから、研究個体はなるべく完品に近い方がいいのよぉ」
カレンに補足され、架陰は鬼蛙の死体を見た。確かに、ここまで真っ二つでは生態研究には向かない。
そう話していると、遠くからエンジン音が近づいてきた。
「あ、クレーン車が来ましたね」
平泉がぱっと道路の方を見た。
「あとは、僕達で鬼蛙の死体をコンテナに入れて運ぶので、君たちはもう帰っていいですよ」
鬼蛙に潰された架陰なら分かる。この重さの生物を、一人では運べない。クレーン車が来たなら安心だ。
「わかりましたぁ。お疲れ様ですぅ」
カレンは最後まで上品な笑みを崩すことなく、平泉にお辞儀をした。そして、架陰の方を振り返る。
「帰るわよぉ」
「はい」
後のことは平泉に任せて、架陰とカレンは桜班本拠地に戻ることにした。
沼から立ち去る時、架陰は平泉に「さようなら」と会釈をした。
厚い眼鏡のせいで、平泉がどんな目をしているのか分からない。だが、平泉は微笑んだ。
そして、一言。
「アクアさんによろしく」
「・・・、はい」
アクアと知り合いなのだろうか?
西原は、翔太を連れて何処かへ行ってしまったので、架陰とカレンは歩くこととなった。
「架陰くん、大丈夫?」
カレンの心配そうな声。
架陰は、精一杯の強がりを言った。
「だ、大丈夫です。身体を動かしすぎて、疲れましたけど・・・」
「いや、そうじゃなくてぇ」
「えっ?」
「傷よぉ。傷。鬼蛙に貫かれた腹と肩の傷よぉ」
忘れてた。
思い出した途端。架陰の肩と腹に激痛が走った。よく見れば、かなりの血が滲んでいる。
「あっ・・・」
貧血と痛さのあまり、架陰は失神した。
その③に続く
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