番外編【市原架陰外伝】その③
孤独を埋めるものは孤独だと
孤独を知った者は言う
その孤独が故の孤独の胸に
孤独が巣食い
以て孤独とならんことを
母さんが死んで、
父さんが捕まって、
僕が、あの「月の子児童施設」に預けられるまで、時間はかからなかった。
あれはいつの日だったろうか?
セミが鳴いていた。アスファルトの上はとろけるような熱気を孕み、頬を伝う汗が不快だ。
つまり、夏だった。
僕は夏に、あの施設の仲間の一員になったんだ。
しわくちゃの顔のお爺さんが、「今日からここが君の家だよ」と、喉の奥をこそばされるような声で言った。やせ細った僕の頭を撫でたその手はゴツゴツしていたのに、心地よい温かさを孕んでいた。
児童施設の扉のむこうは、別世界だった。
僕と同じ境遇を持つ者たちが、共に支え合いながら暮らしていた。
僕は直ぐに、僕と同じ背丈の子供たちに囲まれ、物珍しい目で見られ、でも最後には仲良くなって、一緒に遊び始めた。
一番の不幸とは、自分が幸せだと気づけないこと。という言葉を聞いたことがある。果たしてそれは本当なのだろうか。
母親に殺されかけ、母親を殺され。
父親に殺されかけ、父親が消えた僕の境遇は、決して「幸福」とは言えないものだった。
だけど、僕はその日、初めて、「自分は幸福なのだ」「自分はこうなるために生まれて来たのだ」と実感した。思い上がりでもなんでもなく、この壊れた心で理解したものだった。
まるで、今までの不幸の精算でもするように、僕は幸福に包まれた。幸福の絶頂だった。
目を開ければ友達がいる。
温かいご飯。冒険心を擽る小説。優しい、施設の先生。
その幸せな時間は、直ぐに終わりを告げた。
僕は何故か、人が苦手になった。特に、笑顔の人や、優しさを振りまく人が苦手だった。
決して人が嫌いという訳では無い。むしろ大好きだった。あの児童施設には、僕が大好きな人が沢山いた。
なのに、あの人たちと目が合えば、言葉を交わせば、この心臓が締め付けられるように痛くなって、僕はその人から離れざるを得なくなる。
そして、僕は光が苦手だった。
蛍光灯すらダメなんだ。光を見れば、浴びれば
気分が悪くなる。太陽は、もっと恐ろしい。浴びるだけで失神する。
その時、僕は7歳になっていたけど、「人を傷つけない方法」とか、「人の気持ちを理解する方法」はある程度頭に入っていた。
僕が人と話すのを拒めば、人は傷ついてしまう。
だから、傷つかないように、自分から会話するのを避けるのだ。
あからさまに避けるのでは無く、そっと気配を消す。
みんなの中から、僕という存在を消す。
作戦は成功だった。
この施設にはたくさんの人間がいる。僕一人が消えたところで、他の者達は他の者達で孤独を埋め合うのだ。
僕は一日中、ジメジメとした倉庫の中で過ごした。
そこは、人と触れ合うより、日の下に連れていかれるより、幾分とましな場所だった。
この苦しみから逃れられるよう、ゴキブリと呼吸を合わせ、まるで死んでいるかのように、暗闇の中に溶け込んだ。
その場所で、君に出会ったんだ。
「お前・・・、誰だよ?」
倉庫の扉が開いて、眩い光が差し込んできた。
堂島鉄平くんは、そこに立っていた。僕と同じ怯えた目をして、身体の震えを必死に抑え、精一杯自分を大きく見せようとしていた。
その日、僕には友達が出来た。
「お前の名前は?」
「市原・・・、架陰・・・」
「俺の名は、堂島鉄平だ・・・」
鉄平くんも、僕と同じ孤独を抱えた者。見えもしない愛情に飢えた寂しい獣だった。
やはり僕は光に当たることは出来なかったけど、鉄平くんとあの暗がりの中で会話をするのは楽しかった。
今日のご飯は肉じゃがだったとか、クリスマスプレゼントは手袋だったとか。もうすぐオレの誕生日がやってくるから、お前は絶対に祝え。だとか。
暗闇の中、顔も分からない。でも確かに存在する男の子の友達とたくさんお話をした。互いの孤独を埋めあった。
まるでマイナスとマイナスをかけたらプラスになるみたいに、僕の胸は、暖かなもので満たされていった。
鉄平くんは何度も、「お前の顔が見てみたい」と言った。だけど、僕はそれを断った。
「光が、嫌いなんだよ・・・」
「なんで?」
「どうしてだろうね?」
僕には分からない。まるで吸血鬼か悪魔にでもなった気分だった。
だとしたら、僕はどれだけ臆病な魔物だろうか。魔物なら魔物らしく、畜生の生き血くらい啜ってやれば良かったのに。
そして、あの日、鉄平くんの誕生日がやってきた。
僕は倉庫の中で、彼がやってくるのを待っていた。一緒に誕生日ケーキを食べてあげようと思っていた。そして、ケーキに付いているロウソクの火くらいなら、僕の顔を見せてもいいと思っていた。
だけど、僕は鉄平くんに会うことは叶わなかった。
彼が来るよりも先に、あいつが来てしまったんだ。
悪魔が。
その④に続く
その④に続く




