第7話 沼に潜む怪 その③
一度として見えぬ
二度と帰れぬ
三界の果てへ
7
「ハアハア、ハアハアっ!!」
公衆トイレの個室内で着物に着替えた架陰は、バットケースから出した日本刀を腰に差し、雨水を弾いて駆けた。
水分を含んだ大気を吸い込む。
肺が冷たくなった。
それでも、止まることは無い。
この近くの地域なら把握している。あの、翔太という男の子が言っていた「森の沼」の場所も知っていた。
鬱蒼とした森の奥深く。その沼は、いつも誰かを待っているように、ひっそりとそこに横たわっていた。
近所に住む架陰も、一度は好奇心から見に行ったことがあった。しかし、その水が腐った臭いと、外界の光を遮断するような生い茂った木々に、本能的にそれ以上踏み込むことが出来なかった場所だ。
(恐らく、翔太くんの言う沼には、UMAが住み着いている。それが、三人の友達を襲ったんだ!)
路地を右に曲がる。
布山小学校の錆びた正門が視界に飛び込んできた。
森はこの裏だから、ここは素直に小学校の敷地を抜けるのが早い。
「行くか・・・」
架陰は不法侵入を承知で、正門をくぐった。
雨でドロドロになったグラウンドを直進する。架陰の足袋の足跡がくっきりと残った。
(この際構わないか・・・)
まだ、職員室と思わしき部屋の窓から、白い光が漏れていた。人影が忙しなく動いている。
それに見つからないよう、架陰は身を屈めた。だが、周りはこの暗さだ。全反射の関係で、窓から外は見えないだろう。
あと10メートルで、グラウンドを抜ける。
その時だ。
「ん?」
架陰はグラウンドの住みに佇むあるものを発見した。
「枯れ木?」
架陰は立ち止まる。
青い塗料で塗られたブランコの目の前に、黒い木が生えていた。葉っぱなどは無く、木特有のひび割れたような表皮で覆われている。
あとは変わったことはないのだが、ブランコの前に生えるそれに、架陰は強烈な違和感を覚えた。
「危ないな・・・」
ブランコで遊んでいる児童がぶつかったら怪我をしかねない。
「おっと、こんなことをしている暇じゃない」
直ぐに我に返ると、架陰はまた走り出した。
グラウンドを抜けて、裏門を出る。
幅5メートルほどアスファルトの道路に立った。そして、その道路沿いに広がる巨大な森を見つけた。
「ここだ・・・」
思わず息を呑む。
これ程大きかっただろうか? 今まで昼に見てきた光景と、全く違って見えた。
夜と言う暗闇に、さらに黒い闇が横になって、大口を開けている。
呑み込まれても、無理はない。
「・・・・・・」
架陰は思わず刀に手をかけていた。
そこでやっと、冷静さを取り戻す。
「・・・、クロナさんも、呼んだ方がいいだろうか?」
そう言って、直ぐに首を横に振る。まだUMAが出現したとは確定していないし、架陰は前回のローペン戦の後ろめたさがあった。
先陣を切っておきながら、全くローペンにかなわなかった屈辱。
それを、晴らしたかったのだ。
「行くぞ・・・」
架陰は着物の懐に手を入れた。取り出したのは、直径2センチ程の小さな球。
「・・・、閃光弾」
それを地面に叩きつける。たちまち、球が白い光を発して、半径5メートル圏内が明るく照らされた。
「SANAの技術って、凄いな」
架陰は閃光弾を拾い上げた。全く熱くない。
それを、ポイ捨てしてあったペットボトルの中に入れる。即席ランタンの完成だ。
改めて雨に打たれる地面を照らした。
黒いアスファルトに、茶色の土が絵の具のように滲み出ている。前方の森から流れて来たものだと一目瞭然だ。
「足場が悪そうだ・・・」
架陰は自分の足袋を見た。既に雨水を吸って重くなっている。もし、ローペンのように、相手UMAが素早かったら、確実に動きを制限されることは確かだ。
「行くぞ・・・」
架陰は意を決してほを進めた。
足袋が、森に一歩踏み入れる。足袋の底が3センチ沈んだ。冷たい水が流れ込み、架陰の芯の体温を奪おうと手を這わしてきた。
「くっ!」
架陰はその不快さに顔を顰めた。だが、突き進む。
足に泥がまとわりついた。
なるべく、落ち葉や、枝の上を踏みながら歩いた。この方が、少しだけ足が沈むのを和らげてくれる。
「さ、寒い・・・」
架陰は手足の冷たさに声を震わせながらしばらく歩いた。
その距離、約100メートル。
その時、周りを木々に囲まれていた空間を抜け、開けた空間に出た。
「!?」
ペットボトル簡易ランタンが、その場を照らし出す。
もはや地面なのか水溜まりなのか、沼なのか。外見上の判別に至る根拠は無かったが、特有の異臭が架陰の鼻を刺激した。
昔の、嫌な記憶が蘇る。
「ここだ・・・」
架陰の目の前に広がる、半径20メートル程の空間。ここが、沼だということが分かった。よく見ると、立て札がある。「危険! 遊ばない!!」と、小学生への注意喚起だ。
架陰はランタンを使って沼を凝視した。
「・・・・・・」
沼の中央に、何かが浮かんでいる。白くて、丸い・・・、まるで泡のようなものが、三つ。丁度、人が一人入れるような・・・。
「まさか・・・」
架陰の背筋を嫌なものが走った。心で、現実の拒絶が始まる。
「子供?」
間違いない。あの、泡のような白い玉に、子供が閉じ込められている。うっすらと、人影が見えた。
「とりあえず、割ってみるか・・・」
架陰は足元の手頃な石を拾い上げた。
沼ゆえ自分が中央まで渡る自信は無い。
振りかぶって投げた石が、玉のひとつに命中する。「バツン」と鈍い音がしたと思えば、玉はシャボン玉が弾けるように一瞬で消え去った。
「!?」
中から、何かが流れ出る。沼の水よりも粘性が高いのか、沼の表面に広がった。
それは、人間「だった」ものだった。
髪や皮膚、肉を溶かされ、かろうじて人の形を保っているものだ。それが、まるで地獄から這い出したように、沼の表面に浮いたのだ。
そして、その形が幼い人間だということが、架陰の嗚咽を誘った。
「っっ!!」
架陰は肩を震わせた。
(あれは・・・、翔太くんの言っていた友達!?)
翔太が口ごもった時の表情を思い出した。
彼は、震え、青ざめ、恐怖していた。頭をよぎったのだ。友達が溶かされる瞬間を。だから、放心したのだ。車に轢かれそうになっても反応できない程に。
(まだ、UMAは近くにいるはずだ・・・)
架陰は口を抑えながら辺りを見渡した。
その時、沼から大きな水柱が上がった。
「!?」
第8話に続く
次回予告
架陰「いやー、雨の中ありがとうございます」
西原「いえいえ、困っている人を助けるのが、この城之内家の鉄則ですので」
架陰「それにしても、大きなリムジンですねぇー」
西原「特注でございます。特殊素材を使っていますので、サイに体当たりされようが、硫酸の雨が降ろうが、無傷でございます」
架陰「うわー、凄いですね! これでは、どんな殺し屋もカレンさんを傷つけられませんね」
西原「いえ、カレン様を襲うのは殺し屋ではありません」
架陰「え?」
西原「おっと、喋りすぎました」
架陰「え?」
西原「次回、第8話『通らない刃』!」
架陰「なんの事だ・・・?」
西原「お楽しみに!」




