番外編【雨宮クロナ外伝】その⑥
血の雨が降り注ぐ
黒き摩天楼
雨上がりには傘を差して
君を迎えに行く
今思うと、私がお兄ちゃんの尾行に成功したのは、お兄ちゃんがとても疲れていたからだと思う。
一度は見失ったけど、傘を差して歩くお兄ちゃんを見つけた。
雨に濡れることは寒くて、苦しいものだったけど、私の気配と足音をかき消してくれた。
「きゃああああ」と、女性の悲鳴が聞こえた瞬間、お兄ちゃんは走り出した。私も追いかけた。
直ぐにお兄ちゃんは見えなくなってしまったけど、近くで、「何か」が暴れる音がした。
古びた神社。
その奥に広がる林の中で、お兄ちゃんは、巨大な白い蛇と戦っていた。
あの、バットケースに入った刀を握りしめて・・・。
怖い怖い怖い怖い。
私はクスノキの影に隠れたけど、視線はお兄ちゃんから離さなかった。
次の瞬間に、爆発音が炸裂して、無数の鱗が飛んできた。
鱗が一つ、私の左腕を掠めた。
転んだりして怪我をすることはあったけれど、ここまでの激痛を覚えたのは初めてだった。腕がぱっくりと裂け、熱した火鉢でも押し当てられたかのような痛みが走る。
思わず、泣いていた。
怖い。痛い。そして、お兄ちゃんが死んでしまうんじゃないか? って思った。
「う、うう・・・」
「クロナ!?」
お兄ちゃんが私に気がつく。
白蛇が、私に気がついた。
獲物だと見定めるや否や、二十メートルはあろうその巨体をうねらせ、泥だらけの地面を滑るように這った。
そして、私を噛み砕こうとする。
もう、間に合わない。
「クロナ!!!!」
私が目を閉じた瞬間、私は強い力で引っ張られていた。
どこも痛くなかった。
代わりに、ブシュッウッ!!!!と音がして、私の半身に熱い液体が浴びせられた。
身体がふわりとする。
目を開けた瞬間、私は、黒い翼を見た。
「クロナ、大丈夫か!?」
お兄ちゃんが私を抱き抱えている。その背中には、体躯の二倍はある漆黒の翼が生え、空を仰いでいた。
お兄ちゃんは、飛んでいたのだ。
「あいつから距離を取ろう!」
地面スレスレで、道路に溜まった雨水を切りながら進む。
お兄ちゃんはひたすら逃げた。
だが、それは一瞬のことだった。
神社を脱出して数百メートル進んだところで、お兄ちゃんの背中から生えていた翼が消滅する。
「くそ、もう時間切れか・・・」
勢いそのまま、アスファルトの上に不時着した。
「ぐうっ!」
お兄ちゃんが私を抱きしめてくれたおかげで、小さなかすり傷で済んだ。
「お兄ちゃん!!」
私は身体を起こし、ぐったりと倒れ込んでいるお兄ちゃんを揺さぶった。
手が、真っ赤に染まった。いや、私の右半身は、元から真っ赤だった。
お兄ちゃんの血で。
改めてお兄ちゃんを見た時、私は喉の奥を鳴らして驚いた。
脚が震える。
「お兄ちゃん!?」
お兄ちゃんの下半身が、消えていた。
私はお兄ちゃんにしがみついた。
なんで、なんでこうなった!?
止まらない。血が流れ出る。止まらない。アスファルトの上に広がっていく。水溜まりに、滲んでいく。
ズルリズルリと、巨大蛇が近づいてくる気配がした。
私はどこかに隠れようと、お兄ちゃんの身体を引っ張った。
軽かった。
当然だ。下半身を失っているのだから。その生々しい感覚が、血のヌメリと共に私の手に残る。
「ああ、ああああああああぁぁぁ・・・!!」
巨大蛇は、目と鼻先まで迫っていた。
「クロナ・・・」
お兄ちゃんが掠れた声を出す。
「逃げろ・・・」
「無理だよ! お兄ちゃんを置いていけないよ!」
「逃げろ・・・!」
無理だ。
私は腰が抜けていた。
黒蛇は、私とお兄ちゃんを見下ろして、臭い息を吐いた。
私は、死を覚悟した。
「待ちなさい・・・」
その時、女の人の声が聞こえた。
私が振り向くと同時に、白い閃光が走り、黒蛇の頭を穿つ。
黒蛇は唸り声を上げて後退した。
お兄ちゃんが、笑った気がした。
「ようやく、来てくれましたね・・・」
雨に濡れながら、誰かが歩いてくる。一人、二人、三人、四人、五人。
強烈な殺気を感じた。
「よくも、黒真くんを傷つけてくれたわね・・・」
「同感だ、光。あの蛇は氷漬けじゃあ済まないぞ・・・」
「風鬼、僕が最初に殺っていいかな? ちょっと、凄惨すぎて、参っちゃうよ・・・」
「味斗さん、やつは毒を持っていますね。気をつけて下さいよ」
「平泉・・・、絶対に逃がしちゃだめよ」
その時、私は初めて、今の桜班の原型となった、初代班員の姿を見た。
五人。
その中には、アクアさんと、平泉さんもいた。
「ごめんなさいね。黒真くん。私がもう少し早く来ていれば・・・」
「いえ・・・、気にしないで・・・」
アクアさんは、上半身だけとなったお兄ちゃんと、私を抱え起こした。
「遠い場所に、移動するわよ・・・。あとは、あの四人が殺ってくれるから・・・」
アクアさんは分かっていた。
お兄ちゃんは、もう助からないと。
どんなに手を伸ばしても、強く掴んでも、小さな隙間から消えていく。
雨が強くなった。
私の叫び声も、届かない。
遠くで響く雷鳴。
この身体を濡らすものが、雨なのか、血なのか、分からなくなった。
「クロナ・・・」
お兄ちゃんは私を見て笑った。
「ずっと、お兄ちゃんが、護るからな・・・」
アクアさんが唇を噛み締めた。
 
そして、お兄ちゃんは死んだ。
完
恐れる者 その③に続く
 




