祭りで出会った理想の女子について
*この短編は遥彼方さまご主催の「夏祭りと君」企画参加作品です。
また同時に、筆者の書いているシリーズ「長秋神社ーあの人の神社があってもいいじゃん」の一部をなす作品です。本編だけ読んでわかるように書いているつもりですが、説明不足および情報過多がありましたらご容赦いただきたく存じます。
お囃子が聞こえ始めた。こうなるともう家にいないほうがいい。
盆踊り会場は隣の神社、うちの庭も境内も広いから遠いけれど地続き、低い生垣が間にあるだけ。
生まれて11年間毎年こうなのだから慣れっこだ、今日一日の我慢、が・ま・ん。
この暑いのにみんなどうして踊るんだろう?
「宮津海浜盆踊り大会」の頭に付く、ノーリョーとは何だかつい最近まで知らなかった。踊ったらもっと暑くないか?
僕は海に浸かっていたい。朝も昼も夜も――親は絶対許さないけど。
スイミングでも中学に上がれば強化選手になる予定で、真冬も泳いでいるのだから。
境内を囲む黒山の人だかりの中に、家族の姿を見つけた。盆踊り大会のスタートを飾る、阿波踊り披露を見ている。
♪ 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々〜
「同じアホなら見ってるにかっぎるぅー」
ちょっと替え歌しておちゃらけていたら目を奪われた。
「知らない、あんな子見たことない。学校でもスイミングでも!」
阿波踊りは有志の人、女座長と親方が率いる「連」の出しもの、あの子、本場徳島から来てたりして。遠目にもそれほど踊りが上手いとわかる。
左手から近付く12人の華やかな女踊りの最後尾。自分と同じ小学校高学年かもしかして中学生だ。
二枚貝みたいな編み笠に下駄履き、両手を掲げて踊っているから背がスラリと高く見える。
頭が小さく手足が長い。その顔は目深に被られた笠でほとんど隠れている。
向かって右側で同じ人数の男たちが群舞しながら女性陣を待つ。
ねじり鉢巻き揃いの浴衣、「おひけぇなすって」とでも言いそうなガニ股低姿勢で、思い思いに踊りまくる。
4メーターほど空けて男女が向かい合うと掛け声が変わった。
♪ ヤットナーヤットナッ、ヤットナーヤットナッ
すると親方が数歩女たちに近付きソロを踊った。女性陣から女座長が前進してそれに応える。
でも僕は、白無地浴衣の見知らぬ女子をチラ見するのに忙しい。
他のお姐さんたちと違って、その子だけピンクの「すそよけ」じゃなく普通の浴衣姿。手甲もつけていない。空中の酸素でも掴めそうな細い指先。その下の剥き出しの両腕は、光ってるみたいに白かった。
何人かの男女ペアがソロの掛け合いをした。次に前に出てきたのは同い年の親戚、信也だった。細提灯を八の字に振り回しながらの威勢のいい男舞。
「ほうっ」
観客が感嘆の声を上げた。
お囃子に乗り移られたみたいに、動きのメリハリが尋常じゃない。足袋裸足でジャンプはするわ、くるりと回るわ、止めるところはパシッとキメて、それがぴったり拍子に合っている。
たった数日練習しただけで、コイツは何でもできてしまう。
足の届かない海で泳ぐのは生まれて初めてだったはずなのに、日本海の荒波やタンカーの寄越す波を被ってもビクともしない。この夏休み、うちのじいちゃんちに泊まりに来て一緒に遊んでいるうちにコツを掴んでしまった。
「うそだろ?!」
そう思ったのは信也の独り舞を受けたのがあの子だったから。
自分の前を編み笠と繊細な顎の線が過ぎていく。
なぜか「やめて!」と心の中で叫んでいた。
「これは妻問いの踊りだからな。可愛いカップルの誕生だなあ」
「絶妙な息の合い方ね」
一緒に見ていたじいちゃんと里帰り中の伯母さんの声がしている。
他のお姐さんたちとどこか違う、清らかだ、人間らしくない。
体重を感じさせない足運び、白い浴衣の裾にすべすべのふくらはぎが見え隠れする。
信也の前でひとしきり踊るとその子は、俯いていた顔をくいっと上げた。
――くちびるが笑っていた。
ドクン。僕の心臓が跳ねた。お腹の下のほうがヘンだ。動けない、でもここにいちゃダメだ。
踊り手たちはくるりと僕たち観客のほうを向き、揃って前進してきた。群舞に圧倒される。
「ヤバい、今は止めて!」
あの子は左手側後ろに戻っている。心臓が口から出そうにドクドクうるさい。
僕が固まっていると、阿波踊り連はするっと右を向き、踊りながら木陰に退場して行った。
自分の息が荒いのがわかる。
頭の上からじいちゃんの声がした。
「篤……」
真っ赤になってるだろう顔を上げて、おそるおそるそっちを見た。
「あれは、彬文だから」
いたずらっぽく笑っている。
僕は「ウソだー!」とも言えずに神社の裏に向かって駆けた。
―◇◇◇―
お社の裏の秘密トイレを借りた。
うちが神主さんと親戚で神社の氏子だから、妹に用を足させたことがあって憶えていた。
薄暗がりの中で息を整える。
「彬文……、女の子じゃない、親戚の、うちの神社一族直系の、小四のくせに三番目に偉いと思われてるあきふみ……」
板壁に手をついて深呼吸を続けた。肩で息をしていたのが収まってくる。
「そりゃ、踊り上手いよな、神主になるんだろう? 毎日お神楽練習してるんだろうし」
明後日の方向に飛びそうだったけど、おしっこしたら身体も安心したみたいだ。
「あれは彬文、一緒に海水浴して百人一首した相手。頭良くて静かで、クラく見えるけどよく優しく笑ってる……」
だめだ、「阿波踊りの女の子」を忘れようとしているのに、笑顔なんて思い出しちゃ。
「あれは彬文、男の子。いつでもいたずらしてやるぞ、と思ってそうな信也と比べるから女っぽく見える。痩せてるからなよっと感じる。本人は凛として、人よりも自分に厳しい……」
だ、だめだ、それは母さんが彬文を褒めるときの言葉だ。凛としてるなんて、あの阿波踊りそのもののことだろう?
彬文の嫌なところを思い出さなきゃ。
「彬文は、彬文は……一族の大人みんなの憧れの的で、ちやほやされてて、神社の偉い人になるのが決まってて、いつも上から目線で……」
違う。一緒に過ごしてわかったんだ。前はそう思ってた、内心威張ってるんだろうって。でも違った。僕らと何も変わらない、普通の男の子だった。
そりゃもちろん、踊りだけじゃなく歌も上手い。うちの神社では祝詞を唄い上げるのだから。教典の書写もするから習字も得意。でもそれを鼻にかけたりしない。
ひやかしたら、「ちっちゃい頃からやらされてるからね」って淋しそうにうつむいたんだ。
海では信也が「イルカになる!」とか宣言するから「じゃ、背中に乗せて!」と後ろから抱きついたり、足の引っ張り合いこもした。信也は彬文にもじゃれついていたけれど、僕にはできなかった。
彬文はラッコみたいに波にぷかぷか浮かんでいて、まるで本でも読みそうな雰囲気で。
彬文は男の子、僕と一緒、海パンのあそこは確かにうっすら膨らんでいた……。
ぼっとまた熱くなった。どうしてだかわからなかった。
彬文のことを考えると僕は……どこか普通じゃなくなる。
いや、きっと大丈夫だ。明日の昼にはふたり京都の神社に行き、明後日には新幹線で東京に帰る予定。それで僕の生活は元に戻る。
お盆後はもう海では泳がないから毎日プールに通う。そして溜まってる夏休みの宿題をやっつけて。
そう、日常生活に戻ればいいだけ。僕はもう一度用を足してトイレを出た。
家族もみんなこぞって盆踊りをしている頃だ。どこから湧いてくるのか信じられない数の人々が、境内真ん中の櫓を中心にぐるぐると踊り続ける。阿波踊りを見せた親方や女座長が大人の部、子どもの部、上手な人を何人か選んで賞品を渡す。
毎年恒例だ。
僕は踊りにも賞品にも興味がない。
社の裏から角を曲がると目の前にバタンと木戸が立ち塞がった。ぶつかるかと思った。
「ごめんなさい、大丈夫でしたか? あ、篤? よかった、うちの人で。トイレ借りたんだね」
彬文だった。返事ができなかった。
見慣れている、神社の格好をしていた。そういえば、踊り子の白無地の浴衣だと思ったのはいつもの白衣だ。下に袴を穿いている。
「どうかした? お腹壊したとか? それともほんとに扉当たっちゃった?」
僕は何とか首を横に振った。
「阿波踊り……」
「やっぱ内輪にはバレるよね。うまく踊れてたかな?」
彬文は恥ずかしげに、サラサラの黒髪に手をやった。
いつもよりしっとり汗ばんでいて、妙な気分になる。海ではびちょびちょで河童みたいに額に貼りついていても笑っていられたのに。
「どうして……」
単語でしかしゃべれない。
見ず知らずの阿波踊りの女の子に一目ボレしたんだったらよかった。またドキドキが身体に戻ってきている。
「信也の練習見に行ったんだ。そしたら初日からすごく上手くて、僕も踊りたくなっちゃった」
彬文は何の悪気もなさそうだ。
「何で女側?」
男踊りだったら、僕は気付かなかったかもしれない。
「一応、お神楽以外踊っちゃだめって言われてて。女役なら笠で顔隠れるし、夏休みくらいちょっとハメ外してもいいかなって」
「そう……」
「それに僕くらいが相手しないと信ちゃんのあの迫力には勝てないでしょ」
彬文は自分がどんなに綺麗だったかより、信也の上手さばかり褒める。
「信也のこと、好き?」
「うん、大好きだよ。信ちゃんと一緒だと、いたずらしてもなぜか怒られないんだ」
いや、聞きたいのはそういう好き、じゃなくて……。
でももうどう質問していいかわからなかった。
「篤、元気ないけど大丈夫なんだよね? 僕、そろそろ表の回廊で笛を吹かなきゃ。篤のお父さんがいれば十分だと思うけど、交代も必要だし。うちの盆踊り曲もいい加減、録音にすればいいのにね。あ、僕もおトイレ行っとこっと」
「ち、ちょっと待って……」
思わず呼び止めた。言いたいことはまだ頭に整頓されていない。でも今言わないと。
「氏子辞めてもいいかな、僕」
「へ? 神社のこと? 関わりたくないって意味?」
彬文の切れ長の目が丸くなった。そしてゆっくりと口元がほころんだ。
「信心なんて止めちゃったほうがいいよ。僕だって信じてない」
「え?」
耳を疑った。彬文は将来教団の中心人物で、いなくなったらみんなが困るはず。
「親戚なのが嫌なんじゃないよね?」
頭1つ背が低い彬文が首を傾げながら訊いた。「可愛い」という言葉が心に浮かびそうで、懸命に親戚度合いのことを考えた。
血が繋がっているといっても、僕のばあちゃんのお兄さんが、彬文の母方のおじいちゃんだというだけ。
「それは……変えられないし……」
「僕はおうちの仕事を手伝ってるだけだよ。歌や笛は好きだからやってる。神社が篤の役に立たないなら知らんぷりでいいよ」
「そう……なんだ」
これ以上彬文に近付かないほうがいいという警告音が頭の中で鳴り響いて出てきた言葉だったのに、本人の返事を聞いたらどっと淋しくなった。
僕なんて彬文の人生に何の関係も無さそうだ。
傾きかけていた心を、急いで元に戻すことにした。
僕は「阿波踊りの女の子」が好き。あれがたぶん僕の理想の女子。
今目の前にいるのは親戚の彬文――別人。
――男の子を、好きに、なった、わけ、じゃない。
彬文はなぜかにこっと笑った。
「篤、トライアスロンってスポーツ知ってる?」
「トライ、アス? 知らない」
何を言い出すのかわからず、ぶっきらぼうな返事になった。
「泳いで自転車漕いで、走るの。鉄の男のレースとか呼ばれるんだよ」
「長距離なの?」
「うん、全部長距離。新しめのスポーツだからまだ選手の人少ないと思う。強い身体が必要だから」
そんな競技があるんだ。
「競泳も得意だろうけれど、篤ならオリンピックに出られると思う!」
彬文は高らかに宣言した。
僕がきょとんとしている合間に、本人はてけてけと神社の裏に廻り姿が見えなくなった。
「アイツ突然、信也みたいに素っ頓狂なこと言いやがって……」
僕はそう呟いて、背伸びをした。
――初恋、未遂に終わってよかった……。
参道のほうに出ている夜店を見に行こう。クラスメイトかスイミング仲間か、誰かに出くわすだろう。
社の表に出ると、盆踊りは真っ盛りで、神主さま、うちの父ちゃん、彬文、信也が賽銭箱の上に座りこみ、笛と太鼓で伴奏していた。
実際、この大会は神社が主催で、雅楽継承のためだとか何とかゴタクがあるんだ。
「ご苦労なこって。でもまあ、そっちは音楽が好きでやってるんだろ? 僕は僕の道を行く」
平泳ぎの日本記録更新を僕の夢にしていたけど、トライアスロンってのもいいかもしれない。スイミングの先生だったら何か知ってるだろう。
言いだしっぺの彬文は……、親戚として応援してくれるんじゃないかな。
盆踊りの円陣を横目に境内を斜めに横切り、振り返りもせず参道に向かった。
―了―
シリーズ「長秋神社ーあの人の神社があってもいいじゃん」は、基本「信也」の一生を追っています。
いろいろな年齢の信也と彬文が出てきます。
もしご興味がありましたらお覗き下さい。