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三大密室狂想曲  作者: 奥田光治
第三事件 史上最大の密室『雪原の巨大密室』(北海道石狩平野千石線千代原駅)
9/13

第二章 依頼

 二〇〇九年六月十二日金曜日。東京都品川区大崎駅近くにある都立立山高校では、終業のチャイムが鳴り響いていた。それを合図に、各教室から生徒たちがガヤガヤと出てくる。

 そのまま部活へ直行する者、勉強のために図書館に向かう者、どちらでもなく下校していく者……そんな多種多様な生徒たちの中で、この学校のミステリー研究会部長にして榊原の自称弟子でもある深町瑞穂は、校庭で部活動を始めようとしている他の生徒たちの様子を窓から見ながら自分の鞄に荷物をゆっくり片付けているところだった。今日は日直の仕事があるので、少し残る必要があったのである。

「瑞穂、お疲れさま!」

「また、明日ねぇ!」

「バイバーイ!」

 口々にそう言って去っていく友人たちに、瑞穂はやや苦笑気味に手を振る。そして、誰もいなくなったところで日直の仕事に取り掛かり、クリーナーで黒板消しをきれいにしながら何気なしにこう呟いていた。

「さてと、早く終わらせて、部室に行かないと。今度の文化祭の打ち合わせもあるし、その後で先生の所にも行かないといけないし……」

 彼女が部長を務めるミステリー研究会ことミス研は、部員数わずか数名の弱小部である。何しろ二年前の時点で部員が当時一年の瑞穂一人だけで、必然的にそのまま部長に就任。二年生になっても後輩が一人しか入って来ず、今年の四月にようやく二人ほど入ってきてホッとしていたところである。何だかんだでもう三年部長の地位にいるわけだが、このまま卒業までミス研の部長のままで終わってしまいそうな気がしていた。

 それでも彼女の名前がこの学校でもそれなりに有名なのは、私立探偵・榊原恵一の自称助手として実際に様々な事件に関与してきた経験があるからだろうか。そもそも彼女が一年の時ミス研の部員が彼女だけだったのもその直前にミス研で起こったある事件が原因であり、それを解決したのが何を隠そう依頼で事件に介入してきた榊原だったのだ。彼女が自称弟子として榊原の事務所に押し掛けるようになったのも、その時の榊原の推理力に心酔したからという理由もあったりする。もちろん、学校側としては彼女の活動にあまりいい顔はしていないが、別に何か悪い事をしでかしているわけでもないので、最近はもはや諦めている節もある。

 さて、瑞穂が一通り日直の仕事を終えて日誌を書いていると、不意に誰かが教室に入ってきて瑞穂に声をかけてきた。

「あ、ここにいた。瑞穂、暇?」

 顔を上げると、そこには瑞穂の友人で、女子バスケ部の部長をしている磯川さつきがにっこり笑いながら立っていた。一年の時同じクラスになって以降の親友で、以来三年間ずっと同じクラスに所属。バスケ部所属だけあって女子ながら身長一七〇センチ以上とかなり高い。一年に比べると明らかに十センチは伸びているだろうか。

 そんなさつきを眩しそうに見上げながら、瑞穂は小さく首を振って苦笑気味に答えた。

「暇じゃないよ。これからミス研に顔を出して、その後先生の所に行くつもりだし」

「先生って……なんか補習でも引っかかったの? 私は今度物理の補習だけど」

「違う! っていうか、私、別に成績は悪くないし。そっちの先生じゃなくって……」

「わかってるって、あの探偵さんでしょ。瑞穂も物好きだよねぇ。まぁ、今更だけど」

 そんな言葉に、瑞穂はため息をつきながらさつきに問いかけた。

「そういうさつきこそ何か用? 大会近いのに、こんなところで油売ってる場合じゃないはずだよね」

「ん、まぁ、そうなんだけど……」

 さつきは彼女にしては珍しく少し口ごもった。

「実はさ、折り入って瑞穂に相談があるんだよね。ちょっといいかな?」

「私に相談? 珍しいね」

 というか、普段なら瑞穂がさつきに相談する立場である。さつきもそれをわかっているのか、少しバツが悪そうに話し始めた。

「うん。あのね、うちの女子バスケ部に篠原真里菜っていう筋のいい後輩がいるの。一年の頃からうまい子でさ、このままいったら次期部長候補だって言われてたんだけど……ここ最近、ちょっとスランプ気味なのよね。インターハイも近いし、このままじゃレギュラー落ちするかもしれない」

 さつきの言葉に、瑞穂は少し困った表情を浮かべる。

「えーっと……私、バスケの事にはあまり詳しくないんだけど……」

「いや、それはわかってる。というか、バスケ絡みの事なら私も瑞穂に相談しないって」

 さつきは慌てたようにそう言って話を続けた。

「えっと、どこまで話したっけ……それでね、私もずっと目にかけてきた子だからちょっと心配になって理由を聞いてみたの。でも、そしたらあの子、逆に私に『先輩ってミス研の深町先輩と知り合いなんですよね?』って聞いてきてさ」

 その言葉に、瑞穂はますます意味がわからず首をひねった。

「……私、その篠原って子に心当たりはないんだけど」

「うん、あの子も瑞穂と直接面識はないみたい。で、そうだって答えたら『だったら、深町先輩を紹介してくれませんか?』って」

「は、はぁ……」

 瑞穂としては困惑する他ない。なぜ女子バスケ部の二年生が全く関係のないミス研部長の瑞穂に自身のスランプの相談するのか見当もつかなかったからだ。

「で、その後どうしたの?」

「それがその……断り切れなくって……今、教室の外にいるんだけど」

「え?」

 瑞穂が思わず聞き返した時だった。その言葉が合図だったように、もうほとんど誰もいなくなっていた教室のドアが開いて一人の女子生徒がぺこりと頭を下げて入ってきたのである。長い髪をポニーテールにまとめており、どことなく活発そうな印象を受ける。

「あの、深町先輩ですよね? 初めまして、女子バスケ部の篠原です」

 その女子生徒……篠原真里菜はそう言ってぺこりと頭を下げた。まさかの本人登場に、瑞穂も反射的に頭を下げる。

「えっと、どうも。深町瑞穂です。……あの、私に相談したい事があるって本当?」

「はい」

 真里菜は真剣な顔で答える。一方、瑞穂としては困り気味にこう答えるしかない。

「その、何の相談事か知らないけど、バスケの事だったら私じゃ力になれないと思うよ。一応中学時代は陸上部だったけど、基本的にあまりスポーツ面の事には詳しくないし……」

「いえ、あの、そうじゃなくて……」

 真里菜は少し迷ったような表情を浮かべたが、やがて思わぬ事を告げた。

「あの、先輩って何とかっていう探偵さんのお弟子さんなんですよね?」

「へ?」

 思わぬ話に瑞穂は一瞬思考が止まってしまった。それはさつきも同じだったようで、あんぐりと口を開けて真里菜の方を見ている。

「え、えーっと……まぁ、一応自分ではそう名乗ってるけど……。でも、私自身に先生みたいな推理力はないと思うし、何か期待されても……」

 と、そこまで言って瑞穂は思わずギョッとしてしまった。目の前にいる真里菜の目元になぜか涙が浮かんでいて、今にも泣きそうになっていたからだ。

「ちょ、ちょっと!」

 瑞穂は慌てて周囲を見回した。これではまるで自分が彼女を泣かせたようではないか。どうしたものかと迷っていると、真里菜は少し声を震わせてこう言った。

「深町先輩……初対面なのに失礼な事を言っているのはわかっています。でも……お願いです。その探偵さんを私に紹介してください! こんな事、先輩にしか頼めなくて……」

「ま、待って! 先生を紹介って……」

「私……もうどうしたらいいのかわからないんです! お礼はいくらでもしますから!」

 そう言って泣き出した真里菜を見て、瑞穂は、どうやらこれは単なる女子高生の悩み事相談ではないと直感していた。おそらく、もっと暗い……それこそ、榊原の専門分野である社会の「闇」の部分の何かであると……。


「……で? その子が問題の?」

「はい、うちの高校のバスケ部二年、篠原真里菜さんです」

 それから一時間後、瑞穂と真里菜、そしてなぜかついて来たさつきの三人は、品川駅前裏町にある榊原探偵事務所の中にいた。物珍しそうに周囲を見回しているさつきに対し、真里菜はデスクに座る榊原に対して丁寧に頭を下げる。

「篠原真里菜です。アポイントもなしに申し訳ありません」

「いや、それは構わないがね……まぁ、座りなさい」

 榊原は彼女に来客用ソファを進めると、瑞穂に軽く目くばせした。それを受け、瑞穂は給湯室に入って手慣れた様子でお茶の準備をする。さつきも真里菜の横に座り、榊原は反対側のソファに座った。やがて瑞穂がお茶を持って戻ってきて、全員にお茶を勧めると、そのまま自分は榊原の隣に腰かけた。

「さて……改めて、ここの所長をしている榊原という。さっき瑞穂ちゃんから電話で聞いた限りだと、何か私に話があるという事だが……わざわざ私に相談したい事というのは一体なんだね? 単なるスランプでは、探偵に相談するなどという事にはならないはずだが」

 穏やかな口調でありながら、榊原の目はすでに仕事モードに入っていた。真里菜はそれでもしばらく迷っているようだったがやがて覚悟を決めたかのように話し始めた。

「あの……探偵さんは、今までにいろいろな事件を解決しているんですよね?」

「まぁ、そういう事になるかね。どう評価するかは君次第だが」

 榊原は自慢する風でもなく淡々と告げる。が、真里菜は逆にそれでこの探偵が信頼に値すると判断したようだ。

「実は、私には今一つ大きな悩みがあります。そのせいでバスケにも集中できなくて……だから、探偵さんにはその悩みを解決してほしいんです」

「悩み、ね。その悩みというのは、例えばそこの磯川君や瑞穂ちゃんに手に負えないような類のものなのかね?」

 榊原の的確な問いに、真里菜は素直に頷いた。

「はい……。はっきり言えば、普通の女子高生が抱くような悩みじゃないと思います。だから私、今まで誰にも相談できなくて……。そんなときに深町先輩がどこかの探偵さんの弟子をしているという噂を聞いて、こうして紹介してもらったんです」

「なるほど。状況はわかった。それで、君が探偵に相談するほど追い詰められた悩みとは、何だね?」

 単刀直入なその問いに対し、真里菜は少し黙り込んだ後、やがて何かを決意したかのような声でこう尋ねた。

「……探偵さんは、半年前に北海道で起こった事件をご存知ですか?」

 思わぬ問いに瑞穂やさつきは戸惑った表情を浮かべる。が、榊原はあくまで冷静だった。

「半年前……という事は一月か。一月の北海道……何かあったかな」

 そう言うと、榊原は一度ソファを立ち上がってデスクに戻ると、引き出しから手帳を取り出して調べ始めた。

「えっと、あれは?」

「先生、毎日新聞やニュースを見て何か事件があったらメモするようにしているの。どこでどんな風に依頼と繋がるかわからないからって」

「へぇ、研究熱心というか何というか……」

 さつきの疑問に瑞穂が答え、当のさつきは呆れたような表情を浮かべる。やがて手帳を調べていた榊原の手が止まった。

「該当するのは……こいつか。一月七日に石狩平野にある千石線というローカル路線で発生した列車爆破事件と、その近くにある無人駅で火災が起こり、焼け跡から身元不明の焼死体が見つかった事件。北海道で起こった事件となるとこれくらいだが……」

「その事件です」

 真里菜は頷いた。が、なぜ急にこの事件の話題になったのか、さすがの榊原にもよくわからないようだ。

「それで、この事件と君にどんな関係が?」

 それに対する真里菜の答えは簡潔だった。

「その無人駅で発見された焼死体……実は、私の父なんです」

 その言葉に、一瞬事務所が静まり返ったのだった……。


 真里菜は一度深呼吸すると、榊原を目の前にして改めて事件の概要を説明し始めた。

「事件は半年前の一月七日に起こりました。私の父……篠原達則は都内で法律事務所を経営する弁護士でした。これがその写真です」

 そう言うと、真里菜は一枚の写真を差し出す。それはどこか旅行先で撮った写真らしく、真里菜と一緒に四十代半ばくらいの気難しい顔をした男の顔が写っていた。が、特徴的だったのはその男の口から頬のあたりに火傷と思しき跡があった事である。

「この火傷の跡は?」

「それは私が小学六年生の頃にあった火事の時のものです。新宿の方で起こったビル火災で大火傷して……」

「新宿のビル火災と言うと……あぁ、五年前のあれか」

「先生、知ってるんですか?」

 瑞穂の問いに、榊原は頷く。

「新聞で読んだ程度だがね。当時随分騒がれたから記憶にある」

「……さっきの事と言い、何というか、歩く事件百科事典みたいな人ね」

 さつきがぼそりと呟くが、榊原は気にする事なく続ける。

「かなり大きな火事だったそうだ。通称『中央新宿第三ビル火災』。五階建てのビルだが、防災管理がいい加減だった事もあって十五名の死者を出す大惨事になっていたはずだ」

「その時、父の事務所もそのビルに入っていたんです。父は左足を瓦礫に挟まれて大火傷しながらも何とか助かったんですけど、当時事務員として一緒に働いていた母は炎に巻かれて、父の前で死んでいったそうです。以来、私は父子家庭で育ちました。母が死んだのはつらかったけど、父と二人、何とかやっていけていたんです。父も顔に火傷の跡を負っただけじゃなくて足にも少し障害が残ってしまいましたけど、頑張って弁護士の仕事を続けていました」

 と、そこで真里菜は顔を伏せた。

「でも、半年くらい前に出張で北海道に行ったきり、父とは連絡が取れなくなってしまいました。捜索願を出したし事務所の人も必死に探したんですけど結局見つからなくて、正直、私もどうしたらいいのかわからずに途方に暮れていました。今は、父方の叔母の家に住まわせてもらっています」

「……問題の遺体がお父さんのものだとわかったのは?」

 榊原の静かな問いに、真里菜は軽く拳を握りしめながら答えた。

「一週間くらい前です。北海道の警察から電話があって、半年前に無人駅から見つかった焼死体の歯型がお父さんの歯の治療記録と一致したって言っていました。それですぐに遺体の確認と引き取りに来てくれないかと言われたんですけど……その電話で警察は最後にこう言ったんです」

 真里菜は唇を噛みしめながら告げた。

「父の遺体には殺害の痕跡があるって。つまり、父は誰かに殺されたのかもしれないって」

「殺害の痕跡、か」

 榊原は少し難しい表情をしてソファにもたれかかった。

「新聞にはそんな事は載っていなかった……となると、道警の捜査本部が情報統制をしているという事か。それで、君が遺体の確認に?」

「はい。だけど、焼死体だったから確認も何もなくて、遺骨を受け取るだけで終わりました。でも、そこで担当の刑事さんから事件の詳細を教えてもらったんですけど、その内容が私からしてみればわけがわからなくて……」

「警察は何と?」

 その問いに、真里菜は涙を浮かべながらも当惑気味に答えた。

「それが……発見された遺体にはいくつも穴が開いていて、骨や焼け残った内臓もずたずたになっていたそうです。明らかに銃弾……それも、機関銃かマシンガンか自動小銃みたいな銃で上半身を穴だらけにされた死体そのものだって、その刑事さんは言っていました。つまり、父はただ焼け死んだわけじゃなくて、誰かに銃で上半身を蜂の巣にされて死んだって事になんです」

 思わぬ話に、傍らの瑞穂やさつきは言葉を失っていた。が、榊原はそんな中でも静かに情報を確認する。

「……なるほど。確かにそれが死因なら、道警が情報の公開に慎重になるのも当たり前だな。その手の銃で人が殺されたなんて、現代日本じゃちょっとしたパニックになる」

「で、でも、そもそも日本で一般人が機銃を手に入れる事自体できないと思うんですけど」

 瑞穂が何とか気を取り直して言う。が、なぜかしばらく手帳を見つめていた榊原は、ポツリとこう答えた。

「まぁ、普通に考えればないんだろうが……今回はちょっと特殊なようだ」

 そう言うと、榊原は黙って持っていた手帳を瑞穂の方に差し出す。慌ててそれを受け取ると、そのページにはこう書かれていた。

『自衛隊駐屯地から自動小銃が紛失』

 瑞穂は思わず榊原の方を見上げた。榊原は黙って目でその記事を読むように促し、瑞穂は慌てて視線を手帳に戻す。それは、事件の三日ほど前の事だった。

『一月四日。陸上自衛隊東千歳駐屯地は、訓練中に小銃一丁が紛失していた事を公表した。銃の行方は現在も判明していない。駐屯地幹部によると、前日に行われた実弾を使用した演習後に、演習に使用していた小銃の数が合わない事から紛失が確認されたという。意図的に盗まれた可能性も現時点では否定できないとしており、自衛隊は警察に盗難届を提出して紛失した銃の行方を追っている』

 続けて読むと、数日後……というより、千代原駅の事件の翌日にこんな続報があった。

『先日の陸上自衛隊東千歳駐屯地における小銃紛失事件に関し、一月八日、北海道警は同基地所属の自衛官を窃盗などの容疑で逮捕した。逮捕されたのは東千歳駐屯地の久保園慎平三等陸尉。調べに対し、久保園容疑者は容疑を認めており、警察は動機などを慎重に調べている。なお、盗まれた小銃に関して久保園容疑者は「売った」とコメントしており、警察は小銃の行方についても引き続き捜索を続けている』

 瑞穂が記事を読み終えると、榊原が少し苦々しい表情をしていた。

「よりにもよってこのタイミングで自衛隊の駐屯地から自動小銃一丁が消えていたわけだ。そして、実際にその小銃を使ったと思しき殺人が発生した。となれば、道警が考えている最悪のシナリオは……」

「消えた銃で殺人が行われた、って事ですか?」

 瑞穂の言葉に、榊原は頷いた。

「それが事実なら、これは大事だぞ。もし本当に盗まれた武器で殺人が引き起こされたとなれば、最悪国や自衛隊を巻き込んだ大騒動になりかない。とすれば、事の真相が明らかになるまで、道警は基本的に情報を公開しないとみるべきだろう」

「つまり?」

「調査するにしても道警の協力を得るのが難しい。そう考えるべきだろうな」

 榊原は少し苦々しい表情を浮かべた。

「この依頼は今まで以上に難易度が高い依頼という事になる。道警を敵に回して、この日本で被害者を機銃で射殺した犯人を指摘しろと言うんだからな。今一度聞くが、それでも君は私にこの事件の調査を依頼するつもりかね?」

「ちょ、そんな言い方って……」

 さつきが抗議しようと立ち上がりかけるが、それを遮ったのは真里菜だった。

「どういう意味ですか?」

「言った通りだ。君は今、私に対してリスクの高い依頼をしようとしている。私は一度受けた依頼は徹底的に全力を尽くすが、それはあくまで依頼人の代理という立場でだ。依頼人に覚悟もないのにリスクだけ負わされるのは、私としても同意できない。どうだね?」

 厳しい言い方だった。だが、瑞穂はあえて口を出さなかった。榊原も意地悪で言っているわけではない。探偵として、依頼人に自分に事件を依頼するだけの覚悟があるかどうかを試しているのである。今回、瑞穂自身はあくまで紹介者で、真里菜を見守るしかない。

 そのまましばらく、事務所を沈黙が支配した。榊原は辛抱強く彼女の返事を持つ。と、やがて真里菜は何か決意したかのように頭を下げた。

「……お願いします、私を、助けてください! 私に代わって、父の敵を討ってください!」

 その言葉に、榊原は少しの間ジッと彼女を見つめていたが、やがて真剣な表情で小さく頷いた。

「……いいだろう。君の覚悟はわかった。ならば、私も全力を尽くす事にしよう」

「それじゃあ……」

 直後、榊原ははっきり告げたのだった。

「明日、北海道に向かおう。この事件……探偵として必ず解決してみせる。まずは、事件のより詳しい話を聞かせてくれるかね?」

 その言葉に、瑞穂は背後でホッとしたような表情を浮かべたのだった。


 翌六月十三日土曜日、北海道新千歳空港。その到着ロビーに、榊原恵一がゆっくりと姿を見せた。くたびれたスーツにアタッシュケースといういつもの格好であり、傍にセーラー服姿の瑞穂が控えているのは普段と同じだったが、今回は瑞穂と同じセーラー服姿の女子生徒がもう二人同行しているのが違った。言うまでもなく、さつきと真里菜である。

 真里菜の依頼……それは、半年前に千代原駅で起こった父・篠原達則弁護士変死事件の真相解明という、女子高生が相談するにはあまりに生々しいものだった。

 だが、いざ依頼を受けて現地に足を踏み入れても、榊原はあくまでマイペースであった。

「瑞穂ちゃんや依頼人の篠原君がついてくるのはわかるんだが……磯川君はなぜ? 練習があるだろうに」

「そりゃ、私だって部長として気になりますし。それに今年のインターハイの会場って札幌なんですよね。だから現地視察の意味合いも込めて行ってみるのもいいかなと思って」

「そうかね……」

 榊原はそう言って深いため息をついただけだった。長年、瑞穂の強引な弟子アピールを受けてきただけに、何やらもう諦めの境地に達しているようである。

「さて、それはともかく……ひとまず現場に行ってみるとしようか。事件から半年も経っているなら、封鎖も解除されているだろう」

 榊原たちは空港前でタクシーを拾うと、千代原駅へと向かった。中年男一人に女子高生三人という謎の組み合わせに運転手はギョッとした表情を浮かべていたが、深くかかわらない方がいいと考えたのか何も言わないまま黙って運転を続ける。

「先生は北海道に来た事はあるんですか?」

 と、不意に他の二人と一緒に後部座席に座った瑞穂が助手席の榊原に話しかける。

「そうだねぇ……刑事時代に何度か合同捜査で来た事があるのと、依頼で何回か来たことがあるくらいか。あまり馴染みのある土地じゃないな」

「どんな事件だったんですか?」

「知りたければ事務所の記録を自分で探して勝手に読みなさい」

「はーい」

 そんな話をしているうちに、タクシーは町中を抜け、石狩平野の大田園地帯に突入しようとしていた。ちょうど田植えの時期なのか、あちこちに農作業をする人々の姿が見える。その田園地帯の真ん中を貫く国道を、タクシーは快調に飛ばしていた。

「さすがに北海道の農地は広いですねぇ……」

「だろうね。日本における一農家当たりの農地面積の平均値が大体2.2ヘクタールなのに対し、北海道の一農家当たりの農地面積の平均は23ヘクタール。要するに我々が想像する農地のほぼ十倍という事になる。もっとも、アメリカの場合はさらに大きくて200ヘクタールほどだそうだが」

「はぁ、それはすごいですけど……。何で私たちいきなり社会科の授業を受ける羽目になっているんですか」

「さぁね」

 と、そんな農地の真ん中を貫いている一本の道が目に入った。タクシーは国道からその道に入ると、そのまま田園地帯の真ん中を通っていく。すると、やがて視界の先に木造建築物の残骸らしき姿が見えてきた。

「着きました」

 その建物の前に着くと、運転手はタクシーを停めて不愛想に言う。瑞穂たちはタクシーを降りると大きく伸びをしたが、榊原は代金を払いながら何やら運転手に話しかけている。運転手は頷くと、榊原が降りると同時にそのまま去っていった。

「さて。ここが、千代原駅か」

 榊原は改めて駅の正面に立つと、駅舎を見上げた。とはいっても、すっかり焼け落ちてほとんど残骸そのものであり、封鎖テープの向こうにかろうじてホームが確認できる程度である。周囲に建物らしい建物がない事もあって、何ともわびしい風景となっていた。

「来てはみましたけど、正直、これじゃあ何もわからないですね」

 瑞穂が遠慮がちに言うが、榊原はそれでも注意深く周囲を観察していた。

「そうとは限らんさ。少なくとも、実地検証はできる」

 そう言うと、榊原はアタッシュケースの中から薄いファイルを取り出した。瑞穂たちがそれを覗き見ると、驚くべき事にそこには駅の見取り図と思しき図面や、炎上前と思しき駅舎の様子が写った写真が何枚も挟まれていたのである。

「あの、先生これは……」

「昨日の夜のうちに一通りネット上を調べておいた。この駅は鉄道マニアの間では有名な駅だったらしくって、何人かのマニアが事件前にここに来た時の写真や見取図なんかをブログなんかに載せていた。私もパソコンの腕は一般人程度だが……このくらいの情報収集はできるさ」

 そう言いながら、榊原は見取図と写真を確認していく。

 正面から撮影された写真を見ると、駅舎と言いつつどこぞの農業倉庫と間違えそうな小さな建物である。見取図によれば、北側にある正面のガラス戸を開けて中に入ると小さな待合スペースがあるだけで、入ってすぐ前の改札を抜けるとそこはもうホームだった。

「駅員室と待合スペースだけのシンプルな構図だな。典型的な田舎の無人駅と言ったところか。雪対策として入口とホームへの出口にガラス戸があるのはさすがだが……」

 内部の写真を確認すると、正面入って右側……すなわち西側にベンチと石油ストーブが置かれた待合スペースがあって、その後方には窓が見える。正面入って左手……つまり東側にはドアが二つあり、正面に改札口が確認できた。改札口を出てホームに出るにはガラス戸を開ける必要があるようだが、写真では扉も全開になっていて、ホームの向こう側の景色が見えている。

 左手にある二つのドアに関しては、見取図を見る限り入口手前にある方がトイレ、奥にある方が駅員の宿直室に続くドアのようである。宿直室の奥にはもう一つドアがあり、それが改札横にある駅員室に続いている。

 写真には、その宿直室と駅員室内部を写したものもあったが、宿直室には洗面台やロッカーなどが設置されていて、いくつかの生活用品が散らばっているだけである。駅員室の写真は宿直室から入ってすぐの所で撮影されたもののようだったが、無人駅だけあって物は少なく、最低限のデスクの他は、旧式の各種運行装置などがあるのがわかるだけである。入って右手に改札口の横に設置されている窓があるが、カーテンでおおわれてしまっている。さらに正面にもう一つドアがあるのが確認できるが、見取図を見る限り、それはどうやらホームへ出るためのドアらしい。

「マスコミの報道によれば、遺体は待合スペースの辺りで見つかったようだな。となると……あそこか」

 榊原は焼け落ちた残骸の一点を見やる。

「消防の見解によれば、出火原因は待合スペースに会った石油ストーブが破損した事によるものだそうだ。被害者の死因が自動小銃の銃撃によるものだとするなら、その際に石油ストーブも一緒に撃たれて破損した、と言ったところか。さすがに現物は警察が押収してしまっているようだが」

 そう言いながら榊原は周囲を見渡した。

「ものの見事にここ以外に建物はないな。あそこにあるのが、脱線事故のあった千代原東踏切か」

 榊原の視線の先……駅舎から東へ五〇〇メートルほど行った場所に確かに踏切があった。すでに事件から半年が経過しており、今では当時の様子を伺い知る事はできないようだ。

「あの、あれは何ですか?」

 と、さつきが不意にある一点を指差しながら尋ねた。この駅舎と東西それぞれの踏切のほぼ中間点の線路脇……そこにそれぞれ小さな小屋のようなものが建っていたからだ。小屋と言ってもひと昔前の公衆電話ほどのサイズの小さなもので、しかもかなり長い間使っていないものらしい。小屋へ向かう道も確認できず、線路を伝って直接入るようになっているようだ。

「えーっと……どうやらかつて昔信号の切り替えを行っていた信号小屋らしいな。全自動化された今となっては使われていなくて、小屋だけああして残っているらしいが」

 榊原が手元のファイルに書かれた文章を見ながら解説する。と、そこで瑞穂が口を挟む。

「問題といえば、その事件直前に起こった列車脱線事故も問題ですよね。結局、そっちはどうなっているんですか?」

「こっちは警察も詳細を公表しているな。爆発したのは立島駅から千石札幌駅へと向かう二両編成の車両で、そのうち二両目に仕掛けられていた爆発物があの千代原東踏切で爆発し、電車はその衝撃により踏切付近で脱線した。負傷者は運転手一名。幸い、乗客は乗っていなかったからそれ以外の犠牲者は出ていないが、下手をすれば大惨事になっていた可能性もある。仕掛けられていたのは化学薬品を使った時限式の液化爆弾だったらしい。警察はテロの見方を示しているが、それならなぜ北海道の鉄道の中核である札幌駅ではなく、こんな乗客が誰もいないローカル線を狙ったのかが謎だ」

「駅舎の火災との関係はどういっているんですか?」

「それに関しては目下調査中とだけ公表して、この半年間、それ以降の続報がない。やはり道警は意図的に情報を隠していると考えるべきだろう」

 榊原は渋い表情で答えた。

「で、先生の見解は?」

「その前に瑞穂ちゃん、君はどう思っているんだね? この二件、たまたま同じ場所で偶然起こった事件と判断するかね?」

 瑞穂は即座に首を振った。

「まさか。いくらなんでもそれは楽観視し過ぎです」

「同感だ。問題は、この二つの事件がどう関係しているのか、という事だが」

 榊原はそう言いながら改めて駅の残骸の方……特に遺体が転がっていた旧待合スペースの辺りを見やった。すっかり焼け焦げた木材の他、屋根に乗っていた瓦と思しき破片、写真では駅の周囲に敷き詰められていた砂利、さらには何かよくわからない金属の欠片や細かく砕けた大量の窓ガラスの欠片まで様々なものが散乱している。

「惨いものだ」

 榊原がそう呟いた、その時だった。不意に榊原のポケットが震えた。榊原が確認すると、携帯電話が震えている。表示は非通知着信になっていた。

「誰ですか?」

「さぁね。ま、予想はつく」

 榊原はとぼけたように答えると、そのままためらうことなく電話に出る。

「はい、榊原です」

『……こっちに来たのに、挨拶もなしに現場を調べるとは、いい度胸だな』

 開口一番、相手はいきなりそんな風に言ってきた。が、榊原はあくまでマイペースに対応する。

「人に何か言うときは、どんな時でもまずは名乗るべきだと思いますけどね」

『お前相手にそんな必要はない』

「なら、私もこんな電話を聞く意味合いはありませんね。では」

 そう言って本当に電話を切ろうとする榊原に対し、相手は鋭い声でこう告げた。

『その場で五分待ってもらおうか。そうすれば電話で話す必要はなくなる』

「嫌だと言ったら?」

『また別の所まで追いかけるだけだ。今会っておいた方が賢明だと思うがね』

「……いいでしょう。その方が手っ取り早い。私もあなた方に話を聞く必要があると考えていたところです」

『逃げるなよ』

 それで電話は切れた。わけのわからないやり取りに、女子高生三人組は当惑気味の表情を浮かべている。

「あの、今の何ですか?」

「五分経てばわかるそうだ。まぁ、待ってみようじゃないか」

 そう言うと、榊原は腕を組んで黙り込んでしまう。瑞穂たちは突然の話にどうする事もできず、その場で榊原同様に待機する他なかった。

 と、しばらくして駅に続く道の向こうから一台の車が向かってくるのが見えた。が、その姿がはっきりしてくると、瑞穂たちはその正体に絶句してしまった。

「あれって……パトカー、ですか?」

「らしいな」

 榊原は動じることなくそれを見つめている。そうこうしているうちにパトカーは駅の前に到着し、その場で停止した。同時に、後部座席から一人の上等なスーツ姿の男が降りてくる。年齢は四十代半ば。榊原より何歳か年上に見えるが、こっちは黒縁の眼鏡をしている事もあってかどこかエリートじみた雰囲気を醸し出し、くたびれたサラリーマン風の容貌をした榊原とはどこか対照的だった。

「久しぶりだな、榊原」

「……そう言えば、道警にはあなたがいましたね。十角先輩」

 榊原の言葉に十角と呼ばれた男は小さく吐き捨てるように言った。

「お前の顔なんか、二度と見たくはなかったがな」

「私もです。正直、あなたの事は苦手ですから」

 何が何だかわからないのは瑞穂たちの方である。

「先生。お知り合いなんですか?」

 その問いに、榊原は複雑そうな顔で答えた。

「あぁ。十角雪人警視正。北海道警所属のキャリア組だ。確か今は、北海道警刑事部管理官だったか。そして、私の大学時代のサークルの先輩でもある。はっきり言って、全く肌は合わなかったがね」

「大学って、確か先生の出身は……」

 瑞穂が思い出そうとすると、その前に十角が答えた。

「私立東城大学法学部。都内有数の名門私立大学だ。特に法学部はいわゆるキャリア組……国家公務員試験一種通過組を多数輩出していて、私もその一人だ。なのにこいつは法学部有数の成績を誇りながらなぜか一般試験で警視庁に入って、それでいてまんまと本庁捜査一課のエースになりやがった。しかも十一年前に不祥事で刑事を辞めたと思ったら、今度は私立探偵になって『名探偵』呼ばわりときたものだ。お前、俺への当てつけのつもりなのか?」

「そんなつもりは全くありませんがね」

「ふざけるな! 大学のサークルでお前に受けた屈辱、今も忘れていないぞ!」

 十角が突然激高して叫んだ。瑞穂は思わず榊原を見やる。

「何かあったんですか? というか、先生って大学でサークルに入っていたんですか?」

「まぁ、最初の一年間だけだが」

「全然想像もできないんですが……一体何のサークルに?」

 その問いには、またしても十角が答えた。

「ミス研だよ。東城大学ミステリー研究会。当時私は部長で、こいつは新入部員だった」

「へぇ!」

 今度こそ瑞穂は驚いた声を上げた。まさか榊原が自分と同じようにミス研に入っていたとは知らなかったからだ。が、榊原はバツが悪そうに言う。

「期待しているところ悪いが、私は瑞穂ちゃんみたいに本格的な活動はしていない。部室にある大量の犯罪に関する文献や推理小説目当てで入っただけで、そこまで積極的に活動に参加する部員ではなかった。むしろ、サークル内で影が薄かったはずだ」

「あの日までな! お前のせいで、俺がどれだけの恥をかいたと思っている!」

「……先生、何したんですか?」

 榊原は少し苦々しげに答えた。

「あれはいつだったか……当時世間で発生していたある殺人事件があったんだが、それに関して部長だった十角先輩がある推理を披露してね。まぁ、他の部員はその推理を称賛していたんだが、当時まだ若かった私は得意げに不完全な推理を語る先輩に我慢ができなくなってね。手元にある情報を武器に、先輩の推理に反論をしてしまったんだ」

「はぁ、先生にもそんな時代があったんですねぇ」

 瑞穂は感心気味に言う。ちなみに現在の榊原は「事件に苦しむ被害者や真剣に捜査をしている刑事たちがいるのに、その事件を肴に面白半分に推理勝負をするのは気に食わない」という理由から、この手の面白半分の推理勝負を激しく嫌悪している。それも、真剣に事件に取り組む榊原の探偵としての信念の一つだった。

 と、ここで何かに気付いたように瑞穂は手を打った。

「あっ、もしかして……」

「そう。後日、その殺人事件は解決したんだが、その真相が何というか……私の反論そのままの内容でね。要するに、私の推理の方が正しかったわけだが」

「うわぁ……」

 瑞穂は気の毒そうに十角の方を見た。十角の眉間には血管のようなものが浮かんでいる。

「お前のせいで俺は大恥をかいたんだ! しかも、リベンジしようにもその後すぐにお前はさっさとサークルを辞めてしまうし!」

「部室の文献を一通り読み終えて、これ以上いる必要はないと思っただけです。それ以上の意味合いはありませんよ。それに、あれ以上現実の事件を題材に無意味な推理勝負をするつもりなんかありませんでしたしね」

 榊原はあくまでマイペースに言った。それが十角にとってはますます気に障るらしい。

「よくもまぁ、そんな風に言えるものだな」

「……まぁ、そんなわけで、先輩とはあまりそりが合わないわけだ。それより、先輩、今度は私からの質問ですが……どうして私がここにいるとわかったんですか?」

 それに対する十角の返事は単純だった。

「この駅で起こった焼死体の身元がわかって以降、我々は極秘に被害者の家族の内偵調査も行っていた。そしたら、被害者の娘がお前と接触したという情報が入った。なら、お前に事件の解決を依頼したと考えるのが自然だろう。で、新千歳空港に見張りをつけておいたら、案の定だ」

 警察につけられていたと知って、真里菜の表情が蒼くなる。だが、それに対する榊原の応答は冷静なものだった。

「やはり……尾行がついていましたか」

「驚かんのか?」

「私だって元刑事ですよ。このような状況下で、警察がどう動くかくらいは把握しているつもりです。遺体引き取りの際にあえて被害者の死の状況を知らせたのも、その話を聞いた遺族がどう動くかを確かめるためだったんでしょう? 昨日、事務所で彼女から事件の概要を聞いた時点でその可能性を考え、彼女たちが帰る際に注意深く窓から外を見ていたら、案の定尾行している刑事の姿が見えました。もっとも、この際それを利用して道警を引っ張り出すのも一興かと思いましたので、あえて気付かないふりをしましたが」

「ふん、後からなら何とでも言えるな」

「気づいてなかったら、こんな場所でタクシーを帰すなんて事はしませんよ。あなた方が接触してくると思ったからこそ、こうして丸腰で待っていたわけですが」

 そう言われて、瑞穂は初めてその事に気付いた。十角は押し殺した声で言う。

「ちっ……やっぱり、お前はどこまでも食えない奴だな」

「褒め言葉と受け取っておきます。さて……そろそろ本題に入りましょうか。ここへは種明かしのためだけに来たわけじゃないでしょう」

「もちろんだ」

 そう言うと、十角は押し殺した声で単刀直入に告げた。

「お前、これ以上この件に首を突っ込むな。これは俺らのヤマだ」

 それに対し、榊原は少し肩をすくめながら即座に反論した。

「私が自分の意思で勝手に事件の捜査に来ているならそれも可能ですが、今回は彼女の依頼で来ていますからね。いくら警察でも、個人の間に締結された契約に介入する事はできないはずですが?」

「事は列車爆破という重大事件だ。公安も介入してきているし、下手に一般人に手出しされると厄介なんだよ。そのくらい理解しろ」

 『一般人』の所を強調しての忠告だったが、榊原は首を振った。

「私が受けたのはあくまでこの駅舎で起こった事件の方です。道警に迷惑はかけませんよ」

「ふざけるな。二つの事件に関係があるのはどう考えても明白だ」

「やはり道警も二つの事件はつながっていると考えていますか。となると、篠原達則氏の死は殺人と認識しているわけですか」

「……あぁ。それについて否定する意見は捜査本部にない」

 十角は渋々それを認めた。が、榊原はさらに突っ込む。

「しかし、それにしては随分情報公開に慎重になっていますね。新聞でも殺人だと明言した記事はありませんでしたし」

「仕方がないだろう! 何しろ死因が死因だ。下手な事を言えば……」

「自動小銃による銃撃ですね。事件の数日前に自衛隊の駐屯地から小銃が奪われて現在も行方不明になっているという事でしたが」

 そこで十角は頬をピクリと動かした。

「もうそこまで調べてあるのか」

「それが仕事ですからね」

「なら、俺の立場も理解しろ! この事件はデリケートなんだ。よりによってあと少しってところでいきなりしゃしゃり出てきやがって、道警の面子を潰されてたまるか!」

「……どういう意味ですか?」

 榊原の静かな問いに、十角はフンと鼻を鳴らしながら答えた。

「俺らだって半年間何もしていなかったわけじゃない。半年間、公安と一緒になって地道な極秘捜査を続け、ついに列車爆破の容疑者を掴んだところなんだ。あと少しで逮捕まで持って行けるっていうのに、それをいきなり出てきたお前に邪魔されてたまるかよ」

「その容疑者というのは?」

「俺が言うと思うか?」

「……えぇ。そのためにここに来たんですよね」

 チッと舌打ちをした十角は、少し声を潜めながら重苦しい声で告げた。

「『血闘軍』……知ってるな?」

 その言葉に、榊原も少し深刻な表情を浮かべた。

「本気ですか?」

「あぁ。本気だ」

 一方、何が何だかわからないのは瑞穂たちの方である。

「あの、先生。『血闘軍』って何ですか?」

「そうか、今時の女子高生は知らないのか……」

 なぜかそう感慨深げに言うと、榊原は律儀に解説を始めた。

「『血闘軍』は日本最後の過激派組織と呼ばれている連中でな。七十年安保闘争を発端とする大学戦争の際にセクトの一つとして誕生し、同時期に活動していた赤軍派と共にその名を知られていた組織だ。組織としての方針は『血で闘う』という組織名が示すようにかなり過激で、相当な規模の爆弾テロを引き起こすなど当時の警察にとってはある意味赤軍派以上に厄介な相手だった。だが、あさま山荘事件で連合赤軍が壊滅して過激派への世間の目が厳しくなったのを境目にこちらも勢力が落ち続け、一九八五年にはリーダーの竿留勝三郎が逮捕。しかし、その残党はその後も竿留の奪還を目指して活動を継続し、赤軍派が事実上壊滅した今となっては日本最後の過激派として公安がマークしている連中だ」

 そう言ってから、榊原は十角を睨みつける。

「とはいえ、向こうも近年は資金不足なんかでそこまで派手な活動はできなくなっている。だから、警察も向こうが何か大掛かりな行動を起こす予兆を見せない限り、下手にこっちからつついて戦争になる事を控えるようにしている……はずでしたよね」

「そうだな」

 十角は素知らぬ様子でそう答えた。それに対し、榊原は声を厳しくして問い詰めた。

「……道警は藪をつついて蛇を出すつもりですか?」

「半年、慎重に内偵捜査をした結果だ。この手の列車を狙った爆破事件を起こすのは今の日本では血闘軍しかない上に、公安の情報だと奴らは近年札幌近郊に支部を置いて活動を本格化させている。奴らが犯人である可能性は限りなく高い。そして、相手が仕掛けてきたのなら、こっちも遠慮する必要はない」

「万が一、この事件が血闘軍と何も関係なかったら、取り返しのつかない事になります」

「だからお前に出てきてほしくないんだよ。あと一歩のところまできておきながらお前に事件をひっくり返されたら、俺らの面子は丸つぶれだ」

 十角は吐き捨てるように言った。

「それにな、俺らだって下手な戦争を始めるつもりはない。奴らを列車爆破……それに篠原弁護士殺害の犯人と睨んだのにも理由はある」

「それは?」

「問題の紛失した自動小銃だが……血闘軍に流れた可能性が非常に高い」

 さらりととんでもない事を言われ、榊原も眉をひそめる。

「確かですか?」

「駐屯地から小銃を持ち出した久保園自衛官だが、交友関係を洗った結果、一人の男が浮上した。石崎廉太郎。元自衛官で、退役後にいかなる経緯か血闘軍に加入。現在は幹部の一人で、問題の北海道支部の支部長だ。そして現役時代、久保園は石崎の部下だった。……それに、殺された篠原弁護士にも問題がある」

 突然、十角はそんな事を言い始めた。当然、娘である真里菜が反応する。

「ど、どういう意味ですか?」

「娘の君も知らなかったのかね。篠原弁護士は、血闘軍関連事件で犠牲となった人々の支援活動をしていた。さらに言えば、血闘軍絡みの損害賠償請求訴訟にも遺族側の弁護士として携わっている。当然、血闘軍からは恨まれていただろう」

 思わぬ話に、真里菜は絶句していた。

「そんな……」

「つまり、血闘軍側にも篠原弁護士を殺す動機はあるって事だ。我々も憶測だけで動いているわけではない」

 取りつく島がないように言う十角に対し、榊原はあくまで冷静に尋ねた。

「要するに、道警は彼が血闘軍絡みの何かで彼が殺害された、と見ているわけですか」

「そうだ。……わかるだろう。お前に出しゃばられて、下手に血闘軍を警戒させたくない。何しろ、警視庁捜査一課最強の捜査班のブレーンだったお前は、血闘軍の間でも有名だからな。実際、刑事時代に何人か残党を逮捕しているだろう。お前が動くだけで血闘軍は警戒を強める。ここで下手な手を打ったら、無用な犠牲が出るのは避けられない。俺としても、それは望む話じゃないんだ」

「……それが本音ですか」

 十角は無言で頷くと、こう続けた。

「お前は憎たらしい奴だ。だが、それと仕事とは話が別だ。俺は今、あくまでビジネスとして話をしている。……頼む、首を突っ込まないでくれ」

 そのまま、しばらく二人は互いを見つめ合う。緊張した時間がそのまま過ぎるが……先に折れたのは意外にも榊原の方だった。

「……確かに、私もこの段階で血闘軍を刺激する事は避けたい。私が動く事で犠牲者が出る可能性があるなら……私としてもさすがに動く事はできませんね」

「せ、先生!」

 瑞穂は思わずそう叫んでいた。榊原が途中で依頼を放棄するなど、今まででも初めての話だった。が、榊原は淡々と告げる。

「そういう事だ。篠原君、この依頼は一度なかった事にしたい。もちろん、こちらの都合でキャンセルするから、依頼料は返却する」

「そ、そんな事を急に言われても……」

 予想外の展開に絶句する真里菜に対し、隣のさつきが突っかかった。

「ちょっと、それはないじゃない! あれだけ自信満々に依頼を受けておいて、あげくに北海道まで来たのにそれを急にやめるなんて……」

 と、そこで瑞穂は気づいた。依頼をやめると言っておきながら、榊原の表情に諦めの色は全くない。むしろ、何か思いついたような不敵な笑みを浮かべている。だが、それに気づいていないのか、十角はホッとしたように言葉を続けた。

「ならばさっさとここから消えてくれ。今から新千歳に行けば、東京に行く便があるはずだ。チケット代くらいは俺が出してやるから一刻も早く……」

 が、ここで不意に榊原が十角の言葉を遮った。

「待ってください。私は確かに依頼を放棄はしましたが、帰るとは言っていませんよ」

「……何だと?」

 訝しげな表情をする十角に対し、榊原は淡々とした様子でこう続けた。

「整理しましょう。要するにこの一件、血闘軍に顔が知れている私が調査をする事が問題なわけで、これを逆に言えば私がこの件に関する調査さえしなければ、我々が北海道にいる事については何の問題もない事になります。そうですね?」

「それはそうだが……まさか、観光でもしていくとでも言うつもりなのか?」

 そう言う十角に対し、榊原はその言葉を無視するようにこう続ける。

「さらに言えば、同じく私が調査をする事が問題になるという事は、逆に言えば私以外の人間が調査する事に関しては全く問題がないという解釈もできる。確かに私は今篠原君からの依頼を放棄しましたが……同時に私は一度受けた依頼に関しては何があろうと徹底してやり遂げるという信念を持っています。ですので、今回は依頼を放棄した上で事件の調査を進める方式をとる事にしましょう」

「何を言っているんだ。どんな形であれお前が調査をする事を我々が認めるわけが……」

「ですから、調査をするのが私でなければいいんですよ……そうだね、瑞穂ちゃん?」

 唐突に呼ばれて、瑞穂は思わず肩を震わせた。

「は、はい? 何の話……」

「聞いていなかったのかね?」

 そう言うと、榊原は瑞穂の肩を叩きながら爆弾発言を叩きつけた。

「この事件、私に代わって君が解決するという事だよ」

 その言葉に、瑞穂も含めて誰もがその場で硬直してしまった。

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