第二章 対決
それから十分後、中央石室には事件の関係者が全員集まっていた。当初は何事かと訝しげな表情を浮かべていた四人だったが、それも中央石室にやってきて問題の隠し通路を見るまでの間だった。
「こんなものがあったなんて……」
磐井があんぐりと口を開けて絶句している。他の三人も同様で、特に普段のんびりしている明子までが驚いた表情をしているのは新鮮だった。
「大草さん、東石室を調べていた時にこれには気付かなかったんですか?」
「いや、わからんかった。まさかあの絵の下にスイッチみたいなもんがあったなんて。それに、もしわかっても貴重な絵に触るなんて事はできひん」
鈴木の問いに、光江はそう答えた。
「いずれにせよ、これで密室に大きな穴が開いた事になりますが……どう思われますか?」
「どうって……ま、まさか、うちが犯人やとでも?」
鈴木の発言に、光江が顔を真っ青にしながら後ずさった。
「ま、待ってぇな! うちが犯人やったとしても拳銃はどうなるねん! うち、そんなもん持ってへんかったやないか! 大体……」
「落ち着いてください。まだあなたが犯人だと言っているわけでありません」
と、ここで不意に榊原が口を挟んだ。そのどこか先程と違って鋭さを増した言葉に、四人は思わずハッとした様子で榊原の方を見やる。
「な、何やねん」
「ひとまず、一通り必要な調査はできたつもりです。ここで一度、現時点における私の意見を聞いてもらいたいのですが、皆さん、よろしいでしょうか?」
その言葉に、その場に緊張が走った。が、光江は表面上は挑戦的に言う。
「もしかして推理小説なんかでおなじみの名探偵の推理ショーってやつかいな」
「『推理ショー』という言葉は気に入りませんね。私は、推理が見世物だなんて思った事はありませんから」
「何でもええわ。で、それはもしかして、犯人がわかったとでも言うつもりなんか?」
光江の言葉に対し、榊原は少し光江をジッと見つめた後、はっきり答えた。
「えぇ、そのつもりです」
その場にどよめきが走る。
「お、おもろいやないか。ほな、その『推理』とやらを聞かせてもらおか。うちらを納得させられるもんならな」
その言葉に榊原は小さく黙って頷くと、一度目の前にいる四人を見回した後で、決然とした表情で話をスタートさせた。
「では、お言葉に甘えて……。昨日、この中央石室において大友斉明教授が何者かに射殺されるという事件が発生しました。事件当時、現場となったこの中央石室に出入りした人間はおらず、それは十字路に設置されたビデオカメラによって証明されています。また、同じカメラにはあなた方以外に遺跡に出入りをした人間がいた様子も写っていません。つまり、事件当時、この遺跡は二重の密室だったわけになります」
榊原は四人を見据えて告げる。
「ゆえに、この遺跡の中にいた君たち四人が疑われているわけですが……だとしても問題があります。その最大の問題点は、被害者がこの現場に入ってから遺体が発見されるまでの間、ビデオの映像から誰もこの部屋に入った様子がないというこの一点です。そんな中、この隠し通路が発見されたわけですが、これを使ったとしてもなお密室への侵入は困難を極める事がわかりました」
そう言うと、榊原はこの通路を使って殺人を犯した場合、扉の開閉などから脱出までに三分以上の時間がかかる事を説明した。
「ビデオを確認したところ、大草さん、あなたが銃声がしてからビデオのある十字路に姿を現すまでにかかった時間は一分。これではとても犯行は不可能です。そして大草さんが不可能な以上、他の三人にもこの通路を使った密室への侵入は不可能だと言わざるを得ません。何しろ、肝心の東石室には大草さんがいたはずですからね」
「ちょ、待ってぇな。東石室に続く隠し通路があったんなら、反対側の西石室に通じる隠し通路はなかったんかいな?」
「お、おい! 俺に罪を着せるつもりかよ!」
磐井が抗議するが、榊原は首を振った。
「念のために通路発見後にこの部屋を調べましたが、西側の壁……白虎の絵にはそれらしきものは確認されませんでした。この隠し通路は東石室だけしか存在しないようです」
「……だったら、結局何も変わってないじゃないですかぁ……」
明子がぼんやりした様子で反論する。
「えぇ、そうなんです。隠し通路の使用が否定された以上、話は元の木阿弥です。そこで私は根本的に考えを変えてみる事にしました。犯人がどうやってこの部屋に侵入したかではなく、犯人がどうやって教授を射殺したのかを中心に考えてみる事にしたんです」
「同じ事を言っているように聞こえますが……」
守屋が遠慮がちにそういう。が、それに対して榊原はこう反論した。
「いえ、状況は大きく変わります。今まではこの部屋に入る事と被害者を射殺する事がセットになっていました。ですが、それだとどうしても論理が行き詰ってしまう。だからこう考え直してみる事にしたんです」
榊原は鋭く告げる。
「すなわち、誰もこの部屋に入った形跡がないなら、この部屋に入る事なく被害者を射殺する方法がないか、という事です」
「は?」
思わず光江がそんな声を漏らした。他の三人も同じような表情を浮かべている。
「あの、あんた頭大丈夫か? ここは窓一つない地底の密室なんやで。ここにおらんと教授を射殺するなんて、魔法でも使えん限り無理やないか」
だが、榊原は全く動じなかった。
「それができるとすればどうでしょうか? 密室の外から放った銃弾が密室内の人間の左目を貫く……そんな魔法のような事が実際に起こったとすれば?」
「そんなん無理やろ。一体どうやって……」
「鍵になるのは、この壁画です」
榊原はそう言って血にまみれた天井の壁画を示した。
「この壁画の女性ですが、よく見ると事件前日とは大きく違う場所があります。彼女の左目ですが、事件前日には何事もなかったのに、今はこうして左目が剥がれ落ちてしまっているんです」
「あれ、本当だ」
守屋が今気付いたという風に驚いた表情を浮かべる。
「……自然に剥がれ落ちたんじゃないのぉ……?」
「ですが、あまりにタイミングが良すぎます。もし、これが事件に関係しているとすれば、そんな事が起こる可能性は銃弾によるもの以外に考えられません」
「じゃあ、銃弾があそこに当たったというわけですか?」
磐井が胡散臭そうな表情を浮かべる。それを尻目に榊原は話を続けた。
「ですが、そうなると不自然な点がいくつか出てきます。まず、ここに銃弾が当たったとなれば当然その銃弾は外れたという事になりますが、例のビデオには銃声は一発しか記録されていません。となれば、二発目はなかった事になる。さらに、もし一発であの壁画と被害者を撃とうと思ったら跳弾を利用するしかありませんが、その場合、被害者は犯人が拳銃を構えているにもかかわらず真上を向いていなければなりません。状況的に不自然すぎるんです」
「というか、そんな跳弾を使って左目を撃とうだなんてゴルゴ13でもない限り無理だと思いますし、第一そんな事をする意味が全く見えないんですが……」
守屋が遠慮がちに反論する。
「その通りです。ですが、普通に考えればこの状況はあまりにも不可思議です。そこで、私はもっとシンプルにありのままに考える事にしました。そして、以下のような結論にたどり着いたんです」
誰もが訝しげな表情を浮かべる中、次の瞬間、榊原はとんでもない爆弾を叩き込んだ。
「つまり、事は跳弾でもなんでもなかった。この魔法の銃弾はあの破損した部分の向こうからまっすぐ飛んできて、至近距離で壁画の破損を調べていた被害者の左目を撃ち抜いた。犯人は部屋に入る事なく、あの破損個所から直接銃弾を放つ事で被害者を射殺したんです。そう考えれば、すべてに納得がいくとは思いませんか?」
あまりに飛躍した発言に、一瞬その場が静まり返ってしまった。
「……いや、意味がわかりませんが」
磐井が思わずそう反論する。実際、隣で聞いている瑞穂にも訳がわからなかった。
「アホちゃうの? 自分が何を言ってんのかわかってんのか?」
「もちろん」
「あの小さな穴から銃弾を放つって……できるわけないやないか! 天井の上は地面なんやで! そんなところに人間がおれるわけが……」
「逆に言えば、地面さえなければあの穴から銃弾を放つ事は出来る、という事ですね?」
榊原は光江の言葉を遮るように告げた。
「地面さえなければって……」
「この古墳、地面のずっと下にあるように見えますがそれは我々がこんな巨大な石室の床から壁画を見上げているからであって、実際には遺跡の天井部分から地面の上までの距離は一.五メートル程度なんですよね。最初に調べたときにそういうデータがあったのを覚えていますが」
「た、確かにそうですが……」
榊原が何を言いたいのかわからず、磐井が戸惑ったように言う。が、続く榊原の発言に誰もが押し黙った。
「ならばこういう可能性はどうでしょうか? 実は事件当時、この古墳の上にある雑木林からあの破損した部分の穴まで地面が掘り返されていて、地面の上から地下にいる被害者目がけて犯人が狙いを定めていたとすれば……。遺跡の外にいながら地下にいる被害者を射殺するという離れ業ができるとは思いませんか?」
「っ!」
思わぬ話に、全員息を飲んだ。
「そんな……荒唐無稽な……そんな事ができるわけがない……大体、上の地面が掘られていたりなんかしたらいくらなんでもばれるはず……」
「もちろん、実際にやるとなれば工夫は必要になるでしょうね。今からこの可能性について推察していきたいと思います」
そう前置きすると、榊原は本格的に己の推理を語り始めた。
「この犯行は事件前日からすでに準備が始まっていたのでしょう。おそらくは誰もいない夜ですね。あの壁画の左目の破損ですが……これは犯人がわざと破壊したものだと思います。被害者を地上から確実に射殺するための銃口を造る必要があったからです。犯人はあらかじめ天井の該当箇所に剥がれ落ちたように見せかけた穴をあけて地面を露出させると、そこに長さ数メートルの針金か何かを突き刺して一度遺跡の外に出た。そして地面から針金が突き出ている場所を目印にして、その周辺の地面をシャベルなりを使って掘ったんです。一.五メートルも掘れば、穴を開けた天井部分まで到達する事ができるでしょう」
榊原はいったん息をつくと話を続ける。
「もちろん、これをそのままにしておくわけにはいきません。そこで、犯人はある工夫をして穴を掘った事がばれないようにしたんです」
「工夫って、何なんや?」
「パイプです」
思わぬ言葉に誰もが顔を見合わせた。
「元工事現場だけあって、その手のものが遺跡周辺に放置されているのを私は見ています。要するに、地上から地下の破損部分目がけて銃弾を撃ち込もうと思ったら、大きな穴は必要ないんですよ。最低限、銃弾が通れるだけの穴が地上からこの天井まで続いていればいい。つまり、犯人は工事現場にあったパイプを一本持ってくると、さっきの針金を回収した上でパイプの一方の先端が天井の破損部分にくるように地面の穴の中に立て、そのまま再び地面を埋め戻したんです。こうして、地上から古墳の天井まで続くパイプによる小さな穴が形成される事となった。地上側のパイプの先端ギリギリまで土で埋めてその上に落ち葉でもかぶせておけば、まさか雑木林の中に石室内部まで続くそんな小さな穴が開いているなんて誰も気づきません」
榊原は勢いのままに推理を続行した。
「そして、犯人は被害者にこっそり『女性の絵の左目が破損している』事を伝えたんでしょう。そうなれば、当然被害者は破損部分の詳しい調査を行うはずですから。ですが、それが犯人の罠だったんです。被害者が破損部分を調べようと脚立に乗って破損部分に目を近づけたその瞬間……地上にいた犯人は地中に埋まっているパイプの中目がけて銃弾を発射し、そのパイプの反対側である破損部分に顔を近づけていた被害者はいきなり飛び出てきた銃弾に左目を撃ち抜かれ、即死した。こうすれば、犯人が一歩も石室に入らないまま被害者を射殺する事が可能です」
予想外の話に、誰もが呆然とした表情を浮かべていた。荒唐無稽ではある。だが、筋はちゃんと通っているのだ。
「あとは簡単です。掘るときと違って、抜くときはパイプをそのまま引っこ抜けばいい。パイプが抜かれた後の穴は周りの土が勝手に入り込んで埋まってしまい痕跡は残らないはずですし、そのパイプは元あった資材置き場にでも放り込んでおけばいい。射殺してからパイプを地面から抜いてすべてを隠滅するまで十秒もかからないでしょう。これが……あの日この部屋で起こった事だと考えます」
誰も何も言えないでいた。一人、瑞穂だけが納得したかのように頷いている。
「……確かに、それなら銃声が一発しかなかった理由や、被害者が死ぬ直前まで上を見上げていた理由に説明がつきますよね。そもそも、銃を突き付けている人間なんてどこにもいなかったわけですから。被害者は何が起こったのかわからないままいきなり殺されてしまったって事になります」
「じゃあ……犯人は外部の人間?」
守屋は思わずそう呟く。が、榊原は首を振った。
「いえ、この犯行では被害者に破損の事を知らせなければなりませんが、それができるのはこのメンバーだけです。それ以外の人間がやっても怪しまれるだけですから。また、当然事前準備のために事件前夜にこの古墳に侵入する必要がありますが、確かこの古墳の入口には侵入者対策用に赤外線センサーの警報装置があったはずですね?」
「え、えぇ。夜になるとスイッチを入れます。暗証番号がないと解除できません」
「その番号を知っているのは?」
「……僕たちだけです」
守屋の言葉に、全員が緊張する。
「以上の点から、犯人は間違いなく君たち調査チームの中にいるという事になります。犯行そのものは遺跡の外で行われていても、外部犯はあり得ないんです」
と、そこで鈴木が慌てたように榊原に確認をとった。
「ちょっと待ってください。つまり犯人はこの中で外に脱出できた人間という事ですか?」
鈴木の言葉に榊原は頷く。
「そういう事です。我々はずっと密室に侵入する方法ばかり考えていましたが、真相は逆だった。この二重の密室から逆に脱出できる人間こそが犯人なのです。そして、それが可能な人間がこの中にたった一人だけ存在します。それが、この事件の犯人です」
「だ、誰や! 一体誰が教授を殺したんや!」
光江の叫びに対し、榊原は緊張の色に包まれている四人の顔を改めて見回すと、重苦しい口調で告げた。
「今回、奇想天外な密室トリックを使って大友教授を殺害した真犯人……それは」
次の瞬間、榊原はその人物に指を突き付けながら声高にその名を告発した。
「磐井明正!」
その瞬間、真犯人……磐井は愕然とした表情で目を大きく見開きながら榊原を見やった。が、榊原はそれにもかかわらず告発を続行する。
「君こそが、今回の事件……大友斉明教授殺害事件の真犯人だ!」
誰もが固唾を飲んで二人を見やる中、いよいよ、真犯人との直接対決の幕が切って落とされた瞬間であった。
「お……お、俺? ……俺が、犯人……?」
告発された磐井は、ショックが抜けきらないのか、言葉にならない声を上げている。周囲の人間は、思わず絶句して磐井の方を見つめていた。が、榊原は涼しい表情で磐井への追及を開始する。
「それが私の結論だ。反論があるなら聞こうか」
「じょ、冗談はやめてください! 何で俺が……っていうか、そもそも俺は遺跡の外に出る事なんかできないじゃないですか! なのにどうして……」
「その答えは、私がなぜこの隠し扉を見つける事ができたのか、という問題に結びつく」
榊原はそう言うと、磐井の前に対峙した。と、光江が口を挟む。
「た、確かにそうや。探偵さん、あんたどうしてこの隠し扉に気付く事ができたんや? 実際に調べていたうちらにもわからんかったのに」
「石板ですよ」
榊原の答えはシンプルだった。
「この部屋の石棺の中から見つかった石板ですが、先程の話ではそこには『日が沈む外へ出て走り回る息子、日が昇るとともに甘えて母の下へ行きたがる娘。それ見て微笑んでいた妻の姿を、ここに残す』と書かれていたそうですね」
「それはそやけど、それが何なんや?」
「……この石室、最初に来たとき私が気になったのは壁に書かれた四神の絵でした。なぜこんなものを描いたのか……その理由がどうしても理解できなかったからです。ですが、例の石板の文言を聞いて、この四神の絵が何かを示しているのではないかという可能性を思いついたんです」
榊原はしっかりとした口調で続けた。
「四神は東西南北を示すものです。そして、問題の石板には同じく方角を示す言葉が書かれていました。『日が沈む』『日が昇る』……これはそれぞれ西と東を指し示す言葉だと考えるのが自然です。そして、石板の文章によれば娘は『日が昇る』と甘えて母親の下へ行きたがる、とあります。そこで考えたんです。もしこの石板の言葉が単なる情景描写ではなく、この古墳そのものに隠された何かを指し示していたとすれば……中央石室にいる『母』に『東』の娘が会いに行くための何かがこの古墳にはあるのではないかと」
そして、榊原は目の前の扉を示した。
「正直、推理した時は半信半疑でしたが、こうして実際に隠し通路が見つかった今は確信できます。この石板に書かれている事は、この古墳に仕込まれている隠し通路を示す文章だった。つまりあの文章の後半部分は、『東』石室に埋葬された『娘』が、中央石室の『妻』に会うための隠し通路が存在する事を示す、一種の暗号文だったんですよ。実際にこうして隠し通路が見つかった以上、この推理は間違いないと思います」
「あの石板にそんな解釈が……」
守屋が呆然とした様子で呟く。が、それと同時に榊原は改めて磐井に向き直った。
「その上で、だ。こうして石板の後半の文章が正しかった以上、前半部分に関してももう一度考え直す必要がある。『東』に埋葬されていたのが娘である以上は、最後に残った西石室に埋葬されているのは、石板に『日が沈む』とある以上『息子』と考えるのが妥当だろう。そして、この『息子』に対する石板の文章はこうだ。『日が沈む外へ出て走り回る息子』……これがもし、この古墳に対する何らかの仕掛けを示しているのだとすれば、どんな解釈を示す?」
「『外に出て』って……ま、まさか!」
呻いたのは守屋だった。榊原は大きく頷く。
「『母の下へ行きたがる』という内容で、中央石室へ向かう隠し通路があった。ならば『外に出て』という内容からは、『息子』が埋葬されている西石室のどこかに『外』……すなわち遺跡の外部へ出る何らかの隠し通路がある可能性を示唆しているとは思わないかね?」
「そ、そんなアホな……」
光江が信じられないという風な声を出すが、告発された磐井は必死だった。
「そんなの出鱈目です! そんなものはどこにも……」
「論より証拠だ。実際に西石室に行ってみようじゃないか」
そういうや否や、榊原は中央石室から西石室へ向かい始めた。誰もが慌てて後を追う。
西石室に到着すると、榊原はいったん石室の中をゆっくり見まわした。他の部屋同様、ここにも四方の壁に四神の絵が描かれている。
「あの石板が正しいなら、ギミックがあるのは西……つまり、白虎の絵だ」
そういうや否や、榊原は白虎の描かれている西の壁へと近づいた。しばらくじっと観察していた榊原だったが。やがて小さく笑った。
「やはりな。この白虎、目の部分にでっぱりがある」
そう言うと、榊原は誰かが何かを言う前にそのでっぱりを押し込んだ。次の瞬間、でっぱりがへこんで取っ手となり、そこに手をかけた榊原がゆっくり横に引っ張ると、閉ざされていた壁がゆっくりと横へと動いて行った。
「なっ……」
誰もが言葉が出ない中、それは姿を現した。先程の隠し通路と違って奥行きは一メートルほどしかないが、上へ向かってぽっかりと穴が開いているのがわかる。その一番上は、石か何かがはめ込まれてでふさがれているようだった。奥の壁には所々にでっぱりがあって、上り下りできるようになっているようである。
「高さはざっと三メートル~四メートル程度か。この石室の天井までの高さが二メートル、天井から地面までの高さが一.五メートルだと考えれば、ぴったりだな」
そう言いながら、榊原は中に入る事なく覗き込むように隠し通路の状況を見聞する。振り返ると、一番後ろにいる磐井の顔がすっかり青白くなっているのがわかった。
「もう説明は不要だろう。この隠し通路を使えば、十字路を通らずとも自由に遺跡の外へと出入りができた。遺跡を出る事ができれば例のトリックで教授を射殺する事ができるのは先程説明した通り。そして、事件当時この西石室で調査をしていたのは、確か君だったな、磐井明正」
が、磐井は唇をぶるぶる震わせながらもまだ諦める様子はなかった。
「お、俺はこんな通路なんて知りません! 大体、あなたの推理には問題があります!」
「何だね?」
「凶器ですよ! 事件の後、俺は警察の身体検査を受けたけど銃なんてどこからも出なかった! いくら外に出られたとしても、銃を捨てるなんて簡単にできる事じゃない! 当然警察は、この辺の捜索をしたはずですよね?」
その問いに答えたのは鈴木だった。
「えぇ。一通りこの周辺の捜索はしましたが、どこからも銃器の類は見つかっていません」
「つまり、銃を持っていない俺には犯行は無理って事です! あんな荒唐無稽なトリック云々以前の話として、その事について考えを聞かせてくださいよ! 俺が犯人だとして、一体どこに凶器を隠したっていうんですか!」
挑みかかるような磐井の言葉に対し、榊原は少しの間磐井を見据えた後、静かにこう切り出した。
「確かに、君が銃を持っていなかったというのは事実だろう。だが、だからと言って君に犯行が不可能とは言い切れない」
「どういう意味ですか?」
「発想を逆にするだけだ。現場のどこからも銃が見つからなかった。それならば、銃を使わずに教授を射殺する事はできないのか、と考えるべきだ」
予想の斜め上を行く解答に、誰もがどう反応していいのかわからない様子だった。
「何を言っているんですか! 凶器は銃器なのは間違いないでしょう! 現に教授の頭からは銃弾が……」
「物事は正確に言うべきだ。教授を殺した凶器はあくまで『銃弾』であって、『銃』自体は凶器ではない。銃はあくまで、凶器である銃弾を発射する発射装置に過ぎないという事だ」
そして、榊原は磐井を鋭く睨みつけると、切り札の一枚を叩きつけにかかる。
「ならば、銃弾を発射して相手に命中させる事さえできれば、別に銃器そのものは必要ないという事になるはず。違うか?」
「な、何を馬鹿な事言ってるんですか! そんなの無理でしょう! いい気になって何を無茶苦茶な事を……」
「いいか、そもそも銃というものは、弾丸の後方部分にある火薬を破裂させる事で発射する装置だ。具体的には引き金を引く事で撃針がバネの力で前進し、装填された銃弾の後方にある雷管の底に打撃を与える事で発火。火薬を破裂させ、それによって発生したガスの勢いで弾を発射するという代物になる」
そこで榊原の視線が鋭く磐井を射抜いた。
「だったら拳銃がなくとも、ガスが漏れないように密閉された銃身代わりの筒に銃弾を入れて、撃針の代わりに雷管底に何らかの強い衝撃さえ与えられれば、それで充分銃としての機能は果たせるはずだ。そして、今回のトリックの場合はそれが充分に可能となる!」
「あっ!」
そう叫んだのは瑞穂だった。榊原が何を言いたいのかわかってしまったのである。全員が見つめる中で、瑞穂は緊張しながらも正解を告げた。
「もしかして、トリックに使ったっていうパイプですか?」
「え……あっ!」
それで他の人間にもすべてが伝わったようだ。
「そう、問題のパイプが地上と石室を繋ぐラインとしての役割だけでなく、実は銃身としての役割も持っていたとすればどうだろう。犯人は銃弾の口径ギリギリのサイズの太さのパイプを選んで例の仕掛けを設置。犯行直前に銃弾をパイプの地上側の先端にはめ込んだ。口径ギリギリならそのまま落ちていく事もないはず。そして、同じく工事現場にでもあったハンマーか何かを、タイミングを見計らってそのままパイプ目がけて振り下ろせば……」
その衝撃で銃弾の火薬が破裂し、弾はそのままパイプの中を伝って石室へ……そして、パイプがつながっている天井の破損部分を調べているであろう被害者の目を直撃する。確かにこれなら、銃なしでも銃弾を発射して被害者を射殺する事が可能である。
「そ、そんな事が行われた証拠なんて……」
「被害者の体内から見つかった銃弾から線条痕が出なかったのがその証拠だ。どんな銃であれ、正規の銃から撃たれた弾であれば必ず線条痕が残る。だが、もしパイプが銃身になっていたとすれば、線条痕が残らないのは当たり前だ」
「そ、そっか……」
瑞穂が思わずそう呟く。ここに来るときに聞いた線条痕のない幻の銃に対する回答が図らずも出された格好だ。
「しかも被害者はパイプのすぐ前にいたんだから、事実上銃口に目をつけている被害者を撃つようなものです。ライフリングがなくても必ず命中しますし、銃の腕そのものは全く問題になりません。さらに言えば、そのハンマーにそれなりの長さがあれば、破裂地点から距離があるから犯人自身に射撃残渣も付着しない。すべてが現場の状況と合致しますね」
続けて鈴木が感心したように頷く。が、磐井は必死に反論を続けた。
「そ、そんなのは推測に過ぎないでしょう!」
「この仮説が正しいなら、少なくとも、あの辺に転がっているパイプやハンマーのどれかから射撃残渣が発見されるはず。それだけでも、このトリックが使われたという何よりの証拠になるはずだが」
「仮にそうだとしても、そのトリックを俺がやったっていう証拠はない! 誰か外部の人間がやった可能性だって……」
「外部の人間の犯行でない事はさっき証明したはずだ」
「共犯かもしれないじゃないですか! 例えばこの中にいる誰かと外部にいる第三者が共謀して、遺跡への工作は内部の人間、殺害そのものは外部犯がやったとすれば、さっきの矛盾に説明がつくはずです!」
「ほう、そう来るかね。随分考えたものだ」
榊原は少し感心したような表情を浮かべながらそうコメントする。が、そこにはまだ余裕が浮かんでいた。それが気に入らないのか、磐井はさらに声高に反論を重ねる。
「それに、あなたの推理にはまだ致命的な矛盾があります!」
「矛盾ね……それは何かね?」
「タイミングですよ! あなたの主張が正しかったとして、どうやって発砲のタイミングを判断するんですか! この犯行は教授が問題の破損部分に顔を近づけた瞬間にしかできません! 地上にいて石室の状況がわからないはずの犯人が、どうやってそれを知る事ができたんですか!」
磐井は死にもの狂いに榊原に突っかかる。が、榊原はそれに対して恐ろしいほどに冷静だった。静かに磐井の反論を聞き終えると、しっかりとした口調で反論に移る。
「だったら、地上にいながら石室内部の情報を知る方法を考えればいいだけだ。そして、それは別に難しい事じゃない。単純に、隠しカメラでも使えばいいんだ」
あまりにもシンプルすぎる答えに、誰もがどう反応すべきかわからないと言った表情を浮かべる。が、榊原はひるむ様子もなく言葉を続ける。
「シンプルだが一番簡単な方法だろう。あらかじめ中央石室のどこかに小型の隠しカメラでもセットしておいて、そこから送信されてくる映像で石室内部の状況を判断。被害者が問題の破損を調べされた瞬間を見計らってハンマーを振り下ろした……馬鹿馬鹿しいほど簡単な方法だ」
「ふ、ふざけるな! そんなもの、石室のどこからも見つかって……」
「回収すれば何の問題もない話だ。そして、君にはそのチャンスがあったはず。何しろ、遺体を発見した時、君も中央石室に入っているはずだからな」
「あっ!」
瑞穂が思わず声を上げた。確かに、あの瞬間なら現場にあったものを密かに持ち出すくらいの事はできるはずだ。
「だけど! 俺はその後すぐに銃発見のために身体検査を受けているんです! そんなものがあったらその時見つかっているはずですよね!」
「……なら、その時の所持品の中に『隠しカメラ』があったという事だろう」
榊原の答えはまたしてもシンプルだった。
「何を言って……」
「確か、君は個人所有のデジカメを持っていたな。写真も確認させてもらった」
「それが何か? 何も問題はなかったでしょう!」
「あぁ。特に何もおかしなものは写っていなかった」
「それじゃあ……」
「逆だ。写っていない事が決定的な証拠になることだってある」
「意味がわかりませんよ!」
声を荒げる磐井に対し、榊原は鋭く切り込んだ。
「じゃあ聞くが、どうしてあのデジカメには事件前日までの写真しか写っていなかったのかね?」
「え……」
「写真を確認したが、そのどれもが事件前日までのもので、当日の写真は一枚もなかった。もう一つの共同管理しているデジカメの方は当日充電中だったらしいから仕方がないかもしれないが、君のデジカメに関してこれは不自然だ。君は石室の調査をしながら、どうして一枚も写真を撮らなかったのかね? それ以前には、一日たりとも欠かす事なく何かを撮っていたにもかかわらず」
「そ、それは……使う必要がないと思ったから……」
苦しい言い訳を試みる磐井に対し、榊原は容赦なく推理を叩き込む。
「違うな。おそらく君はそのデジカメの中に隠しカメラと送信装置をセッティングし、そのカメラを前日夜に遺跡の工作をした際に中央石室に隠しておいたんだ。それなら万が一教授に見つかっても『忘れ物』という形でごまかせる。そして、君はそこから送られる映像でタイミングを見計らって教授を射殺し、遺体発見時に駆けつけたときににそのデジカメを回収した。あとは身体検査の時に何食わぬ顔でそのデジカメを差し出せば、銃器を探している警察官を誤魔化す事は充分に可能だ」
「冗談言わないでください! そんな改造をしたらデジカメは使えなくなるじゃないですか! でも、さっき渡したデジカメは普通に使えていたはずです! それはどう説明するんですか!」
「そんなもの、デジカメが二つあったと考えれば解決する」
磐井の必死の反論を、榊原はあっさりとねじ伏せた。
「一つは本物、もう一つは警察を欺くために用意された隠しカメラ用の偽物。見た目は同じだが、後者は事件のあの日だけに使われて、後は全部本物を使っていたんだろう。そして、警察の身体検査は、凶器を隠す可能性を考慮して宿に帰るまでに行われたはず。だとするなら、宿に置きっぱなしの個人の荷物の検査までは行われていない。違いますか?」
「た、確かにそうですが……」
鈴木が呻くように言う。
「偽のデジカメは多分ほとぼりが冷めてから処分するはずだったはずだったんだろう。だが、事件以降、あの宿は警察の監視下に置かれている。よって、自分の荷物に隠す事はできても処分自体はまだできていないはずだ」
「っ!」
その瞬間、磐井の表情が今までで一番青くなった。それを見て、榊原が確信した様子で告げる。
「鈴木警部、今すぐ宿にある彼の荷物を確認してください。おそらくその中に、中に隠しカメラが仕込まれた偽物のデジカメがあるはずです。それが見つかれば……彼の犯行を立証できます!」
「わかりました」
鈴木が無線で外の警官に指示を出す。が、その前に磐井が顔を歪めながら震える声でこう言った。
「ち、違う……違うんだ……あれは……そんなつもりじゃ……」
「違うとは?」
榊原の問いかけに、磐井はなぜか覚悟を決めたように声を振り絞りながら叫んだ。
「み、認める! 確かに、俺のバッグにはあんたの言うように隠しカメラに偽装したデジカメがある。でも、それは別に殺人に使うためのものじゃないんだ!」
どうやら、ここまで来たら誤魔化し切れないと判断したらしく、現物が見つかる前に自分からその事実を白状した。だが、それでも磐井は殺人の罪を認めようとしない。
「では、デジカメに偽装した隠しカメラなどというものを、何のために持っていたんだ?」
「そ、それは……そ、そう! 大草の姿をこっそり盗み撮りしようと思ったんだ!」
「は、はぁ?」
当の大草が目を丸くして磐井を見やる。が、磐井はほぼやけくそ気味に叫び続けた。
「俺は大草が好きだったんだ! それで、大草の姿を隠し撮りしようと思ってあの仕掛けを作ったんだ! デジカメに偽装して部屋に置いておけば怪しまれずに撮影できると思って!」
「……あのぉ、磐井先輩……自分が何を言ってるのかわかっているんですかぁ……」
普段のんびりしている明子でさえややドン引きしている。が、磐井は殺人の罪を逃れるためにもう恥も外聞も捨てている様子だった。
「うるさい! とにかく、俺は大草を盗み撮りするためにあの偽デジカメを作っただけだ! 偽デジカメが殺人に使われた証拠なんかない!」
唾を飛ばしながら叫ぶ磐井に対し、榊原は静かに彼を見据えると、はっきりこう告げる。
「いいだろう……そっちがその気なら、そろそろ終わらせるとしようか」
それを合図に、榊原は最後の攻撃へと移った。
「君の主張はこうだ。君はずっとこの遺跡の中で調査をしていた。当然、この地上へ通じる隠し通路の存在も知らないし、地上に出た事もない。偽造デジカメは大草さんの盗撮のために造ったものだ。そうだな?」
「そうだよ! 何か文句があるのか?」
すっかり敬語が抜けた口調で磐井は食って掛かった。
「つまり、この主張が崩れる何かを証明さえできればいいわけだ。例えば、君が事件当時地上に出ていた証拠。これを示せれば、私の推理が正しい事が立証できる。この犯行が問題のトリックを使って行われた事は、地上にあるパイプの射撃残渣を調べればすぐにでもわかる事だ。その上で、君が事件当時地上に出ていた事が立証できれば、もはやこの犯行を行えた人物が君しかいない事が確定する。何しろ、犯人が例のトリックを使用した時点で、犯人が事件当時地上にいた人間である事は明白だからだ」
「だから何なんだよ。そんな証拠なんか……」
「十字路にセッティングされていたカメラの映像を見る限り、君は銃声がしてから約二分後に十字路に姿を見せている。仮にこの犯行が君によるものだとすれば、地上で発砲してからパイプを引き抜いてハンマーなりを処分し、隠し通路から地下に戻って十字路に現れるという工程を行った事になる。まぁ、二分ならギリギリと言ったところだ。となると」
次の瞬間、榊原は鋭い口調で告げた。
「この流れを最低限の時間で行うためにも、証拠の隠滅がおざなりになっている可能性がある。例えば……靴に付着した土の処理」
「え?」
その瞬間、磐井の顔色が変わった。そこへ榊原は一気に畳みかける。
「話によれば、当日この周辺は朝から小雨が降っていたそうだな。となれば、地上の雑木林の地面も湿っていたはず。当然その上を歩けば、靴に土が付着するはずだ。そして、その土がもし君がまるで存在も知らなかったというこの隠し通路から見つかったら……それは、本当ならこの古墳が作られた一五〇〇年前以降誰も開けた事のないはずのこの隠し通路を、最近になって誰かが使ったという立派な証拠になるのではないかね?」
「そ、そんな事わかるはずがない! その通路から見つかった土がいつの時代のものかなんて判定できるわけが……」
「今回に限っては簡単だと思うがね」
榊原は磐井の反論をばっさり切り捨てた。
「これは私というより、むしろ君たち考古学の分野の知識になるはずだがな。この通路に最初からあった土は、古墳が作られた一五〇〇年前からずっと閉鎖空間にあって、今この瞬間まで一度も外部と接触していない事となる。一方、地上の土は当然最近まで地上にあったわけで、雑木林にあった土である以上、その土には雑木林を構成する木々や植物の花粉だのなんだのが含まれているはずだ。そして、その土に含まれている植物の花粉を調べれば、その土がいつここに侵入したものなのかは明確に判定できる。こういうのは、確か考古学的には花粉分析法と言ったと思うが?」
「は、はい。確かに、この古墳が作られた当時の植物生態系と現在の地上の植物生態系は明らかに違いますから、それが元々古墳の中にあったものなのかどうかは検査をすれば一目瞭然です。さらに発見された花粉と地上の雑木林の花粉の遺伝子構造が同じなら、現代の土が隠し通路に入り込んでいる事は決定的ですね」
守屋がチラリと磐井の方を見ながらも解説する。一方の磐井は、まさか榊原がそんな専門的な事を知っていたとは考えていなかったようで、すっかり放心状態である。
「だそうだ。さて、鑑識でも呼んでこの隠し通路を徹底的に調べてもらうとするかね。私の想像では、一刻も早く十字路に行かねばならないあの状況で靴についた泥の事まで頭が回っていたとは思えない。仮に気づいていたとしても時間的に処理する事はできなかっただろうし、遺体発見後は警察に監視されていて事後の隠蔽工作をする事もできなかったはずだ。かなり高い確率で地上の土が見つかると私は考えている。おそらく、そこの上に登るためのでっぱり辺りに付着しているだろう。うまくいけば靴跡も見つかるかもしれない。もし見つかれば……この通路が現代に使用されたという何よりの証拠になるのは明白だ」
榊原は磐井を睨みつけながら、一気にとどめを刺しに行く。
「そして、そうなれば通路を使用した人間は君以外にあり得ない事になる。何しろ他の人間がこの通路を使おうと思ったら、他ならぬここでずっと調査をしていた君自身が大きな壁になってしまうからだ。君が調査をしている状態で、君に気付かれずにあの通路を発見する事は不可能。だとするならば、この通路を使用できるのは、調査開始以来この石室でずっと調査をしていた君以外に考えられない事になる!」
「お、俺たちが調査する以前にここを調べていた別の調査隊の誰かが入った可能性も……」
「あり得ないな。だったらそいつは何でこの通路の存在を隠したんだ? そんな事をする意味がない」
「なら、俺がいない夜の間に誰かが勝手に……」
「さっきも言ったが、夜にここに入るには暗証番号が必要だ。それを知るのはここにいるメンバーだけだが、仮に君以外のメンバーがそんな事をしたとして一体何のためにそんな無駄な事をする? 君の反論が正しいとして、それについてちゃんと説明できるのかね?」
「そ、それは……」
「あぁ、それから『実は事件が起こる何日か前にこの通路をすでに見つけていたけど秘密にしていたんです。泥はその時に紛れたんでしょう』……とかいう反論もなしだ。その場合も君がなぜその事実を報告せず、写真すら撮らなかったかが問題になるだけの話だからな。そんな事をしている時点で何かやましい事があったと疑われても仕方がない。それに、さっきも言ったが運よく靴跡でも出ればこんな議論自体が無駄だ。その靴跡と君が今履いている靴を照合すれば、誰がこの通路を使ったか一発でわかるんだからな」
苦し紛れの反論を榊原は瞬時に排除した上に、さらに想定される反論をあらかじめ封じる。もはや磐井は体をガタガタ震わせて何かに必死に耐えているようだった。だが、榊原は一切容赦しない。
「いずれにせよ、ここまで来ればもはや真実は明白だろう。この隠し通路の土を調べれば、知らないと言っていたはずの隠し通路を使って君が地上に出ていた事が証明できる。また、さっきも言ったように地上のパイプを調べれば、問題のトリックが実際に使用された事を証明する事は容易だ。それぞれ個別では決定的とはなりえないが、この二つの証拠が両方証明されれば、被害者が地上からの狙撃で射殺され、その時犯人がいたはずの地上にいたのが君だという事が立証されるのは明白だ! そうなれば、この事件の犯人はその時地上にいた人物……磐井明正、君以外にはあり得ない!」
磐井はもう何も答えようとしない。まるでいやいやするように目を閉じて首を振り続けている。だが、榊原はすっかり黙り込んでしまった磐井に対し、容赦なく最後の一撃を叩きつけにかかった。
「決定的な証拠というものは何も一つですべてを指し示さなければならないというものではない。一つ一つは弱い証拠でも、複数が組み合わされば決定的な証拠になる事がある。目先の証拠の隠滅だけにとらわれているとこういう攻められ方をされる可能性があるという事だ。さて……まだ反論するというのなら、やむを得ない、私もどこまでも付き合おう。だが一つ言っておくが、どんな醜い言い訳しようともそれを徹底的に打ち砕けるだけの論理はすでに構築できている。さぁ……どうするかね!」
その言葉に、磐井はほとんど俯きながら大きく肩を震わせた。誰もが固唾を飲んで、無言のままに磐井を見つめている。彼がどのような行動に出るのかを、真剣な表情で待ち続けている。
それでも磐井はしばらく無言のまませわしくなく榊原や隠し通路の間で視線を往復させていた。だが、やがていきなり糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちると、虚ろな声で振り絞るように言葉を発した。
「……俺が……俺が悪いわけじゃない……あいつが……あの野郎が全部悪いんだ……俺の計画は完璧だったのに……何で……何でこんな簡単にばれて……畜生っ! 畜生ぉっ!」
……それは、事実上の磐井の敗北宣言だった。他の三人の学生たちは、そんな磐井の様子を気まずそうに見つめている。
そして当の榊原は、絶叫する磐井を何の感慨もない様子で無表情にジッと見下ろしていた。それが、この史上最古の密室で起こった殺人事件の終了を告げる合図となった事を、瑞穂は何とも重い気持ちで実感していたのだった……。
同日、埼玉県警は大友教授殺害容疑で磐井明正を緊急逮捕した。
捜査の結果、榊原の言ったように遺跡周辺に放置された工事現場のパイプの一本から高濃度の射撃残渣が検出され、同時に近くにあったハンマーからも同様の射撃残渣が検出された。これにより、榊原が提示した密室トリックが使用された事は疑いようのない事実となった。
同時に隠し通路の調査も行われたが、こちらも榊原の予想通り、上へ登るのに使われたであろう石のでっぱり部分に足跡と思しき模様が見つかり、その泥の成分や中に含まれている花粉が雑木林表面の土と一致した。また、足跡そのものも磐井のものと照合され、結果これが一致。磐井がこの通路を使って地上に出ていた事は決定的となり、同時に彼の荷物から発見された隠しカメラ内蔵の偽デジカメの事もあって、磐井の容疑は疑いようのないものになっていた。
捜査本部に連行された磐井は、もはや榊原との直接対決で心が折られてしまっていたのか、比較的素直に犯行を自供した。マスコミはこの事件をセンセーショナルに報じたが、特に反応が強かったのは当の考古学会だった。考古学を志す人間が殺人のために遺跡を利用し、あまつさえ貴重な壁画を破壊していたという事実が明るみに出るに至って、考古学会は多大な批判にさらされた。が、彼らからしてみても貴重な遺跡を破壊された事に他ならず、刑事裁判とは別に国宝級の壁画を破壊した事に対する多額の損害賠償が考古学会から請求される見通しだという。専門家によれば、その賠償額は数億円の規模になるのではないかという事だった。
そんな中、警察の取り調べも進み。彼が犯行に至るまでの経緯が徐々に明らかになりつつあった……。
「動機は単純でしたよ」
二〇〇九年五月二十四日日曜日、東京品川の榊原探偵事務所で、鈴木警部はため息をつきながら榊原にそう言った。その背後で、瑞穂も興味深そうにその話を聞いている。
あの推理対決からすでに一週間が経過し、鬼川古墳で起こった殺人事件に対する調査もかなり進展していた。今日は、その報告に鈴木が事務所を訪れていたところだった。
「犯人の磐井ですが、四年生ですので年明け頃から就職活動をしていました。第一志望は大手企業の三ツ星銀行で、リーマンショックの影響で厳しい就職戦線の中、彼は最終面接まで残る事に成功し、あと一歩で内定というところまで行きったそうです。ところが……その最終面接の前日に事故が起こりました」
「事故、というと?」
「面接の前日、大学での講義を終えた磐井は帰宅しようと大学の駐輪場に停めてあったバイクの所に行ったんですが、いざバイクに乗って帰ろうとしたところ……突然頭上から何冊も本が降ってきて、そのうちの一冊が彼の頭を直撃したんだそうです」
予想外の話に、瑞穂と榊原は顔を見合わせた。
「それはまた……何というか、変わった事故ですね」
「運が悪い事に、彼の頭にぶつかったのはかなり分厚い百科事典でした。磐井はそのまま昏倒し、救急車で病院に運ばれましたが、ヘルメットをかぶっていた事もあって幸い翌日には意識を回復しています。ただ……」
「三ツ星銀行の最終面接に行けなかった、という事ですか」
先回りして言った榊原に、鈴木は頷く。
「もちろん、意識の回復後に彼は三ツ星銀行側に事情を説明したそうですが、向こうは受け付けなかったそうです。そして、この事故の原因を作ったのが他ならぬ大友教授でした」
「彼が本を落としたと?」
「事故の起こった駐輪場は大学教員たちの研究室が入るビルと隣接していましてね。大友教授の研究室はその三階にありました。で、彼は何というか整理整頓が苦手なタイプで、窓際にも多くの文献を置いておいたんだそうです。普段は窓を開けないので特に問題はなかったそうですが、この日に限って空気の入れ替えのために窓が開けられていて、何かの拍子でそこにあった文献が外へ落下。たまたま下にいた磐井に命中したんだとか」
鈴木は複雑そうな表情で続ける。
「もちろん、事故後教授は磐井にちゃんと謝罪していて、医療費の全額負担を約束しています。磐井も表向きはこれを受け入れていて、その事もあってこの件は大学内部で処理される事になり、警察沙汰にはなっていません。ですが……本人が言うに、心の内では全く怒りが収まっていなかったようです。怪我を負わされた事はもちろんの事、せっかく最終面接まで行った第一志望企業への就職を滅茶苦茶にされて、引き裂いても飽き足りないほどだったとか」
「教授は事故で彼の面接が潰れた事は知っていたんですか?」
「いえ、知らなかったようですね。本人も教授に言っていなかったようですから。ただ、それだけにその件に関する謝罪はなく、理屈ではわかっていても磐井は教授に対して激しい殺意を抱くようになったと言います。とはいえ、動機が明白なので教授が殺されれば必ず疑われる。だから、絶対に疑われない状況を作ろうと、頭を絞ってあのとんでもない密室トリックを作り上げたんだそうです。例の隠し通路の事は、事前に石板を独自に解読してある程度察しがついていたんだとか。本人はかなり自信があったようで、まさか一日で全部暴かれるなんて嘘だって取調室で嘆いていましたが……」
「まぁ、先生が相手じゃそうなりますよ……」
瑞穂は少し気の毒そうに言った。一方、榊原は素知らぬ様子で質問をぶつける。
「凶器の銃弾はどこから? それだけが私にもわからなかったんですが」
「遺跡近くに無人の小屋があるんですが、その中に猟銃用の弾が一発だけ落ちていたそうです。おそらく地元の猟師が忘れた物でしょう。犯行の数日前、磐井が一人で遺跡の近くを散策していた時に偶然見つけたもので、その瞬間に今回の計画を思いついたと」
「なるほど、ね」
榊原は納得したように頷いた。同時に、鈴木が深々と頭を下げた。
「今回はどうもありがとうございました。榊原さんがいなければ、この事件は解決できなかったかもしれません。遺跡の隠し通路に銃を使わない射殺トリック……正直、これは我々の手には余りますから」
「まぁ、いつもの事です。ここにくる依頼は、そういう事件が多いものでしてね」
榊原は苦笑気味にそう言った。
「では、私はこれで。また何かありましたら、よろしくお願いします」
「願わくば、そんな事件が二度と起こらない事を祈るだけですが」
「同感です。それじゃあ」
鈴木はそう言うと去っていった。後には榊原と瑞穂だけが残される。
「でも、先生。多いって言っても限度がありませんか?」
「ん?」
「依頼です。先月は小笠原の海で史上最深の密室。そして今回は古墳の中で史上最古の密室です。何かもう、一般の探偵事務所が扱う事案を軽く超えちゃってる気がするんですが」
「まぁ、さすがにこれ以上厄介な密室を手掛ける事はないと信じたいね。私だっていい加減に休みたいものだ」
「休みたいって……ほとんど閑古鳥が鳴いている状態なのにですか?」
「それを言わないでくれ……」
そう言いながらも、榊原探偵事務所には、いつも通りの日常が戻ろうとしていた。
だがこの一ヶ月後、今までの二つの事件に匹敵するような大掛かりな密室殺人事件にかかわる事になろうとは、この時さすがの榊原をもってしても予想する事はできなかった。後に「史上最大の密室」と称される事になるその事件と榊原がつながる事になるのは、今しばらく先の話である……。