第一章 捜査
その遺跡が見つかったのは、埼玉県の西部にある鬼川村という小さな農村でのことだった。この村の一角で行われていた公民館の新館建設工事の最中に、その建設予定地の地面の下から小さな古墳が見つかったのである。もっとも、正確には見つかったのは古墳に入る入り口部分で、古墳そのものは地面の下に造られているタイプのものだった。
調査の結果、四世紀から五世紀頃に造られた初期型の古墳ではないかというのが学者たちの見解となった。こう言っては何だが、この程度の規模の古墳なら畿内辺りではしょっちゅう発見されているもので、関東での発見とはいえ本来なら取り立てて珍しいものではない。文科省の形ばかりの調査が終われば、何事もなく遺跡を潰して建物が建てられるというのが通常の手続きだった。
だが、この古墳はそこで終わるようなものではなかった。規模としてはそこまで大きな古墳ではなかったが、いざ中を調べてみた考古学者たちはその遺跡の持つ重要性に思わず息を飲んだという。というのも、地下一.五メートルほどの場所にあった石室の天井には、明日香村の高松塚古墳やキトラ古墳も顔負けの見事な壁画が残されていたからだ。しかも高松塚古墳やキトラ古墳は七世紀と新しい時代の古墳なのに対し、この古墳が推定される時代は四世紀から五世紀の古墳時代前半である。その歴史的な重要性は計り知れないものであった。
遺跡は直ちにその歴史的価値を認められ、発見された集落の名前から「鬼川古墳」という名称が与えられる事となった。発見からしばらく、この古墳は近年まれに見る考古学史上の大発見として、マスコミなどで大きく取り上げられる事となった。本来なら、この遺跡は考古学史上にその名を残す大発見としてその名を後世に伝えていくはずであった。
しかし、現実はそうはならなかった。この古墳は、後に違う意味でその名を全国に再び晒す事になるのである。
それは、遺跡発見から一ヶ月後……マスコミの取材攻勢がようやく落ち着いて本格的な調査が行われようとしていた矢先の事だった。
この千年以上も人知れず地面に埋まっていた古墳の石室から、一発の銃声が響き渡ったのである……。
二〇〇九年五月十六日土曜日。東京都品川区、品川駅前にあるビル街の裏町通り。その一角に、三階建ての年季の入った古いビルがひっそりと佇んでいる。一見すると見過ごしてしまいそうな小さなビルではあるが、この今にも地震で崩れそうなビルの二階に、私立探偵・榊原恵一の私立探偵事務所はあった。
一応、三部屋ある二階のフロアはすべて榊原が借りているが、そのうちの一室は給湯室で、もう一室は様々なものが放り込まれた倉庫であり、肝心の事務所そのものは小ぢんまりとしたものだった。給湯室と倉庫に挟まれた真ん中の部屋のドアがその事務所で、入るとすぐ左横に申し訳程度におかれた秘書用の小さなデスクがあって、正面に来客用のテーブルとソファ。その奥に窓を背後にして事務所の主である榊原のデスクが置かれている。部屋の両側には今までの事件記録をまとめたファイルがずらっと並んだ本棚が、デスク後方にある給湯室へ続くドアの部分を除いてずらっと並んでいる。
こんな小さな事務所なので、正式な従業員は榊原以外ゼロ。一応非常勤で秘書のアルバイトをしてくれている大学生の女の子と、従業員でも何でもないのに「弟子」と称して事務所に入り浸っている女子高生がいたりはするが、基本的には規模の小さな個人経営の事務所である。調査時には警察関係者からも恐れられる「真の探偵」の異名に恥じない凶悪な推理力を持つにもかかわらず、本人が依頼以外の場面では基本的にものぐさであるためか、はたまた広報活動を一切していないためか、警察関係者以外の通常の依頼は一ヶ月に一度あればいい方で、はっきり言って常時閑古鳥が鳴いている状態だった。
この日も、榊原は事務所のデスクに座ってぼんやりと本を読んでいるところだった。ちなみに彼の自宅自体はこの上の三階にある一室を借りているが、正直事務所だけでも生活はできるので、依頼がないときはほとんどこの事務所でのんびりと毎日を過ごしている事が多かったりする。大分長い事自室には帰っていないので、そろそろ一度帰って掃除でもした方がいいかもしれないなどと思っている今日この頃である。
と、不意にドアがノックされて、榊原の返事を待つ事もなく、従業員でも何でもないのにこの事務所に入り浸っている女子高生……立山高校ミステリー研究会三年の深町瑞穂がひょっこり顔を出した。
「やっほー、先生、生きていますか?」
「……やって来て早々、その挨拶はないんじゃないかね?」
榊原はそう言いながらも本から目を離さない。瑞穂は気にする事なく通学鞄を誰もいない秘書席の脇に置くと、そのまま来客用のソファに深々と座ってしまった。が、榊原はもはやいつもの事と諦めているのか、注意する様子もない。
「今日もお客さんはゼロですか?」
「少なくともアポイントメントは受けていないね」
「先生……私が言うのもなんですけど、自分の事務所の事くらい少しは心配しましょうよ」
「そういう君こそ、何で事務所に来るんだね? もう三年生だろう。受験勉強は大丈夫なのかね?」
「うっ……嫌な事を思い出させないでください……」
瑞穂はそう言ってため息をつく。とはいえ、榊原も瑞穂を追い出す様子はない。もうすっかり慣れたもので、最近では彼女が自分の弟子を名乗るのを諦めている様子だ。
「じゃ、いつもみたいに勝手に見させてもらいますね」
「……好きにしなさい」
榊原の生返事に対し、瑞穂はソファから立ち上がると、手近な棚に近づいて適当な事件ファイルを手に取った。刑事時代も含め、ここに保管されている今まで榊原が関与してきた膨大な量の事件記録。それを勝手に読んで様々な事を学ぶことが、瑞穂の「弟子」としてのやり方だった。
ただし、基本的に榊原は自分から口出しをする事はない。自分の解決した事件を自慢する行為を榊原が嫌っている事を瑞穂はよく知っている。何でも「実際に事件で苦しんだ被害者がおり、それに対して懸命に捜査した人間がいるにもかかわらず、その事件を自慢げに解決したと語る探偵は探偵の風上にも置けない」というのが榊原の信条だそうだ。
だから、基本は瑞穂が勝手に事件記録を読んで学んでいき、読み終えた後はそれを踏まえて榊原に質問し、それに対して榊原が「自慢ではなく質問に対して答える」という形式で事件や推理に関して補足説明するというのが普段の流れだった。要するに「学びたければ勝手に学べ」というのが榊原の方針なわけだが、三年間も通っているとそれでも充分に探偵としての在り方や事件を通じた世の中の様々な現実が頭に入ってくるのだから、ある意味ちゃんと弟子として彼女を認めていると言ってもいいのかもしれない。
さて、瑞穂は本棚からいくつかのファイルを選ぶと、再びソファに戻ろうとした。だが、その時不意に事務所のドアがノックされた。瑞穂は思わず榊原の方を見やり、榊原もその顔を上げてドアの方を見ている。榊原にとっても想定外の訪問らしかった。
「……アポイントメントはなかったはずじゃなかったんですか?」
「そのはずなんだがね」
「亜由美さんですか?」
「彼女なら声をかけるはずだし、そもそも今日は講義の都合で来れないという連絡を受けている」
榊原は首をひねった。とはいえ、待たせておくわけにもいかない。榊原が「どうぞ」と呼びかけると、ドアが開いてスーツ姿の男性が姿を見せた。
その男性に、榊原は見覚えがあった。
「これは……久しぶりですね、鈴木警部」
立っていたのは、埼玉県警刑事部捜査一課に所属する鈴木章弘警部だった。榊原の刑事時代に何度か合同捜査をした事があり、探偵になって以降も何度か捜査で一緒になった事がある刑事である。今でもこうしてたまに警察ではどうしようもない事件を持ち込んでくる事があるため、瑞穂にとっても見知った仲だった。
「お久しぶりです。アポもなしに急にすみません」
「構いませんよ。特に忙しくもなかったものでして」
そう言うと、榊原は鈴木に来客用のソファを勧め、自身も反対のソファに座る。一方瑞穂は給湯室に入って、お茶を用意するとテーブルに置き、そのまま榊原の後ろへと控えた。
「それで……アポなしで急に来たという事は、また何か捜査協力の依頼ですか? 私に依頼してくるとなるとよっぽどの事件だとは思いますが」
「まぁ、端的に言えばそうですね。榊原さんの力を借りたい事件が出てきまして。正直、我々の力ではお手上げなんですよ」
鈴木はそう悔しそうに言った。基本的に警察関係者にとって榊原は事件捜査の「切り札」と言った扱いで、警察単体ではどうしようもなくなった時に最後の手段として依頼をする事が多い。要するに基本はできるところまで自分たちで捜査をし、それでも解決できそうにないときに最終手段として榊原を利用するのだ。そのため、警察から榊原に持ち込まれる事件は、基本的に難易度が高いものが非常に多かった。
「どんな事件ですか?」
「殺人です。榊原さんは、埼玉県の西部にある鬼川村という農村を知っていますか?」
唐突な話に、榊原は考え込んだ。
「いや……初耳ですが」
「実は先月、この村で古墳時代の古墳が見つかったんです。で、その古墳の中でつい昨日殺人が起こったのですが……これが何とも不自然な状況で」
「というと?」
その問いに、鈴木はこう答えた。
「簡単に言うと、密室殺人なんですよ。しかも古墳という史上最古の密室の中で起こった殺人です」
その言葉に、背後の瑞穂は目を輝かせ、榊原は難しそうな表情を浮かべたのだった……。
翌五月十七日日曜日、埼玉県鬼川村へと続く山道を一台のパトカーが走っていた。運転席には鈴木が座り、後部座席には榊原と瑞穂のコンビが座っている。
「わざわざご足労願って申し訳ありませんね」
「これが仕事ですからね。とはいえ……何で瑞穂ちゃんまでついてくるかね」
「私は先生の助手ですから!」
いつもの答えに、榊原は盛大なため息をついた。
「まぁ、もう今となっては突っ込まないよ。それより、事件の流れを詳しく説明してください。昨日は今日の実地調査の話で終わってしまいましたからね」
「もちろんです」
そう言うと、鈴木は運転しながら話し始めた。
「被害者は大友斉明、五十九歳。私立早応大学文学部歴史学科の教授で、古代史を専門とする考古学者でした。問題の鬼川古墳の調査にも初期からかかわっています」
「あの後調べましたが、鬼川古墳というのは壁画が見つかった事で有名になったとか」
「その通りです。教授はその調査にかかりきりになっていて、頻繁にこの古墳を訪れていたんですが……一昨日の五月十五日金曜日、その古墳の石室内で遺体となって発見されました。死因は銃器による射殺です」
思わぬ死因に榊原は眉をひそめた。
「射殺……状況としては随分不釣り合いな死因ですね」
「えぇ。石室の中で左目を一発で撃たれて絶命していました。弾は貫通せずに頭部に残り、司法解剖で検出されています。銃声に気付いた教え子たちが石室の中で教授を発見し、通報しました」
「至近距離から撃たれたのですか?」
「いえ、傷口に焦げ跡は発見されていませんので、解剖医の話だと数メートルほどの距離から撃たれたのではないかと」
「凶器の銃は?」
「見つかっていません。物が物だけに現在も捜索中ですが……」
どうも結果は芳しくないらしい。
「あのー、弾は頭部から発見されたんですよね? じゃあ、線条痕を調べたら少なくとも前科がある銃かどうかはわかるんじゃないですか?」
と、横から瑞穂が口を出す。が、これに対して鈴木は首を振った。
「それなんですが……ちょっと妙な事になっていましてね」
「妙な事、ですか?」
「はい。銃弾が検出された後、当然我々も線条痕の調査をしたんですが……不思議な事に弾からは線条痕が検出されなかったんです」
「え?」
瑞穂は当惑した表情を浮かべて、榊原を見た。
「あの、先生。銃の弾から線条痕が検出されないケースなんてあるんですか?」
「まぁ、普通はないだろうね。そもそも線条痕の正体は、銃身内部に彫られた溝……ライフリングによるもので、この溝は銃弾を旋回させてその弾道を安定させるためにつけられるものだ。逆に言えば、ライフリングのない銃から発射された銃弾はまっすぐ飛んでいかない。そんな構造になっているのは、戦国時代に使われた火縄銃くらいなものだろうな」
「火縄銃って……」
その理屈で行けば、凶器まで古いものになってしまいそうである。が、鈴木は注釈を加えた。
「一応補足しておくと、発見された弾丸は火縄銃で使われていた球形の『弾丸』ではなく、ちゃんとした現代の銃弾でした。凶器は火縄銃ではありえません」
「まぁ、そうですよねぇ。そもそもいまの時代に火縄銃をまともに撃てる人はいないだろうし、大体肝心の火縄銃自体がないだろうし……」
瑞穂はそうブツブツ言い訳するように呟き、榊原が苦笑気味に補足した。
「それ以前に、火縄銃だと一発撃つのに一分近くかかってしまう。それを克服するために織田信長が長篠の戦で三段撃ちの工夫をしたのは有名な話だろう。信長でさえこれだけ苦労したのに、火縄銃を前に一分間も待ってくれる被害者がいるとは思えないが」
「ですよねぇ……」
「……とはいえ、それならそれとしてなぜ銃弾に線条痕がなかったのかは問題だな。いくら数メートルの距離とはいえ、ライフリングのない銃で相手の左目を撃ち抜くのは至難の業だぞ」
榊原は難しそうな表情でそう言った。
「密室に加えて、線条痕のない幻の銃ですか……今回もいつも通り、大変そうな事件になりそうですね」
瑞穂がそう言った時、パトカーは問題の古墳の前に到着した。
「ここです」
パトカーを降りると、そこはやや小高い雑木林の生い茂っている場所だった。今パトカーが停まっている平地と雑木林へ続く丘陵部分の境界辺りにぽっかりと穴が開いていて、そこを侵入停止の黄色いテープがふさいでいる。ここが入口らしい。一応、入口に赤外線センサー装置のようなものが取り付けられていたが、事件後は警察の捜査のために作動していないというのが鈴木の弁だった。
「この雑木林の下に古墳が埋まっていた、という事ですか」
「そうです。元々は村の公民館を建てるための場所だったんですが、工事中にこれが見つかりましてね。事実上、工事は中止になってしまいました」
確かに、よく見ると周囲にはスコップや鉄パイプ、それにショベルカーなどの重機などが雨ざらしの状態のまま放置されている。遺跡発見によって、作業そのものが放棄されてしまったようだった。
「じゃあ、中に入りましょう」
鈴木に促されて、二人は狭い入口を通って古墳の中に入っていった。。高さは二メートルほどだろうか。入ってすぐに下へ続く階段があって、しばらく進むと少し開けた十字路に突き当たる。十字路のそれぞれの先にも、さらに下へ続く階段があるようだった。
「変わった構造の古墳ですね」
「そうみたいですね。一応、上から見ると漢字の『山』みたいな形をしているらしいです。ここは『山』の真ん中の棒の付け根に相当するらしいですが」
そう言いながら、鈴木はポケットからこの古墳の見取り図を差し出した。確かに、パッと見た限り漢字の「山」に見えない事もない。
「ここからまっすぐ直進したところ……つまり『山』の真ん中の棒の先端に例の壁画がある石室があります。学者連中は『中央石室』と呼んでいますがね。ちなみに、ここを右に曲がった先……『山』の右棒の先端にあるのが『東石室』、ここ左折した先の『山』の左棒先端にあるのが『西石室』だそうです」
「石室が三つあるんですか」
瑞穂が興味津々という風に見取図をのぞき込む。
「現場になったのはこの中央石室です。それじゃあ、ご案内します。一応、マスクと手袋をつけてください」
そのまま三人は、十字路をまっすぐ進んで階段を下りて行った。階段はすぐに終わり、その先にぽっかりと開けた空間が広がっている。
「うわぁ……」
そう声を上げたのは瑞穂だった。それも無理もない話で、天井一面に問題の壁画が広がっていたからである。具体的には天井の中央付近に女性と思しき絵があり、その周囲にはよくわからないがカラフルな模様が描かれている。さらに天井のみならず四方の壁には、それぞれの方角を示すように玄武、白虎、朱雀、青龍らしき絵が描かれていた。石室内にはライトが設置され、それが壁画を照らし出す事でさらにその優雅さを引き立てる事に成功している。本来ならかなり幻想的な光景なのだろう。だが、今は中央の女性の顔の辺りが飛び散った血のせいで所々どす黒く染まっており、何とも台無しな光景になっていた。
改めて下を見ると、部屋の真ん中には石棺と思しきものが中央に置かれている。中には何も入っていない。どうやら副葬品はすでに回収されてしまったようだ。が、石棺の隣に、黒い血の跡とドラマなどでおなじみの人形に囲まれたテープが残っていて、嫌でも古代のロマンから現実的な殺人事件へと思考を引き戻してしまう。
「遺体は、この入口から見て右奥の方に頭を向こうに向けて仰向けで倒れていました。問題は、事件当日、この部屋には被害者以外の出入りがなかったという事です」
「……事件の流れを教えてもらいますか?」
鈴木は頷くと詳細を語り始めた。
「五月十五日午後一時頃、早応大学文学部歴史学科の大伴教授を中心とする調査隊がこの古墳を訪れました。朝から小雨が降っていたので、昼からの調査になったようです。メンバーは教授とその教え子たちで、一週間ほど前から調査のために村の民宿に宿泊していました。今日もその調査の続きで、古墳到着後、それぞれが持ち場で調査を始めまています」
「メンバーは何人ですか?」
「教授を含めて全部で五人です。被害者以外は全員早応大学の学生で、名前は四年生の磐井明正と、三年生の守屋古人、大草光江、津壁明子となっています。今の所、同じ古墳内にいた彼らが第一容疑者で、引き続き民宿にとどまってもらっています」
「何だか、個性的な名前の人たちばかりですねぇ」
瑞穂が妙なところに感心する。
「調べによると、それぞれの担当場所は、被害者の大友教授は中央石室、磐井が西石室、守屋と大草の二人が東石室で、津壁はさっき通った十字路にいたという事です。ところが、調査を開始してわずか十分後、突然中央石室の方から銃声のようなものが聞こえて、驚いた学生たちが中央石室に向かうと……そこにはすでに左目を撃ち抜かれた被害者の遺体が転がっていたという事です」
「なるほど……事件そのものの流れは極めて単純ですね。ただし、こういう単純な事件というのはそれだけ付け入るスキが少ないという事でもあるんですが」
榊原はそう言って中央石室を見渡した。下手にシンプルなだけにかなり難しい事件になりそうだという予感を感じたのだろう。
「もう少し詳しく聞いていきましょう。この状況下だと、真っ先に疑われそうなのは現場に一番近い十字路にいた津壁という学生だと思います。東西の石室にいた残りの三人が犯人なら必ず彼女のいる十字路を通らなければなりませんが、彼女自身が犯人ならその問題は消える事になる。ただ……そんな簡単な事件なら、鈴木さんがわざわざ私に依頼する事もないと思いますが」
その言葉に、鈴木は深々と頷く。
「当然、我々も最初は津壁を疑いました。が、彼女には完璧なアリバイがあったんです」
「そのアリバイとは?」
「ビデオです」
鈴木の答えは簡単だった。その言葉に対し、瑞穂が唖然とした表情を浮かべる。
「び、ビデオって……こんな遺跡にですか?」
「そうです。実はさっきの十字路には、調査の記録用に一台のビデオカメラが脚立でセッティングされていたんです。ビデオの記録は彼らが古墳に入った直後から映っていたんですが、その後は教授だけがこの中央石室へ降りていき、後は銃声が鳴るまで津壁が十字路で調査をしている映像だけしか映っていません。つまり、このビデオは津壁のアリバイを証明するどころか、被害者が石室に入ってから射殺されるまでの間、中央石室に一切の出入りがなかった事を示す完璧な証拠になってしまっているんです」
「現場に誰も出入りしなかった事が客観的に立証されてしまっているという事ですか。確かにこれは、厄介な話ですね」
榊原が難しい表情で言う。やはり一筋縄ではいきそうになかった。
「あのー、一応聞きますけど、そのカメラの死角を通ったって可能性は……」
「カメラは壁際に設置されていて死角はほぼなし。その上、被害者が石室に下りてから銃声が響くまでの十分間、ここで調査していた津壁がずっとそのカメラに映り続けています。つまりカメラをかわせても、その前にいる津壁に気付かれずに侵入する事は事実上不可能なんです」
瑞穂の推理を、鈴木はにべもなく否定した。がっくり肩を落とす瑞穂に対し、榊原は冷静に尋ねる。
「そのビデオは?」
「後でお見せします。それで、これが発見直後の現場の写真です」
鈴木は一枚の現場写真を見せた。見ると、石室の床で仰向けになっている被害者の姿がくっきりと映っている。服装は動きやすいアウトドア用のもので、壁画を傷めないためかマスクや手袋をしているが、左目から出血している姿が何とも痛々しい。
「……ここにあるこれは?」
と、榊原は遺体の手前に写っている物体を指差した。
「あぁ、それは脚立ですね。どうも、それに乗って天井の壁画の調査をしていたようです」
「つまり、被害者は脚立に乗っている状態で撃たれたと?」
「その可能性が高いですね。実際、被害者の後頭部には脚立から落下した際についたらしい傷がありました。犯人に撃たれた後、そのまま脚立ごと後ろに倒れたという事でしょう」
「って事は、遺体がこの向きに倒れている以上、犯人は入口側から撃ったって事ですよね」
瑞穂の言葉に鈴木は頷く。
「当然、そうなります。石室の奥から撃ったのでは、こんな倒れ方はしないはずですから。遺体を動かした形跡もありませんし」
「そうですか……」
榊原はそう言いながら改めて天井を見上げる。見事な壁画だが、さすがに経年劣化が進んでいるらしく、所々にひびが入っていたり、ひどい場合だと一部が剥がれ落ちてかすかに土が漏れている箇所もあった。
「確かに、この状況だと一刻も早い保存処理が必要でしょうね」
「えぇ。ですから、学生たちの話だと事細かに壁画の見分をしていたようです」
「脚立があった場所は……この辺か。返り血もあるしな」
榊原はその場所まで移動すると、上の方を見上げた。見上げると、ひび割れや剥がれている場所こそ多少あるもののかなり綺麗に残っている場所で、中央に描かれていた古代の女性と思しき壁画の顔の部分しっかりと描かれている。だが、脚立の上で撃たれた事もあってか被害者の返り血がかなり飛び散ってしまっており、何とも言えない雰囲気を醸し出している。事件が解決したとしても、この返り血を完全に取り去る事は不可能だろう。何というか、瑞穂としては残念な話に思えた。
と、しばらく壁画を見ていた榊原が不意にポツリとこう呟いた。
「この女性の絵……左目がないな」
「え?」
瑞穂が駆け寄って上を見やる。確かに、描かれている女性の左目の部分がちょうど剥がれ落ちていて、天井の上の土が時々漏れ堕ちている。周囲に飛び散っている返り血も相まって、それはまるで描かれている女性が左目から血を流している光景にも見えた。
「何て言うか……今回の事件の暗喩みたいですね」
「遺跡の祟りに触れた被害者が、この絵と同じように殺されたとでも言いたいのかね?」
「まさか。私、オカルトはあまり信じていないんで。でも……この絵を調べている途中に殺されたんだとすれば、皮肉ですね」
「ここへきてまさかの見立て殺人とはね。まぁ、深く考えない方がよさそうだ」
榊原はそう言うと、首を振って鈴木の所へ戻った。瑞穂もその後に続いたが、その直前、なぜか女性の絵がまるで薄ら笑いを浮かべたような錯覚に襲われたのだった。
三人は一度十字路に戻ると、その後両脇にある東西の石室を案内してもらった。十字路から左右の階段を下りると、少しして直角に北の方へ向かって折れ曲がる踊り場があり、その先をもう少し降りた先にそれぞれの石室がある。が、こっちは中央石室と違って何というか殺風景な印象であり、真ん中に石棺がそれぞれ置かれている以外はそれぞれの四方の壁に中央石室同様の四神の絵が描かれているだけという部屋だった。
「何もありませんね……」
東石室の中を見ながら、瑞穂が少しがっかりしたように言う。鈴木が解説を加える。
「一応、石棺の中に副葬品が多少はあったらしいですが、遺骨なんかは見当たらなかったみたいです」
「一体、何のためにこんな三つも石室を作ったんでしょうか……」
「家族で一つの墓だったのか、それとも別の理由だったのか……何にせよ、それは私の解くべき問題じゃないな。その辺の事は考古学の専門家に任せる事にして、私は探偵としての仕事をするとしよう」
榊原がそう言って部屋の中を見やる。
「この東石室には守屋古人と大草光江の二人がいたんですよね?」
「えぇ。ただし、部屋の中で調査をしていたのは大草の方で、守屋はこの部屋を出た階段の辺りを調べていたようです。ちょうど『山』の右角……踊り場の部分ですね」
「つまり、二人は互いに同じ場所にいたわけではないと」
「ただ、銃声に驚いた大草が十字路に戻ろうとした時、階段には間違いなく守屋がいたそうです。二人のアリバイは完璧ですよ」
「もう一人の磐井は西石室の方ですか」
「えぇ。こっちはずっと一人で調査をしていたそうです。でも、彼も十字路を通らずに中央石室に向かうのは無理ですね」
榊原は少し考えると、鈴木に向き直った。
「容疑者たちに話は聞けますか?」
「もちろん。ご案内します」
そのまま三人はいったん古墳の外へ出た。久々に見る太陽に瑞穂は思わず目を細めるが、榊原は気にする様子もなくマスクを外し、古墳の周囲を改めて観察している。
「すぐ近くに民宿があります。彼らはそこに」
「行きましょう」
そこから歩いて数分の場所に、その民宿はあった。農家を改造したような外観で、都会育ちの瑞穂にとってはパッと見た感じ民宿には見えない。が、見張りと思しき警官が前に立っていて、それがこの民宿に間違いなく容疑者たちがいる事を知らしめていた。
「ごめんください、警察です」
玄関に入って鈴木がそう呼びかけると、奥から老人が一人出てきて頭を下げた。どうやらこの宿の主人らしく、そのまま鈴木と何事か話している。
「……どうぞ、お入りください」
老人は不愛想にそう言うと、そのまま奥へ引っ込んでしまった。榊原と瑞穂は思わず顔を見合わせるが、鈴木は苦笑しながら玄関に上がる。
「好きに話を聞いてくれという事でした。こっちです」
その言葉を合図に二人も玄関に上がり、そのまま奥の和室へと向かった。鈴木が障子の前に立って声をかけると、中から返事が聞こえ、障子が開いた。
「あぁ、刑事さんですか。何かわかったんですか?」
出てきたのは無精髭を生やした若い男だった。身長はかなり高く一九〇センチほどだろうか。やややせ気味の体形で黒いシャツにジーンズを着用しており、どこか神経質そうな表情を浮かべている。その男に対し、鈴木は首を振りながらこう答えた。
「いえ、少しお話を聞きに来ただけです。昨日はごたごたしていましたからね」
「はぁ、それはいいですけど……そちらのお二人は?」
男は胡散臭そうに榊原と瑞穂を見やった。
「榊原恵一さんです。今回の事件のアドバイザーとして警察に協力してもらっています」
「へぇ、警察もそういう事するんですね。あ、すみません、俺、磐井明正っていいます。とりあえずどうぞ」
男……磐井はそう言って三人を中に招き入れた。縁側に面した和室にはメンバー全員がそろっているようで、全員が不安げに榊原たちの方を見上げる。榊原は、そのメンバーたちを素早く観察していた。
「右から順番に守屋、大草、津壁です」
鈴木が小声で榊原に耳打ちする。守屋古人は長身の磐井に対してやや小太りな男で、どこか人のよさそうな表情をしていた。磐井とは対照的に白いシャツを着ており、目の前のテーブルでノートパソコンを操作している。
その隣に座る大草光江は女性としてはやや大柄な体格で、どことなくきつそうな視線を榊原たちに向けていた。セミロングの黒髪で、服装は発掘調査で動きやすいようにか女性用の長ズボンを履いた活動的なものだった。
最後に、縁側に座ってぼんやりと庭を眺めていた津壁明子は、緩慢な動作で首だけこちらに回すと、ジッと榊原たちを見上げていた。身長一五〇センチくらいの小柄な体格だが、なぜかゴスロリ風のフリフリした服を着ていて、どこか不思議な雰囲気が漂っている。
「何や、また警察か」
きつめの関西弁でそう言ったのは、大草光江だった。どこか不機嫌そうな光江であったが、それを隣の守屋が何とかなだめながら、鈴木に向かって申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、昨日からずっとここに缶詰めなので少し気が立っているみたいで……」
「みたいやなくて、実際に気が立っとるんや。うちらはいつまでここにいなあかんねん」
守屋の制止を無視しながら食って掛かる光江に対し、鈴木はひたすら低姿勢で謝った。
「御迷惑をおかけしています。ただ、こちらとしても色々と調べる事がありまして」
「もう充分に調べたやんか! それどころか、変な奴まで増えよって。あんたは何やねん」
光江は背後の榊原にも食って掛かる。が、こちらも丁寧に頭を下げて挨拶を返した。
「失礼、私立探偵の榊原と言います。今回、県警からアドバイザーの要請を受けまして、事件の早期解決のために捜査に参加しています。話を聞かせてもらえませんかね?」
「私立探偵ぇ? 何でそんな得体の知れへん奴に話さなあかんねん。大体なぁ……」
「榊原恵一……元警視庁捜査一課警部補……十一年前に警察を退職後、私立探偵として数々の事件に関与……中には犯罪史にその名を残す事件もあり、その徹底的に真実を追求する姿勢から『真の探偵』の異名を持つ……」
不意にそんな事を言われて思わず瑞穂がギョッとして声のした方を見ると、縁側の津壁明子がどこかふわふわした笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。
「……巷で話題の名探偵さんに会えるなんて……私、ついてるかも……」
「明子、やめい。いくらなんでも不謹慎やで」
「……ぷぅ……」
明子はふくれっ面をする。が、そのマイペースな明子を見て、光江も少し落ち着いたようだった。
「でもあんた、そんな有名な探偵なんか?」
「さぁ、どうでしょう。自分の評価は自分ではよくわかりませんから」
榊原はそう言ってはぐらかし、光江はなおも疑り深く榊原を見つめていた。一見するとくたびれた中年サラリーマンにしか見えない目の前の男が本当に名探偵なのか判断がつかないでいるのだろう。もっとも、そうやって榊原の評価を低くした相手があとで痛い目を見るところを、瑞穂はこれまでに何度も見てきているわけなのだが。
「とにかく警察としてももう一度詳しく話を聞いておきたいのです。お願いできますね?」
「……しゃあないな。早よしてや」
鈴木の言葉に、光江は頭を振ってそう言った。それを見て、鈴木は榊原に合図を送る。今回は榊原にすべてを任せるつもりのようだ。それを受けて、榊原は一歩前に出た。全員どんな質問が来るかと身構えるが、そんな彼らに対して榊原がした質問は意表を突くものだった。
「では、今回発見された遺跡に関して、専門家である君たちの意見を聞かせてください」
予想外の問いに、全員が呆気にとられて榊原をまじまじと見つめていた。
「……えーっと、その質問、本気なん?」
「もちろん。何かまずかったですか?」
「いや、こういう場合、普通、事件の事に聞くもんやと思ってたんやけど……」
「ある程度の事はもう鈴木警部から聞いていますからね。それに、事件解決のためにはどんな情報でもほしいところです。何がどう役立つかわかりませんから」
「は、はぁ……」
すっかり毒気を抜かれた感じの光江に代わって、磐井が軽く咳払いして対応した。
「じゃあ、俺から説明します。あの遺跡は、一ヶ月ほど前に公民館の建設予定地から見つかったものです。この事は知っていますか?」
「えぇ、まぁ。ここに来る前に基礎的な事は新聞なんかで調べましたから」
榊原はそう言って頷く。
「なら話は早い。調査の結果、中央石室からは貴重な壁画が発見され、考古学上の大発見と大騒ぎになりました。中でも大友教授は、かねてからこの周辺に古墳の存在を指摘していたので、この発見にとても喜んでいたんです」
「と言いますと?」
「実は、何年か前に教授は近くで見つかった別の古墳の調査を担当していたんですが、その古墳から文字の書かれた石板が見つかったんです。判読はかなり困難を極めましたが、調査を続けた結果、その石板には現在の鬼川村周辺を治めていた地方豪族の存在が記されていたんです」
磐井は首から下げたデジカメをいじりながらやや興奮気味に語る。
「地方豪族、ですか」
「はい。赤城という豪族で、どうやらその古墳はその赤城の墓らしかったんです。さらに調査を進めた結果、赤城がなぜ死んだのか、その詳細までこの石板に書かれていた事がわかりました。……ところで、榊原さんはこの近くの稲荷山古墳から出土した鉄剣をご存知ですか?」
榊原は頷いた。
「えぇ、もちろん。日本史の教科書にも載っている有名な話ですからね」
「え、えーっと……そうでしたっけ?」
隣で瑞穂が首をかしげる。この範囲なら二年生でやったはずだが、稲荷山古墳の出土鉄剣が何なのか咄嗟に思い出せないでいたのだ。
と、ここで助け舟を出したのは守屋だった。
「稲荷山古墳というのは、埼玉県にある有名な前方後円墳で、中から文字の書かれた鉄剣が出てきた事で有名になったんだよ。そこには「ワカタケル大王」の文字が書かれていて、ワカタケル大王というのは中国の歴史書『宋書倭国伝』に書かれた『武』という大和朝廷の王……雄略天皇と同一人物だと考えられているんだ。そして、同じように『ワカタケル大王』の文字が書かれた鉄剣が熊本県の江田船山古墳からも出土していて、これらの事実から、当時大和を本拠地にしていた大和朝廷……すなわち現在の天皇家が、少なくとも熊本県から埼玉県の辺りまでを勢力下においていたという事が立証されているんだ」
「……そう言えば、そんな事を日本史のテストで書かされた気が……」
ちなみにそのテストの点数はあまり思い出したくない思い出になってしまっている。まさかこんなところで日本史の復習をする事になるとは思わなかったが、来たる大学入試の際に何か役に立つかもしれないとポジティブに考える事にし、瑞穂は諦めて彼らの講釈を聞く事にした。
「つまり、赤城が死んだこの当時、大和朝廷のワカタケル大王による勢力拡大がここまで進んでいた事になります。それを踏まえて石板を検証した結果、赤城はこのワカタケル大王との戦いに敗れて死んだ可能性が出てきたんです。しかも、重要なのはその時赤城の家族も殺されているらしいという事です」
「家族、ですか?」
榊原の問い返しに、磐井は頷いた。
「石板にはこう書かれていました。西からやってきた勢力との長い戦いの末、敵は何もかも奪って行った。妻は左目を矢で射抜かれ、息子は首を剣で斬られ、娘は背中を斬られて死んでいった。赤城は家族のために墓を造ると、西から来た勢力との最後の戦いに挑み、そのまま死んでいった、と」
そこまで聞いて、榊原も何かを察したようだ。
「もしかしてあの古墳は……」
「そうです。この石板に書かれた『家族の墓』ではないかというのが教授の見解でした。教授は石板を解読して以降、ここに書かれた家族の墓がどこかにあるのではないかと主張し続けていたんです。その主張が、今回の発見で立証されたんですよ」
「なるほど……そういう話でしたか」
それなら石室が三つあるのにも頷ける。石板によれば死んだのは妻と息子と娘。家族のために造ったのなら、その数はちょうど一致する。
「ではあの壁画は?」
「実は今回、調査を進める中で中央石室の石棺の中から同じような石板が見つかったんです。まだ全部解読できたわけではありませんが、その石板にはこう書かれていました。『日が沈む外へ出て走り回る息子、日が昇るとともに甘えて母の下へ行きたがる娘。それ見て微笑んでいた妻の姿を、ここに残す』と」
「では、あの壁画の女性は、その赤城何某という豪族の妻だというのですか?」
「その可能性が高いのです」
磐井は興奮気味にそう締めくくった。
「なるほど……遺跡の事は大体わかりました。では、続いて事件の事について聞きます」
そう言われて、磐井たちの表情に再び緊張の色が浮かぶ。いきなり現実に引き戻された格好だが、榊原はその動揺によって生じた隙を突く。
「この中で教授に恨みを持っている人間は?」
相手の虚を突いたあまりにストレートな質問に、四人は怒る事も忘れて思わず顔を見合わせた。そして、少し動揺した様子を見せる。
「え、いや……それは……」
「……いいでしょう。では、他の事を聞きます」
榊原は相手が何かを言う前にあっさりと引き下がった。どうやら、答えというよりも彼らの反応を見ていたようである。
「事件の時誰がどこにいたのかはすでに警察から聞いているので割愛しましょう。磐井さんが西石室、大草さんが東石室、津壁さんが中央の十字路で、守屋さんは十字路と東石室を結ぶ階段の踊り場……でよかったですね?」
「そうですよぉー」
明子がどこかふわふわした感じに答える。
「ちなみに大草さんと守屋さん、あなたたちはほぼ同じ場所にいたようですが、互いに互いの姿が見えていたのですか?」
守屋と光江は互いに顔を見合わせたが、やがて小さく首を振った。
「どうやろ……調査に集中して周りの事何も見えてへんかったしなぁ。第一、あの石室から見るとあの階段って微妙に死角になってて、踊り場辺りは見えへんねん」
「僕も調査に集中していて大草さんの事は見ていませんでしたね。さすがに誰かが階段を通ったらわかったとは思いますけど、そんな事は銃声がして大草さんが東石室から顔を出すまではなかったし……」
どうも曖昧な証言だった。さっきの不意打ちの事もあって、多少警戒気味になっているらしい。が、榊原は気にする様子もなくこう続けた。
「そうですか。では、最後の質問です。この中で銃器の扱いに慣れているという人間がいるかどうかと、この村でその手の銃器が手に入れられるかどうかという点です」
この問いに対し、意外にもそれに手を上げたのは守屋だった。
「あの……僕、前に撃ったことがあります。グアムに旅行した時に一回だけですけど」
「他の方は?」
「いるわけないやん。ここは日本やで」
光江が呆れたように言う。
「銃器の入手に関しては?」
「……この辺は狩猟が盛んらしいから猟銃くらいはあると思うけどぉ……もしそんなものがなくなっていたら、大騒ぎになるんじゃないかなぁ……」
相変わらず浮世離れした様子で明子が答えた。
「なるほど……わかりました。質問はこれで充分です」
榊原はそう言うと、あっさり後ろに下がってしまった。思った以上に簡単に終わってしまい、誰もが拍子抜けしたような表情を浮かべている。
「終わりですか?」
「えぇ、聞くべき事は聞いたと思いますから。あぁ、ただあと一つだけ。問題の事件当時のビデオと、今まで撮影してきた写真なんかあったらそれを見せてもらえませんか? 当然、記録のために撮っていますよね?」
「もちろん撮っていますけど……」
一人興味なさげに庭の方を眺めている明子を除き、他の三人は当惑気味に相談している。が、それを見つめる榊原の目が鋭くなっている事に気付く人間は、瑞穂や鈴木を除いて誰もいない様子だった。
「……で、これがその問題のビデオですか」
弟子たちに対する簡単な尋問が終わった後、榊原たちは民宿の隣室を狩りて問題のビデオを視聴していた。映っているのは確かにあの十字路で、被害者の大友教授自身がそこにビデオをセッティングしたところから映像は映っている。
その後、被害者を含めた五人がそれぞれの主張していた場所に向かうところが映り、画面には十字路を調査していたという明子だけが映っている。それからしばらく明子は相変わらずマイペースに調査を続けていたが、十分ほどして、急にパンッと明らかな銃声が響いた。さすがに明子もびっくりした様子を浮かべ、銃声のした方……つまり、中央石室へと続く階段の方を見ている。
しばらくして、他のメンバーも集まってきた。まずカメラの手前の方から東石室の方にいた光江と守屋の二人。そしてそれから少しして、カメラの奥から磐井である。四人はその場で合流すると、そのまま中央石室の方へ降りていき、数分後には全員が血相を変えて引き返してきた。どうやら遺体を見つけたらしい。
「……なるほど。確かに被害者以外に中央石室への出入りはないな。津壁明子もずっと映像に映りっぱなしでおかしなところはなし。シンプルだが、それだけに厄介な映像だ」
榊原はそれを真剣な表情で見つめていた。
「写真の方はどうですか?」
「今から確認するが、概ね事件前日以前に撮られたものがほとんどだな。事件当日のものはない」
瑞穂に言われて、榊原はデジカメから印刷した写真をチェックしていく。デジカメは全員で共同管理しているものと磐井が個人的に持っている二つがあったが、調査用だけあって人が写っている物は少なく、大半が石室内部の様子を写したものだった。特に事件当日は宿で充電中だったという共同用のデジカメには、血が飛び散る前の壁画の様子が何枚も撮影されている。
「人でも写っていれば何かわかる事もあったかもしれないんですか……」
鈴木が残念そうに言う。が、しばらく写真を眺めていた榊原の手が不意に止まった。
「……いえ、そうとも言えないみたいですよ。もう一度、あの遺跡に行ってみましょう」
そう言うと、そのまま急に立ち上がって部屋を出て行こうとする。急な行動に鈴木や瑞穂も慌てて後を追った。
「いつもながら、行動が読めない人だな」
これまでに何度か一緒に捜査した経験のある鈴木がぼやく。瑞穂もおおむね同意見だったが、言っても仕方がない事なのであえて突っ込むような事はしなかった。
遺跡につくと、榊原はさっさと中に入って現場の中央石室に向かう。そのまま何かを確認しているようだった。
「何かわかったんですか?」
「妙な矛盾を見つけた。見てみなさい」
そう言うと、榊原は一枚の写真を瑞穂に渡した。それは、さっきの女性の壁画を写したものだった。
「あの、これが何か?」
「それは事件前日の写真だが……おかしなところがあるはずだ」
「おかしなところって……」
瑞穂は改めて写真と実際の壁画を見比べていたが、不意にその表情が変わった。
「あ、あれ? これって……目が両方ちゃんとある?」
そう、さっき見たときは左目部分が剥がれ落ちていたはずの女性の壁画が、この写真だと両目がちゃんとそろっているのである。
「これって、事件前日から事件までの間に左目の部分が剥がれ落ちたって事ですか?」
「だろうな。それが自然に剥がれ落ちたんならいいんだが……」
そう言いながら、榊原は鈴木に確認する。
「一応聞きますが、壁画に対する鑑識は?」
「できていません。何しろ相手は国宝級の歴史的価値がある壁画ですから、検査自体拒否されてしまったんです。あの血痕の処理をどうするかという点でも今もめていますし……」
「当然、射撃残渣の検査もできていませんね?」
「そうですが……もしかして、榊原さんは左目の破損が銃弾によるものではないかと?」
榊原は黙って頷いた。が、鈴木は厳しい顔で反論する。
「でも、待ってください。だとすると変です。あそこに銃弾が命中したという事は、つまり犯人は弾を一発外したという事になります。致命傷の弾痕は被害者の頭部から見つかりましたから、射殺後に貫通した弾丸があそこを傷つけた可能性は皆無です。でも、それなら二発目の弾丸はどこに消えたんですか? それに、あのビデオには銃声は一発しか記録されていません」
「跳弾で跳ね返った弾が被害者の左目に命中したって事はあり得ませんか?」
瑞穂が推理を述べるが、鈴木は難しい顔をする。
「脚立の位置から考えて、教授はあの女性の絵のすぐ真下で作業していた可能性が高い。あそこに命中した跳弾が被害者の左目を突き抜けるという事になれば、被害者は犯人が銃を構えているにもかかわらず呑気に上の壁画の方を向て調査を続行してしまう事になってしまう。ちょっと考えにくい光景ではあるが……」
「じゃあ、あの銃声が実はフェイクで、実際はサイレンサーか何かをつけて発砲していたとすれば? 死亡推定時刻を誤魔化すために」
瑞穂はそう言って推理を切り替えるが、鈴木はなおも難しい表情のままだった。
「誤魔化すも何も、被害者がここに入ってから遺体が発見されるまで人の出入りがなかった事に変わりはない。それに、二発目の銃弾だけをなぜ回収したのかという謎も残る」
「あぁ、もう、お手上げです。先生はどう考えているんですか?」
これに対し、榊原は少し真剣な表情で何か別の事を考えている様子だった。
「……もう少しこの部屋を調べてみるか。どうも気になる事がある」
そう言って、再度部屋の中を真剣に調べ始めた。その手には別の写真が握られている。
「気になる事って?」
「ここに描かれた壁画の配置だ。天井の絵はおそらくここに埋葬されていた赤城何某という豪族の妻の絵が描かれているんだろう。だが、四方の壁に書かれている絵が謎だ。玄武、朱雀、白虎、青龍……これは現実の方角とほぼ一致しているが、どうしてこんなものをわざわざ描く必要があったんだ?」
「何か意味があったと?」
「探偵として、私は何かあると考える」
そのまま玄武、白虎、朱雀と調べていき、最後に東の壁の青龍を調べているときに榊原の動きが急に止まった。
「……あったぞ」
そう言いながら、榊原は青龍の目を指さした。見ると、そこだけなぜか少し盛り上がっているようにも見える。他の絵にこんなものはなかったはずだ。
「聞きますが、この壁画に触れた人間は今までいますか?」
「いや、いないでしょう。さっきも言ったように国宝級の壁画ですから、警察はもちろん、発掘チームだって調査する事はあっても直接触ってみる事はしていないかと……」
「でしょうね」
そう言うと榊原は……瑞穂たちが何か言う前に、手袋をした手でその盛り上がった青龍の目の部分を軽く押してしまったのだった。止める暇もなかった。さすがの瑞穂や鈴木も呆気にとられた表情をし、思わず瑞穂が絶叫した。
「なっ……先生、何を!」
が、直後、そんな瑞穂の叫びを隠すように、突然その盛り上がった青龍の目がするりと奥へ引っ込んでくぼみになってしまった。瑞穂たちが呆気にとられていると今度がガタンッという音がする。そして、榊原は青龍の目の部分に手をかけると、思いっきり力を込めて横へと引っ張った。直後……青龍の絵が描かれていた部分の壁が、ゆっくりと横へ移動するのを、瑞穂は目撃した。その奥にはあるはずの地面はなく、暗い空間がぽっかり開いている。
「こ、これって……」
絶句する瑞穂に対し、壁……否、壁に偽装された扉を開き終えた榊原は正解を告げた。
「隠し部屋……というか、隠し通路だな。そして、こいつが通じている先は……」
そのまま榊原は通路に入っていく。その先には、また別の隠し扉があった。こちらは最初から手をかけるくぼみがあり、榊原がそこに手をやって横に引っ張ると、こちらもゆっくりと開いた。その先に広がっていた場所に瑞穂は覚えがあった。
「こいつは……東石室か」
榊原の言葉に瑞穂は唖然とし、そして思わず叫んでいた。
「ど、どうしてこんなものがあるなんてわかったんですか!」
「今までの話を総合した上での結果だ。その点に関しては後ほど話すとして、今はこの隠し通路の事を調べようか。どうやら、事件の構図が大きく変わりそうだ」
その言葉に、瑞穂は息を飲んだ。確かに、今まで密室だと思われていたこの事件に、文字通り風穴があいたのである。密室に秘密の通路が存在したなどという話は、推理小説的な立場からすれば邪道もいいところだが、これは現実の殺人事件である。瑞穂たちが真剣な表情で考え込んでいるうちに、榊原はつぶさに扉を観察し終えていた。
「……通路側からはこのくぼみに手をかけて横に引っ張ればいいが、両方の石室側からは、それぞれの壁に書かれた壁画にあるでっぱりを押して取っ手を作る必要があるようだ。ただ、そのでっぱりが絵の下にあったものだからここを調べたメンバーも触るわけにいかず、だからこそこの通路の存在に行きつく事ができなかった、という事か」
「榊原さん、この通路を使えば東石室から中央石室に向かう事は可能ですか?」
鈴木が緊張した様子で言う。それが可能なら、東石室で調査していた大草光江に犯行のチャンスが生まれるのだ。だが、榊原はあくまで冷静だった。
「少し実験してみましょうか」
そう言うと、榊原はいったん両方の扉を閉めて中央石室に戻り、どこからか取り出したストップウォッチを押して扉を開け始めた。かなり重い扉らしく、人一人通れる程度にまで開けるのに一分以上かかる。それが二枚ある計算になるので、二枚の扉を開けるのには三分程度かかる計算になるだろう。戻ってきた榊原が慎重に推理を進める。
「つまり、被害者を射殺した犯人がこの通路を使って現場から脱出するには三分程度かかる計算になる。が、さっき見たビデオだと、銃声がしてから大草光江がカメラの前に姿を現すまで一分前後しかかかっていないはずだ」
「あ」
確かにそうだった。つまり、行く事は可能でも時間的に犯行が無理なのである。
「待ってください。それなら……さっき瑞穂ちゃんが言った銃声フェイク説が生きてくるんじゃないですか?」
と、不意に鈴木がそうコメントした。
「つまり、実際の犯行時間は銃声よりも前で、犯人は銃声がするよりはるか前にこの扉を使って現場に侵入し被害者を射殺した、と?」
「それなら扉の開閉時間の問題はクリアできるはずです。どうでしょうか?」
だが、榊原は難しい顔でこう言った。
「問題点が三つあります。一つは、そのフェイクの銃声をどうやって起こしたのか? 現場にそれらしいものはなかったはずです。もう一つは、凶器をどう処理したのか。本人は密室に出入りできても、凶器の拳銃を誰も持っていなかったのは事実ですからね。見たところ、この通路にもそれらしいものはありませんし」
榊原は通路の中を覗きながら言った。
「最後の一つは?」
「この通路が使われた場合、犯人は大草光江という事になりますが、だとしたらいくらなんでもすぐそばの階段踊り場にいた守屋に気付かれませんかね。もし気付かれなかったとしても、彼女からしてみればいつ気が付かれるかもしれないという不安があるはず。その状況で犯行を実行できるかといえば……」
「それは……確かにそうですね」
踊り場にいる守屋の存在がここへきて絶妙なものになってしまっているのである。せっかく出てきた突破口がまた閉じてしまいそうな感じである。
「私にはお手上げです。榊原さんは何か考えがあるんですか? あるのであれば、ぜひ教えてもらいたいのですが……」
鈴木の言葉に、榊原は目を閉じて考えるような動作を見せた。おそらく、今までの情報を頭の中で整理、構築しているのだろう。瑞穂は祈るような気持ちで榊原を見つめていた。
それからしばらくして、榊原は目を開けて二人を見据えると、何か覚悟を決めたように決然とした表情でこう告げた。
「……いいでしょう。一応、ここまでの捜査で考えられる事はあります。その推理を踏まえれば、現段階でこの事件に対する結論を出す事は不可能ではないと思います」
その言葉に、鈴木と瑞穂は色めき立った。
「本当ですか?」
「えぇ。ただ……ちょっと突飛な考えですのでね。正直、私自身少し信じられない思いですが……考えられる論理はこれだけです。私も覚悟を決める事としましょう」
そして榊原は鈴木にこんな指示を出す。
「この際です。通路を見つけた事を口実にしてあの四人を呼んできてもらえますか? その場ですべてを明らかにしてみせましょう。この事件に隠された……想像を絶する密室殺人劇の真相をね」
そういう榊原の表情に、彼が犯人と対峙するとき特有の鋭いものが混じっているのを、瑞穂ははっきり見て取っていたのだった……。