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三大密室狂想曲  作者: 奥田光治
第一事件 史上最深の密室『深海800mの殺人』(東京都小笠原諸島父島沖)
2/13

第二章 捜査

 遅れて港に戻ると、榊原と瑞穂の二人はすでに船の前に待機していた。さすがに勝手に現場に乗り込むような事はしないらしい。

「あぁ、どうも。ええっと……」

「畠山です。畠山武則。一応巡査部長です」

 畠山は改めてそう自己紹介しながら二人の下へ近づいた。改めて榊原の姿を一瞥するが、どう見てもくたびれた中年サラリーマン以外の何者でもなく、お世辞にも警察官たちのあこがれである本庁捜査一課所属の伝説の刑事だった男には見えない。さっきの話は何かの間違いだったのではないかと思いながらも、畠山は渋々話を進める事にした。

「一応、自分が監視役として同行します。よろしいですね?」

「もちろんです。私から無理を言っているようなものですから、そのくらいは当然です」

 そう言いながら、榊原はゆっくりと背後に船を見上げた。

「ここが現場ですか?」

「正確には、この中に現場があるというのが正しいんでしょうが……ひとまず、行きましょう」

 そう言うと、畠山は榊原たちを引き連れて船内に入り、そのまま後方デッキへと出た。先程と変わらず、現場となった潜水艇がその場に鎮座している。違うのは、その周りに他の警官たちが立ち、潜水艇の外から覗き込むようにして診療所から駆け付けた医師が遺体の確認を行っている事だ。

「村越先生!」

 畠山が呼び掛けると、村越と呼ばれた医師はクルリと振り返って小さく一礼した。

「おぉ、遅かったな。中に入るわけにもいかないし、どうしたものかと困っていたところだよ」

「すみませんね、色々とあったもので」

 畠山は背後を気にしながらそう言う。その背後では、榊原がジッと潜水艇の中を確認していたが、やがてこう畠山に話しかけた。

「あれが問題の遺体ですか?」

「えぇ。一人は池永太一郎教授。国立海洋博物館の研究員で、同時に桜森海洋大学の教授でもあります。もう一人は潜水艇のパイロットで、名前は長良家久。ご覧の通り、二人ともあの潜水艇の中で遺体となって発見されました」

「現場は潜水艇の中……なるほど、これは確かに厄介そうですね」

 榊原はそう言うと何やら考え込んでしまった。その後ろで、瑞穂が物珍しそうに潜水艇を見つめている。驚いた事に、このような状況にもかかわらず彼女はほとんど動じる事はないようだった。何というか、このような場面に遭遇するのが初めてではない様子でもある。

 それどころかこんな事を言い始めた。

「池永教授って、確か海洋研究の第一人者じゃありませんでしたっけ? 何年か前に生きたマッコウクジラが深海で行動する姿を世界で初めてカメラに収めたとかで、何かのテレビ番組のドキュメンタリーに出ていたって聞いた事があるんですけど」

「よく知ってるね」

「私の友達の由衣って子が桜森海洋大学志望で、この人の話をよく聞かされていたんです。でも、殺されたって聞いたら悲しむだろうなぁ。由衣、この教授のゼミに行きたいって言ってたし」

 背後の二人の会話を話半分に聞きながら、畠山は頭を振って村越医師に話しかけた。

「それで先生、見立てはどうですか?」

「外から見た感じだと、二人とも胸を何かで刺されたようにも見えるが……詳しくはちゃんと調べてみないとわからん。いずれにせよ、遺体を外に出してほしいんだが」

「その前に、中の捜査が必要ですからね」

 そして、この場でそれが可能な人間は不本意ながら一人しかいない。畠山は背後を振り返ると、榊原に呼びかけた。

「そういうわけです。お願いできますかね?」

「その前に一応聞いておきますが、遺体発見後、誰も潜水艇の中には入っていませんね?」

 榊原の問いに、畠山ははっきり答える。

「さっき少し話を聞いた限り、死亡を確認した船医以外は誰も中には入っていないという事でしたが」

「結構。なら……久々にやってみるとするか」

 そう言った瞬間、榊原の目つきが不意に鋭くなったのを畠山は見て取っていた。容姿そのものはくたびれたサラリーマンのままだが、何というか、今までの雰囲気とは明らかに違う鋭いものが榊原の体から発せられているように感じられたのである。畠山が息を飲んでいるうちに、榊原は持ってきたアタッシュケースから手袋と足袋を取り出すとそれを身につけていた。

「あなた……そんなものを持ち歩いているんですか?」

「習慣ですよ。こんな仕事をしていると、いつ使う事になるかわかりませんからね」

 そう言いながら、榊原はいったん呼吸を整えると、そのまま潜水艇の上に登っていく。潜水艇の中に入る唯一の出入口であるハッチは潜水艇の上にセッティングされているからだ。どうやら内側、外側の両方から開閉できるようになっているようである。海水に濡れたハッチのハンドルをゆっくり回していくと、しばらくしてハッチがゆっくりと上に開いて中から何とも言えない異臭が外に漏れだしてきた。それが血の臭いであるという事は、さすがの畠山にもすぐにわかった。

「狭いな……見た感じ、最大でも三人乗れるかと言ったところか」

 そう言いながらも、榊原は血の臭いを気にする様子もなくそのまま狭い潜水艇の中へと入っていく。三つの座席のうち唯一誰も座っていない場所に着地すると、そのまま遺体を確認し始めた。

「瑞穂ちゃん、ちょっと記録を取ってくれないか?」

「はーい」

 榊原が中から呼びかけると、瑞穂が榊原の置いて行ったアタッシュケースから手帳を取り出し、そのままガラス越しに榊原の前に立った。それを見ると、榊原は淡々と言葉を紡ぎ出していく。

「現在時刻は午後三時。畠山さん、遺体発見の時間はわかりますか?」

「関係者の話だと、今から一時間前……午後二時頃だという事です。潜水を開始したのが午前九時頃で、五時間後に浮上してきた潜水艇の中に血まみれの死体があるのを確認したそうです」

「結構です。さて……詳しくは後で村越医師に正式に検視をしてもらう必要はあるが、遺体の硬直具合から見て、双方ともに死後四時間から五時間と言ったところか。今は遺体発見からざっと一時間後だから、実際の犯行時刻は遺体発見の三時間前から四時間前……多少誤差はあるだろうが、午前十時から午前十一時までの間というのが妥当だろう。潜水開始から一時間から二時間が経過した頃だな。死因は胸の刺し傷……おそらくナイフか何かだろうが、傷の位置から見てほぼ即死だろうな。外傷はその一ヶ所。状況的に明らかに他殺だ」

「両方自殺とか、一方が殺してもう一方が自殺とかの可能性はないんですか?」

 瑞穂が極めて常識的な推論を言うが、榊原は首を振る。

「自殺なら、凶器が抜けている可能性は低いだろう。もっとも、自殺した後で遺体からナイフを抜く仕掛けでもしていたなら話は別だが……今の所それらしき痕跡はないな」

 そう言いながらも、榊原は注意深く周囲を確認している。どこから取り出したのか、自前のデジタルカメラで記録用の写真もちゃんと撮っているようだ。

「遺留品は被害者の物と思しきビデオカメラに結露を拭くためのタオル類。それにペットボトルの水に……おっと、こいつが凶器だな」

 そう言うと、榊原は座席の隙間辺りから一本の血まみれのナイフを取り出した。刃渡り二十センチ程度の一般的なナイフである。凶器が船内から回収された事で、その場が一気に緊張に包まれた。

「後で指紋を調べる必要はあるだろう。それと、このナイフが最初からこの潜水艇の中にあったものなのかどうかもだ。関係者は全員船内にとどめてあるんですよね?」

 いきなり聞かれて畠山は慌てて答えた。

「えぇ。全部で四十七人だそうです。事件後、事件を外に知らせた数名を除いて下船した人間はいません。今は全員を船内のミーティングルームに集めてあります」

「四十七人か……予想以上に多いな」

 榊原はそう言いながら、少し考えると畠山にこう指示を出した。

「見た限りの死亡推定時刻は午前十時から午前十一時頃と推定されます。ひとまず、この時間帯にアリバイのない人間をピックアップしてもらえますか?」

「それは構いませんが……ひとまずというのは?」

「何しろ深海の密室ですからね。自動殺人装置の線も捨てきれないというだけです。それに関してはもう少し調べる必要性がありますが、まずは潰せるところから潰しておきたい」

「わかりました。先輩たちに知らせておきます」

 畠山はそう言うと携帯で関係者を監視している警官らに連絡を取った。その間に、榊原は他の遺留品である池永のものと思しきビデオカメラを手に取った。

「それとこのビデオカメラだが……ん? おかしいな」

「どうしたんですか?」

「データが何も残っていない。まっさらだ」

 榊原はそう言いながら首をかしげる。記録を採っている瑞穂も思わずその手を止めた。

「まっさらって……メモリーチップが抜かれているとかそういう事ですか?」

「いや、それは抜き取られていない。そもそも使われていないようだ」

「そんな事ってあるんですかね?」

「こいつを使う前に何かがあった、と考えるのが妥当だろうが……。いずれにせよ、これで事件当時の船内の様子を知るのは不可能なようだな」

 そう言いながら、榊原はもう一度周囲を見回すとこう言った。

「……まぁ、とりあえずこんなものか。後は各機器に関する調査だが……こればかりは関係者の協力がないと難しいな。私には何をどういじればいいのかわからん。ひとまず遺体を出そうか」

 そう言うと、榊原は畠山や村越に合図を送る。それを見て、二人や近くにいた警官たちが担架を持って潜水艇の上に登った。中に入りたいのはやまやまだが、すでに榊原が入った事で三人乗りの潜水艇はいっぱいになっており、これ以上中に入る事はできない。

「私が遺体を持ち上げますので、何とか引っ張り上げてください。血は概ね乾いているようですが、できるだけ遺体の状況を崩さないように」

 ……それから十数分かけて、二人の遺体はようやく潜水艇の外へと運び出された。すでに死後硬直がかなり進んでいるため、座席に座ったような体勢のまま担架の上に寝かせられている。いったん榊原も外に出て、改めて甲板の上で検視をしている村越医師に質問をした。

「どうですか?」

「……概ね、君のさっきの検視と同じ意見だよ。死亡推定時刻や死因は君がさっき言ったもので間違いなさそうだ。医者としてちゃんと保証してやる」

「どうも」

「じゃあ、こいつはうちの診療所で正式に解剖だな。やれやれ、まさかこの島で司法解剖なんかする羽目になるとは……」

 そうぶつくさ言いながら、何人かの警官たちに頼んで村越医師は遺体を船外に運んでいった。後には畠山と榊原、瑞穂の三人のみが残される。

 と、そこで畠山の携帯に連絡が入った。出ると、先程アリバイ調べを頼んだ先輩警官からだった。

「はい、はい……わかりました。今書き写します」

 そう言いながら、畠山は何やら手帳にメモをしている。やがて電話を切ると、彼は榊原に告げた。

「調べた結果、問題の時間にアリバイのない人間を五人確認したそうです」

「そこまで絞れましたか。それで、そのメンバーは?」

 畠山は黙ってメモを差し出す。そこにはこう書かれていた。


・林盛親……国立海洋博物館研究員、京阪大学海洋学部教授

・青島信孝……国立海洋博物館研究員、桜森海洋大学准教授

・高千穂和也……太平洋サルベージ社社員、エンジニア

・荻村紬……桜森海洋大学大学院生

・矢崎仁……船医


「……以上五名です。他のメンバーには何らかのアリバイがありました」

「まずは彼らからですね。事情聴取に同席しても?」

「お好きにどうぞ」

 畠山の言葉に榊原は頷くと、瑞穂と一緒に関係者が集められているミーティングルームへ向かったのだった。


 部屋に到着すると、すでに畠山から連絡がしてあったのか、問題の五人はミーティングルーム横の小会議室に集められていた。

 サブリーダーの林は畠山にも見覚えがあった。畠山が駆け付けたときに潜水艇まで案内してくれた、この調査チームのサブリーダーである。池永亡き今となってはこのチームのリーダー代理である事もあって、その顔には緊張が浮かんでいる。

 その林の隣にいる青島信孝は、立派な顎髭を生やした三十代中盤の男性だった。アウトドアなどに使うと思しきジャケットをはおり、顔にはサングラスをかけていて、どこかフィールドワークタイプの学者と言った風貌である。

 エンジニアの高千穂和也はどことなく不愛想な表情を浮かべた三十代前後の男性だった。灰色の作業着に身を包んだ無精髭を生やした風貌で、いかにもエンジニアという容姿ではある。その作業着に「太平洋サルベージ」というロゴが入っているのが見える。確か、潜水艇の中で死んでいたパイロットの長良も、種類こそ違えど同じロゴの入った服を着ていたのを畠山は思い返していた。

 荻村紬はこの中で唯一の女性だった。大学院生だけあってまだ若く、二十代半ばと言ったところだろうか。眼鏡をかけ、動きやすいようにか短めにした髪にジーンズをはいているという格好である。桜森海洋大学の所属という事だから、おそらく池永教授の関係でここにいるのだろうが、突然の事態にどこか放心状態と言った風であった。

 最後の矢崎仁は、船医らしく白衣を着た男性だった。年齢は四十代半ばだろうか。黒縁の眼鏡をかけたかなり真面目そうな風貌で、こんな状況だというのに丁寧に頭を下げて畠山たちに黙礼した。

「お集まりいただいてありがとうございます。これから少し、事情聴取を行いたいのですが、ご協力お願いできるでしょうか?」

「ちょっと待ってください。どうして、メンバーの中で我々が呼び出されたのか、その理由を教えてくれませんか?」

 畠山の言葉にそう反論したのは林だった。

「えっとそれは……」

「私から説明しましょう」

 そう言って畠山に代わって前に出たのは榊原だった。

「あの、あなたは? 見たところ警察の方というわけではなさそうですが……」

「失礼、私立探偵の榊原と言います。たまたまこの島にいたんですが、本土から捜査一課が到着するまでの間、捜査のアドバイザーとして協力してほしいと警察から依頼を受けた次第です。よろしくお願いします」

「は、はぁ……」

 思わぬ自己紹介に林は戸惑ったような声を出す。他の人々のメンバーも同じような様子である。もっとも、一般人の探偵が警察に協力するなどというどこぞの推理小説めいた事が実際に目の前で行われているのだから、それも当然なのかもしれない。

 そんな様子を見て、榊原も苦笑気味に答えた。

「一応言っておきますと、私はかつて捜査一課の刑事だった事がありますので、全くの素人というわけではありませんからその点はご安心ください。警察としても、一課が到着するまで殺人の捜査経験のないこの島の所轄署だけに事件を任せるわけにはいかないという事で、緊急措置として私に捜査活動を依頼したのでしょう。そういう事ですので、どうかご協力ください」

 言いにくい事をいともあっさりと言われてしまい、複雑な表情をする畠山だったが、榊原は素知らぬ風に話を続ける。

「先程の質問ですが、検視の結果池永教授、及び長良パイロットの死亡時刻は午前十時から午前十一時頃と判定されました。現在、殺害の状況に関しては捜査中ですが、何にせよ、この時間にアリバイのない方々に話を聞くべきだと判断しました」

「それで、我々が呼ばれたと?」

「その通りです。お話を聞かせてもらえますか?」

 榊原は、静かながらも有無を言わさぬ口調で問いかけた。その言葉に、林たちは顔を見合わせながらも不承不承頷く。

「ありがとうございます。では、畠山さん、質問はあなたからお願いします」

「え、僕ですか?」

 驚く畠山に榊原はこう言い添えた。

「当然でしょう。こういう事は正式な警察官がやるのが一番です。私はあくまでもアドバイザーですからね。足りない事があればその都度聞く事にします」

 そう言うと、榊原はあっさりと畠山に場所を譲った。どうやらあくまでアドバイザーとして立場を貫くらしい。そう言われてしまえばそれも当然の話なので、やむなく畠山は慣れないながらも質問を始める事にした。

「えー、では、まずは事件に至るまでの流れを説明してください。聞いた話では、あの潜水艇は午前九時に潜航を開始したという事ですが?」

「その通りです。父島の東沖合十五キロメートルの辺りで八時頃から準備を始めて、九時きっかりに潜水を始めました。出発するとき、教授も長良君も間違いなく潜水艇の中で元気そうにしていました」

 林が必死に訴える。

「潜水艇はいつも通りだったんですか?」

「そのはずですが……どうだね、高千穂君」

 その言葉に、エンジニアの高千穂は不愛想に答えた。

「潜水艇に問題はなかったはずだ。いつも通り、ちゃんと整備をして送り出した」

「高千穂さん、あなたと長良さんは同じ会社の人間ですか?」

「そうだ。太平洋サルベージ社。サルベージ業務全般や、潜水艇の操縦業務をやっている。今回は池永教授からの依頼を受けてこの調査に参加している。あの潜水艇もわが社の所有物だ。長良はうちの腕利きのパイロットで、俺の同期でもあった」

「出発前の長良さんの様子に変わった事はありましたか?」

「さぁ……俺は整備作業に集中していたし、あいつはあいつで行程確認をしていたはずだから、よくわからない」

「そうですか……」

 と、そこで榊原が不意に口を挟んだ。

「今、行程と言いましたね。そもそも今日の潜水は、具体的にどのような予定だったのですか?」

 答えたのは林だった。

「えっと……午前九時に潜水を開始して、その後深海八〇〇メートル地点で二時間から三時間ほど調査した後浮上する予定でした。潜水予定時間は五時間です」

「という事は、潜水にかかる時間は一時間前後という事ですか?」

 榊原はさらに突っ込む。これには高千穂が答えた。

「そうだ。あの潜水艇は一分間に十メートルのペースで潜航するようになっている。浮上速度も同じだ。だから、一時間で六〇〇メートルの潜航が可能になる」

「つまり、目標の八〇〇メートル地点に潜るまで約一時間二十分。なるほど……。できれば、もう少しあの潜水艇のスペックを教えてもらえますか?」

 榊原はなぜか妙なところにこだわった。高千穂も少し訝しげな表情をしながら答える。

「最高潜水深度は一〇〇〇メートル。それ以下に潜ると安全装置が作動して強制的に自動浮上を開始する。あと、潜航や浮上だけではなくスクリューを使えば一応前進もできる。と言っても、秒速四メートルほどだが」

 と、ここで林が補足した。

「この父島沖の深海七〇〇メートルから下の領域には、父島から沖合へ向かって流れる緩やかな海流があるんです。よって、海流に逆らってその場にとどまり続けるにはそれと同じだけの速度を出して制止する必要があります。そういうわけで、潜水艇にもそうした機能が必要なのですよ」

「そうですか……いや、割り込んで失礼。続けてください」

 そう言われて、畠山は咳払いをして質問を続行する。

「それで……その後はどうなったんですか?」

「順調だったはずです。ちゃんと予定通り潜航しているという通信が入り続けていました。ところが潜航開始から一時間十五分後……ちょうど目標地点に到着する直前になる辺りで『まもなく目標地点に到達する』という連絡を受けた後、急に通信ができなくなって……」

「それはいつもある事なんですか?」

「えぇ、まぁ。予定深度に到達したら、しばらくは調査に没頭して何か予定外の事でもない限りは三十分くらい通信しない事もありました。だから最初はそこまで気にしていなかったんです。ですが、今日は最後の通信から一時間経過しても何も連絡がありませんでした。でも我々にはどうする事もできなくて……」

「そのまま午後二時まで待った、と」

「そうです。で、午後二時過ぎになって予定通り潜水艇は船の近くに浮かんできたんですが、その中には……」

 あとは言わずもがなである。と、ここで再度榊原が質問した。

「度々失礼。死亡推定時刻が午前十時から午前十一時である以上、浮上時点で乗務員二人が死亡しているのは明白です。その状態で浮上する事が可能なのですか?」

「さっき言った強制浮上モードになれば可能だ。おそらく、操縦者がいなくなったことで深度一〇〇〇メートルまで降下。そこで安全装置が作動して強制浮上モードになったと考えるのが妥当だろう」

 高千穂が首を振りながら答える。が、榊原は食い下がった。

「仮にそうなら浮上にかかる時間は一時間四十分。つまり、潜水艇が限界深度の一〇〇〇メートルに到達したのは十二時二十分前後となります。しかし何度も言うように死亡推定時刻は午前十時から十一時です。仮に十一時に死亡したとして、そこから約一時間二十分の間、どうやって限界深度にまで沈まないように船体を維持できたんでしょうか?」

 当然の問いだった。先程の計算なら、八〇〇メートル地点から限界深度の一〇〇〇メートル地点まで沈むのに二十分しかかからない。計算が合わないのである。

 が、これに対して高千穂は涼しい表情で答える。

「いや、目標の八〇〇メートルに到達した時点で、位置を固定するために自動操縦モードに切り替えられる。これを作動させると、コンピューターが自動で深度や位置を維持するよう操縦してくれる。そうでもしないと調査をする数時間の間、ずっと同じ深度にいるためにパイロットが神経を張り詰めさせないといけなくなるからな。ただし、複雑に動く海流などの動きを計算するために、このモードは一時間ごとに更新する必要がある。もし更新されなかったら、その時点でモードは切れ、沈んでいくだけだ」

 それなら、仮に死亡時刻が十一時だったとして、死亡する直前にこのモードが作動したと考えれば、十二時きっかりにモードが切れて沈降開始。二十分後に限界深度の一〇〇〇メートルに到達して緊急浮上を開始し、その一時間四十分後の午後二時前後に水面に浮上という事になる。時間的には充分に一致している。

「……わかりました。畠山さん、続きをどうぞ」

 途中で質問を挟まれてやりにくいが、畠山は質問を継続していく。

「では、遺体発見後の事を」

「とにかくびっくりして、まずはクレーンを使って潜水艇を回収しました。それで、矢崎先生を呼んできて中を確認してもらったんですが……」

「矢崎さん、そうなんですか?」

 畠山が矢崎に問いかけると、矢崎は丁寧な口調で答えた。

「そうですね。確かにその通りです。何はともあれ遺体を確認しなければならなかったので、悪いとは思いましたがハッチを開けて中の遺体を確認しました。すでに脈はなく、二人とも死亡しているのを確認しました。死因が刺創によるものだという事は明白だったので、すぐさま現場保存のために潜水艇を出てハッチを締め直しました。私があの場でやったのはそれだけです」

 要するに、矢崎だけは遺体発見後に死亡確認のために唯一潜水艇の中に入っているのである。

「後で指紋を提出してください。区別の際に必要ですので」

「致し方ありませんね」

 矢崎はあっさり了承した。畠山はそこでチラリと後方の榊原を見やったが、今度は特に何もないらしく黙って容疑者たちを見つめている。畠山はなぜかホッとしたような気分になりながら、さらに質問を続けた。

「えー、では、死亡推定時刻……すなわち午前十時から十一時頃までのアリバイ、それに被害者との関係を一人ずつ聞かせてください。まずは林さんから」

 そう言われて林は首を振りながら答える。

「その時間なら私は船内の自室で今までのデータ確認をしていました。実地調査も重要ですが、こういうデータの処理も大切な事なんですよ。私の仕事は主にこうしたデータ処理なんかのバックアップですね」

「池永さんとの関係は? サブリーダーとの事ですが」

「同じ国立海洋博物館所属の研究員ですよ。もっとも、教授として所属する大学は、彼は出身校の桜森海洋大学なのに対して私は大阪にある京阪大学海洋学部ですが」

 どうやら同じ博物館の研究員ではあっても、所属大学は違うらしい。

「長良さんとは?」

「特には……。多分、他のみんなもそうだと思いますよ。太平洋サルベージ社に協力を頼んだのは今回が初めてですし、彼とは今回の調査で初めて会いましたから」

「そうなんですか?」

 これには高千穂が頷いた。

「あぁ、今回の調査に当たって池永教授がうちの会社に依頼してきた。それだけの関係だ」

「ですが、同じ社のあなたは当然長良さんとは親しいですよね」

「もちろんだ。だが、池永教授とは今回の調査以外に利害関係はない」

 畠山は咳払いして改めて高千穂に問いかけた。

「では、せっかくですので次はあなたです。あなたのアリバイは?」

「俺はずっと甲板奥のドックで別の潜水艇の整備をしていた。この船には潜水艇がもう一隻あるからな。一方が使われている間にもう一隻を整備するのが普通だ」

「もう一隻あるんですか?」

 それは聞き捨てならない話だった。が、高千穂は畠山が何を言いたいのか察したらしく、すぐにこう付け加えた。

「言っておくが、潜水艇を動かそうと思ったら一人じゃ無理だ。たくさんの人間が協力して初めて潜水艇は潜航できる。だからこっそり潜水艇を使うなんて芸当は無理だと思う。そもそもこの船にはパイロットは長良一人しかいないし、仮にもう一隻で深海まで潜ってもどうする事もできないと思うが」

「はぁ……」

 そう言われてしまっては畠山としても何か言える立場ではない。やむなく他のメンバーへと矛先を変える。

「えっと、次は……青島さん、でしたね?」

 次に声をかけたのは、サングラスにアウトドア派の格好をしている青島だった。

「あぁ、俺が青島だよ。一応、国立海洋博物館の研究員で、ついでに桜森海洋大学の准教授でもある」

「桜森海洋大学……という事は、池永教授と同じですか?」

「そう。教授は俺の恩師でさ。その縁で今回の調査に誘われたってわけ」

 青島は気さくな様子で言う。

「十時から十一時までの間はこの船のどこに?」

「んー、いや、俺、この船にはいなかったんだよねぇ」

 思わぬ言葉に、畠山は訝しげな表情をする。

「いなかった、というのは?」

「いや、その頃俺はこの母船から離れて、別のボートで単独調査に出ていたんでね。潜水艇から連絡がなくなったって事も、調査が終わって母船に戻った時に初めて知った」

 青島は首をすくめながらそう答えた。どう質問をつなげていったものかと、こうした経験があまりない畠山が一瞬戸惑う。

 と、それを見越していたのかここで榊原が久しぶりに口を挟んだ。

「調査というのはあなた一人で?」

「そうだよ。俺はボートの操縦免許も持っているんでね。操縦から調査まで単独で行動していたんだよ」

「具体的にはどの辺りで調査を?」

「そうだなぁ……。母船、つまりこの船のいた辺りからさらに沖合に二十キロメートルほど行った辺りかな。その辺にマッコウクジラの群れがいたんで、しばらく追跡調査をしていたよ。疑うなら証拠の写真だってあるし、船の位置情報も残ってる」

「具体的な時間は?」

「えーっと、この船を出発したのが朝の九時半頃……潜水艇が潜水し始めてから三十分後くらいかな。そこから調査を始めて、戻ったのは午後一時頃だったかな。潜水艇が浮上して教授たちの死体が見つかる一時間前だな」

 青島は榊原の問いにスラスラと答える。それに対し、榊原は林に確認を取った。

「今の言葉に間違いありませんか?」

「えぇ。確かにその時刻だったと思います」

「なるほど。結構です」

 そう言うと、榊原は残る一人……紅一点の荻村紬に視線を送った。それを見て、改めて畠山が質問に復帰する。

「では、荻村さん。次はあなたですが、あなたと被害者との関係は?」

「せ、先生は私の指導教授です。私、今は桜森海洋大学の大学院生で……その研究の一環で先生に今回の調査に同行させてもらったんです」

 紬は今にも泣きそうになりながらそう答える。

「では、事件当時のあなたのアリバイを聞かせてください」

「それが……私、昨日から体調がずっと悪くて……そのせいで今日はずっと船内の自室のベッドで寝たきりだったんです。だから、正直何が起こったのか……」

 その答えに、畠山は思わず矢崎の方を見やった。矢崎は小さく頷く。

「本当です。症状から見て慣れない生活からくるただの風邪でしょうが、彼女には昨日から休息するように言っていました。診断書も用意できます」

 医者である矢崎にそう言われてしまえば、それを信じるしかない。とはいえ、このまま終わるわけにもいかず、畠山は思わず榊原を見やった。それを見て、榊原が小さく息をついて代わりに質問する。

「では、あなたが池永教授、もしくは長良パイロットを最後に見たのはいつですか?」

「えっと……昨日の夕食の時だったと思います……。今朝の朝食は、具合が悪かったので矢崎さんに自室まで持ってきてもらいましたから……」

 矢崎を見やると、彼は無言で肯定するように頷く。

「この事件に何か心当たりは?」

「あ、ありません! 先生は素晴らしい方でした! どうしてこんな……」

 そう言うと、紬は顔を覆って泣き出してしまった。が、榊原はあくまで冷静に彼女を観察しているような視線を向け、そのまま無言で後ろに下がる。畠山はやや気後れした表情を見せていたが、我に返って最後に矢崎に質問をぶつける。

「最後に矢崎さん、あなたのアリバイは?」

 これに対し、矢崎は丁寧に答えた。

「私はずっと船医室にいました。それが私の仕事ですからね。幸い、紬さん以外に病人はいなかったので、午後二時に林さんに呼ばれるまではずっと部屋で仕事をしていました。だから、外で何が起こっていたのかはわかりません」

 落ち着いた様子で淡々と答える矢崎に、突っ込むべき要素は存在しない。畠山は榊原の方をちらりと見たが、今回は榊原も特に何か質問する事はないようだ。

「……わかりました。僕からは以上です。榊原さん、他に何かありますか?」

 最後に榊原に尋ねる。榊原は少し何かを考えていたようだったが、やがてこんな質問をぶつけた。

「これが凶器として使われたナイフなのですが、心当たりはありますか?」

 そう言いながら、榊原はデジカメの写真を見せる。いつの間にか撮影していたらしい。林たちはしばらくそれを見ていたが、やがて戸惑い気味にこう答えた。

「これは……確か高千穂君の整備道具の中に入っていたナイフじゃないかな」

 林の言葉に高千穂が頷く。

「そのようだ。だが、昨日からなくなっていて、どこへ行ったのか探しているところだった。どこかに置き忘れたものと思っていたが」

「なくした、ね」

 榊原は意味深に頷きながら、こう続ける。

「では、その整備道具の保管場所と……あとはもう一隻の潜水艇を見せてもらえますか?」

「構わないが……」

「じゃあ、お願いします」

 そう言って、榊原は深々と頭を下げたのだった。


「どうなんですか? 色々と聞いていたみたいですが」

 潜水艇があるドックへ向かいながら、畠山は先行する高千穂に聞こえないように隣を歩いている榊原に尋ねた。

「さぁ、どうでしょうか。これから情報をまとめるところですしね。瑞穂ちゃん、記録はちゃんととったかね?」

「はい、ばっちりです」

 瑞穂が手帳を取り出してにっこり笑いながら言う。尋問中、随分静かだと思っていたら、尋問内容を手帳にメモしていたらしい。

「結構。では、瑞穂ちゃんから見て何か気になった事はあるかね?」

「うーん、そうですねぇ。話を総合すると、死亡推定時刻は午前十一時頃と限定してもいいんでしょうか?」

「さっきの話が本当ならそうなる。そうでないと、計算上午後二時に潜水艇が浮上する事ができなくなってしまうからね。幅があったとして午前十一時から誤差が前後十分程度と考えるのが筋だろう」

「でも、先生の出した死亡推定時刻から考えればギリギリ過ぎませんか?」

「私の出したあれはあくまで解剖前の暫定値。正確なものは今、村越医師が司法解剖で算出しているはずだ。結果はそれ次第だな」

 榊原はそう答えながらも、何かをしきりに考え込んでいる、一方、畠山は榊原が何を気にしているのかまるでわからなかった。

「あの、被害者がいつ死んだのかを気にしているみたいですが……いつ死んだとしても深海深くの閉ざされた密室で殺害されたという事実は変わりません。まずはそれを考えた方がいいんじゃないですか?」

「確かにそうですが、少し気になりましてね。心配せずとも、ちゃんと考えていますよ」

「は、はぁ……」

 そう言われても不安しか残らない。そんな事を言い合っているうちに、榊原たちは甲板に到着していた。そこには現場となった潜水艇が今も置かれている。

「こっちだ」

 高千穂が租の潜水艇のさらに奥にあるシャッターを開ける。中にはもう一隻……現場となった潜水艇よりさらに小さめの潜水艇が置かれていた。

「潜水艇『マリンブルー』。二人乗りの小型潜水艇だ。ちなみに、教授が死んでいたそっちの三人乗りの潜水艇の名前は『アクアブルー』。基本的に一日ごとに交互に運行していた。その間に残った方を俺が整備するのがいつもの流れだ」

「今日は『アクアブルー』の番だったわけですね」

 榊原は確認すると、その潜水艇の方に寄って外側に触った。

「かすかに濡れていますが、これは?」

「海水の塩分を落とすために真水で水洗いするからな。もちろん、こっそり海に潜ったからじゃない」

「わかっています」

 そう言いながら、榊原の視線は傍らの工具箱へと向いていた。

「それが問題の工具箱ですか?」

「あぁ。昨日からナイフがなくなっていた。『アクアブルー』の配線を直す時に使っていたから、その時にどこかに置き忘れたのかもしれないと思っていたが……」

「ナイフは誰でも持ち出す事は出来ましたか?」

「ここには整備中は基本的に俺しかいないからな。その俺だって、ずっとここにいるわけじゃない。食事やらトイレやらで席を外す事はある。隙を見れば、誰だって持ち出せたはずだ」

 高千穂は淡々と、それでいながら明確に答えた。

「ナイフがなくなったの気付いたのは具体的にいつですか?」

「そうだな……。昨日はこの『マリンブルー』で潜水調査が行われて、浮上してきたのが今日と同じ二時頃。ただ、昨日はさっきも言ったように『アクアブルー』の配線修理があったから、『マリンブルー』をドックに入れてからもしばらくは整備を続けていた。確か……その後になくなったと思う。配線修理が終わるまでは間違いなくあったはずだからな」

「そうですか……」

 榊原は考え込んでしまった。ナイフの紛失時間で容疑者を絞れないかと思ったようだが、この様子では見当違いだったようだと畠山は思った。

「では、せっかくなので『アクアブルー』の方も見てもらえますか? 何しろ我々は門外漢ですので専門家のあなたにしかわからない事もあると思いますから」

「あぁ、構わない」

 その言葉に、四人は再度甲板へ出て内部が血まみれになっている潜水艇……『アクアブルー』の前に立った。無残な姿になった潜水艇を見て、無表情の高千穂も心なしか顔をしかめている様子だ。

「さすがに中に入れるわけにはいきませんが、外から見てどうですか?」

「……計器類に異常らしいものは見られない。昨日整備していた配線類も問題なさそうだ」

「さっき言っていた自動操縦モードに切り替えるスイッチというのは?」

「あれだ。操縦席の左側にあるレバー。その隣にあるのが沈降や浮上を管理するレバーだ」

 指さされた方を見ると、操縦席左側のメーターの下にやや大きめの上下レバーがあった。

「普段は下に入れてあるが、上に押し上げる事でモードが作動する。そう簡単に始動やキャンセルができないように、レバーはやや硬めに動くようにしてある。人間がちゃんと操作しないとまず動かないと思っていい」

「そうですか。あぁ、あとこれなんですが」

 そう言うと、榊原は潜水艇の前方に設置されているカメラを指さした。深海用に造られたハイビジョンカメラらしい。

「これ、当然録画されているんですよね。申し訳ありませんが、中身を確認したいのでデータを出してもらえますか?」

「わかった」

 高千穂はカメラの前に立つ。もちろん深海の様子を映すものなので潜水艇内部の様子は映っていないかもしれないが、映っているものによっては潜水艇で何があったのかがはっきりするかもしれない。畠山もそれを期待していたのだが、榊原に手渡された手袋をしてしばらくカメラの中を操作していた高千穂の表情が不意に不審げなものになった。

「おかしいな……」

「どうしましたか?」

「いや、本来ならここに記録用のメモリーチップが差し込んであるはずなんだが……それが差さっていない」

 その言葉に、榊原の表情が少し真剣なものになった。

「入れ忘れた、という事は?」

「そんなへまはしない。昨日の整備時点でちゃんと入ってあるのをこの目で確認した」

「となると、誰かが抜いたという事になりますが、それが可能なのは?」

「……チップを抜く作業そのものは難しいものじゃない。機会さえあれば、俺でなくても一分あればできるはずだ」

「問題はその機会、ですね。潜水艇が引き上げられた後でそれが可能だった人はいるんでしょうか?」

 畠山が高千穂に尋ねる。が、高千穂は首を振った。

「わからない。あの時は遺体が見つかって混乱状態でそれどころではなかった。俺自身、誰が何をしていたのかははっきりと覚えていない」

「引き上げた後で潜水艇には誰が近づいたんですか?」

 高千穂はここで初めて曖昧な表情を浮かべた。

「船医の矢崎さんが中に入ったのは覚えている。あと、林教授と……青島准教授は近くにいたような気がする。一応俺も近くにいた人間の一人だ。ドックに入れる作業に備えていたからな」

「荻村さんはどうですか?」

「……よく覚えていない」

 高千穂の記憶はそれが限界のようだった。とはいえ、カメラのメモリーチップがなくなっていたというのは、一つ大きな情報である。

 と、ここで不意に瑞穂が声を上げた。

「あの、さっきここを調べたときにビデオカメラがありましたよね。あのカメラも確か何も映っていなかったんじゃありませんでしたっけ?」

「あぁ、そう言えばそうだったな。だが、あれは記録媒体が抜かれていたわけじゃなくて、最初から使われていなかったようだが」

「でも、二つあるカメラのどちらも何も記録していないっていうのは、少し気になる話です。偶然でしょうか?」

 瑞穂にそう言われて、畠山もその点はかなり気になった。だが、榊原はさらに別の事を考えていたようで、唐突にこんな事を言い始めた。

「瑞穂ちゃん、ビデオカメラの話だが、実はこいつにはもう一つ矛盾がある」

「何ですか?」

「時間が合わないんだ。あのビデオカメラは調査用だから、当然潜水艇が目標の深海八〇〇メートルに到達した時点で撮影を開始しないとおかしい。順当に潜れば潜水艇が目標地点に到達するのは午前十時二十分。だが、先程の検証では死亡推定時刻は午前十一時前後。仮に十分前後誤差があったとしても最も早くて午前十時五十分だ。という事は、池永教授は最低三十分、目標地点に到達した後もカメラを使っていなかったという話になってしまう」

「あ、確かに……」

 瑞穂は驚いたように言ったが、一方の畠山はそんな細かいところまで気が付いていた榊原の洞察力の方に驚いていた。

「あの……その矛盾にいつ気が付いたんですか?」

「さっき、潜水艇のスペックを聞いたときです。というより、この矛盾を見つけるために潜水艇のスペックを聞いたと言った方が正しいですが……」

「もしかして、それであの質問をしたというんですか?」

「そういう事になりますかね」

 榊原は何ともないように言うが、畠山からしてみればとんでもない話だった。何も映っていないビデオカメラを見ただけで、瞬時にこの矛盾を予想した質問ができるなど、常人の発想力を超えている。その瞬間、畠山は少しだけ背筋が寒くなるのを感じた。

「一体、この海の中で何があったのか……解き明かす必要があるな」

 そう言いながら海の方を見つめる榊原だったが、畠山はそんな榊原を見る自分の目が少し変わったように感じていた。『あれの中身は一種の怪物だ』……。捜査一課長が電話口で言ったというその言葉の意味を、畠山は外見や言動だけはあくまで凡庸なこの探偵の姿の向こうにわずかながらも垣間見た気がしたのだった……。


 それからしばらく榊原は潜水艇に関して高千穂に質問をしていたが、特にそれ以上の発見はなかったのか礼を言って元の場所へ戻ってもらい、自分はといえばなぜかそのまま港へと下船してしまった。畠山はそれを追いかけながら声をかける。

「あの、どこへ行くんですか?」

「聞き込みですよ。何はともあれ、捜査の基本ですからね」

 何の気もなしに言うが、さっきのカメラに関する洞察力から、一件意味のなさそうに見える事の行動にも何か意味があるように見えてしまう。畠山にとって、この榊原という男がよくわからなくなりつつあった。

 と、そこで畠山はふと思い出した事を口に出していた。

「そう言えば、あなたは確か人に会いにこの島に来たんでしたよね。確か、本条さんでしたか。結局、まだ会えていないみたいですが、大丈夫ですか?」

「えぇ、まぁ。警察に道を聞いた直後にこの事件ですからね。何とかこの事件を解決して会いに行ければいいんですが……」

 と、榊原がそう言ったその瞬間だった。

「おーい、榊原君! やっぱりここにいたのかね!」

 港に集まっている野次馬の中から、突然そんな声が聞こえた。思わずそちらの方を見ると、白髪の六十歳代と思しき男性が、元気に榊原に手を振っている。

 畠山は反射的に榊原を見やったが、その榊原はどことなくバツが悪そうな顔をしてその老人を見つめていた。

「参ったな……たどり着く前に向こうから来てしまったか」

「という事は、あの人が?」

「えぇ。私の尋ね人で、今はこの島で暮らしている本条昭三郎さんです」

 榊原はそう言うと、そのまま老人……本条の方へと歩き始めた。瑞穂も当然のように後に続き、そして畠山も慌てて後に続く。

「お久しぶりですね、本条さん」

「いやぁ、榊原君も久しぶりだね。港で何か殺人事件が起こっていると聞いたからもしやと思って来てみたんだが、案の定、首を突っ込んでいたか」

「お恥ずかしい話です」

 と、そこで本条は後ろの瑞穂を見やった。

「ところで、その子は?」

「初めまして! 先生の助手をしている深町瑞穂です! よろしくお願いします!」

 瑞穂は元気にそう挨拶すると頭を下げた。本条は感心したように笑みを浮かべながら答える。

「ほう、助手かね。君も偉くなったものだな」

「自称、ですがね。困ったものです」

 榊原はやや諦め気味にそう答えた。最初に会った時に瑞穂を紹介された時のやり取りとほとんど同じである。

「さて、立ち話もなんだが……どういう状況なんだね?」

「少し面倒な事件になりそうです。申し訳ありませんが、本条さんの依頼は後ほど伺いますので……」

「依頼?」

 聞き捨てならない事を言われて、畠山は思わず聞き返していた。ここで初めて本条の視線が畠山に向く。

「君は?」

「……小笠原署の畠山です。それで榊原さん、もしかして、あなたは何か依頼を受けるためにこの島に来たという事ですか?」

 その問いに、榊原は小さく頷いて答えた。

「そういう事です。実は、今回この島にやってきたのは、この本条さんから探偵として依頼を受けるためだったんです。さすがに本土にある私の事務所まで来てもらうわけにもいかなかったので私の方から伺ったのですが、まさかこんな事件に遭遇するとは思ってもいませんでしたよ」

「は、はぁ……」

 個人的には身近な警察ではなくこんな得体の知れない私立探偵にその「依頼」とやらを相談されてしまった事に複雑な気分ではあったが、何はともあれ、ここまで来たらその依頼の内容が非常に気になる。

「それで、一体どんな依頼だったんですか?」

「……そうだな。この際、警察にも聞いてもらった方がいいかもしれんな」

 本条はそう言うと、コホンと咳払いして懐から何かを取り出しながらこう言った。

「実はな……俺の所にこんなものが届いたんだよ」

 そう言って差し出したのは、一通の封筒だった。見た目は普通の封筒である。が、そこから取り出された手紙に書かれた文字を見て、畠山の表情が変わった。


『死ね』


 ……たった一言。それだけが真っ赤なインクで大きく書かれていたのである。シンプルであるがゆえに、逆にどこか不気味なものを感じさせる文面だった。

「こ、これは……」

「見ての通り、どうやら脅迫状らしい」

 動揺する畠山に対し、本条はすました表情でそう言う。一方、榊原も小さく眉をひそめただけで、冷静にその手紙を見つめていた。

「心当たりは?」

「まぁ、何しろ元の職業が職業だからな。恨みなんかいくらでも買っているから、正直どこから疑えばいいのかわからん」

 と、その言葉に畠山は突っ込んだ。

「ちょっと待ってください! 元の職業って、一体何なんですか? どんな職業だったらこんな手紙をもらうほど恨まれるっていうんですか?」

 そう尋ねた畠山に対し、答えたのは榊原だった。

「検察官です」

「……は?」

 キョトンとした表情をする畠山に対し、榊原はいともあっさりと種明かしをした。

「東京地検検察官。それが彼……本条昭三郎さんの元の職業です。私が元刑事だったという話はおそらくもう署長さん辺りから聞いているでしょうが、本条さんとはその時に何度か一緒に捜査をした仲なんですよ。もっとも、検事自体は五年ほど前に辞めて、今はこうして故郷のこの島で隠遁生活を送っておられるようですが」

 そう言われて、畠山は慌てて本条の方を見やる。この気さくそうな老人が元検事だとは、榊原以上にちょっと想像がつかない話である。一方、当の本条は苦笑気味に言葉を繋ぐ。

「いや、今は何の権力もないただの隠居爺だよ。妻が亡くなったのを機に職を辞してこうして故郷の島に帰って来たんだがね。現役時代はこの手の手紙はいくらでも貰っていたが、まさか引退した今になってこんな脅迫状が舞い込んでくるとは……」

「もしかして、依頼というのは……」

「うむ。この脅迫状の主を榊原君に探してもらおうと思った」

 そう言われて、畠山は思わず不満を口に出していた。

「ど、どうして警察に話してくださらなかったんですか?」

「じゃあ、逆に聞くが話したら何か対応をしてくれたかね?」

 本条にそう言われて、畠山はグッと言葉に詰まる。確かに、こんなよくわからない脅迫状一枚では、いかに暇な小笠原署でも動く事は出来ない。これが何枚も執拗に送られているなら話は別だが、たった一枚ではせいぜい注意喚起するくらいが関の山で、送り主を捜し出すなどという事はまずしないと断言できる。

 黙り込んでしまった畠山に対し、本条は穏やかに言う。

「まぁ、俺が君らの立場でも同じ対応をしただろうさ。それは元検事としてわしもわかっていたから、ここはそういうしがらみのない榊原君に頼むのが一番だと考えたまでだ。それに、榊原君なら確実にこいつの送り主を突き止めてくれると思ったからね」

「信頼されているんですね」

「まぁ、現役時代に色々あったからな」

 畠山の問いに本条は意味ありげに言う。一方、榊原は少し真剣な表情で尋ねた。

「話はわかりましたが、一つ解せない事があります。さっき言われたように、本条さんにとってこの手の手紙は慣れっこだったはず。それがこれ一枚でわざわざ私を呼ぼうとしたのはなぜですか?」

「問題はそれだ」

 そこで本条の表情も真剣なものになった。

「そいつをよく見ろ。切手がどこにも貼っていない。つまり、こいつは郵便で送られた代物じゃないって事だ。だとするなら、こいつを俺に届ける方法は一つ……」

「本人が直接ポストに放り込んだ。そんなところでしょうね」

 榊原は冷静に言葉を返す。本条は頷きながら言葉を続けた。

「そうだ。だとするなら、そいつはわざわざ俺がこの父島にいる事を突き止めた上で、直接この島までやってきてポストにこの手紙を投げ込んだ事になる。単なるいたずらにしては、あまりに手がかかっているように思えないか?」

「……確かに」

 榊原は短く答えた。本条はさらに続ける。

「それに、確かに現役時代はこの手の嫌がらせはいくらでもあったとは言ったが、引退後にこの島に来てからは皆無だった。そもそも俺が本土から離れたこの島にいる事自体、知らない奴が多いだろうからな。そう考えると、この手紙は少し異質だ。まぁ、そんなわけで、こいつは少し相談した方がいい案件だと考えたまでだ」

「……なるほど、理解しました」

 榊原はそう頷きながら、改めていくつか質問した。

「これが投函されていたのはいつですか?」

「三日前……榊原君の所に連絡を入れた当日だ。こうしてすぐ来てもらったのには感謝している」

「その間、これ以外に何かアクションはありましたか?」

「いや。だが、俺が気付いていないだけかもしれない。どうだ、何とかなりそうか?」

「やれるだけの事はやってみますがね。ひとまず、こっちの一件が片付いてからですね」

 そう言って、榊原は後ろに停泊している「大洋」を見上げた。

「そうだったな。にしても、父島で殺人事件なんて、俺の知る限りだとこいつが初めてだぞ。一応元検事の興味として聞くが、一体誰が殺されたんだ?」

「国立海洋博物館の池永という教授と、潜水艇のパイロットの長良という男です。ここしばらく父島近海で海洋調査を行っていたようですが、本条さんは何かご存知ですか?」

 榊原としても駄目元で聞いたようだが、案の定、本条は首を振った。

「いや、両方の名前に心当たりはないな。確かにそういう調査をしているらしいという噂は近所の漁師が話してはいたが……」

 と、そこまで言って、不意に本条が黙り込んだ。

「どうしたんですか?」

「……おい、海洋調査と言ったな。という事は、どこかサルベージ会社が絡んでいるのか?」

「えぇ、もちろん」

「そのサルベージ会社の名前は?」

「『太平洋サルベージ』という会社です」

 榊原のその答えに、本条は小さく息を吐いた。

「被害者の名前に心当たりはないが、会社の方には心当たりがある」

「本当ですか?」

「あぁ。もっとも、それが事件に関係しているのかまではわからない。単なる偶然かもしれんしな」

 そう言うと、本条は榊原にこう問いかけた。

「七年前……二〇〇二年に起こった事件だ。当時俺は東京地検特捜部にいた」

「特捜部……」

 畠山が呻き声を上げる。東京地検特捜部といえば、全国の検察の頂点に位置する花形部署だ。ロッキード事件やリクルート事件など、戦後を代表する大規模汚職事件の解明を行った部署として名高い。本条がそこにいたというだけでも凄い話である。

「当時経済産業省は、九州南部から南西諸島近海の排他的経済水域内に埋蔵されているとされたメタンハイドレート発掘に意欲を示し、その採掘に対する調査の実施を計画していた。当然、海洋調査を行う企業をどこにするかで入札が行われ、結果『太平洋サルベージ』がその権利を手に入れた。ところが……ここでケチがついた。ある週刊誌が、『太平洋サルベージ』から経済産業省に対して多額の賄賂工作があったと報道して、特捜部が乗り出す事になったんだ。当時『メタンハイドレート汚職事件』とかいう通称で騒がれた事件だ。俺はその事件の陣頭指揮を執っていた」

「確かに……言われてみればそんな事件がありましたね」

 榊原が先を促す。

「捜査は慎重の上に慎重を重ねて行われた。賄賂の対象となっていた人間には、入札担当職員のみならず、当時の経済産業省事務次官の名前もあったからな。具体的には、太平洋サルベージから経産省事務次官に対して入札を便宜するようにという賄賂工作があり、その事務次官から実際に調査を主導していた経産省外局の資源エネルギー庁長官、さらに鉱物資源課の担当職員へと便宜の指示が金銭と共に伝わったとされている」

「しかし……あの事件は確か結局うやむやのまま終わったように記憶していますが」

 榊原の言葉に、本条は渋面を作った。

「調査の結果、賄賂があったこと自体は間違いないとされ、俺たちはすべてを知っていると思われた太平洋サルベージの担当社員を調べた。そいつから指示を出していたと思しき上位幹部までたどり着ければと思っていたんだが……そいつがいきなり自殺しやがった」

「自殺……」

 あまりに生々しい話に畠山は何と言っていいのかわからなくなる。さすがの瑞穂も、少し悲しそうな表情を浮かべていた。

「結局、奴が死んだ事でそれ以上の幹部を締め上げる事は出来なかった。よくあるトカゲの尻尾切りってやつだ。経産省側も末端の鉱物資源課の職員一人が逮捕されただけで、しかもそいつはあくまでエネルギー庁長官や経産省事務次官の関与を認めなかった。それ以上の証拠もなく、事件は太平洋サルベージ側の死んだ担当職員が、逮捕されたエネルギー庁鉱物資源課職員に個人的に賄賂を渡しただけの事件として幕を閉じた。逮捕された職員はそのあと実刑判決を受けたらしいが、俺は事件の二年後に辞職してこの島に引っ込んでしまったから、その後どうなったのかは知らない」

「念のために、その自殺した社員の名前と、逮捕された経産省職員の名前を教えてもらえますか?」

 本条はしばし考え込むと、

「太平洋サルベージ側の担当社員は柳文菜。死亡時の年齢は二十三歳で、当時は同社の営業部員だった。一方の経産省の担当職員は高槻泰成。当時の所属は経産省資源エネルギー庁鉱産資源課職員で、逮捕時の年齢は二十五歳だ」

「太平洋サルベージ側は女性ですか。彼女に家族は?」

「いなかったはずだ。両親は彼女の学生時代に交通事故で他界している。高槻の方は母子家庭だったはずだが、はっきりとは覚えていないな」

「そうですか……」

 榊原は少し考え込んだ。畠山が見かねて尋ねる。

「あの、その七年前の汚職事件というのが、今回の事件に関係あるんですか?」

「わかりません。ただ、その事件を中心になって捜査した本条さんがこの島にいて、その会社の社員が殺されている……ちょっと気になる話ではあります」

 そう言うと、榊原はポケットから携帯電話を取り出して、どこぞへ電話をかけた。畠山が耳を澄ましていると、やがて相手が出る。

『はい、榊原探偵事務所です。ただいま、榊原は依頼のため出張していますので、私がご依頼を承ります。御用件をどうぞ』

「亜由美ちゃん、私だ」

『あぁ、榊原さんですか。お疲れ様です。無事に父島についたんですね?』

 聞こえてきたのは若い女性の声だった。どうやら本土にある自分の事務所にかけているようだが、誰なのかわからず戸惑っていると、傍らにいた瑞穂が親切に教えてくれた。

「えっと、宮下亜由美さんっていう大学生で、先生の事務所でアルバイトの秘書をしている人です。アルバイトですけど私と違って正式な所員で、先生がいないときの留守番なんかを引き受けてくれている人なんですよ」

「はぁ、なるほど」

 そんな畠山たちを尻目に、榊原は亜由美に対していくつか指示を出していた。

「大至急調べてほしい事がある。七年前に起こった『メタンハイドレート汚職事件』で逮捕された経産省職員の現在の動向、及びその周辺情報を知りたい。名前は高槻泰成。罪状は収賄だから、最大でも懲役七年のはず。状況的に刑期はもっと短いだろうから、すでに出所しているはずだ」

『高槻泰成、ですね。わかりました。他に何かありますか?』

 亜由美は理由も聞かずにあっさりと引き受ける。

「そうだな。後は、同じ事件で自殺した太平洋サルベージという会社の柳文菜という女性について可能な限りの事を知りたい。できるか?」

『そうですね……一時間、時間をください。それで何とかなると思います』

 急な調べ物の依頼に対し、亜由美はいとも簡単にそんな約束をした。傍目ながら大丈夫かと思ったりしたが、榊原はあっさりと頷く。

「頼む。じゃあ、一時間後に連絡をくれ。状況次第では追加調査を頼むかもしれないから、そのつもりで」

『了解です。では』

 榊原は電話を切った。

「そんなわけで、とりあえずこの件は調査待ちとしましょう」

「いやでも……一時間で今の情報を調べられるんですか?」

「大丈夫です。彼女はこういう調べ物にかけては一流ですから」

 榊原ははっきりと明言する。と、瑞穂が小声で補足した。

「アルバイトとはいえ先生がちゃんとした形で事務所に雇っていて、事務所の留守を任せている人ですから。資料整理とかこういう急な調べ物みたいなバックアップに関しては充分任せられる人です。私もこっそり尊敬しています」

「な、なるほど」

 そこまで言われてしまえばもう任せるしかない。

「それで、これからどうしますか?」

「……ひとまず、この手紙は預からせてください」

 本条にそう断りを入れてから、榊原はアタッシュケースから取り出したビニール袋にその手紙を入れた。手袋に続いてそのケースには一体何が入っているんだと畠山は突っ込みそうになったが、何とか我慢する。

「今は、こっちの事件に集中します。それに……もしかしたら、何かがつながっているかもしれませんし」

「どういう意味だ?」

 本条は眉をひそめて問いかけるが、榊原は首を振った。

「まだ推測の段階です。ひとまず、聞き込みを続けます」

「そうか……なら、俺はこの辺りで暇つぶしでもしておく事にしよう。何かわかったら声をかけてくれ」

 そう言うと、本条は去っていった。それを見送ると、榊原は畠山と瑞穂を振り返った。

「さて……当初の目的に戻るとしましょうか」

「しかし、聞き込みと言っても何を……。何度も言うように現場は深海ですし、犯行の目撃者何かいるわけがないとは思いますが」

 畠山の当然の問いに対し、榊原はどこか不敵に笑いながらこう言った。

「私が知りたいのは犯行当時の事じゃなくて、それ以前の話……被害者たちのこの島での行動ですよ」

 その言葉に、畠山は思わず首をかしげざるを得なかったのだった。

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