第五章 師弟
「な……何よ。いきなり出てきて、何のつもりよ!」
七海の叫びに対し、榊原はあくまで冷静に返した。
「言った通り、今から私が君の動機を解明する。それだけだ」
「ふざけないで! そんなの認められるわけが……」
だが、七海の反論をねじ伏せるように榊原は推理を開始した。
「今回の事件、トリックそのものはある程度突き止めれば暴く事は可能だと思ったが、動機の部分が問題だった。誰が犯人であれ、そこに見えない動機があると思われたからだ。だからこそ、私はトリック解明を瑞穂ちゃんに任せ、少し動機について考えてみる事にした。依頼を受けた時点で気になる事があったからな」
「えっ? そうなんですか?」
さつきが驚いたように聞く。榊原は小さく頷いた。
「もちろん犯人が誰か、トリックが何なのかはその時点ではさすがにわからなかったが、この状況で動機が生じるとすれば、弁護士としての仕事上のトラブル、もしくは被害者の過去にかかわる何かだ。そして、被害者の過去という一点に関して言えば、私は真里菜君から依頼を受けた時点でそれらしい話を聞いているんだ」
「わ、私そんな事言った覚えは……」
うろたえる真里菜に対し、榊原ははっきり言った。
「新宿のビル火災」
「え?」
「君が小学六年生の頃……つまり五年前に君のお父さんが巻き込まれたというあの火災だ。確か、この火災で君のお母さんが亡くなっているはずだが」
「は、はい。でも、それが何か……」
「あの後、一応秘書の亜由美ちゃんに頼んで被害者の経歴を調べてもらったが、被害者の過去の経歴の中で明らかにイレギュラーなものはこの火災以外に存在しなかった。となれば、それについて調べてみようと思うのは自然な話だろう。そこで私は、瑞穂ちゃんたちにトリックの解明を託した後、この火災について改めて調べ直してみる事にした。うまくいけば動機にかかわる何かが出ると思ったし、何も出なくても一歩前進だ。何より、今回の事件と直接的に関係ないこの火災の調査なら、私がやっても先輩との契約違反にはならないはずだしね」
そう言いながら十角をちらりと見やるが、十角はもうどうにでもなれと言わんばかりに頭を抱えてしまっている。榊原に出し抜かれた事が相当応えている様子だ。一方、七海は顔を青くしながらも必死にまくしたてる。
「な、何よ! 新宿のビル火災って、それが何なのよ! 私、そんなの覚えが……」
「火災が起こったのは今から五年前。東京都新宿区にある中央新宿第三ビルから出火し、最終的に十五名が死亡。出火元は非常階段付近に置かれていた段ボールで、火の気のないところだった事から一時は放火の疑いも浮上していたらしい。もっとも、最終的には証拠がなかったから事故で落ち着いているがね」
榊原は七海の言葉を無視するように五年前の火災の概要を述べていく。
「この辺はすべて新聞で公表されている事だ。だが、私としてはもう少しこの火災に関する情報がほしかった。そこで、私はこの事件を直接担当したであろう新宿署に電話で問い合わせて詳細を聞いてみる事にした。そしたら、興味深い話が聞けてね。問題のビルにはいくつものテナントが入っていたんだが、その中の一つに個人経営の興信所があった。所長の名前は古塚信孝。警察は単なる被害者の一人としか見ていないようだったが、私はその名前に心当たりがあった。同業の人間として、業界内で噂くらいは聞いていたからだ」
確かに探偵事務所と興信所はほとんど同じような業種である。そして、榊原ほどの男なら同業者内での噂話くらいは絶えずアンテナを張っているはずだ。
「私の知る限り、古塚の事務所は正直あまり評判のいい興信所じゃなかった。調査能力こそ一流だが、調査対象の弱みを握って脅迫すること数回。依頼がないときは勝手に有名人のスキャンダルを調べるなんて事もやっていたらしい。まぁ、そんな男だから命を狙われる事も多かったらしく事務所の場所も頻繁に変えていたようだ。で、当時、業界内でも信用できない興信所という事で噂になっていたんだが、数年前から急にこの男の話を聞かなくなっていた。やりすぎて夜逃げでもしたか、あるいはついに逃げ切れずに暴力団にでも殺されたのかというのが業界内でのもっぱらの噂だったんだが……今回の調査でその辺の事情がはっきりしたよ」
「まさか……」
「あぁ、この男……古塚信孝もこの火事で死んでいた。話を聞かなくなったのも当然だったわけだ。そして、警察の話だと、古塚の事務所があったのは一階……火元の非常階段のすぐ隣だったそうだ」
「え、それって……」
瑞穂が何か気付いたような表情を浮かべた。榊原が頷く。
「私も同じ事を考えた。もし、この事件が単なる事故ではなく放火だったとすれば、火元の位置関係から見て犯人の狙いはこの古塚の興信所だ。おそらく、犯人の計画としては非常階段周辺で火災を発生させる事で事務所にいる人間の逃げ場をなくし、発生する炎と煙でこの事務所の人間……古塚だけを殺害するつもりだったんだろう。まともなビルならスプリンクラーなりが作動して部屋を一つ焼いた辺りで消し止められるはずだからな。ところが、実際はビルの防災施設がお粗末だったせいで想定外に火災が広がってしまい、古塚の事務所どころかビル全体が全焼。死者十五名を出す大惨事になったと言ったところか。まぁ……これは事件が放火だった場合の解釈だがね」
そう言いながらも、榊原がそれを確信している事は目を見れば簡単にわかった。
「では、これが放火で、犯人の狙いが古塚だとすれば、その動機は何だろう。瑞穂ちゃんはどう思う?」
「……多分、その古塚って興信所の人がやっていた脅迫に関係する事だと思います」
瑞穂が答えると、榊原は再び頷いた。
「同感だ。おそらく、古塚はこの時誰かを脅迫していて、その脅迫に耐え切れなくなった相手が古塚を殺しにかかったと言ったところだろう。古塚もそれを恐れて事務所を頻繁に変えていたんだろうが、ついに居場所を突き止められたってところか。で、問題はその古塚の脅迫相手だ。私は試しにそれを調べてみる事にした」
「調べたって……だって、事務所は灰になっているんですよね。資料も脅迫材料も何も残っていないんじゃないですか?」
さつきが目を白黒させながら聞く。
「あぁ。だから色々と調べた。昨日一日、ホテルからあちこちへ電話をかけ続けてね。狙いは五年前の時点で脅迫の対象になるような有名人で、なおかつ何らかのスキャンダルになりそうな事象を抱えていたであろう人間だ。実際、それで何人か候補者は浮かび上がって来たがやはり数が多くてね。ここからどうするか少し考えた。そんな中でふと思ったんだ。肝心の篠原弁護士はこの件をどう考えていたのかとね」
その言葉に、瑞穂は首を傾げた。
「どういう事ですか?」
「いいか、瑞穂ちゃん。もしこの事件の動機がこの推理通り五年前の火災を発端にしているなら、殺された篠原弁護士もこの事実……つまり古塚が誰かを脅迫していて、その脅迫相手が火を点けたのではないかという推測にたどり着いていたはずだ。篠原弁護士からすれば自分の体を傷つけ、さらには奥さんを殺した火災だ。ちょっとでも疑いがあれば、真相を知るためにも必ず調べているはず。そして、それが原因で篠原弁護士が殺されたのだとすれば、動機は五年前の事件の口封じとしか考えられない。とすれば、少なくとも篠原弁護士は誰が火を点けたのか、その容疑者まで自力で近づいていた事になる。私と全く同じ条件でね。ならば、私にも篠原弁護士と同じ事ができるはずだ」
「で、でもどうやって……」
「さっき磯川君が言ったように、脅迫絡みの資料はすべて燃えてしまっている。おそらくこの五年間、篠原弁護士も私同様の手法で怪しい人間を片っ端から調べ続けていたんだろうが、多分決め手に欠けていたんだろう。実際、私も色々調べてみて怪しい人間は何人か浮かび上がったが、どれも噂話の範疇を出ずに決定打にかけていた。そんな時だよ瑞穂ちゃん、昨日の夜に君が電話してきて『アナウンサーの鴻崎七海が怪しい』と言ったのは。その瞬間、私はある重大な事実に気が付いた」
その言葉に、瑞穂は少しどぎまぎした表情を浮かべながら尋ねる。
「え、じゃあ、鴻崎さんは先生が調べたリストの中に名前が載っていたんですか?」
「それについての答えは残念ながら『いいえ』だ。彼女の名前はリストになかった。というか、リストにあったら彼女は双方の事件の関係者になるわけだから、トリックがどうであれ明らかに第一級容疑者だ。その時点で君に知らせている。どうも、彼女はかなり巧妙に隠していたようだね」
「じゃあ、一体……」
「私が気付いたのは、篠原弁護士が私同様に手詰まりになったこの状況でどういう手法に出たのかという事に関する推察だ」
「意味がわからないんですが……」
困惑する瑞穂に対し、榊原は言葉を紡いだ。
「篠原弁護士が古塚の脅迫していた相手を調べ、私同様に怪しい人間を片っ端から調べていたのは間違いないと思う。だが、その手法では行き詰ってしまった。しかし、怪しい人間のリスト自体は彼の手元にある。つまり、この中の誰かが犯人である確証さえつかめればよかった事になる。ならば、彼の取る手段は一つ……目撃者探しだ」
「も、目撃者?」
「例えば事件当夜、リストの中の誰かが火災現場近くで目撃されていたら、それだけでその人物の容疑は上昇する。篠原弁護士がそこに目を付けたとすればどうだ?」
「た、確かにその方法なら候補者を一気に絞る事は出来ると思いますが……でも、もう五年も前の事件なんですよ。警察だってそれなりに調べているだろうし、第一何か目撃していても記憶が曖昧なはずです。今さら目撃者なんて……」
「そこで君のヒントだよ。『アナウンサー』が怪しい……。それを聞いたとき、私は彼が一体誰に目撃証言を求めたのか……そして、それがなぜ今回の惨劇につながってしまったのかをつなげる事ができた」
「アナウンサー……って、まさか!」
瑞穂の言葉に榊原は頷いた。
「おそらく、篠原弁護士が目撃者として注目したのは、当日火災の状況を取材していたテレビ局の人間だ。なぜなら、彼らは撮影していたはずだからな。燃え盛るビルと……その周辺にうろつく野次馬たちを。ならば、その映像に篠原弁護士の疑う『誰か』の姿が映っているのではないかと考えても、何の不思議もない。しかも、彼らは実際に火災現場に居合わせた事が確実な証人だ。映像以外にも何かを見ていた可能性は極めて高い。そして、篠原弁護士は実際にその『テレビ局関係者』に当時の様子を詳しく聞かせてくれるように接触したはずだ。……まさか、その人物が証人どころか、自分の探していた放火の『犯人』だとは夢にも思わずに」
「もしかして、そのテレビ局関係者っていうのが……」
瑞穂は息を飲むと、その人物を見やる。その瞬間、榊原が鋭く告発した。
「そう、それこそが、そこにいる鴻崎七海だったとすれば、この事件のすべてに筋が通る!」
「言い掛かりよ!」
七海が絶叫した。そして、そのまままくしたてるように反論する。
「そもそも、私は札幌中央テレビの人間なのよ! 北海道のローカル局のアナウンサーが東京の火事を報道するなんてありえないわ!」
「どうだろうね。私の記憶が正しければ、確か札幌中央テレビというのは東京に本社を構える日本中央テレビの地方局だったはずだが?」
「あ、そ、そう言えばそんな事を刑事さんが言っていたような……」
さつきが柿崎の方を見ながら言う。
「同列局という事になれば、当然人材交流くらいあるだろう。五年前に日本中央テレビにいた君が札幌中央テレビに来ていても何らおかしくはない。何なら調べてみるかね? 君の経歴を調べるくらい、簡単だとは思うが」
そういう榊原に対し、瑞穂はこの様子だとすでに調べてあるのではないかと直感した。榊原がそういう事に妥協をしないのはよくわかっている。そして、七海もこれを否定する事は出来ないと悟ったようだ。
「た、確かに私は三年前に日本中央テレビからこっちへ移ったけど、でも……」
「何ならもっと調べてみても構わない。問題の火事の時、君があの現場に出て取材をしていたのかどうか。こんなものは、ちょっと調べればすぐにわかる事だ。ここで否定して後で間違っていたら、かえって疑われるだけだと思うがね」
「くっ!」
七海が言葉に詰まる。まるで詰将棋で追い詰められているような感覚だ。
「いずれにせよ、君としてはこのまま事件の事を調べる篠原弁護士を放っておくわけにはいかなかった。今でこそ証人として接触してきてはいるが、いつそれが疑惑に変わってもおかしくないわけだからな。考えてみれば、アナウンサーというのもスキャンダルを気にする職業の一つ。詳細はさすがに調べきれてはいないが、古塚に脅迫されるだけの下地は充分にあるだろう。篠原弁護士がその点に気付いて、事件当日現場にいた君に疑いを持たないとも言えない。だから、君はそうなる前に篠原弁護士を殺害する他なかった。それが今回の事件だったと、私は考察するわけだがね」
榊原の推理に、誰も何も言えないでいた。そして、瑞穂と榊原のタッグによっていよいよ七海が本格的に追い詰められつつあることを、この場の誰もが実感しつつあった。
「……以上が、君の動機だ。反論は?」
榊原の言葉に、七海は体をぶるぶる震わせている。が、それでもなお七海は諦めようとはしなかった。
「しょ、証拠は! 私が犯人だっていう証拠……私がヘリから小石を落としたり列車を爆破したりしたっていう決定的な証拠は……」
「まだその話かね。そんなもの、もうとっくに出ているはずだが」
必死の反論に、榊原の答えはシンプルだった。
「は……はぁ? そんなのいつ……」
「さっき、君は列車に爆弾が仕掛けられた時間のアリバイを瑞穂ちゃんから聞かれた時に、確かにアリバイがない旨を答えていたはずだ。それが証拠になる」
「まさか、アリバイがないからって私が犯人になるっていうの! そんな暴論、認められるわけが……」
「違う。アリバイのあるなしではなく、そもそも君がアリバイの有無を即座に答えられたことが問題だ」
「は? どういう意味……」
「だってそうだろう。瑞穂ちゃんは、問題の列車がいつ駅に停車していたか、さらには内海運転手がいつ席を空けていたのか、具体的な時間を一切明言していないんだからな」
「え……あ……あぁぁぁぁっ!」
七海が目を見開いて叫んだ。自分がとんでもないミスをしでかしたのに気が付いたのだ。
「内海運転手が席を開けている時間帯に爆弾が仕掛けられたのかもしれないという話は、今ここで瑞穂ちゃんが推理した事で初めて浮かび上がった事実だ。にもかかわらず、君は瑞穂ちゃんの問いに迷う様子もなく即座に自分のアリバイを答えた。それはつまり、君が列車に爆弾が仕掛けられたのがいつなのかを、あらかじめ知っていたという決定的な証拠になる。これだけの人間の前で……しかもカメラに映りながら発言した以上、言い間違いだったなんて言い訳は通用しないぞ! そのカメラ映像は裁判でも充分採用される」
「そんな……嘘……」
そう言いながら、七海は咄嗟に瑞穂の方を見やった。と、瑞穂は小さく頷く。それを見て、七海は瑞穂が自分の気付かないところで罠を仕掛けていた事を瞬時に悟った。
「あ、あなた……あなたは!」
「即座に指摘されたら言い訳できる事でも、時間を置いて忘れた頃に指摘されたら意表を突かれて言い訳できなくなってしまう……先生の教えです! だから、わざとあの場では指摘しませんでした。後は先生がうまく使ってくれると信じていましたから」
思わぬところで師弟の連係プレーを見せられて、実際にもはや言い訳するだけの余裕を七海は失ってしまっていた。榊原、そして瑞穂の戦略に見事にはまった形である。だが、それでも七海は苦しいながらも反論を試みる。
「そ、それは……そう、取材で爆破された列車の発車時刻を調べて……」
「あり得ないな。それを調べたとするなら、調べるのは白滝運転手が運転していた運行時の始発駅である立島駅での発車時刻だ。その折り返し前の運行時の始発時刻なんて、折り返し前に爆弾が仕掛けられていた可能性を疑っていた警察関係者でもない限りは調べない。そして今回、警察はその手の情報を一切一般公開していないはず。そうですね?」
「あ、あぁ……そうだ」
十角は力なく肯定する。
「で、でも……でも!」
七海はなおも見苦しく何か言おうとする。が、そこで榊原は急に首を振ると、表情を緩めた。
「……いいだろう。まだ反論するというのなら、もういい、話はここまでだ。私たちはこれ以上君を追及するつもりはない」
「え?」
いきなり梯子を外されて七海はキョトンとする。が、その直後に榊原はこう言い添えた。
「ただし、その場合君には命の覚悟をしてもらう事になる」
「なっ! ど、どういう事なの!」
「……今回の事件、君は自衛隊から流出した自動小銃の所有者に罪を擦り付けるつもりだったんだろうが、相手が悪かったな。十角先輩、もう状況が状況ですし、言ってもいいですね?」
「……勝手にしろ!」
十角の叫びに、榊原はこう告げた。
「久保園自衛官が銃を売りさばいた相手だが……警察の捜査では、どうも血闘軍の可能性が非常に高いらしい。久保園と幹部の石崎廉太郎という男につながりがあった」
「は……? け、血闘軍……ですって……」
その瞬間、七海の顔が別の意味で蒼くなった。
「マスコミ関係者の君なら知っていて当然だな。現時点で日本に残った最後にして最大の過激派組織。下手な暴力団よりもまずい連中だ。そして今回、警察は君の思惑通り小銃が流れた相手の犯行を疑い、実際にこの事件をきっかけにしてそこへの捜査を行おうとしていた。血闘軍北海道支部への強制捜査という形でね。要するに、ここで道警が意見を変えなかったら、道警と血闘軍による全面戦争が始まりかねないって事だ」
そこで榊原は七海を睨んだ。
「さて、ここでもしこの事件が道警の推理通り血闘軍の仕業だとすれば、この全面戦争も致し方がない事だろう。だが、もし瑞穂ちゃんの推理通りの展開だったとすれば、血闘軍は今回小銃密売以外何もしていない。そんな状況で身に覚えのない事で道警との全面戦争ともなれば、間違いなく向こうさんは激怒するはずだ。自分が無罪だって事は自分がよくわかっているんだからな。当然……報復のために犯人探しを始めるはず。こうして実際に解明できたトリックである以上、時間さえあれば奴らもいつかは真相にたどり着くはずだ」
「あ……あ……あぁ……」
今度こそ、七海の体がガタガタと大きく震える。その先に待つものが何なのかが彼女にはわかってしまったのだろう。
「そうなれば、奴らは容赦しないだろう。どんな事があっても、血闘軍と警察をぶつけるなんて馬鹿な事をしでかした張本人を殺しにかかるはずだ。まぁ、もし本当に君が犯人でないというのなら特に問題はないはずだが……仮に君が犯人だったら悲惨だな。聞くが君、日本最大の過激派グループ相手に、逃げ切れる自信があるというのかね?」
「そんな……嘘……嫌……イヤァァァァっ!」
直後、七海が絶叫した。が、そこに榊原は追い打ちをかける。
「だが、今、自供すれば、この最悪の事態は回避可能だ。今の段階で道警はまだ血闘軍に手を出していない。この会合が終了次第、改めて血闘軍との全面戦争に着手する手はずになっている。一度手を出してしまえばもうどうしようもないだろうが、道警がまだ手を出していない今なら……事態は道警の中だけで収められる。少なくとも、この件で血闘軍が犯人を殺しにかかるという最悪の事態だけは阻止できる。さぁ、どうするかね。君が本当に無罪だというなら、こんな話は無視すればいい。どこぞの馬鹿な犯人が殺されるだけだ。だが、君が犯人だというなら選択肢は二つだ。この場で自供をしておとなしく法の裁きを受けて生きながらえるか、あるいはあくまで否認して道警と血闘軍の全面戦争を引き起こし、いつになるかは知らないが血闘軍の報復を受けて命を落とすか……。好きな方を今この場で選ぶ事だ! さて……答えを聞こうか、鴻崎七海!」
次の瞬間、七海は頭を抱えて泣きじゃくりながらその場にうずくまると、今までにないほど悲痛な声で絶叫した。
「い、イヤ! 死にたくない! 助けて! 認める、認めるから! 私がやったって……私が殺したって認めるから! だから、私を守ってぇっ! お願いだからぁぁぁぁっ!」
その様子を、榊原をはじめとする他の面々は、何とも複雑そうな表情で見下ろしていた。父を殺した犯人の最後に、真里菜は何も言わないまま拳を握りしめて彼女を凝視している。そんな中、この光景を撮影していたカメラマンは無言でカメラのスイッチを切り、竹島蓮花はライバル視していた彼女のあさましい醜態に思わず目を背けたのだった……。
それから一時間後、道警本部は血闘軍北海道支部に対する強制調査の中止を決定し、これまで通りの内偵活動を継続する方針を固めた。もっとも、小銃横流しの件だけは見過ごす事ができないため今後も捜査は継続するとの事だが、この件はすでに久保園の逮捕で血闘軍側でも問題になっているだろうから、トカゲの尻尾切的に下っ端が近日中に自首してくるのではないかというのが公安の考えだった。今この場で警察と事を構えたくないのは石崎率いる血闘軍も同じだろうというのが公安の判断である。
同時刻、道警は半年前に起こった千石線列車爆破事件及び、千代原駅における弁護士殺害事件の容疑者として、札幌中央テレビアナウンサーの鴻崎七海を逮捕した。状況次第では危うく命を落とすところだったという事実に七海は憔悴しきっており、おとなしく柿崎たちの尋問にも答えているらしい。
それによれば、トリックや動機などはほとんど榊原や瑞穂が想像した通りのものだった。事の発端は榊原の推察通り、五年前に古塚信孝による脅迫に耐え切れず、彼の事務所に火を点けたところからだった。その脅迫内容までは榊原も調べきれていなかったのだが、供述によれば、それは大学時代のアルバイトに関する事だったという。
「私……大学時代に水商売のアルバイトをしていた事があるんです」
取調室で、柿崎と十角を前にして七海は疲れたようにそう言った。
「当時学費が苦しくて……奨学金も限界にきていて仕方なくやっただけでした。でも、アナウンサーはイメージが大切なんです。何年か前に学生時代に水商売をやっていたって暴露された新人アナウンサーが内定を取り消されるって事があって、それ以来、この事は絶対にばれちゃいけないって思うようになりました。でもあいつは……古塚はどこで調べたのか、私を脅迫してきたんです。要求はお金じゃなくて、私の体でした……。私、このままだと永遠にあいつの言いなりになると思って、それで……」
「それで、ビルに火を点けたっていうのか」
十角の言葉に、七海は頷いた。
「取材でたまたまあの近くに来ていた時に、他のクルーの隙を見て火を点けました。もちろん古塚が死ぬことが第一目標でしたけど、火事のニュースを一番に取材してアナウンサーとしてのキャリアに箔がつくかもって思っていたのも事実です。でも、私は事務所だけ燃えればいいと思っていたんです。まさか、あんな大火災になるなんて全く思っていなくって……」
「ふざけるな! あの火事で十五人も死んでるんだぞ! 想定外でした、ですむわけがないだろうが!」
十角の怒りを受けながら、七海は涙ながらに告白する。
「燃え盛るビルを見ながら、私は自分のやった事にすっかり青ざめていました。でも、もう後戻りするわけにいかなかった。わ、私は……自分の点けた火で炎上するビルを前に……私が殺した人たちの悲鳴が木霊する中で、感情を押し殺しながら実況を続けました。それ以来、私はカメラの前でうまく実況できなくなって……二年後に地方局であるここに左遷されてしまったんです。私はもう罰を受けた気分だった。でも、そんなときに……五年も経った今になってあの男が……」
「篠原弁護士が君に接触してきた、と」
柿崎が静かに言う。
「その場は誤魔化したけど……悪夢だったわ! あの人、よりによって北海道までやってきて私の事を……。相手は弁護士よ! 今は気付かなくても、いつばれるかわからなかった。だから……だからああするしか……」
「ニュースで自衛隊の基地から小銃が盗まれているのを知っていた君は、例のトリックを実行に移し、小銃の所有者に容疑が向くように仕向ける事にした」
「……あの駅の存在や列車の運行状況は、以前ローカル線の取材をした時に知っていました。事前に駅に行って駅舎の周りにあった砂利を回収して、ガソリンが入った瓶をさりげなく窓際に置いておいたんです。そして、それから何日かして新雪が降った当日に、計画を実行に移しました。思い出した事があるからってあの人を千代原駅に呼び出して、あの女子高生さんが言ったみたいに列車にこっそり爆弾を仕掛けて……」
「爆弾はどうやって作りましたか?」
「大学の時に教養科目で理学系の履修をしていて、レポートを書くときに色々調べたんです。そこで知識を得ました。後はネットを見たりして」
「そして、爆弾が爆発し、あなたは例のヘリのトリックを実行した」
「……まさか、あんな女子高生にばれるなんて……それに、まさかあの小銃が、血闘軍に流れていたなんて……てっきりどこかの軍事オタクにでも売ったのかと思っていたのに」
そう言うと、七海は虚ろな目で二人の刑事を見上げた。
「……私、これからどうなるの?」
「血闘軍への強制調査は中止された。だから君が血闘軍に殺される心配はない。だが……本件とは別に、君には五年前の放火殺人の容疑もかかっている。殺意を持って火を点けて十五人も殺している以上……極刑は覚悟しておく事だ」
「死刑って事?」
「それは裁判所が決める事だ。我々からは何とも言えん」
「……結局、どっちをとっても私は死から逃れられなかったって事なのね……五年前にあのビルに火をつけた瞬間に、私の運命は決まっていたのかもしれない……あはは……」
七海はそう言うと、そのまま項垂れてしまったのだった……。




