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三大密室狂想曲  作者: 奥田光治
第三事件 史上最大の密室『雪原の巨大密室』(北海道石狩平野千石線千代原駅)
11/13

第四章 推理

 翌二〇〇九年六月十四日日曜日、北海道警本部大会議室。この日、この部屋に半年前に発生した千石線爆破事件及び千代原駅で発生した殺人事件の関係者が集まっていた。

 そんな関係者たちの前に、立山高校ミス研部長の深町瑞穂が緊張した様子で立っていた。傍らにはさつきと真里菜の姿があり、その後ろで榊原が腕を組んで成り行きを見守っている。また、捜査陣営からは担当刑事の柿崎と、管理官の十角が姿を見せていた。

 瑞穂は、改めて目の前にいる関係者たちを見やる。室内にいるのは、白滝耀太、内海新助の両運転手に、当日の乗客である鉄道マニアの梅小路治と農家の阿川小春。いずれも事件の第一級容疑者たちだ。梅小路と阿川に関しては瑞穂もこの場で初めて会う事になるが、梅小路は三十代半ばと思しき黒縁眼鏡をかけた神経質そうな男、阿川は人がよさそうにニコニコと微笑みを浮かべた老婦人だった。

 さらに、夕日テレビ札幌支局と札幌中央テレビから、あの日上空から事件現場を目撃した竹島蓮花、鴻崎七海の両レポーターもそれぞれ姿を見せている。特に七海の方はご丁寧にカメラマン同伴で、ちゃっかりこの場の様子を撮影している。

 事件を解決するのにどうしても彼女たちの証言が必要だと瑞穂が粘った結果、取材する事を条件に彼女たちはこの場への出席を承諾していた。双方ともに年齢は二十代半ばだろうか。業界人らしくどちらも洗練された格好をしているが、どうやら元々ライバル意識が強い二人らしく、この場でもバチバチと火花を散らしているのが瑞穂にもわかった。

「さて、事件の関係者はそろった。あとは、君たち次第だ。言うまでもないが、ここで失敗したらその時点で即刻北海道から退去してもらう。約束は守ってもらうぞ」

 十角の言葉に、瑞穂は身を引き締める。一瞬不安げに榊原の方を見やったが、榊原が黙って小さく頷くのを見ると、一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そして、傍らの二人に目配せし合うと、目の前の関係者たちを見据えながら、瑞穂なりの「論理の決闘」に挑みかかった。

「……では、始めます。皆さん、今日は来て頂いてありがとうございます」

「ちょ、ちょっと待ってよ! あんた一体何なんだよ。今日は警察から聞きたい事があるって言われたから来たんだぞ!」

 梅小路からそう言われて、瑞穂は少し言葉に詰まったような表情を見せたが、次の瞬間に決然とした表情ではっきりと告げた。

「深町瑞穂といいます。ここにいる篠原真里菜さんからの依頼で今回の事件を調べています。今日は、私の調べた結果について聞いてもらいたいと思っています」

「調べてるって、あんた高校生じゃないか! そんな事が許されるわけが……」

「道警からの許可はもらっています」

 梅小路は慌てて十角たちの方を見るが、十角は無表情のまま小さく頷いただけだった。

「いや、でも……」

「いきなりの話で戸惑うのはわかります。でも、お願いです! まずは私の話を聞いてください! 批判があれば、後でいくらでも聞きますから」

 瑞穂はそのまま頭を下げる。そこまでされて、梅小路も反論しにくくなったようだった。

「ま、まぁ、話を聞くくらいだったらいいけどさ」

 一方、アナウンサー二人組はこの状況にむしろ生き生きしているようだった。

「うーん、いいわねぇ。友人を助けようとする女子高生探偵の推理! いい番組が作れそう! 後でインタビューさせて頂戴ね!」

 そんな事を言っているのは鴻崎七海であるが、一方の竹島蓮花も黙っていない。

「ちょっと、先に連絡もらったのはうちなのよ! インタビューは私が先よ!」

「何よ、今までずっと私に先を越されているからって、抜け駆けはやめてもらえる?」

「何ですって!」

 何やら険悪な空気になりそうだったが、唐突に十角がパンッと手を打った。

「静かにしてもらえますかね? こっちは一刻も早く彼女の話を聞きたいのでね」

 そう言われて、二人は渋々後ろに下がる。他の三人……運転手二人組と老婦人の阿川はそれぞれ黙って瑞穂を見ている。特に異論はない様子だった。沈黙がその場に漂う。

「じゃあ……始めます」

 瑞穂はいったん息を吸うと、皆が注目する中で本格的に推理を始めた。

「今から約半年前の一月七日、この北海道である事件が起こりました。千石線の千代原駅近くで列車が何者かに爆破され、同時に千代原駅から出火。焼け跡から男性の遺体が見つかったという事件です。遺体の身元は篠原達則さん。ここにいる真里菜さんのお父さんで弁護士さんでした。道警はこれを殺人事件と断定して現在も捜査を続けていますが、ほぼ同じ時間帯に起こった列車爆破も含めて犯人は未だにわからない状態です」

 そう言ってから、瑞穂はいったん十角の方をチラリと見た後、少し硬い声で話を続けた。

「今から言う事は一般には公表されていない事なので他言しないでほしいんですが、今回の事件、被害者は極めて異常な死に方をしていたんです。それは、全身を機銃のようなもので蜂の巣にされるという残虐極まりない殺害方法でした」

「えっ、そうなの?」

 蓮花が驚いた声を出す。それは他のメンバーも同様のようで、顔を見合わせて不安そうな顔を浮かべている。やはりこの情報は一般には流れていないようだ。

「そして同じ頃、陸上自衛隊東千歳駐屯地から自動小銃一丁が盗難されるという事件が発生しています。犯人は久保園慎平という自衛官で、本人は逮捕されたものの小銃そのものは今も行方不明。道警はある組織にその小銃が流れたものと考えているみたいです」

「ある組織って何だよ?」

 白滝が当然の問いを発するが、それに答えたのは十角だった。

「それに関しては捜査上の秘密で教える事はできない」

「私もその組織の名前をこの場で言うつもりはありません。とにかく、このような事情があるのと、現場の駅舎が事実上の密室だったという事実から、道警はこの事件をその組織による犯行だと考えているみたいです」

「密室だった、っていうのは?」

 梅小路の問いに、瑞穂は改めて事件当時の駅舎の状況……すなわち、駅舎全体が雪原に囲まれた巨大な密室だった事を説明した。

「はぁ……だから僕の見たあのマスク男が問題になっているわけか」

 梅小路がそんなコメントを発する。瑞穂は頷きながら続けた。

「警察は問題の組織が横流しされた自動小銃で被害者を射殺した後、事件前日、つまり雪が降るまでの間に遺体を駅舎に運び込んだと睨んでいるようです。そして、問題の千代原駅で降りたマスクの男は被害者ではなく犯人で、彼は降りる際に列車に爆弾を仕掛け、さらに駅舎に自動発火装置を設置した後に何らかの方法で密室から脱出した。つまり、殺害場所は駅舎ではなく、マスク男も被害者ではない、というのが警察の考える事件の流れになります」

「どうやってその密室から脱出したのかはともかく、私には筋が通ってるようにみえるわ」

 そう言ったのは蓮花だった。が、瑞穂はこう続けた。

「確かに、一見すると筋が通っているように見えます。でも、私はこの警察の見解に疑問を持ったんです。そもそも密室化した駅舎から脱出する手段が思いつかなかったし、何よりわざわざ前日に遺体を置いているのに当日になって再び駅舎に侵入する意味がわからない。さらに言えば、この筋書きでは列車を爆破した行為にまったく理由がつきません。犯行の無駄が説明できないんです」

「……つまり、君は我々の推理が根底から間違っていると、そう言いたいのかね?」

 十角が感情を押し殺したような声で尋ねる。

「はい。もっとはっきり言えば、問題のマスク男はあくまで被害者の篠原達則さんで、彼はあくまで事件当日に駅舎で殺害されたと私は考えています」

「じゃあ聞くが、どうしてそう思ったんだ? 根拠がないとは言わせないぞ」

 十角のきわどい問いに対し、瑞穂は相手の目をしっかり見ながら答えた。

「それは、現場の状況に大きな矛盾があるからです」

「矛盾ねぇ……駅舎は燃えてしまって手掛かりはほとんど残っていなかったはずだが?」

 十角の少し呆れたような言葉に、瑞穂は首を振った。

「それが残っていたんです。そして、その矛盾は問題のニュース映像と見比べる事ではっきりします。それを確認するために、今日はあの映像の撮影に立ち会ったお二人に来てもらいました」

 そう言うと、瑞穂はアナウンサー二人に向き直りながら、テレビの電源を入れた。まず映ったのは、夕日テレビの「竹島ビデオ」である。

『……信じられないかもしれませんが、駅舎から火が吹いています! 列車脱線事故が起こったすぐそばで、駅舎の火災事故が発生しました!』

 蓮花の絶叫を背景に、カメラは駅舎の北側から駅の様子を映す。画面上の雪原には特に怪しいものは映っておらず、そのうち入口ドアのガラスが外側にはじけ飛んで、そこから火が吹き出した。

 続いて瑞穂はもう一方の「鴻崎ビデオ」の方に映像を切り替えた。すぐに七海の実況が響き渡る。

『……一体何があったのでしょうか! たった今、列車脱線事故現場近くの建物で火災が発生しました! 中に人がいるのかどうかは不明です!』

 こちらは駅舎南のホーム側から撮影しているが、やがて駅員室の辺りの窓ガラスがホームの方に飛び散って、そこから炎が吹き出すのが見えた。そこで瑞穂は映像を止める。

「改めて確認します。竹島さん、鴻崎さん、お二人が見たのはこの映像の通りで間違いありませんか?」

「え、えぇ。確かにこの通りだけど、でも何が問題なの?」

 七海が戸惑ったように聞く。これに対し、瑞穂はこう答えた。

「問題なのは、『ガラス』です」

「ガラス?」

 誰もが首をひねる。映像を見る限り、ガラスには特に問題はないように見えたからだ。

「いや、何が問題なんだね。火災でガラスが割れるのは当たり前の事だろう」

「はい。でも、それがおかしいんです」

「意味がわからないんだが……」

 十角の言葉に、瑞穂は少し緊張した声で続けた。

「この映像の通り、密閉された建物の内部で火災が発生した時、窓ガラスは普通外側に向かって割れますよね。これは内側から高熱であぶられるわけだから当たり前の現象です。現にこの映像でも入口のドアのガラスや駅員室のガラスは外側に向かって割れています」

 でも、と瑞穂は真剣な表情で最初の一撃を叩き込む。

「実際の現場の様子は違っていました。私たちが昨日現場を実際に見たとき、元々待合スペースだった辺りにたくさんのガラスの欠片が散らばっているのを見ているんです」

「……ん?」

 と、ここで梅小路が首をひねった。

「それって、おかしくないか?」

「そうなんです。さっきも言ったように、駅舎内部で火災が発生していたのなら、物理的に窓ガラスは外側へ向かって砕け散ります。当然、その破片は駅舎の内部じゃなくて駅舎の外に飛び散らないといけません。ところが、実際の現場では駅舎内部にある待合スペースの辺りにガラスの破片が大量に散乱しているんです。これはつまり、火災が発生した駅舎の内側へ向かって砕け散ったガラスが存在したっていう明確な証拠になると思います」

「あっ!」

 その矛盾に皆が声を上げた。瑞穂はそのまま言葉を紡ぐ。

「じゃあ、どこのガラスが内側に砕け散ったのか。この映像を見る限り、北側の入口ドアのガラスや、南側のホームのガラスは間違いなく外側に砕け散っているし、東側の窓ガラスは駅員室の窓なので待合スペースまで砕け散る事はまずありえません。駅舎内の蛍光灯のガラスの可能性もないとは言えないけど、それにしては量が多すぎます。となると、可能性があるのはただ一ヶ所だけ。待合スペースのすぐ近くにある、最初に砕け散った西側の窓ガラスです」

 つまり、と瑞穂は結論を叩きつけた。

「この映像にも記録されている最初にガラスが割れた音は、火災で内側から窓ガラスが割れた音じゃなくて、本当は外部からの何らかの力によって内側へ向かってガラスが割れた音だったんです。だとするなら、あの事件当時、駅舎の外側から窓ガラスを割った何かが存在した事は間違いありません。そして、それに被害者の死因を考えるなら、その外からガラスを割った何かの正体もすぐに思いつくはずです」

「まさか……それが被害者の命を奪った銃弾だとでも言うつもりなのかね!」

 十角が少し真剣な表情で尋ねた。瑞穂はそれに対してはっきり頷く。

「だからこそ、私は被害者が駅舎の中で殺されたんだと推理できるんです。つまり、事件当時、被害者は駅舎の外から行われた銃撃によって全身を貫かれて死亡した。だからこそ窓ガラスは駅舎の内側に砕け散り、そしておそらく、その時の銃撃で待合室に置かれていた石油ストーブに引火して火災を引き起こした。つまり、あの映像に記録されていたガラスの砕ける音は火災によってガラスが砕けた音じゃなくて、銃撃によってガラスが砕かれた、まさに犯行の瞬間その物の音だったんです」

 だが、これに対して十角は反論した。

「ちょっと待ってくれ。それがいかに荒唐無稽な話かわかっているのかね? なるほど、確かに西側の窓ガラスが内側に砕かれていたのは認めなくてはならないが、それが銃弾によるものである可能性は限りなく低いと言わざるを得ない」

「どうしてですか?」

「距離、銃弾、それに銃声の問題だ。柿崎君が話したとは思うが、一般的な自動小銃の射程距離は二〇〇ないし三〇〇メートルだ。ところが、あの巨大な雪原の密室においては、人が近づける一番近い場所……すなわち駅舎を囲む道路からでも駅舎まで五〇〇メートルの距離がある。これは自動小銃の射程を大きく超えてしまう距離だ。この距離の問題をどうするのかというのが一点。さらに、距離の問題がクリアできても銃声が響く事は避けられない。君の説が正しければ、犯行時刻は問題の映像が撮影された時刻だが、聞いたところ映像に銃声らしき音は一切記録されていない。つまり、犯人は銃声を一切響かせる事なく遠距離から被害者を殺害する必要に迫られるわけだ」

 十角はさらに続ける。

「何より決定的なのは銃弾だ。被害者の遺体及び現場からは銃弾が一切見つかっていない。これは被害者が別の場所で殺害された明確な証拠だ。現場で殺害したとなれば、確実に銃弾が残っているはず。まして駅舎外の遠距離から殺害したとなれば、犯行後に銃弾を回収する事もできない。この三つの矛盾をどう説明するつもりだね?」

 十角の問いに対し、しかし瑞穂は表情を歪める事もなく蓮花と七海に尋ねた。

「その前に聞きたいんですけど、竹島さんと鴻崎さんはあの時、銃声を聞きましたか?」

「え? えーっと、そんなもの聞こえなかったと思うけど……」

「そうね……ガラスが割れる音はしたけど、銃声なんて……聞こえてたらそれこそ大スクープにしていたと思うし」

 蓮花と七海は曖昧な表情のまま否定する。瑞穂は頷くと言葉を繋いだ。

「確かに、銃声はしていないみたいです。なら、犯人は銃声を発する事なく被害者を殺害したと考えるしかありません」

「……まさか、サイレンサーでもつけていたというつもりかね? 馬鹿馬鹿しい。拳銃ならともかく、自動小銃にサイレンサーなんかつけられるわけがないだろう」

 十角が馬鹿にしたように首を振る。が、これに対し、瑞穂は思わぬ事を口にした。

「そう、自動小銃が凶器だと考える限り、この銃声、距離、銃弾の問題は必ず付いて回ります。そこで、考えを逆転させてみました。つまり……」

 直後、瑞穂は次の切り札を切った。

「自動小銃による犯行が不可能なら、そもそも自動小銃以外で今回の犯行を引き起こす事ができないのか……もっと言えば、自動小銃以外で被害者を蜂の巣にして殺害する方法がないのか、という考えです」

「……は?」

 思わず十角が呆然とした表情を浮かべる。

「私たちは全身を蜂の巣にされていた被害者の殺され方と、事件前後に自衛隊から自動小銃が盗まれていたという情報から、凶器が自動小銃だと安易に判断していたんです。でも、要するに被害者を蜂の巣にさえできれば、別に凶器が自動小銃でなければならないなんて事はないはずです」

「いや……何を言っているんだい?」

 話について行けずに、梅小路が思わずそう呟く。が、瑞穂は止まらなかった。

「自動小銃は簡単に言えば、銃弾を高速で発射して標的にぶつけて致命傷を与えるという武器です。という事は銃弾のような小さなつぶてを、銃弾ほどではなくても高速で相手にぶつける事ができれば、理論上それは銃弾で殺害するのと同じ事になる事になるはずです」

「た、確かに理屈はそうだろうけどさ……」

 白滝も当惑気味にそういう。他の関係者もどう反応していいのかわからないと言った表情だ。だが、一人榊原だけは黙って瑞穂を見つめている。それに勇気をもらう形で、瑞穂は推理を先に進めた。

「そう考えれば、すべてが根底から覆ります。十角警視はさっき、現場から銃弾が発見されていないから被害者は外部で殺害されたと言っていました。でも、この犯行形態なら被害者の命を奪うものは銃弾である必要性はないんです。そして、そう考えると現場にはガラス以外に不自然なものがありました」

「それは何ですか?」

 久しぶりに口を開いた柿崎に対し、瑞穂はしっかり答えた。

「石です」

「石?」

「本来、駅舎の周りに敷き詰められていた砂利。それが同じく待合スペースに転がっているのを見ました。最初は火災現場だから散らかっているのは当たり前と思っていたんですけど、これも考えるとおかしいんです。いくら火災でも、駅舎の外に敷き詰められていた砂利が、勝手に駅舎の中に入り込むなんて事が起こるわけがありません。それが起こるとすれば、何らかの人為的な力が働いていた場合だけです」

 言われてみれば確かにそうである。十角が呻いた。

「まさか君は……その『石』が凶器だというつもりなのかね?」

「銃弾ほどでなくてもある程度の速度で撃ち出す事ができれば、小石でも立派に人を殺せる凶器になるはずです。これなら、現場は被害者の体内から銃弾が見つからなかった理由も説明できます。銃弾は見つからなかったわけじゃなくて、そうとは知られないまま堂々と転がっていただけなんです」

「そして、銃弾が小石だったとすれば、銃声の問題もクリアできる。銃声はそもそも、銃弾の火薬が破裂する事で発生するものだ。もし銃弾が小石だったとすれば、そもそもの火薬の破裂自体がないわけだから銃声自体が起こるわけもない。よく考えたね」

 不意に榊原が補足するように呟いた。十角は一瞬榊原を睨んだ後、改めて瑞穂を睨んだ。

「いいだろう……その小石が凶器だったとしようか。だが問題は、小石を人が殺傷できるほどの威力で被害者にぶつける方法が存在するのかだ。銃弾ほどの速度を出せとまではいわないが、少なくとも小石で人を蜂の巣にするなら時速二〇〇キロくらいは出す必要がある。常識的に考えてそんな事ができるわけがないだろう。それに、未だに距離の問題は解決していない。自動小銃でも届かない距離を、自動小銃以外の代物で到達できるはずがないじゃないか。これについてどう考えるんだね?」

 だが、瑞穂はここで一際真剣な表情でこう告げた。

「それが、できるとしたらどうですか? しかも極めて簡単な方法で」

「何だと?」

「そして、それができる人間は一人しかいません。この事件はこの密室トリック……つまり、いかにして遠距離から駅舎にいる被害者を小石で殺害できるのかを解決できさえすれば犯人を明確に特定できる事件なんです。そして、その人物は……この中にいます」

 そう瞬間、場が一瞬緊張に包まれた。そんな中、瑞穂は一度大きく深呼吸して、緊張した様子ながらもいよいよ探偵の十八番……犯人の指名へと移る。榊原は、じっとその様子を見つめ続けていた。

「この事件……つまり、千代原線の列車を爆破し、さらに篠原達則さんを殺害した真犯人……それは、あなたです!」

 そして、瑞穂は手を震わせながらも、しっかりとその人物に向けて指を突き付け、直後、はっきりその名を叫んだ。


「鴻崎七海さん!」


 その瞬間、札幌中央テレビのアナウンサーは大きく肩を震わせて、一瞬呆けたような表情を浮かべた。が、瑞穂は容赦なく告発を続ける。

「あなたが今回、真里菜さんのお父さんを殺した真犯人なんです! 違いますか!」

 その瞬間、瑞穂と真犯人との一騎打ちの幕が切って落とされたのだった……。


 予想外の側面からの犯人告発に、七海本人も含めて誰もが呆然としていた。ただ一人、榊原だけは冷静な様子で事の成り行きを見つめていたが、他の人にとってはあまりにも想定外の犯人である。そして、それは当の本人も同じのようだった。

「ちょ、ちょっと待ってよ! 私は事件の解決に必要だからって協力するためにここに来たのよ。そんな私を犯人だなんて、どういう事なのよ! 冗談なら許さないわよ!」

「冗談なんかじゃありません。私は、あなたが犯人だと思っているんです」

 七海の反論に、瑞穂は正面から答えた。それを見て、ようやく向こうも瑞穂が本気だと直感したらしい。

「馬鹿言わないでよ! そんなの無理じゃない! 私はあの時ヘリから実況中継していたのよ! それはこの映像にだって記録されているわ!」

 七海はそう言ってテレビを指さす。これに対して、瑞穂は小さく頷いた。

「はい。あなたは確かに事件当時、ヘリコプターに乗って実況中継をしていました。これについて何か異議を言うつもりは最初からありません」

「だったら……」

「だからなんです」

 瑞穂は七海の言葉を遮るように言った。

「事件当時ヘリに乗っていた……それこそが今回の事件のトリックの肝であり、だからこそ犯人はあなたしかいないんです」

「意味がわからないわよ! 適当な事を言わないで! 大体、さっきの話だと犯人は小石を駅舎に向かってかなりの速度で撃ち出さないといけないのよね。ヘリに変な機械を持ち込むわけにもいかないし、私にそんな事ができるわけないじゃない!」

「いいえ、できるんです。物凄く単純な方法で」

「そんな方法があるわけ……!」

 七海が必死に反論する中、瑞穂は再度切り札を切った。

「本当に簡単なんです。だってその方法っていうのは……あらかじめ採取しておいた小石の塊を、単にヘリから落とすだけなんですから!」

「なっ!」

 呻いたのは十角だった。完全に意表を突かれた格好である。それで自信を持ったのか、瑞穂は一気に畳みかける。

「どんなに小さな小石でも、高いところから落とせば重力の法則で相当な威力が出るはずです! つまり、この密室は二次元じゃなくて三次元で考える必要がある密室だったんです。そして、三次元まで考えた場合、この重力を使った小石の銃弾を放てるのは、事件当時ヘリで事件現場上空にいた鴻崎七海さん、あなたしかありえません!」

 だが、七海はこれで諦めるような人間ではなかった。

「馬鹿言わないで! たかが小石でしょ。いくら高いところで落としたからって銃弾並みの威力が出るなんて信じられないわ! それに、上から小石を落としたんだったらそのまま下に落ちるはず。でも、問題の窓ガラスを割ろうとしたら銃弾は横から駅舎に撃ち込まれないといけない。そもそもが矛盾してるじゃないの!」

 七海の反論に対し、しかし瑞穂は即座に言葉を切り返した。。

「私も最初は信じられませんでした。だから、きちんと計算したんです」

「計算、ですって?」

 そこで前に出たのは、瑞穂以上に緊張した表情のさつきだった。

「えっと、その……これは学校の物理の授業で習った話なんですけど、一般的に物体の自由落下って物体の重さに関係なく一定の速度で加速していくものみたいなんです。重力加速度って言うらしいんですけど、それが大体9.8m/s²。それを踏まえて重力加速度をg、落下距離をy、落下時間をt、t秒後の落下速度をvとすると、v=gt、y=gt²÷2という公式が成立するらしいんです」

 そう言ってから、さつきは一度息を吸って言葉を繋ぐ。

「映像を確認したんですけど、問題のヘリコプターが飛んでいた高度は大まかに見て大体地上一〇〇メートル。それを前提にしてさっきの公式に当てはめると、100=9.8t²÷2という二次方程式が成立します。これを解くと、t≒4.5になるから、一〇〇メートルの高さから物体を落とした時の地上に到達するまでの時間は約四.五秒。ここから地表到達時の速度を求めるとv=9.8×4.5になるから、v=44.1。つまり、秒速約四十四メートルです。これは時速に直すと約一五八キロメートルになります」

「時速一五八キロメートル……」

 その計算結果に誰もがどよめく。一度も詰まる事なく言えてホッとするさつきが下がると、再び瑞穂が前に出た。

「一般的な拳銃の初速は秒速二〇〇~三〇〇メートル前後だからそれに比べればさすがに遅いけど、単純に人の体を蜂の巣にするだけなら充分すぎる速度だと思います。しかも、実際はこれにさらに別のエネルギーが加わっていた可能性があります。なぜなら、小石がヘリから落とされたのだとすれば、ヘリの動きそのものが速度に加わってくるからです」

 瑞穂はさらに推理を続けた。

「事件当時、鴻崎さんの乗っていたヘリは線路のほぼ真上を西から東へ向かっています。ネットで調べたら、ヘリの飛行速度は大体時速二〇〇キロメートルという事でした。そんなヘリから小石を落下させた場合、小石もその場に落ちずに慣性の法則で時速二〇〇キロメートルの速度を保ったまま西から東へ移動していくはずです。つまり、この小石は時速一五八キロで下に落下しながら同時に時速二〇〇キロで横へ移動する……要するに空中を斜めに落下する軌道になっていたんです。当然、エネルギーそのものも単純な自由落下よりも増加したはずです」

 瑞穂はいったん息を吐くと、再度計算に移った。

「この場合の石の速度は、一般的な三平方の定理で求められます。要するにこの石は数学的に考えれば一時間に垂直方向に一五八キロ、水平方向に二〇〇キロ進むわけです。とすれば、この石が斜め方向に一時間に進む距離は、縦一五八キロ、横二〇〇キロの巨大な直角三角形の斜辺の長さだと考える事ができます。その斜辺の長さをxとするなら、計算式は158²+200²=x²。これを解くとx=254.88……となって、大体二五五キロです。つまり、この石は一時間に二五五キロ進む速さで移動したわけで、当然その時速は時速二五五キロメートル。実際は空気抵抗があるから多少速度は落ちると思いますけど、あのヘリから今言った条件で小石を落下させた場合、小石は少なくとも時速二〇〇キロに近いくらいの速度で駅舎に激突したって事になるはずなんです!」

「確かに……そんなものが人体にまともに直撃したら、銃弾じゃなくてもただで済むとは思えませんね」

 内海運転手がそんな感想を述べる。

「つまり、あなたは事件前にあらかじめに駅舎の近くに敷き詰められていた砂利を一定数回収しておいて、密かにヘリにそれを持ち込むと現場上空に来た時点でそれをヘリから空中にばらまいた。ばらまかれた小石は重力と慣性の法則にしたがって相応の速度とエネルギーで駅舎に激突。窓ガラスや壁を砕いて待合スペースにいた被害者を蜂の巣にした。これが今回の史上最大の密室の種明かしだったと考えられます!」

 が、瑞穂の告発に対して七海はなおも反論を試みた。

「待ってよ! その推理には根本的な欠陥があるわ!」

「どんな欠陥ですか?」

「タイミングがシビアすぎるって事よ。いい、そのやり方だと私はばらまいた小石を高速移動中のヘリから確実に標的の駅舎に命中させないといけない。落とすのが早すぎたら駅の手前に落ちるし、遅すぎるとそのまま駅の頭上を越えて駅の向こう側に落ちてしまう。つまり、落とすタイミングを計る必要があるって事よ! 明かり一つない暗闇の雪原だったあの場所で、どうやって私は移動するヘリから小石を駅に命中させるタイミングを知る事ができたのよ!」

 七海のいう事は正論だった。単に落とすだけならともかく、駅舎に命中させるためには一瞬でタイミングを計る必要が生じるのである。だが、瑞穂はその反論を想定していたのか、即座に反撃に移った。

「それに答える前に条件をちゃんと確認しておきます。さっきも言ったように、地上一〇〇メートルから物を落下させた場合、落下までにかかる時間は約四.五秒。つまり、落下までにそれだけの猶予があるわけです。そして、時速二〇〇キロで飛ぶヘリがこの四.五秒で移動できる距離は、計算すると約二五〇メートル。つまり、ヘリが線路上空を移動している事を前提にして、その上で駅舎の西方二五〇メートルに到達した地点で小石を落下させれば、その小石はほぼドンピシャで駅舎に命中する事になるんです」

「だから、そんな事ができるわけがないでしょ! 二五〇メートルだか何だか知らないけど、あの暗闇の雪原の中にヘリがどの場所にいるのかを知る手掛かりなんて……」

「あったんです! 駅から二五〇メートルという条件に限定すれば、それは確かに線路上にありました」

 そう言うと、瑞穂は内海や白滝ら千石線関係者に向き直った。

「あの駅舎は東西それぞれの踏切と五〇〇メートル離れているんですよね。そして、その駅舎と踏切のそれぞれ中間地点……つまり偶然にも駅舎から二五〇メートルの地点にはあるものがありました。それは……」

「あ……あぁっ!」

 直後、白滝が叫んだ。同時に、内海が真剣な表情で答えを告げる。

「信号小屋、ですね」

「その通りです。しかもあの信号小屋は、無人となった現在でも目印の意味もあって夜間になると電気が点灯する仕組みになっていたはずです。つまりあの時、真っ暗な雪原の中で駅舎から二五〇メートルの地点には、電気の明かりが漏れ出る信号小屋という明確な目印が存在した事になります」

「という事は……」

「そうです。ヘリが明かりの漏れる信号小屋の真上に来た瞬間に小石を落下させれば、タイミングよく小石を駅舎にぶつける事が可能になるって事なんです」

 反論をねじ伏せられて、七海の顔が真っ赤になる。そんな七海に対し、瑞穂はさらに推理を叩き込みにかかった。

「私はこの事件の中で三つの大きな謎が気になっていました。一つは他にも方法があったはずなのにわざわざ被害者を蜂の巣にして殺害した点。次に、意味がありそうでもないのに駅舎に放火した点。そして誰も利用しなさそうなローカル線に爆弾を仕掛けた点です。一見するとこれらは犯人にとって無駄以外の何物でもないはずなのに実際にはそれをやっている。犯罪者は文字通り犯行に命をかけるから、意味もなく無駄な事をしません。でも、この推理が正しいならこの三つの無駄にもちゃんと説明がつくんです。被害者を蜂の巣にしたのは、したくてやったわけじゃない。これ以外に、密室の中にいる被害者を殺害する手段がなかったからと考えるべきだったんです。そして、それを実現するにはこのトリック以外に方法はありません」

「……ならば、君は他の二つの疑問にも答えられるのかね?」

 十角の問いに、瑞穂は頷いた。

「二つ目の疑問、つまり駅舎に火を点けたのは、小石による破壊の痕跡を消すためと、遺体を完全に燃やし尽くすためです。火そのものは待合スペースの石油ストーブに小石が当たれば簡単についたと思うけど、それだとあの火勢は説明がつかないから、例えばあらかじめ窓辺にガソリンが入った小瓶を置いておいて、小石が駅舎に命中した際に瓶が割れてガソリンが飛び散るくらいの事はしたかもしれない。そしてそうまでして火災を起こしたのは、被害者の体内に残留しているであろう小石を、遺体を燃やし尽くして骨にする事で体外に出し、トリックを見破られないようにするという理由があったからだと思います」

「なん……だと……」

 想像以上にひどい理由に、十角は思わず七海の方を見やった。が、七海は唇を噛みしめたまま反論しない。

「さっきも言ったように、このトリックなら被害者を蜂の巣にすること自体はできても、銃弾に比べて速度が明らかに遅いから凶器の小石が貫通せずに体内に残ってしまう事が予想されます。もし体内から小石が見つかりでもしたら、その瞬間にこのトリックはばれてしまい、そうなれば必然的にヘリに乗っていた自分が疑われてしまう。だからこそ、犯人はどんな手段を持っても被害者の体内にある小石を排除する必要性に迫られていたはずです。そして、犯人自身も駅舎に侵入できないあの状況でそれを成し遂げようとしたら、駅舎そのものに火を点けて遺体を燃やし尽くし、白骨化した遺体から小石が地面に落下するようにするしかありません!」

「何て事だ……」

 絶句する十角に対し、瑞穂はさらに畳みかける。

「そして、最後の疑問……つまり、千石線車両の爆破事件は、別にテロでも恨みによる犯行でもなんでもなかった。あの場所……つまり、東千代原踏切で列車が爆破されること自体が目的だったんです。なぜなら列車が爆破されたとなれば鴻崎さんたち報道関係者は間違いなくヘリで現場に向かう事になり、ヘリというトリックに必要不可欠な要素を何の違和感もなくあの巨大な密室に投入する事が可能になるからです!」

「あっ!」

 その衝撃の事実に、白滝が思わず叫んでいた。同時に梅小路が呻くように呟く。

「まさかこいつは、自分の乗る報道ヘリをあの現場上空に飛行させてさっきのトリックを成立させるために……たったそれだけのためにあの列車爆破事件を引き起こしたっていうのか!」

 瑞穂は黙って頷いた。

「このトリックを成立させるにはヘリの存在は必須です。でも、個人でヘリを飛ばす事はまずできないし、それに何の理由もなくあの場所にヘリを飛ばしていたら、いくらなんでも怪しまれてしまう。だからこそ、あなたは列車爆破事件という餌を用意して、それに集まってきた報道ヘリという形でヘリや自分の存在を消そうと考えた。違いますか!」

 だが、七海は顔を青くしながらも即座に反撃した。

「言い掛かりよ! それに、その考えには穴があるわ!」

「どんな穴ですか?」

「爆弾の設置のタイミングよ! あの列車に爆弾を仕掛けるのは私には無理だったはず! それはどうなってるのよ!」

 その反論に十角も頷いた。

「確かに彼女の言う通りだ。あの列車は車庫から出るときに点検されていて、その時に爆弾がなかった事は内海運転手が証言している。つまり、爆弾はその後に仕掛けられたわけだが、その後乗車したのは内海、白滝両運転手と、ここにいる梅小路さんと阿川さん、それに千代原駅で降りた謎の男だけだ。鴻崎七海の名前はない。一体彼女は、列車に乗る事なくどうやって爆弾を仕掛けたというんだね?」

 しかし、この反論にも瑞穂はあくまで冷静だった。

「本当に第三者が仕掛けるタイミングはなかったんでしょうか?」

「何だって?」

「昨日、内海さんたちから話を聞いていて少し気になった事があるんです。内海さんの話だと、車内点検後に始発の千石札幌駅に列車を入線させた後、客を待つ間に五分くらい事務所で軽い引継ぎをして午後五時半に出発したって事でしたよね?」

「そうですが、それがなにか?」

「それってつまり、ホームに入線してから五分間、内海さんが運転席にいなかった時間帯が存在したって事じゃないですか?」

 その言葉に、内海は白滝と顔を見合わせた。

「それは……確かにそうですが……」

「この路線は無人駅で運転手が切符を確認する仕組みになっていますが、始発の千石札幌駅で乗車するときは、切符さえ購入すれば乗務員のチェックはいらないはずです。もしそうなら、乗務員がいない始発の千石札幌駅での待ち合わせ時間に客のふりをして車内に入って爆弾を仕掛け、内海さんが戻ってくるまでに何食わぬ顔をして電車から出れば、客や乗務員以外の第三者が爆弾を仕掛ける事も可能になるとは思いませんか?」

 内海たちは黙り込んでしまった。否、答えられなかったというべきなのかもしれない。それだけ瑞穂の説には説得力があったのだ。やがて内海が少し悔しそうに口を開く。

「……ないとは言い切れませんね。入場券を買えば客以外の人間がホームに入る事自体は可能ですし、私が戻ってくるまでにすでに下車していたとすれば、私が客として認識する事もありませんから」

「そういう事です。そこで、今度は乗客のお二人に聞きます」

 瑞穂はそう言うと、今度は梅小路と阿川に視線を向けた。

「お二人は千石札幌駅からあの電車に乗っているはずです。改めて、乗車してから列車が発車するまでの間に不審な行動をする人間を見ていませんか?」

 その問いに対し、梅小路は困惑気味に首をひねった。

「そんなこと言われてももう半年も前の話だし、それに俺は駅舎を撮影したりしていて出発ギリギリに乗ったから何とも……確かなのは、乗車した時に例のマスク男がいて、そいつが千代原駅で降りたって事だけだ」

 一瞬、七海が勝ち誇ったかのような表情を浮かべる。が、そこで今まで何も発言せずに温和な顔をしていた阿川小春が、不意に小首をかしげながらこんな事を言った。

「そう言えば……一人いたわねぇ」

 全員の視線が一斉にこの老婦人に向く。

「いた、というのは?」

「私、あの日は列車がホームに来てすぐに乗車したんですけどねぇ。運転席のある一両目の座席に座っていたんですけど、しばらくしてマスクにサングラスをかけた人が乗り込んできたのよぉ。そのまま後ろの二両目に行っちゃったけどねぇ」

「それは……」

 誰もが顔を見合わせる。それは千代原駅で降りた謎の人物の風貌そのものであった。とはいえ、その人物があの列車に乗車していたのはすでにわかっている話である。

「そうじゃないんですよ。その後がね」

「後?」

「えぇ。それから少しして、同じ格好の人がまた一両目に乗って来たんですよ。あれって思ったんだけど、その人、何事もないようにちょっと離れた一両目の座席に座ってね。しばらくしたら一両目の前のドアから出て行っちゃったわ。私は最初に二両目に行った彼が二両目のドアから出て一両目からまた入ったんだと思ったの」

「でも、その後千代原駅で彼が下りるのを見ているんですよね」

「えぇ、もちろん。だから、一両目から出た後でまた二両目に戻ったんだと思ったの。何でそんな事をしたのかは私にはわからなかったけどねぇ」

 が、これに対して首をかしげたのは内海だった。

「おかしいですね。あの時、私は一両目の前のドアしか開けていないはず。二両目の車両のドアは閉まっていたはずです」

「確かですか?」

「間違いありません。だから、二両目にいる人間が列車から出て一両目から再び乗り、その後列車の外に出てから二両目に乗るなんて無理なはずなんですが……」

「じゃあ……その一両目に乗ってきたマスクの人物は……」

 瑞穂はその答えをはっきり告げた。

「多分、それが爆弾を仕掛けた張本人……鴻崎さんです」

「違うわ! 出鱈目よ!」

 七海は即座に叫んだ。が、瑞穂は間髪入れずに切り返す。

「じゃあ、問題の時間、あなたにアリバイはありますか?」

「アリバイって……確かに、あの時間はたまたま空き時間だったけど、でもアリバイがないくらいで犯人にされちゃかなわないわよ!」

「だけど、あなたにチャンスがあったのは確かです。そして、事がここに至ればさっきのトリックが行われた事を証明する事はそう難しくはありません。今も現場に転がっている小石、それに血痕が残っているかどうか、そして遺骨に残されていた傷と一致するかどうか、それを調べればいいんですから。そして、問題のトリックが使われていたと判明した時点で、この犯行が可能なのはあなたしかいないのはさっきから言っている話です」

「ふざけないで! それなら同じ時にあの辺を飛んでいた夕日テレビのヘリの人間にだって可能だし、同じヘリだったとしてもパイロットやカメラマンだって可能性があるじゃない! あのヘリに乗っていたのは私だけじゃないわ!」

「ちょ、あなた、何を言ってるのよ! 私を巻き込まないで!」

 急に容疑を吹っ掛けられて蓮花が血相を変える。が、瑞穂がそれを否定した。

「夕日テレビのヘリは問題のガラスの音がした瞬間、駅舎じゃなくて東踏切の上空を飛行していた事が竹島ビデオから明らかになっています。この犯行はガラスの音がした瞬間に駅舎上空近辺を飛んでいなければならないから、夕日テレビのヘリの人間にこの犯行は不可能です。また、操縦に集中していたパイロットが犯人である可能性は低いし、鴻崎ビデオを見る限りカメラマンは大型のカメラを持って窓から外を撮影していました。この状況でカメラの映像を不自然にする事なく、さらに実況しているあなたの目を誤魔化して小石を落とす事なんか不可能です。その一方、画面に映っていなかったあなたなら、カメラマンに気付かれる事なく反対側の窓から小石を落とす事は可能だったはず。要するに、あのヘリで小石を落とせるのはあなたしかいないんです!」

 激しい応酬の末、瑞穂はいったん息を吐くと、いよいよ犯人を追い詰めにかかる。

「一度犯行の流れをまとめましょう。この犯行はおそらく、事件直前に自衛隊基地から自動小銃が盗まれたというニュースを見て思いついたんだと思います。以前から被害者に対する殺意を抱いていたあなたは、自動小銃が紛失しているというこの状況で全身蜂の巣にされた被害者が発見されれば疑いはその自動小銃の所持者に向くと考えて犯行に踏み切った。密室状況でも自動小銃の所有者に疑いが向くよう新雪が降った日を待った上で被害者を千代原駅に呼び出し、さっき証明したタイミングで列車に爆弾を仕掛ければ準備完了です。そして午後八時……列車が東千代原踏切を通過したその瞬間に爆弾は爆発した。電車が時刻表通りに動きさえすれば、東踏切を通過する時間を狙って爆弾を爆破させるのは難しい話じゃありません。事件の話は即座にテレビ局に伝わり、あなたはアナウンサーとして局のヘリに乗りました。おそらく、そこでこういう指示を出したんじゃないですか? 『絵になるから線路伝いにヘリを飛ばしてくれ』と。どうですか、カメラマンさん?」

 その言葉に反応したのは、思わぬ事の成り行きにもかかわらず、ずっとこの様子を撮影していた七海の相方のカメラマンだった。

「あ、あぁ……確かに、そんな指示をパイロットにしていたとは思うが……」

「ちょっと、何言ってるんですか!」

 七海が慌てて非難めいた視線をカメラマン向けるが、瑞穂は話を先に進める。

「やっぱりそうですか。そうでもないとヘリがあんな飛び方をするとは思えなかったから、それで納得です。そして、予定通りヘリが線路に沿って飛行し、カメラマンが窓から外を映しているのを確認した上で、あなたは反対側の窓からあらかじめ駅舎から採取しておいた小石の塊を落とす準備をしていた。小石そのものはある程度の量であるなら自分の手荷物に紛れて機内に持ち込む事はできたはずです。多分、洗面器のようなものに小石を入れて、それを三本くらいの紐で窓から外に吊り下げていたんでしょう。そして、さっきの推理通り、ヘリが西千代原踏切と千代原駅の中間地点にある信号小屋の上空に差し掛かった瞬間を見計らって、あなたは実況を続けながら容器の紐を、一本を残して切断した。その瞬間、容器の中の小石の塊は空中にばらまかれ、そのまま駅舎に衝突。後は素早く容器を回収して自分の荷物に隠し、何食わぬ顔で実況を続ければ、ヘリで上空一〇〇メートルにいながら巨大な密室の中央にある駅舎の被害者を殺害する事ができます。いかがですか!」

「……いかがも何も、言い掛かりもいいところよ! 大体、そのトリックは被害者が待合スペースにいないと成立しないわ! 百歩譲って被害者を駅に呼び出す事に成功しても、被害者が待合スペースにいなかったら石を命中させる事はできないはずじゃない!」

「あの大雪の中、被害者が極寒のホームで人を待つはずがないし、足の悪かった被害者が改札の辺りで立ちながら長時間待つ事もあり得ません! 除雪されていない駅の外に出るわけもないし、弁護士の被害者が駅員室に無断侵入する可能性もありません。つまり、あの駅にいる限り被害者は必ず待合スペースにいたはずなんです」

「トイレに行っていたらどうなるのよ!」

「そんなものは、あらかじめトイレの入口に『故障中』とでも張り紙をしておけばいいだけの話です。どうせ炎上してしまうのですから証拠は残りません」

「だったら……そうよ、あの時間、駅から少し離れた東千代原踏切では爆発事故が起こっていたのよ。その騒ぎはもちろん駅にも聞こえていたはず。その状況で被害者が駅舎でジッとしているなんて……」

「確かに事件直後はホームに出て様子を見るくらいの事はしたかもしれないけど、だからと言って何かできるわけでもありません。寒さや足の事もあるし、どうする事もできないという事がわかればほぼ間違いなく待合スペースに戻って待機するはずです。つまり、被害者はどうやっても待合スペースにいるしかなかったという事になります!」

「じゃあ……じゃあ、説明してよ!」

 だが、ここまで来ても七海は諦める様子もなく、どこか開き直ったかのように言った。

「トリック云々はとりあえずいいわ。でも、あなたは一つ大事な事を忘れている」

「何ですか?」

「動機よ! 私がその篠原とかいう弁護士を殺す動機……そんなものがどこにあるのよ! 私が犯人だっていうなら、それははっきり説明してみなさいよ!」

 その言葉に、瑞穂は一瞬言葉を詰まらせた。それが問題になる事は瑞穂もよくわかっている。だが、昨日も榊原に言ったように、瑞穂はトリックを解くまでが精一杯でそこまで到達できていないのだ。榊原は何か考えがあるような事を言っていたが、どうするつもりなのかと榊原の方を見やった……その時だった。

「……瑞穂ちゃん、よく頑張った。ここから先は、私がやろう」

 そう言うと、榊原がゆっくりと腕組みを解き、おもむろに瑞穂の前に出て七海に対峙した。突然の動きに、七海はたじろぐ。

「な、何なのよ、あなたは」

「榊原恵一、私立探偵だ。この先は私が君の相手をするとしよう。構わんね?」

 鋭い視線で射抜かれ、七海が動揺する。が、これに異を唱えたのは十角だった。

「おい、榊原! お前はこの事件に介入しないんじゃなかったのか。俺はお前が介入しないという条件で彼女たちの捜査を認めたんだぞ。それを破るつもりなら、話はここで終わりだ。すぐにでも出て行ってもらうぞ」

 だが、榊原は少し笑うと小さく首を振った。

「とんでもない。私は約束を破るつもりは全くありません。実際、今回の篠原弁護士殺しに関して私は依頼を放棄していますし、完全にノータッチです。それについては約束を違えたつもりはありませんよ」

 ただし、と榊原は言い添え、そして決然とした表情で十角を睨みながら宣告する。

「逆に言えば、篠原弁護士殺しと列車爆破事件以外の事件であるなら、私が介入する事に何ら問題はないはずです。例えば……この事件の動機に何か別の事件が絡んでいた、というような場合、そちらの事件に対して私は容赦するつもりはありません」

「何……だと?」

「ここから先は私の領分です。手出ししないでもらえますかね」

 穏やかではあるが、それでいて有無を言わさぬ口調だった。その瞬間、十角は顔色を変えて何かに気付いたように唇を震わせながら叫んだ。

「……榊原、お前……まさか、最初からこのつもりで……こうなる事を見越してあっさり事件の捜査から手を引いたのか! 結局は事件に介入できる事を知っていて……」

「私の性格は先輩もご存じのはずです。私は、一度関与した事件はどこまでも追い続けます。たとえどんな形をとってもね。それが、私の『探偵』としての訓示ですから」

「さ、榊原ぁっ! お前、また俺を手玉にっ!」

 そう呆然としながら叫ぶ十角を尻目に、榊原は七海に向かって鋭く啖呵を切った。

「さて……ここからは私が相手だ。瑞穂ちゃんと違って、私はそこまで甘くないぞ」

 やはり、この男は黙って終わるような口ではなかった。推理終盤のここへ至って、瑞穂に代わって『推理の怪物』が動き出した瞬間だった。

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