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三大密室狂想曲  作者: 奥田光治
第三事件 史上最大の密室『雪原の巨大密室』(北海道石狩平野千石線千代原駅)
10/13

第三章 捜査

「な、な、な……」

 瑞穂はしばらく壊れた機械のように呟き続けていたが、直後に大声で叫んでいた。

「何で、私がっ!」

「理由は今説明した通りだ。私が依頼を遂行できない以上、この事件、君に解いてもらう必要がある。もちろん、道警が目くじらを立てない程度の簡単なサポートはするがね」

「いや、意味がわかりませんよ! どういう理屈で……」

「そもそもこの事件は篠原君が君を通じて私に依頼してきたものだ。それで私が依頼を放棄した以上、篠原君が君に事件の解決を依頼したと考えるのが理屈だろう」

「そんな無茶苦茶な!」

 今まで色々と榊原の無茶を見てきた瑞穂だったが、これはまさに極め付きだった。だが、瑞穂の抗議もむなしく、榊原は涼しい表情でこう続ける。

「まぁ、決めるのは君じゃない。篠原君、どうするかね?」

「え……」

 急に振られて、真里菜は動揺する。

「私が依頼を放棄したため、今の所、君は瑞穂ちゃんに事件の解決を依頼した形になっている。ここで君が彼女への依頼を撤回すれば……その時は本当にそれまでだ。私の力をもってしても、これ以上事件を調査する手段は存在しない。この状況でこれ以上この依頼を継続しようと思ったら……この方法しかない」

 榊原は本気だった。が、それでも隣のさつきは信じられない思いのようだった。

「ちょ、ちょっと、本気ですか? 瑞穂にそんな事を……」

「私は彼女ならできると思っている。いずれにせよ、今回の依頼を続けるかどうかは君の返事にかかっている。もちろん、どんな結論を出そうが私はそれを尊重するが……君は君なりの覚悟を持って私に依頼をしたはず。そこをよく考えてほしい」

 その言葉に真里菜はしばらく目を閉じて考え込んでいたが、やがて何か覚悟を決めたように言った。

「私は……依頼を引っ込めるつもりなんかありません! それが最善の方法なら……私は深町先輩に事件の解決を依頼します」

 その言葉に焦ったのは瑞穂だった。

「ちょ、そんな……先生、勝手に決めないでください!」

 だが、榊原は落ち着いた口調で言う。

「気負う必要はない。これもいい経験だ。今まで私の事件ファイルでずっと勉強していた君なら難しい話ではないというのが私の判断だ。それに……」

 直後、榊原は真剣な表情になってこう続けた。

「君はいつも自分の事を私の弟子だと言っているが……それは言葉だけだったのかね?」

「っ!」

 まさに殺し文句だった。考え込む瑞穂に対し、十角は後ろで拳を震わせていた。

「お、おい、榊原! 俺がそんな事を認めるわけ……」

「十角先輩、これが私の最大限の譲歩です」

 榊原はそう言って十角を見据えた。さっきとは違うその迫力に、十角も思わずたじろぐ。

「私は依頼を放棄しました。先輩にはわからないかもしれませんが、これは探偵として最も屈辱的な事です。私は先輩に頼まれて、その最大の屈辱を選んだんです。ならば、それ相応の譲歩と対価は頂きます」

「対価、だと?」

「彼女の調査に道警は全面協力してください。その代り、約束通り私はこの件に一切かかわりません。すべてを彼女に託します」

「ば、馬鹿な! こんな女の子一人に何ができると……」

「私は彼女を信じるだけです!」

 シンプルな一言だった。だが、それだけで充分だった。その言葉で、瑞穂の心も決まった。決然とした様子で顔を上げると、十角に宣言する。

「……やります。私は先生の代わりに、篠原さんの依頼を受けます」

「おい、君……」

「だから……協力してください! お願いします!」

 そう言って十角に頭を下げる。十角はしばらく何か迷っている様子だったが、やがてやけくそになったように叫んだ。

「えぇい、くそっ! 一日だけだ! 一日だけは協力してやる! それで駄目ならそれで終わりだ! こっちもこれが最大の譲歩だ!」

「……いいでしょう。交渉成立です」

 そう言うと、榊原は瑞穂を見やった。

「そういうわけだ。そこの二人にも協力してもらうといい。構わないね?」

「……もちろんよ」

「先輩、お願いします!」

 答えたのはさつきと真里菜だった。瑞穂は小さく頷く。

「ありがと……二人とも」

 一方、十角は不満そうな顔で彼女たちに言う。

「調査をするならそのパトカーを使え。運転しているのは、この事件の担当刑事だ。話を聞くと言い。いいな、猶予は一日だけだ」

「わかっています」

 と、同時に運転席の窓が開いて、初老の温厚そうな刑事が丁寧に頭を下げた。

「北海道警刑事部捜査一課警部の柿崎義持と言います。よろしく」

「あ、どうも……」

 瑞穂は思わず頭を下げた。と、同時にさつきがこう問いかける。

「それで瑞穂、まずはどうするの?」

 瑞穂は一瞬榊原を見た後、慎重な口調でこう言った。

「この路線を運航している鉄道会社に行こう。多分、当日に運転した運転手さんもいるはずだし。その間にそこの刑事さんから事件の詳しい情報を聞く。どうかな?」

「うん、それでいいと思う」

 さつきが賛成し、真里菜も頷く。そのまま三人はパトカーの後部座席に乗り込んだ。

「じゃあ、予約した札幌市内のホテルで落ち合う事にしよう。私も早いうちに戻っていると思う。それじゃあ……頼んだよ」

 榊原の言葉に瑞穂は無言で頷くと扉をしめる。そのままパトカーは発車していった。後に残された榊原と十角は互いに視線を交錯させる。

「で、お前はどうするんだ?」

「言った通り、この件にはかかわりません。今からタクシーでも呼んで、札幌観光でもしますよ。先輩も一緒にどうですか?」

「死んでもお断りだ。誰かに迎えに来てもらうさ」

 そう言ってそっぽを向いた十角に対し、榊原は肩をすくめながら小さくこう呟いた。

「……私は私の仕事をするだけだ」


 田園地帯の国道を走るパトカーの中で、早速瑞穂は運転する柿崎警部から事件の詳しい情報を聞いていた。

「教えてください。道警は今、この事件をどう考えているんですか? 血闘軍による犯行だったとしても、一体どういう経緯で犯行が行われたと思っているんですか?」

 後部座席からの瑞穂の問いに対し、柿崎は静かな声で淡々とあくまで丁寧に答えた。

「現在の捜査本部の見解は、血闘軍が篠原弁護士をどこか別の場所で入手した自動小銃で殺害した後で千代原駅に放置し、列車爆破と同時に何らかの方法で駅に火をつけた、というものです」

「それって……殺害現場が駅舎じゃないって考えてるって事?」

 さつきの問いに、柿崎は小さく頷いた。

「あの、何でそう考えているんですか?」

「いくつか理由がありますが、最大の理由はあの駅舎が事実上の巨大な密室だったという点からです」

「密室?」

 思わぬ単語に、瑞穂は首をひねった。確かにあの駅舎は周囲から孤立していたが、とても密室と呼べるようなものだとは思えなかったからだ。

 と、柿崎は黙って懐から一枚の写真を取り出し、それを瑞穂に渡した。受け取ると、そこには上空からと思しき雪原の写真が写っている。

「ご存知のように、あの駅舎は周囲五〇〇メートルを周辺の道路が正方形状に囲み、駅舎に行くには北の国道から伸びる道を通るほかありません。正方形の内側は完全な田園地帯になっていて、駅舎や線路以外に目立つ建物はありません。そして、その写真は事件翌日にここの上空から道警のヘリが撮影した写真なのですが……見ればわかるように当時この田園地帯は雪に覆われていて、足跡など人が出入りした痕跡はなかったのです。また、この駅に唯一通じる道路も、普段から利用者がいない事もあって火災発生当時は除雪されていなかった事が確認されています。これは現場に臨場しようとした消防隊の証言によるものでして、実際、臨場前の除雪されていないこの道を写した写真も記録されているのです」

「……少なくとも火災が発生した瞬間、駅の周囲半径五〇〇メートル圏内には、道、田園地帯問わずに人が立ち入った形跡は一切存在しなかった、という事ですか」

 瑞穂の問いに、柿崎は頷いた。

「そうです。つまり、火災発生当時のこの駅は、事実上、雪によって構成された直径一キロの巨大な密室空間だった事になるのです。そして、そこから誰かが出入りした痕跡がなく、また駅舎の残骸から被害者以外の人間がいた痕跡が見つからない以上、事件当時駅舎にいたのは被害者一人だけだったという事になってしまうのですが……その場合、仮に駅舎で被害者を殺そうとなれば駅から最低五〇〇メートル離れた道路からという事になってしまいます。しかし、自衛隊の自動小銃の有効射程距離はせいぜい二〇〇メートルから三〇〇メートルです。とても届きませんし、そもそもそんな事をしたら銃声が響きます。もちろん、事件当夜銃声などというものは確認されていません。従って、事件当日以前に別の場所で射殺した被害者の遺体を運び込んだと考えるしかないのです」

「それって……ある意味史上最大の密室って事?」

 さつきの問いに、柿崎は再度小さく頷いた。

「もし、被害者が駅舎の中で殺害されたとするなら、そういう事になるでしょう。密室と化した駅舎にいる被害者を殺害するには、広大な雪原を、痕跡を残さずに突破しなければならないのですから」

「二ヶ月前に最深の密室、一ヶ月前に最古の密室ときて、今回は最大の密室かぁ……もうお腹いっぱいなんだけどなぁ」

 瑞穂がそんな事をぼやくが、柿崎はさらにこう付け加える。

「ちなみに、現場周辺は事件前日に丸一日大雪が降っていましたが、事件当日、雪は完全にやんでいました。つまり、事件当日に痕跡を残さずに遺体を駅舎に搬入するのは不可能なのです。もし、遺体を搬入するなら雪が降っていた事件前日まで。被害者の篠原達則が姿を消したのは事件の四日前ですから、辻褄は合うのです。遺体は燃えていましたから、死亡推定時刻も厳密には特定されていませんし」

「それが、道警が事件前に父が殺されて、事件当日以前に遺体が駅舎に搬入されていたと考える根拠ですか?」

 真里菜の問いに、柿崎は深く頷いた。

「この巨大な密室に対するあれこれを考えるよりは、こう考えた方が理論的にしっくりくるのです。密室殺人などというものは、小説の中だけのものですから」

「いや、どうかなぁ……」

 ここ数ヶ月で遭遇した奇想天外な密室殺人事件の事を思い出して瑞穂が呟く。が、柿崎は素知らぬ風に続けた。

「根拠はまだあります。ご存知のように、被害者は小銃のようなもので上半身を撃たれて死亡したのですが……問題の駅舎からは銃弾が一発も発見されなかったのです」

「え?」

 思わぬ話に瑞穂たちは絶句する。

「一発も、ですか?」

「はい。現場はもちろん、被害者の遺体からもです。単発ならともかく、現場に飛び散った連射式の小銃の銃弾や薬莢のすべてを回収するなど不可能です。それが見つからないという事は、被害者が別の場所で銃殺されたという何よりの証拠になると思われます」

 さすがに道警の推測にはちゃんとした根拠があった。

「その別の場所は特定できたんですか? その推理だと、多分銃声が問題にならない場所だとは思うんですけど」

「……残念ながらそこまでは。とはいえ、ここは北海道です。どこかの山奥でそんな事をされれば、発覚しない可能性は高いでしょう」

 雪崩の危険はありますが、と柿崎は笑えない一言を付け加える。

「深町さん、改めて聞いておきます。この状況でも、あなた方は調査を続けるのですか? この結論でも問題ないように思いますが、それでも?」

「もちろんです!」

 反射的に瑞穂はそう答えていた。榊原から任された以上、ここで引っ込むわけにはいかない。それに、瑞穂自身、この結論に何か引っかかる事があった。きっと榊原もそれを感じていたからこそ、瑞穂に調査を続けさせたのだろう。

 そして、榊原のその手の勘は今まで一度も外れた事がないのである。

「……いいでしょう。なら、お付き合いますよ。『真の探偵』と呼ばれる榊原さんのお弟子さんの実力、見せてもらいますよ」

「知ってるんですか、先生の事」

「もちろん。警察関係者には有名な人ですから」

 どこか考えが読めない平坦な声に、瑞穂は少しやりにくさを感じた。

「さて、そろそろ例の路線……千石線を運行する会社の本社です」

 そこは札幌市中心部から少し離れた場所にある千石札幌駅という小さな駅だった。路線の本社は、この駅に隣接する形で建っているのである。パトカーをその前に停めると、柿崎は解説を加えた。

「事件後、四ヶ月ほどして千代原駅を封鎖する形で運行は再開しました。従業員数十五名程度の小さな会社ですね。例の爆破された列車を運転していた白滝という運転手は重傷を負ったものの一命はとりとめ、事件後事務職に回っているとの事です。話を聞くなら、協力しましょう」

 そう言って柿崎はパトカーを降りていき、瑞穂たちも慌てて後を追った。柿崎に続いて中に入ると、そのまま奥に通される。しばらく待っていると、若い男が姿を見せた。病み上がりのせいか顔色はまだ悪く、左腕に巻いた包帯が痛々しい。

「また話って何ですか? 話す事は全部話しましたけど……」

 そう言ってから、目の前にいる女子高生三人組に気付いて目を丸くする。

「あの、彼女たちは?」

「捜査協力者です。あなたに話を聞きたいと」

「は?」

 白滝が聞き返すが、柿崎はそれ以上話そうとしない。後は任せたと言わんばかりに瑞穂に視線を向けている。何とも気まずい空気の中で、やむなく瑞穂が挨拶する。

「は、初めまして。深町瑞穂って言います。あの……お話を伺っても?」

「いやいや、何なんだよ。協力者って言われても納得できないよ」

 ある意味当然の反応を返される。高校生探偵なんて所詮は小説や漫画の世界の話だと瑞穂は痛感したが、ここで諦めるわけにはいかない。やむなくはったりで押し通す事にした。

「実は私、ある有名な探偵さんの指示で動いているんです。榊原って探偵なんですけど、知りませんか?」

「いや、知らないな」

 あっさり言われて、瑞穂は落胆しそうになりながらも気力を振り絞って続ける。

「と、とにかくその探偵さんに話を聞いてくるように言われただけなんです。それで話を聞かせてほしいんですけど……」

「はぁ……そうなんですか?」

 白滝の問いに、柿崎は肩をすくめただけだった。彼女が言うならそうなんだろうと言わんばかりの態度で、白滝も納得するしかないようだった。

「まぁ、警察が許可しているんならいいけどさ。それで、聞きたい事って?」

「ええっと、それじゃあ……事件があった時の事を教えてもらえますか?」

 白滝は胡散臭そうな目をしながら右手で頭をかきながらも、とりあえず質問には答えてくれた。

「と言っても、俺もよくは覚えていないんだよな。午後八時頃に千代原駅に到着する直前にいきなり衝撃があって列車が脱線して……その後の記憶はない。気づいたら病院のベッドの上だった」

「お客さんは一人もいなかったんですよね?」

「あぁ。それが不幸中の幸いだ」

「それって出発してからずっとって事ですか?」

「……そうなるな。立島駅を出発してから誰も電車に乗せた記憶はない。切符の改札も俺がやるから、それは間違いないと思う」

 と、ここでさつきが質問する。

「あれ、じゃあ爆弾っていつ仕掛けられたのかな? 電車には誰も乗っていなかったんですよね?」

 それには脇で控えていた柿崎が答えた。

「問題の電車は折り返し電車です。折り返す前に仕掛けられたと考えれば不自然はありません」

「折り返し電車?」

 よくわからなかったが、これには白滝が答えた。

「うちの路線は単線で、この千石札幌駅を始発にして千代原駅を含む五つの駅を経た後で終点の立島駅で折り返す。つまり、千石札幌駅と立島駅の間を往復し続けているわけだ。駅は千石札幌から順番に、石持、千代原、大北、多々見、幕淵、立島の順番となっている。千石札幌駅から立島駅まで所要時間は大体一時間半。そして、電車の入れ替えやすれ違いは、複線になっている始発の千石札幌駅か終点の立島駅のどっちかでやるしかない」

「つまり、線路上には一度に一編成ずつしか走れないって事ですか?」

 白滝は頷く。そうしなければ正面衝突してしまうのだから当たり前の話ではあるが、鉄道網が発達している東京在住の瑞穂からすれば信じられない話だった。

「厳密には、走る方向が同じだったら、終点で待ち合わせする事を前提に一度に複数の電車を走らせられるけど……そもそもうちの会社には電車が三編成しかないからほぼその認識で間違いないと思う。特に事件のあった時は元々乗降者数の少ない夕方から夜だったから、線路上には一両編成しか走っていなかったはずだ」

「問題の車両の動きはどうなっていたんですか?」

「ええっと……あの車両は夕方になってその日初めて車庫から出たんだったっけな。確か午後五時半頃に千石札幌駅を出発して、午後七時頃に終点の立島駅に到着。そこで運転手を入れ替えてそのまま千石札幌駅に向かったんだけど、午後八時頃に千代原駅に到着する直前にあの爆発があって……」

 つまり、千石札幌駅から千代原駅まで三十分。千代原駅から立島駅までは一時間かかる計算になる。おそらく、駅の数と所要時間から考えて十五分ごとに駅が設置されているのだろう。あんな寂しい場所に駅が設置されているのはもしかしたらこれが理由かもしれないと瑞穂は思いながら、次の質問に入った。

「白滝さんは立島駅で運転を代わったんですよね?」

「あぁ、そうだよ。四人の運転手が交代で片道ずつ運転を担当するからな。それまでは立島駅の事務所で仕事をしていた」

「じゃあ、交代する前の運転手は誰だったんですか?」

「えっと……確か内海さんだったかな。ここで一番のベテラン運転手だけど」

 となれば、その内海の運転する電車が、あの密室状態だった千代原駅に最後に訪れた車両という事になる。そして、内海の運転する電車が出発して以降、千代原駅への人の出入りは電車も含めて不可能になってしまうのである。

「その内海さんの話も聞きたいんですけど……」

「いいよ。ちょうど今、この駅で待機しているはずだから」

 そう言うと、白滝は携帯でどこぞに電話をかける。しばらくすると、白い髭を蓄えたいかにもベテランと言った風貌の職員が姿を現した。まさに叩き上げの鉄道員と言った風貌で、瑞穂は以前テレビで見た事がある高倉健が主演していた有名映画の主人公を思い出していた。

「内海新助です。お話があるとか?」

 内海は丁寧に挨拶すると、そのまま白滝の横に座った。瑞穂たちに動じる様子はなく、なかなか手ごわそうな相手だと瑞穂は直感していた。少し緊張しながら、瑞穂は気持ちを落ち着けて質問していく。

「は、はい。事件の事で話を聞きたくて……」

「大方の事はすでに警察に話していますが?」

「もう一度聞きたいんです。あの、内海さんは白滝さんの前にあの電車を運転していたんですよね?」

「はい。車庫で一通り車内の点検をした後でこの駅のホームに電車を入線させました。その後、乗客の乗車を待つ間に五分くらい事務所で軽い引継ぎをし、午後五時半にこの駅を出発しています。そのまま立島駅まで運転した後で白滝君と運転を交代して、その後は立島駅で宿直をしていました」

 内海はよどみなく答える。

「電車に乗客は乗っていましたか?」

 ここで誰も乗っていなかったと言われればどうしようもなかったが、内海はしばらく考えるとこう答えた。

「そうですね。始発のこの駅から三人乗っていたと思います。終点まで行ったのが一人で、残りは途中で降りました」

「どんな乗客だったんですか?」

「地元のお婆さんが一人。多々見駅で下車されていましたね。あとは終点で降りた若い男性が一人……カメラで色々撮影していましたから多分鉄道ファンの方でしょうか。それにコートにマスクの男性が一人。この方は、千代原駅で下車されていました」

「へー……って、ちょっと待ってください!」

 聞き捨てならない事をさらりと言われ、瑞穂は思わず叫んでいた。

「今、千代原駅で降りたって言いましたか?」

「言いましたね。警察にはすでにお話ししましたが」

 バッと柿崎を見るが、彼は小さく首を振っただけだった。

「証人から直接聞いた方がいいと思っただけです。他意はありませんよ」

 どうやら、知っていながら隠していたらしい。穏やかな外見に反してさすがは北海道警刑事部の警部、一筋縄でいかない人間であるという事を瑞穂は痛感していた。一本取られた形ではあるが、瑞穂は改めて内海に尋ねる。

「降りた人の特徴はどんな感じだったんですか?」

「さぁ……何しろトレンチコートに帽子にマスクにサングラスという格好でしたからね。背はかなり高くで、男性だった事は確かですが。あぁ、あと左足を少し引きずっていましたね」

 瑞穂は内心かなり緊張していた。内海の電車から降りた人間がいたとすれば、それは一体誰だったのかという話になってくる。何しろ、この後千代原駅には炎上するまで電車の出入りはなく、事実上の巨大な密室状態になっているからだ。一番高い可能性はその人物こそが被害者の篠原弁護士であるというものだが、その場合、彼は事件当日まで生きていて、犯行現場も駅舎だった事になる。が、道警の捜査及び現場の状況によれば、犯行は事件前日までに駅舎の外で行われ、その後で事件前日までに何者かが駅舎に遺体を持ち込んだ事になっている。状況に大きな矛盾が生まれてしまうのだ。

 かといって、その人物が被害者以外の何者かだったとした場合、その人物はどこに消えたのかという話になる。言ったように、内海の運転する電車が出た後で駅舎から脱出する手段はない。だからと言って、駅舎にとどまっていたはずがない。駅舎からは篠原以外の遺体は見つかっていないのだ。

「それって、どっちにしてもあの密室を突破する手段を考えないといけないって事?」

「そうみたい……」

 呆然としたさつきの言葉に、瑞穂はそう答える。問題の人物が被害者ならどうやって密室化した駅舎で被害者を殺害するかを、それ以外の人物ならその人物がどうやって密室化した駅舎から脱出したのかを考えねばならないのだ。これは想像以上に厳しい事件になりそうである。チラリと真里菜を見ると、彼女は青ざめた表情ながらもこうささやいた。

「確かに父は背が高かったし、旅先に帽子やトレンチコートを着ていました。それに顔の火傷の跡を隠すために、普段から外出時はサングラスとマスクをしていたんです。足を引きずっているのもその通りですし、外見の特徴は間違っていません」

「そう、なんだ……」

 衝撃を受けながらも、ひとまず瑞穂は残りの質問をぶつける事にした。

「あの内海さん、爆弾を仕掛けた人間に心当たりはありますか?」

「さぁ……わかりませんが、荷物のふりをして持ち込んでさりげなく放置しておけば、仕掛ける事そのものは難しくなかったと思います。車内のチェックは車両が線路を一往復した後にする事になっていますから」

「もう一つ、千代原駅ですけど線路の上は当然除雪されていますよね。だったら線路の上を歩いて駅舎を脱出するって事は出来ますか?」

 我ながらいい考えだと思ったのだが、内海はそれを否定した。

「無理ですね。あの線路、キツネみたいな動物がよく侵入するんで沿線にセンサーをつけてあるんです。無断で誰かが入ったら、必ずそれが反応するはず。事件当日、そんな反応は一度もありませんでした」

 内海の最後まで落ち着いた答えに、瑞穂は改めて他人に質問する事の難しさを実感していたのだった……。


「何で隠したんですか?」

 パトカーに戻って柿崎に最初にした質問がそれだった。が、彼はあくまで淡々と答える。

「聞かれなかったから答えなかっただけですよ。というより、道警でもそれが問題になっているものでしてね」

「道警の立場は、篠原さんが駅舎の外で殺された後で運び込まれたって事だったはずですよね。なら、問題の人物の事をどう思っているんですか?」

「当然、その人物は被害者ではなかったという立場です。おそらくは血闘軍の構成メンバーの誰かで、被害者に化けて自動発火装置でも仕掛けに来た、というのが十角さんの考えになります」

「あの……私が言うのもなんだけど、ちょっと苦しくないですか?」

 さつきがおずおずと言う。確かに、前日にすでに遺体を運び込んでいるはずなのに、わざわざ翌日になって改めて自動発火装置を仕掛けに来る意味がわからない。というより、その自動発火装置が何なのかや、その謎の人物がどうやって駅舎から脱出したのかがわからないままではないか。

「ですから私も期待していますよ。君たちがこの謎を解けるかどうかを」

「……本当に考えが読めない人ですね」

 瑞穂の言葉に、柿崎は肩をすくめるだけで終わった。

「ちなみに、問題の内海の電車に乗っていた残る乗客ですが、すでに身元は割れています。多々見駅で降りたのは阿川小春という地元の農婦で、七十五歳の老婦人です。一方、もう一人の終点まで行った若い男は梅小路修という函館在住の鉄道マニアで、事件当時は立島駅前の旅館に宿泊していたのを確認しています。その時、彼が撮影した写真も回収しているのですが、その中に何枚か車内から撮った千代原駅の写真もありましてね」

 そう言うと、柿崎は何枚かの後ろ手で写真を差し出した。写真は三枚。全部車内から駅を撮影したものだったが、そのうちの一枚で瑞穂の目が留まった。

「これって……」

 それは、ちょうど改札の辺りを写したものだったが、その奥にチラリと待合スペースのベンチに座る男の影が見えるのである。これがその千代原駅で降りたという謎の男だろう。

「この写真だけではこれが誰なのか特定は不可能でした。どうですかね、これが被害者だという事は可能ですか?」

 最後の問いは遺族である真里菜になされたものだった。が、真里菜は悔しそうに首を振るだけだった。

「わ、わかりません。これだけじゃさすがに……」

「そうですか」

 柿崎は失望する様子もなく頷く。そんな柿崎に対し、瑞穂はこう問いただした。

「あの、もう隠している事はありませんよね? あるならちゃんと教えてください!」

「……そうですね。ない事もありませんが」

 呆れた事に柿崎はそう言うと、相変わらず感情が読めない声でこう続けた。

「問題の駅舎の放火は、列車爆破の三十分後に発生しました。正確な時刻は午後八時半。列車爆破の情報は即座に拡散し、消防隊が到着した頃にはマスコミのヘリも現着していました。当然、カメラを撮影しながら、です」

 そこまで言われて、瑞穂はピンときていた。

「それって、もしかして……」

「えぇ。ある局のカメラが、出火当時の映像を撮影していたんですよ。何なら、それを見ますか?」

「もちろんです!」

「では、一度道警に戻りましょう」


 日本には大規模警察と呼ばれる都道府県警が三つ存在する。首都・東京を守る警視庁、西の中心である大阪を守護する大阪府警、そして広大な面積を一手に管轄する北海道警である。それだけに、札幌市中央区にある北海道警本部ビルは他の地方県警本部とは明らかに規模が違う高層ビルとなっている。

 柿崎の案内でその高層ビルに通された瑞穂たちは、興味深そうに辺りを見回していた。

「ふーん、警察の中ってこんなふうになってるんだ」

 特にさつきが物珍しそうにしており、真里菜も遠慮がちにあちこちを眺めている。動じていないのは、今まで榊原にくっついてこうした場所にも出入りした事がある瑞穂だけである。

「っていうか、警察に慣れている女子高生っていうのもちょっとおかしいのかなぁ……」

「さて、時間もありませんし、手早く済ませましょうか」

 柿崎はそう言って三人はある部屋に案内した。そこは会議室のようで、準備がいい事にすでにスクリーンが設置されている。

「手短に説明だけしておきましょう。あの日、列車爆破の知らせを受けて現場に到着していたのは、夕日テレビ札幌支局のヘリと、日本中央テレビのローカル局である札幌中央テレビのヘリの二機です。つまり、映像も二種類存在する事になります。我々は便宜上、レポーターの名前から前者を『竹島ビデオ』、後者を『鴻崎ビデオ』と呼んでいますがね。どちらから見ますか?」

「え、そ、そうですね……」

 今日な問いに瑞穂は少し考え込んだが、

「あの、先に到着していたのはどっちですか?」

「それは夕日テレビの方ですね」

「じゃあ、そっちで……」

 瑞穂が恐る恐る言うと、柿崎は無言で再生機器の電源を入れた。すぐに、ニュースと思しき映像が映り、ヘリの中からリポートする女性の姿が映る。下のテロップに『竹島蓮花』の名前が書かれたそのリポーターは、闇に浮かぶ炎上する電車の真上から興奮したように実況を続けている。どうやらヘリは、すでに電車の真上辺りで旋回を続けているようだ。

『ご覧ください! 我々は今、千石線千代原駅近くで発生した脱線事故の現場上空から中継をしています! すでに消防隊が到着しているようですが、ここから見る限り脱線した電車は炎上しており、明らかに普通の脱線事故とはその様子が違います。ここからでは詳細がわかりませんが、車内にいる乗客の安否が気遣われ……』

 と、その時不意に「パリンッ」という音がどこからか響き、竹島リポーターは言葉を止めた。

『い、今、どこからかガラスが割れるような音が響きました。何か車内で爆発があったのか、それとも……』

『お、おい、あれ!』

 叫んだのはカメラマンだった。そのままカメラは不意に竹島リポーターから外れ、開かれた窓からヘリの外の遠方の方を映し出す。夜ではあるが、雪が積もっている事と月明かりがある事もあって、比較的よく地表の様子が見える。そんな雪原のほぼ中央で炎が吹き出しているのが映像にもしっかり映っていた。

『あ、あれは何でしょうか! 何が起こったのかはわかりませんが、今雪原の真ん中にある建物から火が吹き出したように見えます。こうしている間にもますます火の勢いが強くなっていますが…』

 そうこうしている間にヘリはその建物上空に近づいていく。

『こ、これは……駅です! 千代原駅から火が吹き出しています! 信じられないかもしれませんが、駅舎から火が吹いています! 列車脱線事故が起こったすぐそばで、駅舎の火災事故が発生しました!』

 瑞穂は改めて映像の中に映っている駅舎を見やる。最初に火が吹き出したのは駅舎西側にある待合スペースにあった窓の辺りからのようだった。が、すでに火勢が強くなっている事もあって内部の様子はこの映像でも確認できない。ヘリは駅舎北側……つまり正面入口側から撮影をしているが、除雪されていない道も含めて怪しいものは何も映っていない。そうこうしているうちに入口ドアのガラスが外側にはじけ飛び、直後にそこから真っ赤な炎が吹き出した。そこで映像は途切れる。

「……以上です。では、次に札幌中央テレビのヘリからの映像です。このヘリは到着が夕日テレビよりも遅く、現場に到着する直前に駅舎の火災を目撃する事になりました」

 柿崎はそう言うと、次の映像を映し出した。今度はカメラマンが窓から身を乗り出して撮影しているのか、夜の雪原上空を現場へ向かって飛び続ける映像が映し出される。どうやら線路伝いに現場となった東千代原踏切へ向かっているようで、かなり遠方にうっすらと脱線した電車から出ていると思しき火の明かりが映し出されている。リポーターの姿は移っていないが、それでも声だけは近くから聞こえていた。ちなみにテロップを見るに、こっちは『鴻崎七海』というリポーターらしい。

『見えますでしょうか! 暗い雪原の向こう、うっすらと光って見えるのが脱線した千石線の車両のようです! 私たちは今その現場へ向かっているところですが、こうして遠くからでもその炎と思しき光が確認できます!』

 やがて、その炎がだんだんと大きくなってきた。どんどん近づいているらしい。そして、今まさに現場上空に到着しようとしたその時、聞き覚えのある「バリンっ」という音が響き渡った。

『え、何、今の音?』

 一瞬、鴻崎リポーターが素で呟く。一方、カメラは正面の脱線した列車を映している状態で、この段階ではまだ火災現場は映っていない。と、脱線現場上空に到着したヘリはそのまま右に大きく旋回し、やがてカメラの視界が炎上する千代原駅舎の方へと向いた。その様子に、未だ姿が見えない鴻崎レポーターが叫ぶ。

『そんな……ご、ご覧ください! 何か建物が炎上している様子が確認できます! 一体何があったのでしょうか! たった今、列車脱線事故現場近くの建物で火災が発生しました! 中に人がいるのかどうかは不明です!』

 このヘリは、先程の夕日テレビのヘリとは違って南のホーム側からの映像を映し出していた。見ると、火は明らかに西側の待合スペースのある辺りの勢いが強く、東側の駅員室方面へ向かって今まさに燃え広がろうとしているところだった。カメラもアップされるが、人が映っている様子は一切確認できない。そうこうしているうちに、駅員室のホームに面していた窓ガラスが派手にホームの方へ砕け、直後に中から黒煙と明るい炎がホーム目がけて吹き出した。と、そこで映像が停止する。

「……以上です。ご感想は?」

 柿崎の言葉に、瑞穂たちは互いに顔を見合わせて相談する。

「どう思う?」

「うーん、特におかしなものは何も映っていなかったような……」

 実際、双方の映像とも「パリンッ」という音が響いた後に建物が映っている状態で、肝心の火災発生時そのものを映した映像は存在しない。

「映像が駄目なら音はどう? 何か変な音は?」

「どうかなぁ。少なくとも銃声は入っていなかったと思うけど、ヘリのプロペラ音と実況の声がうるさくてそれ以外の音がよく聞こえなかったし……。真里菜はどう思った?」

 さつきの問いに、真里菜も曖昧そうに答える。

「私も特に怪しい音は聞こえなかったように思います。窓が割れたのは多分火災の熱のせいでしょうし」

「そうだよね」

 瑞穂は少し考え込むと、さつきたちにこう声切り出した。

「複雑になって来たし、ちょっとここで状況を整理しよっか。私たちが解決すべきなのは、誰が列車に爆弾を仕掛けたのかと、あの密室化した駅舎の謎の二つだよね。じゃあ、列車に爆弾を仕掛けた可能性がある人間は誰なのかな?」

「えっと……一応聞くけど、列車の発車前から仕掛けられていた可能性はないのよね? 例えば、前日に乗車して仕掛けておいたとか」

 さつきの問いに、柿崎は頷いた。

「少なくとも、内海運転手が千石札幌駅の車庫から車両を出したときに仕掛けられていなかったのは確実です。さっき本人が言ったように、車庫を出す前に点検していますから」

「だったら、仕掛けた可能性があるのは五人だけよね。千石札幌駅から出発して以降に電車に乗った阿川ってお婆さんと梅小路っていう鉄道マニア。それに最初に運転していた内海運転手に、事故に遭った白滝運転手。後は千代原駅で降りたっていう謎の男」

 さつきが指折り数えていく。瑞穂は頷きながら柿崎に尋ねた。

「ちなみに、道警は誰が仕掛けたと考えているんですか?」

「言うまでもなく、千代原駅で降りた謎の男です。我々の推理では、その男は被害者ではなく彼の殺害に関係した何者かだと考えています」

 柿崎は言い淀む事なく断言した。

「謎の男は車内に爆弾を仕掛けると千代原駅で下車し、あらかじめ……具体的に事件前日までに駅舎に隠しておいた被害者の遺体を待合スペースに移動させて、自動発火装置を仕込んだ後でどのような方法を使ってか脱出。その後、あの爆発事件と放火事件が起こった……というのが道警の見解です。もっとも、どうやって駅舎を脱出したのかというのがこの推理のネックですが」

 そう言いながらも、柿崎は顔色を変える様子はない。

「うーん、どっからどう手をつけたらいいのかわからないわね」

「じゃあ、条件を確認しよう。まず、電車に爆弾を仕掛けた人物と駅舎を放火して篠原さんのお父さんを殺した人間は同一人物。この考えに異議はある?」

 瑞穂の問いに、さつきと真里菜は頷いた。

「うん。それは私も同意見。どう考えても偶然とは思えないもん」

「私もです」

「つまり、爆弾を仕掛けた人間イコール殺人犯と考えていいんだよね。そして、爆弾を仕掛けられたのはさつきがさっき言った五人だけ。なら、殺人犯もその五人の中にいる……この論理で正しいと思う?」

「おー、何だか本当の探偵みたいね。うん、それでいいと思うよ」

 感心しながらさつきは頷く。

「つまり、この事件の容疑者は五人。内海運転手、白滝運転手、阿川ってお婆さんに、梅川っていう鉄道マニア、それに謎の男。私たちはこの中から一人を犯人として指摘すればいい事になる」

「そう言われると随分シンプルになったけどさ……そこからどう進むの?」

 さつきの問いに、瑞穂はこう答えた。

「これは先生に言われた事なんだけど、こういう事件を推理するときのポイントは最初にどんな疑問があるのかを整理する事なんだって。だから、この事件にどんな疑問や謎があるのかを一度整理してみたいんだけど……」

「いいけど、どんな疑問があるの?」

 瑞穂は咳払いすると自分で確認するように続けた。

「まず、何で犯人は自動小銃で篠原さんのお父さんを殺したのか? もし血闘軍が犯人だったとしても、自動小銃で人を殺すっていうのはちょっとオーバーすぎるような気がする。でも、犯人は実際に自動小銃で殺人事件を起こしている。その理由がわからない」

「まぁ、確かに」

 さつきは真里菜と顔を見合わせながら頷く。

「次に、犯人が何で駅に放火をしたのか? 単に殺害が目的だったら、放火までする必要はないはずだよね。なのにそれを実行した理由。それと、三つ目に何で犯人が列車を爆破したのか? テロ目的にしたって、誰もお客さんがいないようなローカル線の列車を爆破するなんて、普通はしないと思う」

「何か、こうして考えてみると、この犯人って随分無駄な事ばかりしていますね」

 真里菜が遠慮がちに言った。さつきが首をかしげる。

「無駄な事って?」

「単に殺せばいいのにわざわざ自動小銃を凶器に使って、意味もなく駅舎に放火して、大した効果もないはずのローカル線に爆弾を仕掛ける。何もかもが無駄じゃないですか?」

「まぁ、確かにそうだけど……でも、実際に犯人はそういう犯行をしているのよね」

 さつきの言葉に、瑞穂は頷いた。

「これも先生の受け売りなんだけど、どんな犯罪者でも犯行の時は無駄な絶対に事をしないんだって。だって、犯人はその犯罪に文字通り命を懸けるから、無駄な事をする余裕なんかないって事らしいの。だから、一見無駄に見える事があったら、そこには必ず何らかの必然がある。その必然が何なのかを考えるのが、推理をするときのコツだって」

「へぇ、あの人もちゃんとそれっぽい事言うんだ……」

 さつきが妙なところで感心している。とはいえ、榊原の言っている事は正論だった。

「つまり、犯人がいろんな凶器の中からわざわざ自動小銃を選んだ理由、駅舎に放火をした理由、誰も乗っていないローカル線なんかに爆弾を仕掛けた理由、この三つの無駄の理由を考えるのが先決って事?」

「うん。難しいけど……」

 そう言ってから、瑞穂はこう付け加えた。

「あっ、それともう一つ」

「まだ何かあったっけ?」

「事件と直接関係ないけど……先生が何で私たちに捜査を託したのか、その理由」

 その言葉に、さつきと真里菜は首をひねった。

「それは、さっき本人が説明していたんじゃ……」

「そうだけど、あんなにあっさり引くなんてちょっと先生らしくないんだよね。私が言うのもなんだけど、何か裏がある気がする……」

 瑞穂の言葉に、残る二人は顔を見合わせるしかなかったのだった……。


 一方、その頃の榊原はというと……

「あぁ、そうだ。今言った事について少し探りを入れてほしい。期限は明日まで。何とかなるか、亜由美ちゃん?」

 札幌市内のホテル。その一室で、榊原は携帯電話片手に何やら通話をしていた。相手は事務所で留守をしているはずの亜由美。もう片方の手はせわしなく何やらメモを取っており、どう見ても十角に言ったような「観光」を楽しんでいるようには見えない。一方、電話の向こうで東京の事務所にいる亜由美はあくまでマイペースに答えた。

『任せてください。明日まであるんだったら余裕で調べられると思います』

「いつもすまない。連絡は携帯に頼む。それじゃあ」

 いったん電話を切る。一瞬静かになった室内で、榊原は椅子にもたれかかると大きく息を吐いた。

「さて……私なりにやる事はやっておかないとな。このまま瑞穂ちゃんに全部押し付けるわけにもいくまい」

 そう呟くと、榊原は次の番号を押して再度どこかに電話をかける。

「私です。どうも、お久しぶりですね。実は少しお聞きしたい事が……」

 そう言って何事かを尋ねる榊原の手元で、メモの一枚があらわになる。そこには走り書きでこう書かれていた。

『古塚興信所所長 古塚信孝』

 ……瑞穂の知らぬところで、何かがゆっくりと動こうとしていた。


 同日午後七時、北海道警本部の会議室では、瑞穂たち三人がぐったりした様子で机に突っ伏していた。机の上にはたくさんの資料が散らばり、備え付けのホワイトボードには大量の書き込みがなされている。三人が必死になって事件に対して推理を巡らせていた事をうかがわせるが、それで成果が出たかと言われれば何とも言えない状況だった。

「駄目だぁ、何も思いつかない……」

 さつきはそう言って呻き声を上げる。三人寄れば文殊の知恵とはよく言うが、残念ながら三人寄っても榊原のような名推理が出てくるわけもなかった。ちなみに柿崎は部屋の隅で完全に傍観に徹しており、瑞穂らが質問した時に必要最低限の事しか言わないようにしているようだった。

「ねぇ、瑞穂。もし今日中に結論が出なかったらどうなるの?」

「十角警視が言っていた期限は今日一日だから、その時点で依頼は失敗。先生は依頼を放棄しているから、これ以上私たちは真相究明ができなくなる、と思う」

「だよねぇ。でも、正直絶望的なんだけど……」

 すでに色々と考えていたが、正直手詰まり感が大きくなりつつあった。事件が駅舎内部と外部のどちらで起こったのか、駅で下車したという謎の男の正体は被害者か犯人か……それぞれの場合で分けて一つずつ検証をしてみたものの、どの場合でもいくつかの問題が立ちふさがってしまうのである。

「何か一つ……何か一つきっかけがあれば……」

 瑞穂は手元の資料を睨みながら呻くようにそう呟く。今まで榊原にくっついて来たからわかる話だが、この手の事件は何か一つでもきっかけがあればそこから連鎖的に謎が解けていくはずなのである。瑞穂にほしいのは、そのきっかけだった。

 必死に考えながら、瑞穂は机の上のリモコンを手に取ってテレビに向けた。もう何度目かわからない例のニュース映像の鑑賞である。今見ているのは『竹島ビデオ』の方だった。特に火が吹き出した辺りを何度も見ているが、これと言った手掛かりは出ないままである。

「うーん、何度見ても今まで以上の情報はないわね」

 さつきは机に突っ伏しながらそう言った。瑞穂も目を皿のようにしながら画面を凝視するが、何度見ても何も映っている様子はない。ここまでか、と諦めかけた、その時だった。

「あれ? あの光は何でしょうか?」

 そう言ったのは真里菜だった。瑞穂とさつきが彼女を見る。

「何か見つけたの?」

「いえ、大したことじゃないんですけど……駅の手前に小さい光が見えて」

 慌ててビデオを止めて画像を確認すると、確かにヘリと駅舎の間の雪原の一角に小さな光が確認できた。一瞬、犯人が放つ光かと色めき立ったが、その位置関係を見て瑞穂はその光の正体がすぐにわかった。

「これって……さっき見た昔の信号小屋じゃない?」

「あぁ、あの線路脇に建っていた。え、あの小屋って今でも電気が点くの?」

 駅と東西それぞれの踏切のちょうど中間点。そこにあった古ぼけた信号小屋を思い出しながらさつきが問う。確かに、使われていない小屋にしては違和感のある話だった。

 と、これには控えていた柿崎が答えた。

「明かり一つない平原ですからね。小屋そのものはもう使われていなくても、目印の意味もあって夕方になると自動的に電気だけは点くようになっているのが会社の説明です。言うまでもありませんが、警察の捜査でもあの小屋に人がいた形跡は確認できませんでした。埃と蜘蛛の巣だらけで、何年も誰も立ち入った様子はないようですね」

「結局、意味なしかぁ」

 さつきがそう言ってもう一度突っ伏しかけた時だった。

「電気の点く信号小屋……それってもしかして……」

 瑞穂が突然真剣な表情で何事かを呟き始めたのだ。

「瑞穂、どうしたの?」

「うん、ちょっと気になる事があって……でも、そんな事が……」

 呟きながら、瑞穂自身が信じられないというような表情をしていた。が、瑞穂は何を思ったのか映像を『鴻崎ビデオ』に切り替え、あるシーンまで早送りした。それは、駅舎南側の駅員室のガラスがホーム側へ砕け散り、その直後に駅舎から炎が噴き出してくるシーンだった。

「やっぱり……おかしい!」

 瑞穂が突然そんな事を叫んだ。瑞穂と、真里菜は顔を見合わせた。

「あの、おかしいって、何が?」

「あの現場! 物理的にあり得ない事が起こってる。って事は……」

 そこまで言って、瑞穂は言葉を止めた。

「待って……もう一つ、確かもっとおかしなことがあの現場にはあった! それに信号小屋の電気の話を考えたら……」

「ちょっと、瑞穂大丈夫?」

 さつきが心配そうに言うが、瑞穂は不意にこう呟いた。

「……そんな……あり得ない」

 そのまま瑞穂は沈黙する。が、何がどうなっているか知りたいのはさつきの方だった。

「おーい、瑞穂? 私たちの話聞こえてる?」

「え、あ、うん。大丈夫。ちょっと自分の考えにびっくりしただけ」

「考えって?」

 何気なく聞いたさつきだったが、直後、瑞穂はとんでもない言葉を発した。

「密室の謎、解けたかもしれない。自分でも信じられないけど……」

「え……えぇっ!」

 さつきとしてはそう言葉を発する他ない。真里菜も呆然とし、柿崎でさえ眉をひそめて瑞穂の方を見ている。それだけ衝撃的な発言だった。

「解けたって……あの鉄壁の密室の謎が?」

「うん、多分。この考えが正しいなら、さっき言った三つの無駄の疑問にも全部説明がつくから。でも、まだ完全じゃない。私だけじゃ、まだわからない事がある」

 そう言うと、瑞穂はハッとしたようにさつきを見やった。

「な、何?」

「さつき、確か今度物理の補習だって言ってたよね!」

「い、言ってたけど、こんな時に嫌な事を思い出させないでよ!」

「お願い、力を貸して! この中だと多分さつきしかできない!」

「だから何が?」

 混乱状態のさつきに対し、瑞穂ははっきり告げた。

「物理計算! 私、物理取っていないから」

「は、はぁ?」

 直後、瑞穂はさつきに自分の考えだした「推理」を二人に告げる。それを聞いて二人の表情がみるみる変わる中、事件は急展開の場面を迎えつつあった……。


「……そうかね。じゃあ」

『はい。多分、これが正解だと思います。自分でもまだ信じ切れていませんけど……理論的にはこれ以外に正解はないと思います。これからこのまま道警でさつきたちと最後の詰めをするつもりです』

 その夜、ホテルの榊原は瑞穂から電話でそんな連絡を受けていた。

『あの、先生は最初から気づいてたんですか? このとんでもない「真相」に』

「まさか、そこまで万能じゃないよ。ただ、実際に現場を見て違和感があったのは確かだ。それを突き詰めれば間違いなく何か出ると思って瑞穂ちゃんにすべて託したわけだが……どうやら、正解だったようだ。さすがは自称・私の弟子だね」

『それ、皮肉ですか?』

「心からの言葉だよ。さて……それで君はどうする?」

 その言葉に、瑞穂は決意を込めて言った。

『明日……関係者に集まってもらって私の話を聞いてもらおうと思います』

「まさか、君が推理をする事になるとは……感慨深いものだ」

『先生がやらせたんでしょう!』

「まぁまぁ」

『……ただ、この段階でもわからない事があります』

「それは?」

 榊原の言葉に、瑞穂は不安そうに答えた。

『動機です。密室の謎やトリックは解けたんですけど、これだけが調べる時間がなくて……どうしたらいいと思いますか?』

 さすがに瑞穂も完璧とまではいかなかったようだ。だが、これに対する榊原の答えは簡潔だった。

「その件に関してはこっちに考えがある。君はトリックの解明に全力を注ぎなさい」

『……わかりました。じゃあ、明日道警で』

「あぁ。君も体は壊さないようにね。それじゃあ」

 電話を切る。榊原は小さく息を吐くと、窓から夜の札幌の景色を見ながら一人呟いた。

「さて……ここからが正念場だな」

 今、事件が大きく動こうとしていた。

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