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続く数年は、サヨコのその思いを確信にまで高める辛い日々だった。サヨコは識者の間で、『CN』遺伝説を否定する特殊ケースとして注目された。繰り返される心理テストといろんな学者とのやりとり。それでも、シゲウラ博士は、サヨコを自分の下で心理療法士として訓練し学ばせることで、彼女が地球で生きて行けるように計らってくれた。
シゲウラ博士の試みは、見事にサヨコのある才能を開花させる。
共感能力。
サヨコのそれは、テレパシーやエンパシーと呼ばれる、他者の感覚をそのまま感じる能力ではなかった。
サヨコは患者の話をひたすら聴く。何度も同じ話が繰り返されても、何度も同じ話を聴き続ける。そして、自分のあらゆる感覚を総動員させて、患者の感じたものを、患者の感覚と同じように感じようとする。
言わば、患者の意識のすぐ隣に、自分の意識の窓を開くようなやり方だ。
確かに、超感覚としての共感能力の方が、患者自身の感覚を捕らえやすい。だが、往々にして、彼らは相手の感情に飲み込まれてしまう。相手と一体化し、その能力の精密さゆえに、相手が混乱していれば同じように混乱し、ひどいときには問題が何であるかさえわからなくなってしまう。
だが、サヨコは踏みとどまる。混乱している相手の側にずっと佇み、相手と一緒に悩みながらも、巻き込まれることなく、問題を見失うこともなく、患者と一緒に切り抜けていこうとする。
サヨコといるとき、患者は1人で自分の混乱と戦うのではない。サヨコという、事情をよく知ってくれていて、なおかつ違う視点をもち続けている個性、もう1人の、別な姿の自分と一緒に、問題に立ち向かい、混乱を切り抜ける方法を考えられるのだ。
『これは、すばらしい能力だよ』
シゲウラ博士は深い感嘆とともにいったものだ。
『君は決して先走らない。自分の意識も感覚も相手の中に投げ入れて、それでも自分を見失わないで、相手の動きを待っていられるなんて』
それは、共感能力が高いというのではなく、共感しようとする能力が高いのだ、とシゲウラ博士は続けた。
『それこそ、心理療法士が何よりも持ち続けていなければならない資質だ。君は誰の側にも佇むことができる。じっとただ、回復することさえ強制せずに待つことができる。サヨコ、これは神の力だよ』
シゲウラ博士の熱心な働きかけで、サヨコは地球連邦の医療セクションに配属された。そこでまじめに働くことが、父母さえも見捨てた自分を育ててくれた博士に対する恩返しだ、そうサヨコは考えている。
そのシゲウラ博士も、数年前のスペースプレーンの事故で亡くなった。 整備不良というお粗末な原因は当時かなり騒がれたが、今ではもう過去のものになりつつある。
「でも、不思議よねえ」
ふいに、耳にことばが飛び込んできて、サヨコはびくりと体を強ばらせた。いつのまにかすっかり思い出の中に入り込んでいたらしい。エリカが居るのを忘れていた。
サヨコは瞬きして、コーヒーのカップを傾けるエリカの顔を見た。日差しが少し陰ったせいか、青い目がいつもより濃く重いものを含んでいるように見えた。
「サヨコは『GN』でしょ? 『GN』として、『CN』の心理治療ってできるの? 宇宙空間で長く暮らすと、感覚が変わってくるって言うし」
あっけらかんとしたエリカの口調に悪意はない。けれども、なぜ、いきなりそんな話の展開になったのかがわからなくて、サヨコは瞬きを繰り返した。聞き違いではないかと疑いながら、そっと尋ねてみる。
「え……わたしが、エリカを治療するの?」
「やあだ」
エリカはちょいと桃色の舌を出して見せて、くすくす笑った。
「冗談でしょ。でも、ここへ来る前に、心理療法室で噂されてたわよ。宇宙ステーション、『新・紅』にサヨコが派遣されるって」
サヨコはきょとんとした。
「さっきって……いつごろ?」
「えーとね。昼休みに入ったころ。何でも、フィスがぼやいてたんだって、カナンが何を考えているのかわからない、とか何とか。いつもの派手なアクションでね…サヨコ?」
「そんな…」
サヨコは思わず立ち上がった。膝が当たってがたんとテーブルが揺れ、その痛みで我に返る。うろたえて呟いた。
「わたし……宇宙へなんて……いけない……いけないわ」
「サヨコ」
サヨコのあまりのうろたえぶりに、エリカの方が驚いた顔になっている。
「…フィスにもう1度、話してくる!」
エリカをテーブルに残して身を翻し、サヨコは人事部へ駆け戻っていった。