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緑満ちる宇宙  作者: segakiyui
第9章 星渡るオリヅル

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6

 スライはカージュのところから、駆け戻るようにサヨコの部屋を尋ねた。

 サヨコは不在だった。

 もしやと思って、モリと親しかった仲間をあたり、サヨコと似たような情報をようやく手に入れた。

 トグのところを最後に、サヨコの足取りが途切れている。

 不安が広がった。

 医務室に駆け込むと、常時待機しているはずのファルプの姿がなかった。奥に寝かされていたクルドが、弱い声でスライを呼び、ファルプがサヨコを連れ込んだこと、サヨコを気絶させて出て行ったことを告げた。

 クルドは薬のせいで動けなかったのだ。

(サヨコ!)

 スライの不安は恐怖に変わった。

 こんな昼間、人目につかない場所といえば、中央ホールしかない。

 できるかぎりの速さで中央ホールにたどりついたが、ホール内に人の気配はなかった。

「おかしいな」

 昨日の使用時の設定のまま、宇宙を模した空間に目をこらしてみたが、どこにも人影らしいものはないし、争った様子もない。明かりを点けることも考えたが、操作するには一度ホールから出なくてはならない。

 第一、モリやタカダのときと違って、今度は換気がされていた。

 万が一サヨコが囚われていたとしても、すぐに窒息することはない。一度ホールから出て、明かりを点けようとしたスライを、何かが引き止めた。

 サヨコは、モリやタカダの死に関して、何か言っていたはずだ。

(一晩かけて殺したのではない……何か別の方法で窒息させて……)

 そのことばが、ふいにスライの意識に引っ掛かった。

 もう1度、とホールの中を丹念に見回したスライの目に、奇妙なものが映った。

「何だ?」

 暗い宇宙を何か光るものが飛んでいる。

 とても小さな頼りなげなもの……ファイバーの光に輝きながら、星の海を渡ってくる。

 小さな、金色の『オリヅル』。

「サヨコ!」

 瞬時にスライは理解した。エレベーターの出口を蹴り、壁を跳ねるようにしながらホールの中を巡っていく。

「サヨコ!!」

 スライがほとんど意識を失っているサヨコを見つけたのは、数秒後、ひきむしるようにヘルメットを外すと涙で汚れて真っ青になったサヨコの顔が現れた。黒髪が死体のそれのようにうわあっとスライを広がり包む。

 一瞬スライの体を恐怖が走った。

 暴動のとき襲いかかられた黒髪の人間。無力なまま叩きのめされ、全てを失った瞬間の傷み。

「う……!」

「スラ……イ」

 悲鳴を上げてサヨコを放り出しそうになった瞬間、微かな声が耳に届いて瞬時に我に返った。

「サヨコ! サヨコ!!」

 顔を近づけて呼んだが、顔も唇も青く、胸が動いていない。

(呼吸が止まってる)

 縛られている体勢のままだったが、すぐに顔を両手で包み、鼻を押さえてサヨコの口に深く唇をあてて息を吹き込む。ゆっくりとサヨコの薄い胸が膨らみ、萎む。だが、反応しない。もう1回。まだだ。さらにもう1回。触れた首の血管にはわずかに拍動があった。消え失せないうちに何とか呼吸を回復させたい。

(サヨコ、サヨコ!)

 呼び掛ける、もういやだ、もう失うのは嫌だ、誰か誰か、俺に力を貸してくれ。

 繰り返すスライの頭の中で10歳のときに失って、とうとう取り戻せなかった人の笑顔が走り去っていく。

(サヨコ! サヨコ!!)

 助けたかったのだ、と激しい気持ちがスライの中に沸き起こった。

(俺はずっと助けたかった、俺自身の手で、俺自身の家族を)

 何より腹立たしく悔しく怒りの対象であったのは、無力であった自分自身。何もできずに破壊と崩壊をそのままに見ていたスライ自身だったのだ。

(耐えられなかった、あまりにも怒りが激しくて)

 もちろん、そうだ、10歳の子どもに、複雑な社会情勢に疲弊しねじ曲がってしまった人の心を扱う術も、嵐のような暴動をおさめる力もありはしない。そんなことは頭で何度もわかっていた。けれども、スライの心は怒りに震えたまま、どこへそれをぶつけるべきかもわからず、ただ時の流れに重い錨となって沈められ、表面上は消え失せていただけなのだ。

 だからこそ、『日系人』や『GN』などのキーワードであっさりと浮かび上がって水面を乱し、流れを妨げ荒れ狂う。岸を削り岩を侵食し、気づかないままより深く昏い淵となって澱み、いつしか自分でも扱いあぐねるほどの腐臭を放っていたのだ。

「くっ……ごほっ!」

「サヨコ!」

 繰り返す人工呼吸で自分もまた朦朧としてきつつあったスライの感覚が、ふいに掌の中で動いた顔に焦点が戻った。

「は……ふっ」

 はあはあと浅い呼吸を繰り返すサヨコの顔が次第に温もりを帯びてくるようだ。あとは急いで医務室に連れ込み、酸素吸入をさせなくてはならない。

(それより『草』は? 『草』の濃度は大丈夫なのか?)

 竦みそうになる体を奮い立たせて、震える指でサヨコのいましめを解きにかかる。回りをまとわりつき漂う髪ももう苦痛には感じない。

「待ってろよ、今、手を解いて……」

「スライ……?」

「ああ、遅くなってすまん、もっと早く来れば…………!」

 次の瞬間、スライはことばを失った。

 サヨコが自由になった両腕を広げた羽根を回すように、スライの首にしがみついてきたのだ。少し遅れた黒髪が甘い匂いでスライを包む。

「……りがとう……」

「え? 何……?」

「助けて……くれると思…てた……」

「サヨ……コ……」

 時が戻った。

 10歳のあの悲劇に重なりあうように、腕の中に抱えた温もりが確かにスライを呼び、スライに伝えた。

 ありがとう。

 助けてくれると、思っていたよ。

 死んだはずの家族、転がったモノと化していた家族の幻がホールの闇に微笑んでいるのが見える。

(助けた…………俺は、助けたんだ……)

 スライは滲んだ視界を閉じた。涙がまつげの先に次々と溜まり、ぎゅっとサヨコを抱き締めたせいで、サヨコの髪にするすると吸い寄せられ、光る玉となって点々と真珠のように散っていく。

(今度こそ、助けた)

 スライは嗚咽をこぼすまいときつく唇を噛んだ。

 そっと、サヨコの髪に唇を寄せると、自分の涙が冷たく苦みを帯びた塩味となって口に広がった。それは、遥か昔、海で家族と一緒に泳いだときに唇を浸した味だった。

 寄せる波に溺れかけた幼いスライを抱えあげた父親の腕、母親の笑顔。

 光が砕ける地球の浜辺の、なんと眩く美しかったこと。

 腕の中のサヨコの体の温もりを感じ取る。確かに脈打つその柔らかな体を強く深く抱き締める。記憶の中に打ち寄せる波と、サヨコの胸から響く鼓動は同じリズムで重なっている。

 その波はスライの奥深くに囁きかける。

 私達はお前の努力を、後悔を、哀しみを、いつだって同じぐらいに辛い思いで見つめてきた。

 もう、自由になりなさい。

 宇宙空間を模した暗いホールに浮かびながら、今光の海が蘇る。

「サヨコ……」

(今度こそ)

 闇で笑う家族に弱く微かに笑い返し、スライは体を捻って近くの壁を蹴った。サヨコを確実に助けるべく、急いでホールの出口に向かっていった。


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