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緑満ちる宇宙  作者: segakiyui
第9章 星渡るオリヅル

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4

 中央ホールへのドアが開いた。

 ファルプに片腕を掴まれているサヨコには、それが魔物の口のように見えた。

 今日は中央ホールの使用予定がないのだろう。暗く照明を落とし、かすかな星明かりとまごう、ファイバーから導かれた光の海だ。

 ぐいとホール内に突き出され、サヨコは込み上げてくる吐き気と戦った。

(ここは宇宙ではない。宇宙ならば呼吸できないはずだ。ここはステーションの中の無重力ホールだ)

 冷たくなってくる手足に、サヨコは必死に自分に言い聞かせた。

 それでも不安が波のように襲ってくる。体の中からずるずると足元の方へ、自分の中身が引きずり出され、そのまま抜け殻になっていきそうだ。

 その想像がサヨコにより一層の恐怖を与えた。身も世もなく悲鳴を上げて、ファルプに助けを求めそうになる。

(ここから出して)

 わたしを放して、と。

「震えているねえ」

 ファルプが自分もホールへ乗り出しながら、サヨコの耳元で囁いた。

「怖いんだろう? わかるよ。『宇宙不適応症候群』はつらいからね」

 ぐ、と喉の奥で鳴る声をサヨコは堪えた。モリのことを考える。

(モリの最後もここだった。モリは何を考えていたのかしら)

「どうして……モリを殺したの」

 サヨコは体を震わせながら声を絞り出した。

 彼女を支えていたファルプの指がぴくりと動く。裏腹に穏やかな声が応じた。

「モリは……自殺だよ」

「いいえ……違う……モリには自殺する理由がなかった……モリはステーションを降りるつもりだった……『青い聖戦』に襲われて生死がわからなくなった恋人を…探しに…」

 ことばを吐き出すと、一緒に胃の中のものがせりあがりそうになった。唇をつぐみ、喉を延ばして唾を飲む。めまいと不安が遠い闇から近づいてくる。目の前に広がる空間が、本物の宇宙に見えてくる。

『いやあああああああ』

 遠い悲鳴が耳の底に、喉の奥に蘇ってくる。叫びたい、叫んで意識を吹き飛ばして、もう楽になってしまいたい。

 サヨコの意識を引き戻したのは、ファルプの声だった。

「よおく…知っているねえ、サヨコ。誰に聞いたのかな……スライじゃない、クルドでもない……トグ、かな?」

 無言のサヨコを、ファルプはいきなりホールの中へと突き飛ばした。

「ひ!」

 小さな悲鳴を上げてサヨコは竜巻きに巻き込まれるように闇の中を飛ばされ、壁に叩きつけられた。緩衝材があるとは言え、ばぐっ、と激しい音をたてて頭がぶつかり、視界が眩む。跳ね返った慣性のままあちらこちらを漂い、次々と壁にぶつかり、また予想もしない方向へとはね飛ばされていく。吐き気さえ体の中で出口を失っているようだ。食いしばった口が何度も壁に叩きつけられる衝撃に開いた。上下のない宇宙空間を果てしなく飛ばされていく感覚がサヨコの心を侵していく。

「いや…あ…あ」

 細い悲鳴を上げたサヨコに、ファルプが淡々とした口調で言った。

「そういえば、トグは日系だったな……だから、嫌だよ、日本人という奴は。私が尋ねたときには、そんなことは言わなかった。いつでもそうだ、同族で群れたがる……他のものを受け入れない…本当に困った人種だ」

 サヨコの耳にファルプのことばは波打つように高く低くうねって聞こえた。別の壁に当たって跳ね返り、再びファルプのもとへ近づいた彼女を、ファルプは無造作に足で蹴り飛ばした。

「う…あ!」

 背中を蹴られて回転しながら飛んでいくサヨコの視界は、既に暗闇になっている。自分の体の感覚が掴めない。壁に当たって跳ね返る、その痛みも見え始めた幻覚の恐怖より優しく感じる。

 モリが同じ空間を漂っていた。虚ろな目でサヨコを凝視しながら流されていく。

 タカダもいた。銀の髪にまとわりつかれた顔は、水底に沈んでいるように妙に青黒い。

 星々の光の間に、底知れぬ闇がある。その中へサヨコは落ちていく。

 止めようもなく、ただ落ちていく。

 闇の向こうから、ファルプの声が響いてくる。

「モリをどうして殺したかなんて話はしないよ……ただ、これだけは話してもいい。あんたは私を非道な人間だと思うかね? 違う……単に、私は私の失ったものを取り返そうとしているだけだよ。……ずっと昔、私に小さな妹がいたんだ……生きていれば、君ぐらいかな……もう、死んだよ……そうずっと前にね……自殺したんだ……だが、殺されたんだよ……ほかならぬ君達……日本人に。移民者だった……荒んでいた……妹をおもちゃにすることで気持ちのバランスを取った……裁判ではそう弁護された……刑罰は与えられた……だが、被害者であるはずの妹は、裁判の後、襲った男の仲間達に取り囲まれ責められたんだよ……おまえに国を失った痛みはわからない……おまえが誘惑するようなことをしたから、あいつが罪に落とされたんだ、とね……」

 ファルプのぼんやり微笑んだこれっぽっちも邪気のない丸い顔が、死体の漂う中に浮いて見えた。

「妹に罪があったというのかね? 妹は愛らしかっただけだ……花が美しいから盗っ人を生んだと責められるのかね…? 違う……悪いのは日本人だった……妹は自殺した……。日本が沈没したとき、日本人も一緒に滅ぶべきだった……そうすれば、モリもタカダもいなかった……日本が沈没したのは……神の意志だったんだよ。もう、地球に存在する価値はない、という…」

 ファルプの声はどこか虚ろで憂うつそうだった。

「忘れようとしても……日系人は次々やってくる……それはそうだ。日本は沈没して……日本人は世界中に散ったんだからね……日系人は増えていくばかりだ……日本人の血が地球を侵していくんだ……せめて、宇宙は……そう思うのも無理はないと思わないかね……宇宙ぐらい、日本人から守りたいじゃないか、サヨコ」

 サヨコはスライのことを思い出した。エリカやルシアのことを思い出した。世界中に散らばった日本人のことを考えた。

(それでも)

 日本人だって生きたかっただけなのだ。国を失い、世界の中の迷い子となって、初めて自分達の生き方を考え悩み苦しんだ。

 どう生きるか探しあぐねて、それでも何とか生きたくて。

 サヨコのように。『GN』のように。スライのように。アイラのように。

(だって、それが命の意味じゃない)

 少しでも安らかに、少しでも健やかに。少しでも満足して。

 多くの命は自分の生きる場所を捜し求めて、一生涯さまようものなのだろうか。

 世界を相手に、長い年月を自分の生き方を尋ねて叫びながら。

 どこへ辿りつくあてもなく。

 どこにも約束された場所を見出せず。


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