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くらりとしためまいを感じて、サヨコは立ち止まった。
「んっ……」
胸の奥が一瞬不安定に波打ち、不規則な鼓動に呼吸が詰まった。
(不整脈?)
心理的なストレスと『草』の濃度の欠乏は予想以上にサヨコの体に負担をかけている。動きを止めて突然石をねじこまれたみたいに固まった胸を抱える。
「く……ふっ」
すぐに鼓動は再開した。締めつけられた胸が金の輪を断ち切られたみたいに広がり、新鮮な空気を取り入れる。急速に広がった肺に咳き込み、サヨコはわずかに喘いだ。
(もう、あんまりもたないのかもしれない)
立続けに不整脈に襲われたら、身動き取れなくなったまま意識を失ってしまうだろう。ステーションの医療施設は確かに緊急手術もこなせるようにはなっているはずだが、救命処置をするはずの医師が犯人のファルプとなれば、生還は望めない。
今まで『宇宙不適応症候群』で不整脈の自覚はなかったから、この状況から考えると、ファルプが投与したのは、やはり『第二の草』だったのかもしれない。
(意識がはっきりしている間に、スライに話しておかなくては)
サヨコは移動してエレベーターに乗り込んだ。それだけで吐き気が込み上げ、思わず中で座り込む。じっとりと脂汗が浮いてくるのを手の甲で擦りながら堪える。
エレベーターが止まった。よろめくように出て、管理室に向かう。
(スライがいてくれるといいけど)
危うくなってくる足を踏みしめる。気持ち悪さから少しでも意識を逸らそうとして、サヨコは考え続けた。
ファルプはこうして、カナンに自分の存在を誇示した。
カナンはそれに対応したのだろうか。
ファルプに対する、新しい約束を与えたのだろうか。
サヨコの迎えや『草』の輸送を理由をつけて引き伸ばしていることは、カナンのファルプに対する保護とも取れる。だが、それは、タカダを切り捨て、サヨコを切り捨て、最後にファルプを切り捨てるという順番の問題なのかもしれない。
ならば、ファルプはどうするだろう。
カナンは地球にいて手が出せない。
ファルプがカナンに対して取引をするとすれば、何を条件にするだろう。
サヨコがそう考えた瞬間だった。
医務室のドアがふいに開いた。
サヨコがたじろぐ間もなく、中から伸びた手が彼女を掴み引きずり込む。鳩尾のあたりを
殴られるまでもなく、急な移動でくらくらしたサヨコはすぐに意識を失っていた。
スライはカージュの部屋で、祈るように相手を見つめていた。
自分がどれほど無理なことを頼んでいるか、よくわかっている。貴重な『草』を、得体の知れない『第二の草』と一部分交換してくれと頼んでいるのだ。
(すぐにカージュが返答できないのも、無理はない)
けれども、スライには、もうこれ以外打つ手がなかった。
探せるところはすべて探した。だが、たった1粒の『草』も見つからなかった。
自分にはまったく必要のないものをこれほど必死に探したのは生まれて初めてだ。
時間は刻一刻とサヨコの命を削っているのに、彼女は『第二の草』は飲まないと言う。シゲウラ博士が拒否したものを自分が飲むわけにはいかないと言う。
そのためなら、死んでもいい、と笑いながら言うのだ。
ならば、『草』を手に入れるしかない。どんな手を使ってでも。
必要以上の人間に状況を教えるわけにはいかなかった。カージュを選んだのは、彼女がサヨコに助けられた恩を感じるだろうと踏んだせいだ。卑怯だと言われればそれまでのことだが、頼みもせずにみすみすサヨコを死なせることは、今のスライにはできなかった。
「お願いです。『草』2に対して、この『草』を4、お渡しします。とりあえず2日分、交換して頂けませんか。明日には連邦警察が来れます。『草』を持ってきてくれることになっています。ただ、それまでは、サヨコがもたないんです」
スライは懇願した。自分が他人のために、これほど卑屈になれるとは思いもしなかった。
カージュはさっきからじっとスライを見つめているだけだった。スライの再度の頼みに、ようやく瞬きをし、深い溜め息をつく。
「…ずるいやり方ね、スライ船長」
「わかっています」
「断れるわけがないわ」
「そう、思っています」
カージュはもう一度溜め息をついた。
「わかったわ。私なら乗り切れる。『草』をサヨコにあげて」
「ありがとうございます!」
スライは頭を下げた。
早速『草』を交換し、アクリルケースに詰める。今度は本物、サヨコも嫌がらないだろう。
いそいそとカージュの部屋を出て行こうとするスライを、カージュが引き止めた。
「スライ船長」
「はい?」
きょとんとしてスライが振り返ると、カージュは軽く片目をつぶって言った。
「サヨコの心を射止めたら、お礼に来なくてはだめよ」




