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昼食後、サヨコはスライと分かれて行動した。
スライは何か悩んでいる顔で、そそくさと側を離れていった。
サヨコはどこか寂しい思いで、それを見送った。
(でも、はじめから考えれば、進歩よね)
ステーションに来たときにサヨコを見たスライの暗い目を覚えている。 なぜだかわからないが、その目はずいぶん明るくなったように見えた。
食事の最中も地球での話を聞きたがり、1つ1つをひどく嬉しそうに頷いて聞いていたスライを、サヨコは思い出している。
(そう、あのときから、何かが違った)
部屋を訪ね、『第二の草』を預かってほしいと頼んだ。予想外に激しい抵抗を示したスライに、突然、サヨコへの心配を読み取った。
(今までのも、本当はそうだったのかしら。わたしが心を閉じてたから、違うふうに見えたのかしら)
真実はわからない。けれども、今スライはサヨコの安全を気にしてるし、サヨコをひどく大事に扱ってくれているように思える。
(エリカといるルシアみたいに)
サヨコの願いを聞き入れて『第ニの草』を預かろうと言ってくれたスライはとても不安そうだった。声が掠れ、微かに体を震わせているようだった。自分のステーションでサヨコが死ぬということを恐れているのかもしれないと思ったが、もっと別なものをサヨコに期待しているような優しい瞳でこちらを覗き込んでいた。
そこにいるのは、まるで小さな男の子のようだった。とても大事な決断を前に、自分がそれを本当にやり抜けるのかどうかと疑って不安がっている顔。
だから、サヨコは大丈夫だと微笑むしかなかった。
スライが何をしようとしているのかはわからない。何をしたいと望んでいるのかもわからない。
だが、スライ自身は自分がそれをやり遂げることを知っているし、やりおおせる能力があることを信じている。
そう感じた。
それは痛々しい傷に長い間向き合い続け、見つめ続けた患者が、ようやく自分の内側から響く声に気がついて、道を選び直そうとする気配とそっくりだった。
人は新しい世界に飛び込もうとするとき、誰でも子どものときの癖と恐怖を思い出す。自分がもう十分に大人だとわかっていても、それは無意識の闇から漂い出て、決断して歩き出そうとする一歩を鈍らせる。
そのときに必要なのは、自分を自分以上に信じてくれる目だ。自分が願うより強く、自分の望む方向へ歩いていけるようにと願ってくれる確かな存在だ。
サヨコにとっては、それはシゲウラ博士の存在であり、母の子守唄であり、名前を呼ぶ父の声だった。今のスライに必要なのは、彼が確かに自分の生きざまを全うすると信じる者、ただそれだけなのだ。
(でも……それだけじゃ、なかったような)
スライの瞳はもっと深く熱を秘めていた。サヨコの信頼を受け止める以上に、何かを掴み取りたがっていた。激しい感情、もし別な場面だったら今にもサヨコを巻き込み呑み込みそうな激情。
(あれは……)
ひょっとして……好意、だろうか……?
(まさか。スライは『日系人』も『GN』も苦手なのよ)
スライが背負った傷はそうそうすぐに癒えるほど単純なものではないとわかっていた。信頼と拒否、加害と被害、引き裂かれた絆と永遠への祈りが混ざりあっているだけに、片方はすぐにもう片方に反転する。
もし、スライがサヨコの患者だったら、まず『転移』を疑っただろう。鍵になる出来事に関わる存在や役割にカウンセラーを当てはめて反応していく心理経過だ。
そのとき、カウンセラーは治療者としてではなく、相手が抱えている傷にまつわるキーワードとして置き換えられる。役割をふられ、再現し、あるいは展開させ直すことによって治療が進んで行く。
劇的な状況だけに、効果をあげると素晴らしいが、逆効果にとなってカウンセラー自身が患者と共鳴する自分の問題に引きずり込まれ、『逆転移』と呼ばれる現象を起こし、扱いそこねて問題をややこしくしてしまうことも多い。
(でも、スライはわたしの患者ではない……それに、私がスライを魅きつけるものを持っているとも思えない…………きっと考え過ぎね)
サヨコは首を振った。
時間は迫ってきている。
どちらにせよ、スライは今ここにはいないし、サヨコは1人で戦わなくてはならないのだ。
サヨコはそっとポケットの『オリヅル』を押さえた。
(とにかく、情報を集めなくては)




