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まるで、自分の妄想を見られていたかのように、スライはうろたえた。いつもなら、相手が入ってくるのを待つのに、慌てて席を立ち、ドアを開けてサヨコに対する。
「あ…ごめんなさい。まだ、おやすみでしたか?」
「いや…早いね」
スライは相手の黒い目に見入った。
視線を感じたサヨコが見上げ、かすかに頬を染める。だが、相手の唇からこぼれたことばは、スライを現実に引き戻すのに十分だった。
「時間がありませんから」
「あ、ああ」
スライは頷いた。サヨコも頷き返し、静かな口調で続ける。
「あの…少しお願いがあって……入ってもかまいませんか?」
「もちろんだ…どうぞ」
ぎくしゃくした動作で、スライはサヨコを部屋に入れた。ドアを閉めてから尋ねる。
「気分は? まだ……大丈夫か?」
「大丈夫です」
にこりとサヨコは目を細めて笑った。いつもと違うスライの対応に戸惑ったように、けれども、失われていく時間を惜しむように、
「あの……それで……これを預かって頂きたいと思って…」
ポケットからアクリルケースを取り出した。受け取って、それがアイラが持っていたはずの『第二の草』であるのに気づき、スライはサヨコを見た。
「これは…」
「アイラが…万が一のときに、と言って、渡してくれたんです、でも…わたし…」
サヨコは目を上げて、正面からスライの顔を凝視し、どこか哀しそうに、けれどもきっぱりとした笑顔で言った。
「使う気はありません。たとえ、『宇宙不適応症候群』を起こしたとしても」
「……なぜ」
スライは一瞬の驚きから立ち直ると、無意識にそう問いかけていた。
「アイラの気持ちは嬉しいし……わたしが受け取らないと、彼女が心配するでしょう? でも、使わないから……あなたに預かってもらおうと思って…」
「そうじゃない!」
答えかけたサヨコを激しい口調で遮る。
「どうして、『草』を使わないんだ?」
サヨコに魅かれていると自覚したものだから、不安に塗りつぶされるのも早かった。
「君はわかっていないんだ。4歳のときのことだから忘れてるんだ。いや、今回だって発作を起こしたじゃないか。『宇宙不適応症候群』を起こしてもいいのか? ひょっとしたら、死んでしまうかもしれないんだぞ」
むっとしたような顔をしたサヨコは、次の瞬間、不思議そうな目の色になった。スライの顔がまったく違うものに見えた、そんな表情だ。だが、やがて、何かを突然理解したような顔になった。まばゆそうな目でスライを見つめる。
その視線の穏やかな明るさに、一層不安をかきたてられた気がした。
(まさか、サヨコ、このまま)
「いいか、君は『GN』で『CN』じゃない。それは変えようのない現実なんだ。君がどれほど努力しても、今まで『GN』が『草』なしで宇宙で暮らせた例はない。救援が来ると思っているのかもしれないが、絶対とは言い切れないんだぞ。そうだ、たとえば、カナンが救援を約束したからと言って、必ず来るとは……」
スライは唐突に口をつぐんだ。あまりにひどいことを言っていると思ったせいではない、自分が指摘した可能性に気づいたのだ。
さっきのカナンへの連絡で、スライはカナンをやり込めることに夢中になって、手持ちの情報を全部晒してしまったのではないか。その情報は、総合するとこういうことを示している。
『サヨコが死ねば、モリへの追及は阻止できるばかりか、真実を知る連邦側の厄介な証言者が減る』
自分にとって不利な情報をもたらすはずの部下を、わざわざカナンが救おうとするだろうか。他の理由をつけてでも、サヨコの救援を拒むのではないか。
(まさか、カナン……)
最後にカナンが考えていたのは、効率的で素早い保身の手立てではなかったか。そして、その鍵は目の前にいる華奢な少女1人が握っている。それに気づいたカナン、それこそあのカナン・D・ウラブロフともあろうものが、サヨコに何の手立ても打たずにいるだろうか?
背筋をぴりぴりとした緊張感が走るのを感じた。
そのスライの不安は、突然入ってきたアイラからの通信で裏付けられることになった。
『スライ?』
「何だ、アイラ」
『変なのよ、連邦警察に圧力がかかったらしいの』
体中から音をたてて血が引いた。
『すぐには応援をよこせないって言ってきたわ。早くても明日以降になるって言うの。あなた、カナンに連絡するって言ってたわね。妙なことを話したんじゃないでしょうね? これからもう一度、何とか今日中に応援が来れるように話し合ってみるつもりだから、もしサヨコが動き始めたら注意して』
「わかった」
よほど焦ったのだろう、スライの返事が届くや否や、通信は切れた。
スライはデスクに手をついたまま、動けなくなった。
「俺のせいだ…」
凍てついていくような思いで呻く。
カナンはサヨコをも切り捨てることに決めたのだ。
スライやステーションの乗務員は『CN』であり、カナンの支配下にある。どうあがいても宇宙空間に封じられている、と言ってもいい。
だが、サヨコは、いくら連邦の中とは言え、厳密に言えば部署が違う。いつかは地球に戻ってくる。そのときには、カナンだけの思惑では動かせなくなっているはずだ。
折りも折り、カナンはタカダや『青い聖戦』のことで追い詰められている。面倒な人間は支配下にあるうちに何とか処理しようと考えるのは当然だろう。
そして、そこへカナンを追い詰めたのは、ほかならぬスライなのだ。
追い打ちをかけるように、地球から連絡が入った。
画面にカナンの秘書が顔を出し、地球での状況により、今日の午後、サヨコを迎えに行くことは不可能になった、と言う。迎えは早くても明日の午後になる。それまでは、何とか『草』を都合しあって乗り切ってほしいと告げ、連絡は一方的に切れた。
(サヨコをこのステーションで死なせるつもりだ)
ファルプがカナンとつながっているのだから、死因も何とでもでっちあげられるだろう。
スライ自身が緊急用の小型機に乗り、サヨコを脱出させる手もあるが、ファルプがまだ何を考えているのかわからない状態で、客や仲間を残してステーションを出るわけにはいかない。他の人間に頼むにしても、アイラは連邦警察としてファルプから目を離すわけにはいかないし、クルドは動けない。その他となると、どこまでがファルプとつながっているか確認できない。
スライは、デスクの上に置いた『第二の草』を見た。絞るようにサヨコに伝える。
「…俺の手落ちだ……助けが来ない…明日の午後まで………おまけに『草』はこれしかないんだ」
(もう……だめだ)
自分のこの手で、今度こそ完全にサヨコを窮地に陥れてしまった。
悔恨が胸を突き上げ、また強い吐き気が襲った。
(俺は……どうしていつもこう…へまばかり…)




