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サヨコは曖昧に笑った。
「そうは思うのよ。でも……わたしがいることが不快なら、何とかしたいって、いつも思ってしまって…」
エリカが発してくる強烈な圧迫感に押し流されそうになりながら答える。
相手はどこか哀れむような目の色になって、サヨコを見た。
「それって、心理療法士の仕事からくるものなの? あなた、必ず、『自分がまずい』っていう発想で話すでしょ?」
「え…? 違うと思うわ」
サヨコは首を傾げた。自分の胸の内からことばを丁寧に選び出す。
「自分の感覚や、生きることを肯定的に見ていないと、治療を始めても巻き込まれて身動き取れなくなることの方が多いのよ。一方的に自分を責める発想では、結局患者の力にはなれないの。でも、変えられるのは、他の誰かではなくて、自分自身でしかないから…」
「そうよね…あなたって、有能な心理療法士だったんだわ」
エリカはいまさらながら気づいたという顔で立ち上がった。コーヒーを取って戻ってくると、何事か思い出しているようにことばを続ける。
「確か先月だったわね。宇宙飛行士で、急に宙港で適応不全を起こした男の人を回復させたの。あれ、どうしたの?」
「うん…」
サヨコはことばを濁した。
心理療法士には守秘義務というものがある。患者の治療や状態について、第三者に話すことはできないのだ。それをエリカが忘れているとは思えないが、相手は応えてくれるのが当然という表情を崩さない。
しばらく迷ってから、
「パウラー教授の心理テストは完全なものじゃないの。『GN』でも『CN』と診断されることもある。特に、長年宇宙で働いてきて、そこで過剰適応していた場合は見分けにくいと報告されているわ。けれど、そんな無理な適応形態はどこかで爆発することがあるの」
「ああ、少し知ってるわ」
エリカが頷いた。
「彼、宇宙が好きで宇宙で死にたいっていってたそうじゃない。それが、組織の再編に伴う心理テストで引っ掛かりそうになった。何とかクリアしたと思ったら、その実、心は限界を越えていて、とうとうあそこでちぎれてしまったってことね。自分の内側でもう1人の自分を殺して、結果的にこの世界から関わりのないところへいってしまったというわけでしょう?」
エリカの口調は、あくまで明るい。
(そう、エリカにとっては他人事、だもの)
サヨコの胸の奥深くで、言ってはならない一言が響く。
「そうまでして宇宙にこだわらなくても、ねえ。地上でいくらでも働けたでしょうに」
エリカの不思議そうな声音に、サヨコは気弱に笑うしかできなかった。そうまでして、なぜ、宇宙に行きたいと思うのか。それはサヨコにも答えられない、けれど、サヨコにはよくわかる問いだったからだ。
「あなたを指名したのは、フィスなの?」
「ううん、それが、もっと上の方からだったみたい」
「カナン・D・ウラブロフ? まさかね」
エリカが茶目っけたっぷりに肩をすくめて見せ、思わずサヨコも笑い出した。
「まさか」
(確かに、突然の指名にはびっくりしたけど)
カナンだなんてあり得ない、とサヨコは思った。
彼女の名前は既に伝説になりつつある。 『GN』でありながら、数々のチェックとテストをクリアし、なおかつ華々しい手柄を重ねることで、もっぱら『CN』しか採用されることのなかった地球連邦中央部への昇進を果たした女性。今や、カナンの名前は、『GN』であるということさえ、高い能力の要因であったかのようにさえ思わせている存在なのだから。
「カナンは連邦の総合人事部の部長よ。そんな人がわたしを知っているかどうかさえ」
「そうかしら」
エリカはきらきらした真っ青な目でサヨコを射貫いた。
「少なくとも、先月の活躍は耳に届いていると思うわ。彼女はとても切れ者だし、必要な情報を集めるのも上手だと聞いているし。よかったわね、サヨコ。新しい未来が見えてくるかもしれないじゃない、この地球で」
「そうね…」
サヨコはぼんやりと視線を紅茶に戻した。
宙港で意識を失って、自ら生きることを拒み、周囲との接触を切ろうとした男の、絶望的なうつろな眼差しがよみがえってくる。
ぽかりと白い精神の空間を思わせる、呆けたように開いた口。
確かに彼はサヨコの働きで、何とか現実に戻ってきた。だが、彼を待っていた現実は、もう2度と宇宙へは上がれないということなのだ。たとえ、他の能力が認められたとしても、その現実の前で、彼は怯まずに生きていけるだろうか。
それは遠い過去、サヨコを襲った嵐そのものだった。
耳を塞いでも聞こえてくる、記憶の中に深く刻印された悲鳴が、サヨコの体の内側を引き裂いていく。
『いやああああ……おとうさああん……おかあさああ…ん……あたしも……つれていってえ……おいていかないでええええ……』