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サヨコはカフェテリアに座って、冷えたアールグレイをストローで吸い上げた。
口の中に紅茶の芳香が広がる。コーヒーのようにきつくはない、けれども、はっきりとした薫り。存在感を与える薫りが苦手だという人も多いが、サヨコは好きだ。
日差しは午後に近づいてまばゆかった。くっきりと影を落とした木々に囲まれ、そこここに憩いを楽しむ人々が、木目をそのまま生かしたシンプルな木のテーブルについている。
人々の間を擦り抜けるようにして、風がゆっくりと渡っていく。カフェテリアの周囲にある花壇の花の匂いが風に運ばれ送られてくる。
医療セクションには、この手の屋外カフェテリアが多い。
雨風にテーブルや椅子が傷むこと、周囲をうずめる花壇や木々の手入れに費用がかかることなどを理由に、何度か屋内に移すことも検討されているが、いつも話は進まない。
それは、医療セクションの機能に関係しているかもしれない、とサヨコは思う。
医療セクションは、この『アース・コロニー』と宇宙空間の地球連邦管理下に置かれている部署で働く人間全てのために設けられている。
人種が入り乱れるここでは、さまざまな価値観とそれらに対するストレスを感じながら生活していかなくてはならない場所でもある。
この十数年で、精神的な問題を抱えて医療セクションを訪れる人間は、約20倍に増えた。精神的なトラブルは遠からず身体的な症状となって現れてくる。宇宙を相手に働く者は、わずかのミスが死に直結していることからか、地上に住む人々に比べて、医療セクションの受診率が高くなっている。
『アース・コロニー』の医療セクションは、そういった人々の苦痛と不安を取り除くために存在する。だが、それはまた、医療セクションに従事するものに多大なストレスを与える。
勤務時間以外は、問題を抱えた人間達とそれに関わることから離れて、木々や草花や鳥や虫、水の流れや日の光といった自然物に自分を委ねて溶け込もうとするのは、無理もないことかもしれない。
しばらく日差しの方向を探るように顔を上げていたサヨコは、風の流れと花の香りを十分に楽しんでから、満足した溜め息をついた。
再びストローをくわえようとして、カフェテリアに入ってきたカップルに気づく。
友人のエリカと恋人のルシアだ。
サヨコが彼女達に気づくや否や、エリカもサヨコに気がついた。青い目が快活な笑いを浮かべる。軽く手を振り、続いてすぐに近づいてこようとして、エリカは動きを止めた。
そばに付き添っていたルシアが金髪の頭を振ってエリカの腕を抱き、何か言い聞かせている。ルシアはエリカより3歳ほど上の女性だが、きっとしてルシアを見たエリカの方が数歳年上に見えるような弱々しさがある。
「いいかげんにしなさい、ルシア!」
はっきりしたエリカの声が響いた。苛立たしげな口調が昼時で人が増えてきたカフェテリアの温かな空気を切った。
「サヨコが日本人だろうと、『GN』だろうと、あの子に何の責任もないことでしょ? いつになったら、あなたのその薄っぺらいプライドは大人になるの?」
対するルシアの声は低くて聞き取れない。だが、その顔に浮かんだ嫌悪の表情に、サヨコは見てはならないものをみたように慌てて目を伏せた。
両手で包むように持っていたグラスの中を覗き、氷が揺れる薄い茶色の透明な世界に逃げ込む。
「わかったわ、じゃあ、今日はここでお別れ。また、明日会いましょ。あたしはサヨコに話があるの」
エリカがあっさりと応じた。
自分の名前が聞こえたのについ目を上げたサヨコの前で、エリカはルシアの唇に軽くキスして離れた。ルシアが恨めしそうな顔でサヨコを見る。だが、サヨコと目があった一瞬、皮肉っぽく唇をゆがめてルシアは呟いた。
『GN』。
サヨコはまた俯いてしまった。
「まったく、近ごろの子は何考えてんだか」
ぼやきながら、エリカはサヨコのテーブルに近づいてきた。テーブルのすぐ側まで来てぴたりと立ち止まり、しばらく黙った後、歯切れのいい口調で命じた。
「顔を上げなさい、サヨコ。あなたが気にすることじゃないのよ」
そろそろとサヨコは顔を上げた。
正面ににこにこしているエリカの顔がある。黒髪を後ろでひとまとめにしているのが溌剌として元気そうだった。
サヨコはそっと、肩に垂らしたままの自分の髪を探った。その仕草をすばやく見て取ったエリカが、サヨコの前の席に腰を下ろしながら、
「まあた」
どこか呆れた溜め息まじりの声だった。
「いいの、あなたはそれで」
確信に満ちた表情で、サヨコに頷いて見せる。
「人に合わせなくていいの。『GN』だって、日本人だって、あなたが選んで生まれてきたんじゃないのよ。無理に適応しようとしないこと。でなきゃ、ここでは暮らせないわ」
「うん…」