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緑満ちる宇宙  作者: segakiyui
第6章 『青い聖戦』

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4

 ふうわりと、アイラの体の中に燃え上がっていた金色の炎が揺らめいた。それからゆっくりと消えていく、怒りに満ちた顔を向けている少女の影とともに。

(見立てがすんだ……)

 人は誰も、抱え切れない自分の傷みを『見立てる』ことで消化する。何か意味ある物語として語り直し捉え直すことで、その傷みが1つの型の中におさめられていく。そして『見立てられた』傷はもう、人を傷つけることはできないのだ。

 サヨコはアイラの静かな顔を眺めていたが、ふと聞こえてきた歌に気づいて愕然とした。

「アイラ……これ…」

「ああ……タイトルはわからないけど、いいでしょ。子守歌なんだって」

 我に返ったようにアイラが答える。その答えを待ち切れず、サヨコは口走った。

「これ……わたし、知ってるわ……知ってる……これ、おかあさんが歌って……」

 封じられていた扉が突然開いたように、サヨコの胸に記憶が甦った。

 薄暗い夜の部屋。何かに怯えて泣き続けたサヨコに、母親がずっと昔の歌だからと言って歌ってくれた……今ならわかる、これは子守歌だ。

 サヨコを慰めるために母親が歌ってくれた子守歌。甘く優しい歌声は囁きを伴って蘇った。

「あ…あ…」

(おかあさん)

「サヨコ?」

 アイラが心配そうな声をかけてくる。

「わたし……わたし……どうしてこんなことを忘れてたんだろう」

 サヨコは顔を覆って俯いた。

 サヨコ。サヨコ。

 お前の名前は、日本語で言うと、小さな夜の子ども、と書くのだよ。

 そう父親は話してくれたのだ。

 日本はなくなってしまって、『日本人』もいつかはいなくなる。けれど、お前の髪と目には、小さな夜が宿っている。私達が愛した日本の夜の色が。

 だからサヨコ、お前の名前を呼べば、私達はそこに詰まっている愛しいものの名前すべてを思い出せる。

 サヨコ。

 夜を抱えた小さな子ども、私達の小さな子ども。

 父母の声がサヨコの胸に谺した。

(わたしは見捨てられてなどいなかった)

 体が細かく震えてくるのを感じた。

(わたしは愛され育まれてきたんだ)

 確信に満ちた温かな思い。それが心の底の真実に辿り着いたときにのみ聞こえる音色を響かせて、サヨコの胸を轟かせた。

 確かに、時は不幸にして親子を隔てた。だが、歌に込められた記憶は鮮やかな真実となって、サヨコを導き貫いたのだ。

「おとうさん……おかあさん……!」

 ずっと長い間に口にしていなかった名を呼んだとたん、涙があふれてサヨコの指を浸し、熱く流れてこぼれ落ちた。

(そうか、1人じゃなかった……ずっと1人じゃなかったんだ)

 おそらくは、そう、自分の中に紅の血が流れているということ、それ自体がもう『1人ではなかった』ということではないのか。

 人は1人で子どもを産まない生物なのだ。誰かと2人で次代を紡ぐ、そういう種なのだ。

 命がそこに新しく誕生したということは、誰かが誰かと一緒に居たということなのだ。

 そして、その一番始まりの時に、人は未来への祈りを血に込めた……自分が次代を得ることは次代に命を吸い取られることではなく、次代の中に生きることだと考えたように、沈みゆく日本を旅立つ人は、いずれ自分達の血が消えるのだと考えるのではなく、自分達の血が世界に蒔かれていくのだと考え直したのかもしれない。そうして『国』という自分達の『居場所』の滅亡を受け入れていったのかもしれない。

 人が自分の『居場所』を失ったその心の傷みを、別の物語で見立てて受け入れ生きていくように。

 そして、サヨコもまた、そういう意味では『国』を失った日本人そのものだっただろう。新しい世界、新しい人生でどう生きていったらいいのかの術を見失ったまま流されてきた。

 だからこそ、アイラはサヨコの中に『日本人』を感じとっていたのかもしれない。

 けれど、今、アイラの光と影に照り返されて、サヨコの胸の光と影も形を得た。新しい物語としての見立てを得た。

 サヨコは今ようやく、サヨコ自身として産まれたと言えるのかもしれない。だから、これほど泣いている、外界の空気の豊かさに、その目を奪うような鮮やかさに、赤子のように、ただひたすらに。

 どれほどそうして泣いていたのだろう、ふと、柔らかなアイラの声が聞こえた。

「あなた……やっぱり有能な心理療法士なのね…」

「え…?」

 ぼんやりと目を上げると、揺らめいた視界に微笑むアイラの姿が見えた。目元をこすり、涙を拭うサヨコに、再び温かな声で、

「日本人に反発しているつもりはなかったんだけど……見事に、あたしの中の抵抗を教えてくれた……忘れていた、思い出を……そして、やるべきことも」

「アイラ……?」

 アイラはにっこりとすっきりした顔で笑った。膝を延ばして立ち上がり、サヨコをそっと大切そうに覗き込む。

「あなたには保護が必要だわ。本日づけで、アイラ・ブロック、任務に復帰、ね」

「任務…?」

 サヨコは訝しくアイラを見上げた。さっきまでの頼りなげな姿はどこへやら、元通り、したたたかなほどの艶やかな笑みをアイラは浮かべる。

「そう、任務。モリの死を解明すること。『第二の草』のルートを探ること、そして、あなたを護ること。少なくとも、カナン側の人間ではなさそうだから」

「待って……『第二の草』? ……カナン? …アイラ、あなた…」

 アイラは苦笑まじりの顔で肩をすくめた。

「少々規格外れだけど、一応、あたし、連邦警察なの」

 サヨコは呆然とアイラを見つめた。が、すぐにはっとして、

「でも…じゃあ、タカダとは同僚なの?」

 アイラは不審そうに眉を寄せた。

「誰ですって?」

「タカダよ、連邦警察だと…」

「いいえ、今回、この任務はあたし以外に連邦警察は噛んでないわ」

「そんな…」

 サヨコは父母のこととは別の衝撃にことばを失った。

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