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緑満ちる宇宙  作者: segakiyui
第6章 『青い聖戦』

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3

 ポットを置いて、部屋の隅のバッグから小さな袋を取り出し、ポットに入れる。それから少し時間を置いて、アイラはコップ2つに中身を注いだ。『草』に似た香りがする。そのうちの1つのコップを手にしてベッドに腰掛け、アイラは苦い笑みを浮かべた。

「昔からそうね、日本人は。誰かが苦労して編み出した成果を難無く受け入れて組み替えて、元のものより質の高い結果を導き出す…どうぞ、お茶…日本茶、よ」

「あの…」

 サヨコはアイラと手の中の『オリヅル』を交互に見た。

(アイラの大切な部分に踏み込んでしまった)

 アイラは固い表情でカップの日本茶を唇に含んでいる。大きな目が憂いをたたえて、今にも潤んで溶け出しそうだ。

 サヨコが魔よけとして折った『オリヅル』は、アイラにはどんな意味があったのだろう。部屋に飾られた『オリヅル』はどれもほとんど狂いなく、つるりとした表面を光らせて折られている。そこまできれいに折るために、アイラは何時間、いや何日かけてきたのだろう。

 そのアイラの気持ちと過ごした時間に、サヨコはとても身勝手に飛び込んでしまった。

(わたしだって……スライと同じ……)

 サヨコの過ごした辛い日々をスライは知らない。身動き取れない状況も知らない。サヨコも、スライがあれほどモリのことを気にしていたとは気づかなかった。

(日系嫌いだと、聞いてたから)

 自分もモリも目障りなのだ、だからどれほど自分達が苦しんでても、興味もなく、他人事のようにそっけないのだと思い込んでいた。

(わたしだって、何も知らない……スライの本当の気持ち一つ)

 暗く光る緑の瞳を怖がってばかりいて、底に何が潜んでいるのか、患者に向かいあうように、心底誠実に覗き込んでみただろうか。

 サヨコは俯いた。俯いたまま、そろそろと残されたコップを取り、中の熱い液体を口に運んだ。含んだときは苦みばかりしか感じなかった液体は、じっと口を閉じていると、不思議に柔らかな甘い味わいに変わってくる。

 サヨコの知らない日本茶は、アイラの精一杯の防御に思えた。

「……ごめんなさい」

 サヨコは謝った。

「あなたの…場所に入り込む気じゃなかったの。とてもきれいで、可愛いと思ったから」

(何か不思議な力を引き出してくれそうだったから)

「そういうものを自分で作ってみたかったの」

 サヨコはできるかぎり単純なことばで、自分の心の内側を明るい光で照らしながら、そこにあったものの形を描こうとした。同時に、それに動く相手の心の波立ちをほんの少しでも見逃さないように、感覚を広げて開いておく。

「ここに来て、ずっとずっと不安だったから。わたしの居場所がどこにもないように思えたから。アイラが『オリヅル』を部屋に飾ってるのを見て、守られてるみたいだなって感じたの。……そういうふうに……守られたいって……」

(ああ、そうだ)

 いつものように、相手の心から跳ね返る光で、自分の中の見えなかった影が照らし出されていく。

「でも……勝手なことしたわ……ごめんなさい」

 サヨコの胸の中で、アイラの泣き出しそうな横顔と、言い合ったスライの険しい表情が重なった。ぎらぎらと輝く瞳の奥に身を潜めて唇を噛む、10歳のスライが浮かび上がった。

(つらそうだ)

 幼いスライは泣いていない。傷ついた体を抱えるようにして、こちらをきつい目で睨んでいる。同じように、黙って日本茶を含むアイラの中にも少女が見える。苛立たしげにサヨコを凝視する。燃えるような金色の髪。その髪をなぜか少女は片手の拳で握りしめている。

 謝った後はサヨコは無言でただ待った。言うべきことは口にした、自分の胸も見定めた。アイラの中には怒りが渦巻いているけれど、それをどうこうしようとは思わない。サヨコにできるのは、その気持ちを受け止めることだけだ。

 アイラはコップの中身をゆっくりと飲み干すと、コップを置いた。バッグに手を入れてデジタルプレイヤーを取り出した。スピーカーから流れた音に耳を傾け、ふっきったようにアイラは顔を上げてサヨコを見た。

「ああ…これ」

 響いた歌にサヨコは頷いた。以前に、図書館のライブラリーで聴いたことがある。

「知っている?」

「ええ……確か……サクラ…サクラ…」

 サヨコはそこまでしか思い出せなかった。アイラが曲名を促したが、覚えていない。続く数曲は、初めて聞いた歌で、懐かしさも感じなかった。

 アイラが戸惑ったままのサヨコに失望したように軽い溜め息をついた。それで重い気配が少しほぐれた。今度は自分の知識のなさを謝るサヨコに、アイラはためらった後、低い声で話し出した。

「小さいころ…近所に『おばあちゃん』が住んでいた。彼女は日本人だったの。日本沈没もはっきり覚えていて、変動後の移民に成功したグループだった。わたしは、その『おばあちゃん』が大好きで……『おばあちゃん』と話をするために、日本のことを一杯学んだわ。でも、いくら知識で固めても、『おばあちゃん』はいつも、わたしの中に『日本』じゃないものを嗅ぎとって……最後には、とても寂しそうに言うの、『いい子ね、アイラ。でも、お前は日本人じゃない』…」

 アイラは傷ついたような、遠いぼんやりとした目で続けた。

「金髪も黒く染めて、日本人らしく振る舞っても見た……でも、『おばあちゃん』は騙せない……いつも最後に『日本人じゃないんだねえ』、そう言って寂しそうに笑う」

 アイラは唇を噛んで、一瞬ことばを切った。やがて、

「わたし、いつも、自分が日本人じゃないから『おばあちゃん』を悲しませていると思って、ひどく辛かった」

 サヨコは黙ってアイラの話の続きを待った。

 アイラはかすかな吐息をついた。

「『おばあちゃん』が死んだとき、わたし、怯えていたわ。もう最後なのに、やっぱり『おばあちゃん』は、わたしに向かって『日本人じゃない』って言うのかしらって。『おばあちゃん』はとても安らかに亡くなったの…最後にわたしを見て、『いい子ね、アイラ』って、それだけ」

 アイラは金髪をかきあげ、軽くその一房を握った。さっきサヨコがアイラの中に見た少女が見せた仕草、けれどそれよりうんと気怠げな疲れた動作だった。

「それで、終わりだった。わたし、その瞬間、ああよかった、って安心してる自分に気がついたの、大好きな『おばあちゃん』が死んだのに、悲しむより先に、ああ、よかった、って。もう『日本人じゃない』って言われないって」

 額に垂れてきた金髪の間から、サヨコを透かし見る。

「ひどい話よね?」

 うっすらと弱々しく笑った。

「アイラ…」

「金髪に戻って、もう無理に『日本人』にならなくていいって、反動かしらね、ことさら『日本』にかかわるものを避けて……でも、CDが遺品の中にあったからって渡されて……聴いていて気がついたの。わたし、『おばあちゃん』のために『日本人』になりたかったのだと思ってたのね。でも、それは違ったの。わたしは、わたしのために『日本人』でいたかったのよ」

 いつのまにか、アイラは膝を抱えて丸くなっていた。

「わたし、日本が好きだったの。沈んでしまった神秘の国が…国民から顧みられず捨てられた島が、とても好きだったのよ」

 小さくつぶやくように言ってから、アイラは付け加えた。

「だから、きっと、『日本人』じゃないっていわれるのがつらかったのね」


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