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「だから、珍しいことだと言ってるのさ」
フィスは、相手を刺激しないように、けれども最大限の驚きをこめた。
「君は間違わない。なのに、ここに送られてきた指示には、根本的なミスがある。一度、秘書を変えた方がいいかもしれないね」
『要点を言ってちょうだい』
カナンは口元を引き締めた。
(お楽しみもこれまでだな)
フィスは限界を知った。名残惜しく溜め息混じりに、書類を片手に答える。
「ステーションへの派遣だ。確かにサヨコ・J・ミツカワは優秀だよ。ただし、地上において、だ。彼女は『GN』だ。こちらも、まさか『GN』がステーション待機用のメンバーに入っているとは思わなかった。彼女は1度しか宇宙に出たことがない。その1度は、4歳の発作の時だ」
それをサヨコから聞かされるまで気づかなかったことは、フィスは話さなかった。
「これじゃあ、ステーションでの治療活動は無理だろう。『草』を使っても、さあ、うまくいくかどうか。なにせ『GN』だしね」
『草』は宇宙空間から発見された物質だ。適切に服用すれば、『宇宙不適応症候群』を抑え活動能力を上げる。この『草』の人工合成が成功した年の3月24日、人類は新たな時代に入ったことを宣言し、宇宙歴が採用された。
その時から50年。人類は宇宙へ飛び続けている。
記念の祭りはどうなっていたかな、と思考を遊ばせながら、フィスはカレンダーを眺めた。3
月13日。一週間少し、ある。
「…それも、この任務はどうやら難しいケースらしいじゃないか。ステーションは『CN』の居住地区だ。そんなところに、それも、日本人の『GN』を送り込むのは、逆効果じゃないか? 患者を治療するどころか、かえってサヨコが問題を起こしかねないよ。まさか、彼女に、もう1人、『CN』の心理療法士をつけるつもりだ、なんて言うんじゃないだろうね」
カナンは黙ったまま、フィスのことばを聞いていた。フィスがようやくことばを切ると、彼女はゆっくりと淡い色に塗られた唇を開いた。
『ご心配、ありがとう』
その声は今まで以上にひんやりとしたものだった。
『でも、サヨコ・J・ミツカワでいいのよ。「GN」でも「草」を使えば、宇宙空間でも問題は起こさないのを、あなたも「知っている」でしょう?』
フィスは自分がへまをしたと気づいた。
『サヨコがステーションに上がり次第、彼女の管理はこちらがします……それとも、あなたが心配しているのは、彼女のことではなくて、自分の意見が無視されることかしら』
カナンの唇の両端がつりあがった。目を細める、その奥で、緑の虹彩が炎を吐く。
フィスはぞくりと体をすくめた。
カナンは有能な人事管理者としてだけで有名なのではない。自分の領分を侵すものに関しては容赦がない。彼女に逆らって、人知れず社会の裏に蹴落とされたものは数多い。
そして、何よりも、カナンは『GN』なのだ。
フィスは了解した。
カナンには、何か考えがあって、サヨコをあえてステーションに送ろうとしている。そして、それは、フィスごときが関わる問題ではない、と言っているのだ。
『わかって頂けたかしら、フィス・G・オブライエン』
カナンは薄気味悪い表情を、一転、艶やかな微笑に変えた。
「……ああ、よく、わかった。じゃあ、サヨコ・J・ミツカワに改めて話そう。2日後にはそちらへ向かわせるよ」
カナンは悪戯っ子をなだめるように、優しく首を振った。
『明日、よ、フィス・G・オブライエン。指示は正確に守ってちょうだい。それから…』
カナンは笑みを崩さないまま続けた。
『私、わけもなく親しげに話されるのは嫌いなの。特に「CN」にはね。覚えていてもらえるかしら?』
フィスは唇をぐっと横へ引いた。怒鳴り出しそうになったのを、そこは彼の取り柄、感情のコントロールで切り抜ける。
「わかりました、カナン部長」
フィスの答えなど期待していないと言いたげに、画面はいきなりスカイブルーに戻った。 敗北感を胸に抱えてじっと座っていたフィスは、やがて低いうめき声をもらした。
「何さまだと思ってるんだ……進化しそこねた『GN』が……」