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なかったはず、そこから考えなくてはならない、と言いたかっただけ、なのにスライの中で何かがねじ曲がってしまった。
「でも、スライ」
「なまじ心理療法士の腕があるからなんて、信用したのが間違いだったな、しょせん『GN』は『GN』だ」
「スライ!」
たびたび遮られて、サヨコもむきになった。
「でも! 人間は万能じゃない。この間だって同じようなケースがあったんです。本来は『GN』だったのに、『CN』だと思い込んでいて、周囲からもそう思われていて、過剰な適応をしてしまっていた宇宙飛行士がいたんです! だから、ひょっとしたらモリも」
「俺が、あいつに、無理な、過剰な、適応をさせていた、って言うのか」
スライがこれ以上ないぐらいのきつい声で応じて、サヨコははっと口をつぐんだ。
(スライは、モリの死に責任を感じてるんだ)
遅まきながらそれに気づいて、うろたえて答える。
「あ…わ、わたし……何もそんな…」
「は! どこまでいっても結局同じだな。あんたもリッパな日本人だよ!」
嘲けるような口調でスライは言い放った。
クルドがぎょっとした顔になり、サヨコはことばを飲んだ。
「いつもいつも自分には責任がないと言い張るんだ。日本が沈んだ、じゃあ、世界は我々を助けるべきだと? 自分達は飢えている世界や病んでいる状況を横目に見て放っておいたくせにか? 暴動が起こった、それはその地方の住民が移民した日本人に差別的だったからだという。だが、自分達は他の国の人間を快く受け入れたことがあるのか? 自分が与えなかった善意なのに、欲しければ人に求めて当然だと思ってるんだろう」
「スライ、言い過ぎ…」
「黙ってろ、クルド、俺はこの日本人に言ってやりたいんだ」
間に入ろうとしたクルドを真っ向から拒んで、スライは立ち上がった。正視に耐えないほどの、怒りに揺らめく緑の目で、サヨコを見下ろす。
「とても、単純な、ことだ。あんたは、俺に、助けてもらった礼も、言ってないぜ。優しくされるのが当然だと思ってるんだろ。そういう奴が俺を裁けるなんて思うなよ」
罵倒されるままにスライのことばを聞きながら、次第に、サヨコは、今まで感じたことのない怒りがこみあがってくるのを感じた。
(優しくされるのが当然だと思ってる? わたしがスライを裁こうとしてる?)
サヨコが正義の使者を気取って、悠々と地球からここに乗り込んできたように、スライは思っているのだろうか。
(誰が、好きこのんで、こんなところに)
確かにサヨコは宇宙に来たかった。父母と行けたはずの宇宙。手に入らないと思い知らされて、それでもあきらめきれなかった夢の中へ。
でも、そこにはサヨコの死も隣り合わせに存在している。一歩間違えば、サヨコはこの暗い空間でぼろきれのように崩れて死んでいくしかない。
そんな宇宙に、再び起こるかもしれない発作の恐怖と戦いながら上がってきた。そして、そこで、自分はどうしてもここでは生きられない、そう思い知らされた。夢は砕かれ、見る影もなく萎れてしまった。残っているのは死への恐怖だけだ。
だが、その恐怖から逃げ帰れば、今度はサヨコは地球でも生きられなくなってしまうかもしれない。カナンに心理療法士の仕事を取り上げられて、再び実験と研究の対象として一生を連邦の檻の中で朽ち果てるしかなくなるのだ。
サヨコの生きられる道はとても細くて切れそうで、それでも必死に手繰り続けて、ここまでやっと生き延びてきた。
(それを、優しくされるのが当然だと思ってる、と?)
あの4歳のとき、すべてをなくして1から始めなくてはならなかったサヨコの側には、それでもまだ、シゲウラ博士が居てくれた。
だが、今のサヨコには、もう誰もいない。
焦がれて焦がれて、なお焦がれても手に入らない夢を思い知らされに宇宙へ上がったのではなかったのに。
サヨコにはこれしか選べなかったからなのに。
「あなたには…わからない」
サヨコも立ち上がった。スライの燃える目を正面から見据える。にじみそうになる視界をこらえて、きっぱりと言い放った。
「わたしが、何を望んでいたか。モリが何を望んでいたか。きっと、あなたには、永久にわからない!」
「サヨコ!」
サヨコはまっすぐに進んでスライの横を一瞥もせずに通り過ぎ、ドアから出て行こうとした。慌てたクルドが、アクリルケースを持って追ってきてくれる。
「ありがとう…クルド」
うなずいたクルドに礼を言って、サヨコはスライを振り返った。
サヨコの見幕にさすがに飲まれたのか、スライはこちらに背中を向けたまま動かない。
「助けていただいてありがとう、スライ船長。以後はご迷惑をおかけしないように致します。失礼します」
堅苦しいことばに、スライがようやく反応した。
「もう1つ、確かめたい」
どこか掠れた声が頑なにそびやかせた肩の向こうから響いてくる。
「何でしょうか、スライ船長」
「君には叔父がいるそうだが」
サヨコはすぐにタカダを思い出した。
あのとき、アイラが側に居たから、彼女からでも話を聞いたのだろう。
「それが、何か」
できるだけそっけなく答える。そんな程度で相手が堪えるとは思わなかったが、ささやかな抵抗といったところだ。
背中を向けたままで、スライは重ねて尋ねた。
「調書には書かれていなかったが?」
(カナンは内密に、と言っていた)
スライに連邦警察の同行が知らされていなかったのも、何か意図があってのことだろう。スライのこうした、日本人や『GN』に対する深い偏見や蔑視を考慮してのことかもしれない。
(それに)
今までサヨコはファルプしか注目していなかったが、もし、彼女を狙ったとすれば、スライである可能性もあるのだ。タカダが連邦警察だと知れば、スライは動きを止めてしまうかもしれない。このさい、タカダはサヨコの叔父として押し通した方がいいだろう。もし、万が一、地球に問い直されることがあったとしても、そこはカナンがきちんとつじつまを合わせるに違いない。
「…とても遠い叔父なんです。他にご用件がなければ、これで失礼します、スライ船長」
サヨコは答えて、スライを見ることもなく、部屋を出て行った。




