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(わたしがへまをした、と怒っているのかしら)
サヨコは緊張した。唇を引き締めて、スライを見返す。と、スライはなぜか、不安そうに瞳を揺らせて目を伏せ、静かに続けた。
「ファルプを疑った俺は、別の乗客から、ファルプが医務室で昏睡状態になっていると知らされた。君が出た直後にコーヒーの残りを飲んで眠り込んだらしい。だから、換気を止めたのはファルプではない、ということになる。コーヒーはいつものように食堂からファルプが自分で持ち込んだものだが、サヨコが飲むまでには10分は放置していたし、その間はうろうろしていたので、薬を入れることは誰にでもできたとファルプは言っている」
「別の乗客?」
サヨコの問いに、スライは目を上げた。
「君も知っているだろう、アイラだ。君が医務室につめっきりだが、一般乗客に患者を任せなくてはならないほど、ステーションの医師は無能なのかと文句をつけに行った、らしい。一応彼女も医療技術免許を持っていてね、今は臨時にファルプの代行をしてもらっているよ。宇宙旅行が台なしだとずいぶん怒っているが……ファルプの診察も彼女がしている。ファルプの飲んだ量の方が多くて、もう少しで命取りだったそうだ」
クルドが顔をしかめた。
「じゃあ、やっぱり、ファルプは違うんじゃないか?」
首を傾げながら続ける。
「サヨコに薬を飲ませるにしても、もっとうまいタイミングも方法もあっただろう。あからさまに、自分が疑われるようなことはしないんじゃないか」
(そうよね)
クルドの意見にはサヨコも同感だった。
襲われたサヨコからすれば、まずファルプを疑う。そんな危うい位置に自分を置くような犯罪者がいるとは思えない。
(でも、他に、誰が、と言われると)
サヨコはやはり、モリへと気持ちが戻っていくのを感じた。
「わたし、すべてのことは、モリにあるような気がします」
びくりとスライが体を固くするのがわかった。
サヨコはことばを選びながら、けれども自分の直感を丁寧に追いかけながら言った。
「うまく言えないけど……モリの死は、どこか変です。世の中のすべてがつじつまの合う理由を持っているとは言えないけど……人間の行動には、たいてい理由があります。本人が意識していない理由のときもあります。けれども、じっくりその人を見ると、ああ、なるほど、と思える理由があります」
スライが表情を強ばらせた。それが何のせいかよくわからなくて、サヨコは少しことばを切って、スライを見つめた。サヨコの視線を浴びて、スライは一層頑なな顔になった、ばかりか、瞳が暗い苛立たしさをたたえ始めたようにさえ見えた。
(不安……? それとも怒り……?)
だが、今自分が言ったことばの中に、スライの気持ちを逆撫でするようなものがあったとは思えない。スライの気持ちを掴もうとしたが、相手はすいと目を逸らせてしまった。整った横顔がサヨコの問いかけ全てを拒むように表情をなくしている。
促すようなクルドの視線に、サヨコは仕方なくことばを続けた。
「だから……もし、ある人の行動が突飛なものに思えるとすれば、それは、わたし達が、その人間について知らないからだということも多いんです」
「俺達がモリのことをわかっていなかった、というのか」
ふいにスライが強い口調で言い返した。
「俺達は、あんたよりずっと長く、モリと暮らしていたんだぞ」
「でも」
サヨコの脳裏に、幼いころからずっと一緒だった学者達の顔が過った。
彼らは確かにサヨコが何者であるか、理解しようとし、説き明かそうとした。そのためにサヨコの許容範囲を越えるほどの実験と検査と対話を試みた。だが、彼らがサヨコをわかっていたとは言えないだろう。
(あの人達は結局、わたしが何を考え何をどう感じているか、何もわかってくれなかった)
「長く一緒に居ることが、必ずしも理解を深めることにつながるわけではありません」
サヨコは思わず反論して、その自分のことばに改めて考え込んだ。
(そう、わたしはきっと、エリカのこともわかってはいない)
「大切なのは、どこまで見るかです。どこまでわかろうとするか……そして、どこまで関わろうとするか…」
(わたしはエリカの差別を言う前に、エリカのことをわかろうとしたかしら……エリカにわたしの気持ちを伝えようとしたかしら)
いつもエリカの無意識に見える差別意識に引っ掛かって、どこかでそれに甘んじて、どこかでエリカを失いそうな恐怖におびえて、そうして、自分の本当の気持ちを一度もエリカに伝えなかったような気がする。
(あのとき、『GN』に『CN』の治療ができるの、と聞かれたとき、わたしは、そういう言い方は、わたしが無能だと言われているように感じてつらい、と言えばよかったのね、きっと)
エリカに『被害妄想』だと言われようが、サヨコはそう感じている、そこから話を始めなくてはいけなかったのだ、もし、エリカと本当に友達でいたいのならば。
(モリ)
サヨコは改めてモリのことを考えた。
日系人で、あまり有能でない整備士。地上で働くことも良しとし、宇宙に拘らなかったモリ。
彼はなぜ宇宙に上がったのだろう。彼の血筋も能力も、ここでは高くは評価されなかったのに、なぜ、ここに居たのだろう。なぜ、もっと早く地上に降りなかったのだろう。何か、モリがここにいる必然性といったものがあったのだろうか。
(そう、きっとあったんだ)
それはいったい何だろう。
しかし、それはある日突然破られる。モリはここに居る必要性がなくなってしまう。生きていることさえ必要でなくなる。なぜ?
(なぜだろう。なぜ、突然、モリはここに居ることをやめたんだろう)
「だから、モリが『GN』ではなかったのか、とでも言うのか」
凍りつくほど冷たいスライの声が響いて、サヨコは我に返った。慌てて顔を上げて相手を見ると、初めて会ったときのような、いやより一層冷徹な目の色で、スライはサヨコを凝視している。
「つまり」
スライは目を細めた。表情のなくなった端整な顔がぞっとするほど冷たかった。
「あんたはこう言いたいわけだ。モリは実は『GN』だった。そのモリに、俺が非人間的な対応をしていた。心理的圧迫感に耐えかねて、モリは自殺したんだ、と」
きり、とスライは唇を噛んだ。一瞬、泣き出しそうに幼い表情が顔を掠めたと見えたが、すぐにそれは消え去った。
「あんたにしたように、モリも俺が追い詰めたんだ、と」
「わたし……そんなつもりは」
サヨコは驚いた。
(スライはわたしのことを気にしている?)
だが、スライは聞いていない。
「ああ、ああ、好きなようにカナンに報告するがいいさ」
ぶっきらぼうに突き放した口調でスライはサヨコから目を逸らせて手を振った。そして、すぐにぎらぎら光る目でサヨコを見据えた。
「だがな、これだけは言っておいてやる。モリもそうだが、ここの乗務員はすべてカナン・D・ウラブロフのチェックを受けている。『GN』を間違えて宇宙に上げるような『へま』をするカナンとは思えないな」
サヨコはモリが『GN』であるとは言っていない。ただ、モリの全てをわかっていた人間なんてモリ以外にはい




