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翌日も、サヨコはカージュの治療に時間を取られた。順調な回復ではあるものの、宇宙での治療がどのような差異をもたらすかという経験も知識も十分ではない。それが心配で、彼女の話し相手として結局ベッドの側で1日を過ごした。
ステーションの夜の時間帯になってから、眠りについたカージュの側を離れようとしたサヨコに、ファルプが話しかけてきた。
「疲れているのはわかるんだが、スライのところへ行ってくれないか? カージュはほとんど回復したし、このままじゃ、もう一度、スライがあんたを地球へ帰すと言い出しかねないからな。その前に、モリのケースを少しでも考えてみてくれ。あんたなら、何か手掛かりを掴むかもしれん」
どこかからかうようにも聞こえたが、悪気はなさそうだった。
(モリのケース)
概略についてはファルプから聞いていたが、彼女の手に負えるものなのかどうか、それだけでは判断しかねた。もう2、3確かめたいこともある。それに、カージュと話していて、少々引っ掛かったこともあった。
(スライに確かめなくては)
「わかりました……スライ…はどこに?」
「この時間なら、中央ホールだろう」
きょとんとしたサヨコに、ファルプは青い目を微笑ませた。
「あそこが彼のお気に入りでね。眠る前の安定剤といったところかな、よく『泳ぎ』に行っているよ。ああ、サヨコ」
出て行きかけたサヨコを、ふと気がついたようにファルプが引き止めた。デスクの上にのせてあったコーヒーのコップを差し出す。
「しゃっきりするよ、飲んでいきなさい」
「ありがとう、ファルプ」
サヨコは数口飲んだ。スライに会うという緊張感からだろうか、それ以上は飲めなくて、ファルプにコップを返す。
「ごちそうさま……これ…どうしましょう」
「ああ、それじゃ、私がもらおう」
ファルプはサヨコがたじろぐ間もなく、残りを一気に口に流し込んだ。呆気に取られているサヨコに片目をつぶって見せる。
「あんたは検疫済み、だからね」
はは、と声を上げて笑ったファルプに、サヨコも笑い返して部屋を出た。
中央ホールへ、教えられた通りにエレベーターを乗り継いで行きながら、サヨコは久しぶりの充実感を噛みしめていた。
地球でもそうだった。
患者と接しているときのみ、サヨコは本当の自分に戻れるような気がする。
自分を取り巻く複雑な状況も、もがけばもがくほど締めつけてくるような運命も、患者の人生の中に溶けこんで浄化されていくような気がする。
サヨコを心理療法士として評価するものは、彼女が患者を救っていると考えるかもしれない。だが、本当は、患者こそがサヨコを救い、本来の彼女自身、『GN』や日本人という枠組み以外の存在に戻してくれているのだ。
だからこそ、サヨコは心理療法士の仕事が辞められない。辞めたくない。
サヨコはベッドで眠るカージュのことを考え、死んでしまったモリのことを考えた。
どんな形にせよ、サヨコはモリの死を調査するために派遣された。それに手もつけられないまま地球に戻ったなら、サヨコは地球での心理療法士としての仕事まで奪われてしまうのではないだろうか。
宇宙で暮らすことが叶わなくても、せめて心理療法士は続けたかった。
どこかで、サヨコの手を待つ、カージュのような患者がいるかもしれない。そういう患者に少しでも役立つことができたなら生きて行く意味もあるだろうという気がした。
サヨコは顔を上げた。
いつも冷ややかにサヨコを見つめる、スライの暗い瞳を思い出した。
その目はサヨコを責めている。サヨコの受け継いでいる日本人の『血』を、『GN』としての存在を、強く激しく拒んでいる。
確かに無理もないことなのだろう。幼いころに自分の居場所を強制的に奪われた苦痛と絶望を、サヨコも知っている。やっと得た唯一の世界を壊されたくない、失いたくない、その思いもよくわかる。
(でも、わたしにも、これしかないんだもの)
一生に1度、どんな人でも勇気を出せるものなら、今この時にこそ出さなくては。
サヨコは唇を引き締め、力を込めて歩き続けた。
スライに、後5日、ここに滞在できるように頼んでみるつもりだった。




