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スライの冷ややかな態度が、サヨコの何を責めていたのかがようやくわかった気がした。
あの目は、サヨコが『GN』だからというだけではない、家族を奪った日本人という血を受け継いでいる、と責めていたのだ。
(でも、わたし、じゃないのに……わたしに流れている血をわたしが選んだわけじゃないのに)
サヨコが衝撃を受け止め視線を戻すのを待っていたように、クルドは穏やかに言った。
「あんたのせいじゃないのはわかっている。けれども、理由なく人を憎む奴じゃないんだ」
(でも……わたしだって……)
サヨコもまた、身内はいない。1人で……たった1人でこの世界にいる。誰にも守られず、誰にも庇われず、そしてまた、来たくなかったこの宇宙で、スライの激情に晒されている。
けれど、全てを奪った影を背負ったものが否応なく自分の領域に入り込んでくる、その苦痛もまたサヨコにはわかる。
(でも……でも……)
納得しかねているサヨコの気持ちを十分に読んだように、クルドは続けた。
「座ってもいいかね?」
「あ、はい、どうぞ」
サヨコはソファベッドの端に座った。隣にクルドはどっしりと腰を下ろし、やや広げた両方の膝に肘をついた。その姿勢で指を組み、前方どこか遠くを見ながら、
「見てのとおり、俺は黒人、と呼ばれた人種の血を受け継いでいる。人類は宇宙へ出るようにはなったが、今でも、肌の色をとやかく言う人間はいる。長い間の偏見や差別、もちろん俺自身に加えられたものもある、それを忘れるわけじゃない。だが……それだけでは、何も進まない」
深く重い声音だった。
「たとえ、世界中の人間が、俺と同じ肌の色になっても、たとえ、俺と、俺を差別する奴の立場が入れ替わっても、何も…解決したことにはならないんだ。人間が、人間を見ずに、相手の姿や環境や文化を口にする限り……俺はそう思っている」
クルドは少しことばを切って、ちらり、とサヨコを見た。
「今ここにこうやって隣同士に座っていても、俺とあんたはお互いに独りぼっちだ」
柔らかな視線がそっとサヨコの視線を受け止めた。
「俺が『CN』で、あんたが『GN』で居続けるなら。俺がクルドで、あんたがサヨコでないかぎりは」
悲しそうに笑った。
「だから、俺はクルドでいたいし、あんたにはサヨコでいてほしい。同じようにスライにもスライでいさせてやってほしいんだ……難しいか?」
サヨコは少し考えた。フィスやカナンやルシアのことを、そして、自分が宙港でタカダが一緒だと安心したことを考えた。
(タカダがどんな人かわからないのに、連邦警察だ、『GN』だと、わたしは安心した)
そして、それとは逆に、このステーションにいるのは『CN』ばかりだと、緊張し不安になり身構えてやってきたのだ、まだ誰とも会わないうちから。
もう1度クルドの目を見つめ返す。
温かな目だった。『草』を落としたサヨコの行動を疑いもせずに、慌てて拾い集めてくれたことが蘇ってくる。その目にふわりと包まれて、何だかステーションへ来て初めて呼吸ができたような気がした。
「そう…難しいわ……とても」
クルドは少し驚いたように眉を上げた。ほぐれたような笑顔になる。
「あんたは、だてにカナンに選ばれてきたわけじゃないんだな。ちょっと人権問題に首を突っ込んでる奴なら、このあたりで、もっともらしく頷いているよ。だが、結局わかってやしないのはすぐばれる。自分の身内が差別されている奴と一緒にいようものなら、大騒ぎするからな。そういう奴の方が、表立って差別するような奴よりたちが悪い……自分は絶対差別なんてしないと思い込んで差別している」
サヨコはエリカとルシアのことを改めて思い出した。
エリカがサヨコを『GN』だとして差別している、とは思わなかった。エリカ自身もそう思っていないだろう。だが、エリカのせいで、ときおり気まずい思いをすることがあるのは事実だ。出発前、エリカが人が一杯のカフェテリアで、『GN』に『CN』の治療ができるのか、と尋ねたときのように。
もし、サヨコがエリカに好意を持ち、恋人として付き合ってくれと言ったとしたら、果たしてエリカは、自分の気持ちをそのまま伝えてくれただろうか。『GN』だからとか、『CN』だからとかなんて考えないでサヨコが好きか嫌いかということだけで考えてくれただろうか。
「スライは俺をここへ寄越した。あんたのことをスライなりに心配したのだと、俺は思っている」
(スライが?)
サヨコはきょとんとした。クルドはサヨコの戸惑いに気づかなかったようだった。
「差別をする側もされる側も、お互いをよく知らないし、知ろうとしない。それでは何も始まらない…俺はそう思っている。スライが日本人を嫌っていることだけではなく、日本人を嫌う理由についても、あんたに知ってほしかったんだ」
丁寧に言い終えて、サヨコを見る。
サヨコはその目に宿る真剣な光にうなずいた。
「スライが…好きなのね」
クルドは一瞬不思議そうな顔になった。思いもかけないことばを聞いた、という顔だ。やがて、気恥ずかしそうな微笑を浮かべて、
「そう、だな。俺はスライが気に入っている……ここで働けて幸せだと思っている。だから、あんたが気になるんだ……あんたがここで、スライのせいで傷つくのが……ああ、そうだ、きっと」
長い間迷っていた場所から、ふいに開けたところへ来て、おまけに地図でも見つけたような、晴れ晴れとした声でクルドは呟いた。
「そうだ、あんたが俺に見えるんだ……受け継いだだけの『血』とやらのせいで、わけもわからず振り回されていたときの俺に……ふうん」
クルドはうなった。ゆっくりと確かめるようにことばを継ぐ。
「俺は……自分がこんなことを考えてるなんて思いもつかなかったよ、サヨコ。あんたは不思議な人間だな」
クルドはサヨコに手を差し出した。
「いや、たいした人間、というべきかな」
「クルド」
誘われるように出したサヨコの手を、しっかりと握り締める。
クルドの手は温かく大きかった。
「これから1週間がなんだか楽しみになってきたよ。ときどき、こうして話しに来てもいいかな」
「あの、でも、実は…」
サヨコが、スライには先程地球へ帰れと命じられたのだ、と言いかけたのを、いきなり響いた声が遮った。
『クルド! 手伝ってくれ! 客の1人が「宇宙不適応症候群」を起こした!』
客室係のトグの声だ。乗務員用の回線がこの部屋にも通じているらしい。顔色を変えて立ち上がったクルドが、無意識にか、サヨコを振り返った。ためらったのは一瞬、サヨコはすぐに答えて立ち上がっていた。
「行きます! 案内してください!」
「こっちだ!」
走り出すクルドに続いて、サヨコは部屋から駆け出した。




