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サヨコは、父母の顔をはっきり覚えていない。発作のショックからかもしれない、と言われたことがある。シゲウラ博士が1度写真で父母の姿を教えてくれたことがある。だが、それは、どこかよそよそしく、他人のようで血のつながりは感じられなかった。
博士にそう話すと、「そうかもしれない。これは、君が生まれる前……ご両親の結婚直後の写真だからね」と応じてくれた。柔らかな声に混じった憐れみの響きを、サヨコは今も忘れられない。
月基地『神有月』は、移民基地としてはまだまだ未熟で、サヨコの父母も日々を夢中で働いているのだろうか、彼女に直接連絡をよこしたことはなかった。
(でも、本当は、おとうさんもおかあさんも、わたしが『GN』だから、自分達の子どもだと考えていないのかもしれない)
それなら、まだいい。
(自分達の子どもでも『GN』ならば切り捨てる、そういうことでないほうが)
微かな呟きが感情を伴って溢れ出す前に封じ込める。
「……でだ?」
「え…はい?」
自分の考えに入り込んでいたサヨコは、唐突に聞こえた声に顔を上げた。ぶつかりそうな近さで立ち止まっているスライがいて、思わず身を引く。こちらを見ていたスライが不愉快そうに眉をしかめた。
「人の話を聞いていないのか?」
「あ…すみません……考え事をしてて…」
サヨコの答えに、スライはますます険のある目つきになった。
「ここでは止めるんだな。慣れていない『GN』には、宇宙は命取りになる」
「はい…」
サヨコは起こした発作をからかわれたと感じて、頬が熱くなった。必死にスライの問いかけに意識を戻す。
「あの……何をお尋ねだったんですか?」
「改まったことばを使わないでいい。俺はあんたの上司じゃないし、どちらかというと、あんたの査定を受ける側の人間だからな」
スライの緑の目が陰険な皮肉をひらめかせた。が、すぐに、気を取り直したように、
「いや、何でもないことだ。なぜ、立体写真を嫌うのか、と思って尋ねたんだが」
「ああ…」
サヨコはかすかに微笑んだ。
(聞かれると思ってた)
少しためらって、ことばを選んで答える。
「自分を晒しているみたいで……嫌なんです」
「写真はそういうものだろう」
こともなげにスライが応じる。
「ええ……でも…」
サヨコの脳裏に、4歳の学会報告にあたって何度も様々なポーズで撮られた立体写真のことがよみがえる。
15歳を過ぎて、症例の1つとして自分の報告書を調べたとき、添えられていた立体写真が、惨いほど彼女の無防備さや恐怖、絶望といったものを捉えているのに、サヨコは大きなショックを受けた。
実際に、周囲の人間が彼女に対して行ったのは、無力な子どもの心を踏みにじるようなことばかりだった。シゲウラ博士がいなければ、サヨコはとっくの昔に自己崩壊していただろう。
立体写真はその危うさを見事に掴み取っていた。それ以来、サヨコは立体写真に撮られたくない。撮られることがそのまま、過去の中に幽閉されるような気持ちを引き起こす。
それをどのように話せばいいだろうか。
黙り込んだサヨコに、スライは唇を軽く歪めた。
「でも、で終わりか」
サヨコははっとして目を上げた。
スライが冷ややかに続ける。
「日本人って奴はいつもそうだな。きちんとした主張をしないくせに、自分の思うとおりになって欲しいという願望は人一倍強いんだ」
苦々しい吐き捨てるような口調だ。
「隠すつもりはないね。俺は、日本人は嫌いだ」
独り合点にいらだちはしたものの、スライの中の激しい感情に魅かれて、サヨコはスライを見つめた。
暗い色の瞳には確かに敵意が満ちている。けれども、悪意は感じられない。
(この人の敵意には理由があるんだ)
それはサヨコにはわからない。けれど、その敵意に対する応じ方は経験から知っていた。
サヨコはそっと微笑んだ。スライの心の奥底、サヨコに悪意を感じていない部分に向かって。
「そうでしょうね」
それから、自分の内側へ意識を向ける。スライが指摘したものが、自分の中にどのような形で沈んでいるのか確認して、ことばを続ける。
「きっと、何度も、願いが叶わないことばかり経験してきたから……自分の願いをはっきり言ったことで叶わなかったときのことを、つい考えてしまうんでしょう。そう…どこかで……ひょっとすると、話さなければ、願いが叶ったかもしれないって、そう思って、ことばが止まるのかもしれない」
スライが戸惑った顔になった。サヨコの顔をじっと見つめているのに、今の今まで気づかなかったように、ふいに瞬きをしてうろたえたようにことばを返した。
「変わってる、な」
緑の目が一瞬明るく不思議そうにサヨコの顔を掠めた。それに気づいて視線を合わせようとした矢先、飛び退るように目線が泳いで、スライは唐突に話題を変えた。
「ああ、ところで……あんたには身内は居なかったはずだが…地球には」




