5
「はい……あ、わたし、サヨコ・J・ミツカワ、と言います」
「サヨコ・J・ミツカワ……ふうん、完全に日本名前ね。いいわね」
アイラはますます目を細め、そうするとますます人間の大きさを持つ猫のように見えた。そのままするりと流れるように、サヨコの隣に腰を下ろす。
「わたし、日本に憧れてるの。神秘的な文化をもっていたのに、ほとんど何も残さずに海に沈んでしまった、なんてね。大学で日本文化を専攻してるのよ。あなた、茶道ってできる?」
親しげに話を始めるアイラに、サヨコは警戒を解いた。
「いいえ…ごめんなさい」
微笑んで謝ると、アイラがくすりと笑った。
「ほら、そこ」
「え?」
「あなたって、ほんと、『純』日本人みたいね」
「どうして?」
サヨコが尋ねると、アイラは不思議な微笑を浮かべた。哀れむような、それでいてどこか軽蔑するような。それがどこから来ているのか、瞳の中からサヨコが読み取ろうとする前に、彼女は微笑を消した。
「なぜ、謝るの?」
「え…」
「日本が沈没してから1世紀以上たったわ。日本列島を見たことがない世代も増えてるし、世界地図には昔から『太平洋スペースポート』があったと思っている子もいる。日本の技術や芸術を身につけていないからと言って、あなたに全面的な責任があるわけじゃない。あのころの日本は自国文化を保持するための努力も、それを伝えていける人々の保護もしていなかったから」
優しい諦めを漂わせてアイラは溜め息をついた。サヨコをじっと見つめ、悪戯っぽく、
「それとも、あなたは、自分が日本の文化を伝えられなかったことに、何か責任を感じているの?」
「そんな…」
サヨコはアイラのはきはきとした口調に押されて黙り込んだ。
(そう言われると、なぜ謝ったのかしら)
アイラの期待に添えなかったことにたいして謝ったつもりなのだが、それでも、なぜ、アイラの期待に添わなくてはならないと思ったのかは考えもしていなかった。
サヨコが考え込んだのに、アイラは口調を和らげた。
「それにね、どうして笑うの? あたしに謝ったのは、あたしに対して、何か『謝らなくちゃいけないようなことをした』という意味だと思うんだけど、そういう相手に対して、どうして笑いかけようとするのかしら」
(アイラの言う通りだわ)
サヨコは改めて考えた。
おそらくは、『謝らなくてはならない』相手に対して、それ以上の反感を買わないための防御策としての微笑、ということなのだろうが、さっきのサヨコはそういうことを『考えて』笑ったわけではない。
アイラが言うように、サヨコの世代では、もはや日本人としての感覚はない。幾つかの特殊な家柄をのぞいて、能や歌舞伎、書道や茶道や華道、数々の工芸品を先人達の遺産として受け継いでいるわけでもない。かろうじて、遺伝子の配列や家系の言い伝えが、日本という国があったことを思い出させるに過ぎない。
だが、アイラのように、日本人よりもはっきりと、日本を覚え、確認する人々は多い。それは、どちらかというと、もっと昔の失われた大陸の伝承を追う人々に似て、その人達の存在だけが日本を人の意識に留めているとさえ言える。
なのに、アイラは、サヨコ自身さえ定かではない日本の記憶を、サヨコの無意識的なふるまいの中に見る、と言う。
(それは、一体、何なんだろう)
「説明できないでしょう?」
アイラはにこりと笑った。
「きっと、それが、『血』なのよね」
(『血』…日本人の『血』?)
サヨコの体の遠い奥底で、何かがちりん、と小さな音を響かせた気がした。
「でも、あなた、それだけ『純』に近いとステーションじゃ大変よ」
アイラはするりと話題を変えた。
「何せ、『新・紅』のスライは、日本人嫌いで有名だし…ついこの間、そのせいかどうかは知らないけど、日系人が自殺したんですって」
「自殺?」
サヨコは目を見開いた。
アイラが頷く。
「まあ、あたしも詳しくは知らないけど。そのために、責任者のスライの進退問題にまでなっている、って聞いたわ」
「そう……」
サヨコはカナンの緑の目を思い出した。
(ひょっとして、難しいケース、っていうのは、その日系人のことだったのかしら。だから、わざわざわたしを『GN』にも関わらず選んだのかもしれない)
だが、もしそうならば、ケースが自殺してしまったことで、サヨコの必要性はなくなるはずだ。なのに、接触してきたタカダからも計画の変更は知らされなかった。
ということは、他にも問題を起こしそうな日系人がいる、ということだろうか。そして、サヨコの役目は、第2、第3の日系人の自殺を防ぐということなのだろうか。
もしかすると、タカダが急にサヨコに接触してきたことは、その日系人の自殺にも関係があるのかもしれない。
(自殺じゃなくて、そう、たとえば、事故、とか)
そう考えれば、連邦警察が内密に乗り出し、しかも、派遣されるサヨコにも秘密裏に接触してくるわけもわかる…。
そこまで考えたサヨコは、連邦警察が同行することの、もっと大きな理由に思い当たって体を強ばらせた。
もし。
日系人が。
殺されたのだとしたら。
「サヨコ? どうしたの? 顔色が悪いわ。何か、あったかいものでも持ってきましょうか」
アイラが声をかけてきた。
乾いた喉に必死に唾を飲み込んで、サヨコはアイラを見上げた。
「……ありがとう……お願いしてもいい…?」
「わかったわ。待っててね」
慌て気味に走って行くアイラの後ろ姿を見ながら、サヨコは小さく震えてくる体を抱き締めていた。




