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翌朝早く、サヨコは部屋を出た。
どちらかというと殺風景な、お仕着せに連邦から与えられている寮の一室なのに、今日そこを離れるのが寂しかった。
ドアの下、夜遅くに挟み込まれたらしいエリカからのメッセージ・カードが入っていた。水色のカードに鮮やかな紅の文字で、『幸運に乾杯。おみやげは美女の連絡先でけっこうよ』とおどけた内容が躍っていた。
(だから、ルシアが心配するのね)
サヨコは溜め息をつきながら、それでも、エリカのさりげない励ましが嬉しかった。
『草』と着替え、化粧品を少し、個人的なノートをいれた鞄を片手に下げ、宙港へ向かって歩きだす。
空は青々と晴れている。風はやはり花の薫りを漂わせて、美しい季節を教えている。これから1週間、サヨコは美しい地球の自然を離れて、人間の造った『空飛ぶ駅』で過ごさなくてはならない。
シャトルバスに乗ると、宙港はすぐだった。搭乗手続きをして、234便を確認すると予定より少し遅れているとの表示が出た。溜め息をついて待合室のソファに腰を下ろし、サヨコは見るともなく周囲を見渡した。
昔に比べると、客層がずいぶん変わったと言われている。
サヨコが4歳のときに、既に新婚旅行をはじめとする一般人の宇宙旅行は当たり前になりつつあった。だが、今のように、明らかに高齢と見られる夫婦や少年少女だけの団体、旅行会社のツアーのような一群、などはなかった。
それだけ、連邦の『草』の増産が成功し、多くの人に『草』の恩恵が行き渡っているのだろう。『草』は『宇宙不適応症候群』にだけでなく、宇宙に対する適応力や、宇宙線やGに対る耐性も高めてくれる。一生に1度のこととして、お金をためて旅行期間中だけの『草』を得るものもあるだろうし、連邦も1カ月以内の『草』の投与に対しては規制を緩めているとも聞く。1週間前後の『草』の使用による宇宙体験は、学校や各種団体の教育の一環としてむしろ積極的に進められているところさえあるらしい。
にぎやかにパンフレットを見ながら笑い合う恋人達から、なんとなく目を逸らせたサヨコは、その騒がしい宙港の片隅を通って行く男に気がついた。
きらびやかなほどの銀色の髪、鋭い黒い目。上背のある体にぴったりしたスーツ。どこかのエリート官僚といった雰囲気をまき散らしているのは、確かカナンのところで見かけた男だ。
(そう、タカダ、とか呼ばれてた)
タカダはサヨコに見られているとは気づいていない様子だった。フライトを確認し、軽く眉をしかめてこちらに向かって歩いてくる。手にしている黒い革鞄はコンパクトでよく使い慣れた物のように見える。
タカダがようやくサヨコの視線に気づいた。訝しげな表情になる相手に、無遠慮にじろじろ見ていたと感じて、サヨコは慌てて目を逸らそうとした。そのとたん、タカダははっきりした声で、サヨコに呼びかけてきた。
「やあ、サヨコちゃん」
思わず顔を振り向けたほど親しげな声だった。呆気に取られているサヨコに近づいてきたタカダは、にこにこしながら彼女の隣に腰を下ろした。
「やれやれ、少し遅れるみたいだな。久しぶりの宇宙旅行だって言うのに、ほんと、ついてない。『草』はきちんと飲んできた?」
まるで、古くからの知り合いのように話しかけてくるタカダに、サヨコは困惑した。
「あの…」
おずおずと、人違いではないか、と確かめようとすると、タカダが大仰な身振りでサヨコの肩を抱きかかえるようにして引き寄せ、すばやく彼女の耳元で囁いた。
「連邦警察、ソーン・K・タカダです」
「は…」
「え、大丈夫だよ、宇宙ステーションまで一緒だからね。まったく、君のお父さん達にも困ったもんだ。いくら大きくなったとは言え、サヨコちゃんにとって、初めての宇宙旅行が不安なことぐらいわかるだろうにね。仕事があるから、ずっと一緒にはいられないけど、心配なことが起こったら、すぐに叔父さんに言うんだよ」
タカダは軽く目配せした。
サヨコはうろたえて応えた。
「あ……ああ、はい、叔父さん。ご心配かけてごめんなさい」
「いいよいいよ、サヨコちゃんのおむつも替えたことがあるからね…おっと、ちょっと待ってて、会社に連絡をいれてくる」
タカダはユーモアたっぷりに肩をすくめて笑って見せ、思い出したように鞄を手にして立ち上がった。
「じゃ。また、ステーションで」
「あ、はい」
サヨコはかろうじて微笑を浮かべて、タカダに応じた。
カナンが後から連絡する、と言っていた連邦警察というのは、あの男のことだったのだ。きっと事前に連絡が取れなくなって、それで、サヨコの叔父という非常手段で接触してきたのだろう。
(それならそれで、もう少しスムーズにしてほしかった)
遠ざかるタカダを見ながら、サヨコは口の中でぼやいた。あまりにも急なことだったので、ずいぶんおかしな対応をしてしまった。それに、カナンの話では、知らない振りをするということだったが、向こうから接触してきた。これも計画が変更になったのだろう。
どうやら本当に連絡を取りにいったらしいタカダは、すぐに待合室から姿を消した。
(少なくとも、1人じゃない)
サヨコは少し安心した。
あの匂いからすると、タカダも『草』を常用しているらしいし、『GN』なのだろう。1週間の間、『CN』とだけ話すより、1人でも『GN』が居てくれると気が楽になる。
ぽん。
ぼんやり、タカダの歩み去った方を見ていたサヨコは、ふいに肩を叩かれてぎょっとした。慌てて振り返ると、今度は、サヨコよりやや年上らしい女性が後ろに立っている。
濃い金髪、くるくるした茶色の大きな目、小さな鼻と唇に白い肌。すらりとしたラフなパンツスタイルが、どことなく猫科の動物を思わせる。
相手はサヨコの驚きに、申しわけなさそうな顔になった。
「ハァイ。ごめんね、驚かせたかしら」
「いいえ…あの…?」
口ごもるサヨコに、女性は瞳をすうっと細めて笑った。
「あたし、アイラ・ブロック。あなたも234便に乗るの?」




