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博士は、両親以上にサヨコの状態を理解してくれていた人間だ。その博士が、いつかサヨコが宇宙に出て行くことを了承していた、と言う。それは、遠回しに、サヨコが『GN』としてでも、宇宙に関わるべきだと判断していたということなのだろうか。
混乱して俯くサヨコに、カナンはゆったりとした声で言った。
「ねえ、サヨコ。宇宙は『CN』だけのものではないの。そう、もちろん、今は『CN』が中心となって宇宙開発を進めているわ。けれども、『GN』だって、『草』さえ投与すれば、宇宙に出ることには問題がないの。地球連邦は今、『草』の増産を進めています。もうしばらくすれば、『GN』だって、宇宙ステーションで暮らすようになるでしょう。そのために、初めの一歩として押し出されるあなたや、ほかの『GN』は、確かに大変だと思うわ」
カナンは思わせ振りにことばを切った。サヨコの注意が十分に自分に集まったのを待っていたように、
「でも、あなた達のデータで、多くの『GN』が宇宙生活を楽しめるようになる……そうしてこそ、本当の、人類の宇宙時代の開幕と言えるのじゃなくて?」
カナンの滑らかなことばには、不思議な説得力があった。
「心配だったら、宇宙ステーションに地球から医師を同行させてもいいわ。でも、『新・紅』の常務医師ファルプは、『GN』の対処も優れています。万が一の危険も取り除いてくれるはずよ」
(でも、宇宙の中だわ)
サヨコは胸の中で呟いた。
宇宙の中での万が一。それはサヨコにとって、『死』を意味している。
黙り込んだサヨコのかわりのように、デスクの上で声がした。
『部長、タカダ氏がお見えです』
「わかりました。待たせておいて。……ねえ、サヨコ」
カナンは応えて、がらりと口調を変えた。
「もし、どうしても拒否したいのなら、それはそれで構いません。けれども、一応こちらとしては、シゲウラ博士にまでコンタクトしているわけだし、断るということは服務規程違反になるとは知っておいてね。あなたは地球連邦の職員だし、『GN』としては異例の部署にいるでしょ? おとうさまやおかあさまの功績を無視するわけではないけど、最近、宇宙への部署にも希望者が多いの。あくまでも、あなたが地球上での仕事に固執するならば、これからの配置を考えないとね」
びくりとサヨコは顔を上げた。
カナンはにこやかに笑っていた。その表情は、つい今しがた、サヨコにかけた圧力のことなど覚えてもいないような晴れやかなものだ。
「わたしが拒否すると、両親が困る、そうおっしゃりたいんですか」
「あなたの両親のことは話してないわ、あなたのことよ」
カナンは優しげに目を細めた。
サヨコは唇を噛んだ。カナンの手の中で、くるくると弄ばれているおもちゃになったような気がした。
だが、彼女は小さく頷いた。
「……わかりました」
「明日出発して。234便よ……ああ、それから、サヨコ」
カナンは、元の親しげな口調に戻って付け加えた。
「内密に連邦警察が同行します。あなたには後で知らせるけど、ステーションでは知らないふりをすること。これは重要なことです。必要書類、『草』は後で届けさせます。先入観を作らないため、ケースの情報はステーションで、責任者、スライ・L・ターンから受け取ってください。スライについては…」
そこで、初めて、カナンの顔に、制御されていない苦笑が浮かんだ。
「おいおい、わかるわ。……期間は1週間。好結果を期待していますよ、サヨコ」
カナンは、最後のことばが消えるのが待ち切れぬようにデスクの上のインターホンに指を触れ、短く命じた。
「タカダ氏に入ってもらって」
話は終わりだ、という明快な合図だった。
サヨコは軽く頭を下げ、向きを変えて部屋を出た。
隣の部屋にはいつのまにか、1人の男性が居た。銀色の髪が示しているほど老いていないのは、サヨコに向けた黒い目の鋭さでわかる。がっしりした体をゆるやかに動かして椅子から立ちあがり、サヨコと入れ違いにカナンの部屋に入っていく。
男とすれ違いざまに、かすかな芳香がサヨコの鼻を刺激した。どこかつんとした、それでいて爽やかな薫り。森の中に深く入り込んだときに香る、あの匂いに似ている。
サヨコは思わず振り返って、閉まるドアの向こうに吸い込まれていく男の姿を追った。
それは、『草』の匂いだった。




