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きり。
総合人事部、カナン・D・ウラブロフの時間が取れるのを隣の部屋で待ちながら、サヨコは奥歯がどんどん擦り減っていくような気がした。噛みしめるたびに、ぎしぎしした感触がひどくなる。それにも増して、力を込めて硬直させた体が、ぐいぐい内側へ締まり続けていく。
宇宙ステーション、『新・紅』への出向は事実だった。
サヨコの訴えに、フィスはカナンが決めたことだからといって取り合ってくれず、とうとう思い詰めて、サヨコは総合人事部までやってきてしまった。
カナンに面会を頼んだ瞬間から、この一室で待たされている数十分間、サヨコは後悔し続けている。
切れ者と名高いカナンが、一度下した決定をサヨコごときの抗議で変えるはずはない。フィスにもそう言われたのに、サヨコはここへ来てしまった。
理由はただ1つ、宇宙へ出たくない、それだけだ。
4歳の体験の恐怖からだけではない。
(本当は…)
「サヨコ・J・ミツカワ」
「あ、はい」
カナンの秘書に呼ばれて、サヨコは椅子から立ち上がった。足が砕けて、転んでしまいそうだ。
ドアを開けて入り、サヨコは一瞬、部屋を間違えたのかと思った。
重厚な木製の書棚が部屋の壁を埋めている。1カ所だけの窓には重そうなカーテンがかかり、今は左右に分けられて金色の房で留められている。ふんわりと深く沈む絨緞が敷き詰められた数世紀以上前のヨーロッパ風の部屋だ。
書棚の前、どっしりした木製のデスクについているカナンを見つけて、サヨコはようやく我に返った。
「どうかして?」
プラチナブロンドの陰から、ごく淡いグリーンの目が笑いかける。サヨコが回りの調度に気持ちを飲み込まれるのを見ていたらしい。
サヨコは顔が赤くなるのを感じた。
「あの……貴重なお時間を頂いて申し訳ありません、カナン部長」
「カナン、でいいわ。何かしら?」
人を逸らさない魅力的な微笑が珊瑚色の唇にこぼれた。
サヨコは、ますます小さく縮こまっていく自分を感じながら、必死にことばを続けた。
「あの……お聞き及びかもしれないのですが……『新・紅』への派遣のことです」
そこまで口にしただけで、体力のほとんどすべてを消耗したような気がした。
カナンがちかりと目を光らせる。野獣のような、美貌に不似合いな猛々しさが、相手の目を掠めた。
「ああ、そう、あなたを選んだのは私です。期待に応えてくれることを望んでいますよ」
「でも……どうしてでしょう?」
サヨコは両手をしっかり握り締めた。見えない圧力に押されまいとして、足の位置を直し、少し息を吐いてから問いかける。
「……難しいケースだと聞きました」
(大丈夫、言える)
心の中で自分を励ます。患者に対して、どうしても言いにくいこと、けれども言わなくてはならないことを口にするときのように、ゆっくりやれば、きっと言える、と。
「わたしは『GN』です。宇宙滞在訓練もしていないし、ましてや、『CN』の心理療法はほとんどしたことがありません。経験不足ですし、宇宙に関する知識は……皆無です…」
それでも、最後のことばが消えそうになった。
「でも、この間はきちんと回復させたわ」
カナンはどこか諭すような口調で応じた。
「宙港の報告には目を通しました。今までの経歴も知っていますし、『GN』であることも考えた上での選択です。以前、シゲウラ博士にもコンタクトを取り、連邦が必要と認めたならば、あなたを宇宙へ派遣してもよいとの返事を得ていますよ」
シゲウラ博士の名前で急に体中の力が抜けた。




